第6話 ホシノヒト
チィが書物で得ている知識では、獣族の暮らす範囲に入った瞬間人間は食べられ彼等の肉になる。
知性を持たない野蛮な民族。
どの書物にもそう書かれていたが……ミケと出会った事でチィは揺らでいた。
もしや、本に書かれていたことは全て間違っていたのではないか?
そうに違いない。チィは確信して彼等の村へやってきた。
そして理解する。
【キミ食べられるんじゃない?】
「私美味しいのかな……」
多くの犠牲を払って作られた本の有り難みを。
「私から離れなければ大丈夫……何をしている?」
「て、手を繋いで欲しくて……」
チィの震える指先を見たミケは、己の尻尾をチィの手へと巻き付けた。
それは親が子をあやす時に行う獣族特有の仕草。愛情表現に乏しい獣族にとって最上の示し方。
それを見た獣族達は吠え騒ぎ、チィの喉元目がけ鋭い爪を突き出した。
チィを守ろうとするミケの爪と激しくぶつかり合う。
「“ナ”、どういうつもりだ」
「“カ”には関係ない。どけ、この子を長に会わせる」
【変な名前だね】
(名前を持たないって言ってたから、多分女性がナで男性がカなんじゃないかな?)
【ふーん…………ナ……カ……ナ……ナ……】
(…………ふふっ、ちょっとやめてよ……それ絶対に静かな時に言わないでよ?)
方や一触即発、方や極楽蜻蛉。
チィ御一行を囲むように獣族が集まり、前も後も出来ぬ状況に。
ジワジワと近づく獣族達を見たチィは流石に察知したのか、ミケを庇うように両手を広げて叫んだ。微かに震える足の震えを隠すように。
「ミ、ミケには手を出させないから!! 私は人間……人族のチィ!! つ、強いんだからね!? ドーンって来てバーンってしちゃうんだから!!!」
【狙われてるのキミじゃないの?】
語彙力の無さも然ることながら、言葉の選び方すらも怪しいチィ。
彼等には名前を伝えても分かるはずも無し、その姿はただ吠えて威嚇しているようにしか見えなかったであろう。
一人の獣族が爪を立てチィに突進したその時、両者の間に立つように年老いた獣族が静かに佇んでいた。
「長!! 何故止めるのです!? コイツを喰ってさらなる力を── 」
「カが束になってもこの人族には敵わない。それにこの人族を食べても力は得られない。ナ、ホシノヒトを連れてこちらに来なさい」
長と呼ぶには余りにも華奢で小さな身体。チィと殆ど変わらぬ身体の大きさだが、その秘めたる圧を確かに感じるチィ。
静まる村内、ミケと共に村の中央に位置する小さな小屋へ向かう。
「さて……ナ、もう下がっていいよ」
その長の言葉に一瞬体が動いたミケだが、首を横に振りチィと繋がる尻尾の力を強めた。
「長、私はこの人族……チィと共にいる。許して下さい」
「そうか…………ではこれを」
磨き抜かれた鋭い刃物。長から手渡されるとミケは己の爪をそれで切り落とし始めた。
それが何を意味するのか、チィでも薄っすらと理解出来た。
「ミ、ミケいいの? 大切な爪……なんだよね?」
「あぁ、これでいい。だからそんな顔をするな」
強く握られた尻尾、削がれた爪。
彼女の手は何かを抉るモノではなく、大切な何かを優しく撫でられるモノに。
それを見つめ獣族の長は何かを熟考している。
暫しの静寂。ここぞとばかりに星は輝いた。
【ナ……カ……】
(や、止めてっていったでしょ!!?)
「チィ? どうした?」
【ナカナカッカッカ!!! カッ!!】
「あっはっはっは!!! もー、止めてよね…………あはは……ね?」
赤面するチィと隣で大笑いする星の子。
当然獣族の二人にはチィが一人で盛り上がり恥じているようにしか見えない。
不穏な空気、チィは正座をし縮こまりながら反省を弁ずる。
「ご、ごめんなさい……ナとかカとか呼び方が面白くて笑ってしまいました……」
「そ、そうなのか? 一体何が可笑しいのだ……」
正直過ぎるチィを見た獣族の長は、一つ微笑み獣毛に覆われた額から瞳を覗かせた。
「フッフッフ。そう、私が幼き頃は可笑しいと思ったものだ」
長の言葉に、聞き耳を立て覗き見をしていた村人達は驚きの声を出しガヤガヤと騒ぎ始めた。
長が話を続けると、忽ち外野は聞き耳を立て始めた。
「私のような華奢な老耄がこの村で頭を務められるその理由……それはこの村で誰よりも長く生き、数は二百年近くなるからだ。私達獣族は人族との争いに敗れ……文化を失った。元々私達獣族の寿命は二百年程。しかし……人族の特殊な力を得る為人族を食べ続けた我が祖先。力を得た代償として、獣族の寿命は人族と変わらぬ……長くて百年。これでは獣人などと皮肉られても致し方ない。私は皆のように特殊な力が薄い故に、長生き出来ているのだろう」
【話長いね】
(歳を取るとね、みんなこうなっちゃうんだって。ちゃんと聞いてなきゃ駄目だよ?)
「人族は先ず我々の名を奪った。初めは抵抗していたが…………人族を怨むが故に、人族と同じ文化……名を持つということが憎らしくなった。男衆が“カ”、女衆は“ナ”。我々独自の呼び方で……抑圧された中で我々の文化を作ろうとしたのだが……その根底が違っていたのだろう。ずれたモノをずれたと感じず、いつしか忘れ去られる。そうやって、我々の文化は奪われた。さて……“ミケ”よ、お主はどうする?」
「チィと共にいきます。伝承がもし本当ならば……その時私はチィを守りたい」
何のことか分からず首を傾げるチィの手を握ったミケ。それは獣族が奪われた文化の一つであり、現在の彼等の中では忌み嫌われる行動。
綻びが解け始めた二人を見て、長は頷いた。
「ホシノヒトよ、邪を片付けてくれて感謝する。少しでも困ったことがあれば、その子を頼りなさい。それからこれを……」
そう言いながら長は石の首飾りをチィに結びつけた。青く輝くその石は星の子のようであり……チィは目を丸くさせ長を見つめると、長は優しく微笑んでいた。チィは堪らず抱き締めると、長は笑いながら抱き返した。
「フッフッフ、これは私達獣族が遥か昔から持っている文化。旅の無事を祈り、空から降ってきたとされるこの石を贈る。石とミケが必ずあなたを守る。さあ、行きなさい」
「うん……ふふっ、行ってきます!! おじいちゃんも元気でね!!」
「チィ……長は女衆だ」
長の大きな笑い声はどこまでも響き、その日からこの村では少しずつ、彼等の文化が戻っていった。
◇ ◇ ◇ ◇
村を出て暫くし、大きな岩の上で休憩する二人。
「ねぇミケ、ホシノヒトってなに?」
「やはり知らないか……いつか全てを話したいが……ホシノヒトとは、遥か昔にいた相手の願いを叶える伝説の人族のことだ」
「へぇ……」
「何を笑っている?」
「ふふっ、ミケの願いも叶えられるのかなって思ってたの」
「…………存外、もう叶っているのかもしれないな」
「どういうこと?」
「さぁな。ほら、行くぞ」
差し出されたその手にどこか胸躍り温かくなるチィ。獣族との交流……冒険者としての一歩がそうさせているのだろう、そう思いながら強く優しく手を握り、また大きく一歩踏み出した。
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