第4話 小さな背中、大きな心


 深い森を更に進んだ深奥部。

 目覚めたチィの視線は何故か地面を見上げていた。

 息を荒らげながらやっとの思いでチィを引きずるミケ。背中の塞いだ傷からは、血が滲んでいる。


「ミケ? なにやってるの? だ、駄目だよ動いちゃ……」

「静かにしろ……アイツに気付かれる」


 顎を使い方向を示すミケ。その先には、四足で這いずりながら獲物を探している邪“ベイ”。

 硬い外殻と、丸太をも砕く強靭な牙と顎で全てを喰らい尽くす邪。

 その体の大きさは、小屋一つ分。


「わぁ、見てよミケ……あっちに綺麗なお花が咲いてるよ……」

「……現実から逃げるな。花畑の肥料になりたくなかったら黙ってろ」


 相変わらずの逃避振りに大笑いする星の子。

 当然ながら、チィにしか見えず聞こえない。


「もー、何がそんなに面白いの?」

【そりゃキミさ。なかなか、退屈しそうにないや】


「……誰と喋っているんだ?」

「えっと……星の子?」


 その言葉に反応したミケは、思わず担いでいたチィの足を地面へと落とす。

 その音に反応した邪だが、ミケは慄いた顔で立ち止まったままである。

 

「御伽話では……ないのか……」

「ねぇミケ、どうしたの…………ぴょっ!!?!?」


 堪らず可笑しな声を漏らすチィ。

 俯き何かを考えているミケの後ろに、邪の姿が見えたからだ。

 咄嗟にミケを押し倒すと、既の所で邪の前足が空を切った。


「ミケ、こっち!!」


 走れぬミケの肩を支え、彼女を引っ張るように小走りで逃げるチィ。

 巨大な邪、追いかける速度は逃げる二人と平行線。


「ハァハァ……こ、これなら追いつかれないね!」

【離れもしないけどね】

「もー、あなたも手伝ってよ」

【カンチョー出来ないからね】

「バ、バカにしてるでしょ!? いくらお星様だからって、そうやって人のことを── 」


 気が付けば奥へ奥へと進むチィ御一行。

 光も入らぬ程の緑に覆われたそこは、追いかける邪の寝床。

 ミケを引く手は大きく震え、肩で息をし始めるチィ。極度の乱心……何度も前後を確認し、「どうして」と呟いた。

 目の前に邪、振り向けば邪。


「も、もしかして……つ、番…………?」

「邪にそんな概念は無い。寿命も無い永遠の命を持つ連中だ。子孫を残すなんて事はしない。減る事はあっても、増える事はないんだ」


 邪について書かれた正式な本は殆ど存在しない。冒険者が残した僅かな情報と、古い伝聞を書き写した書物が数点だけ。

 尾びれ背びれがついた話が書かれた本は数多く存在するが、どれもこれも適当だったとチィは痛感している。


「こいつらに仲間意識なんてないと思っていたが……案外、私達が思っているよりも賢いのかもしれない」


 ミケは鼻でから笑いをすると、幾年も時を刻み続けた巨木の麓に腰を掛けた。

 迫る二匹の邪に小石を投げつけ、見えぬ天を仰ぐ。


「お前は逃げろ。人族と会話なんて死んだほうがましだと思ったが……出会えた人族がお前で良かった。お前のお陰で永らえた命だ。遠慮なく使わせてもらう。じゃあな……チィ…………な、なにをしてる? 早く逃げろ!!」


 最後まで足掻き爪痕一つ残そうとしたミケだったが、目の前で仁王立ちする少女が一人。

 か細い手足は震え、今にも折れてしまいそうな心がその小さな背中から伝わってくる。


「恐怖で震えてるじゃないか!! 逃げろ!!」

「イヤ!! 怖いよ。怖いけど……逃げる方がもっと怖い。あなたを失う方が……もっと怖いもん!!!」


 光届かぬ森の中、チィの両手が輝き始める。ほんの一瞬、ミケはチィの右肩に舞う光を見た。


「ふふっ、大丈夫だよ。あなたが元気になるまで一緒にいるって言ったでしょう? 私の指を噛みちぎるまでは……死んじゃダメなんだから」


 己を心配させまいと健気に笑う少女。

 死が迫る状況……胸の奥が温かく穏やかになるミケは、生きたいと願ってしまう。

 情けなくもハッキリとした理由は分からないが……目を閉じると、チィの笑う顔が焼き付いて離れなかった。


「よ、よーし……先ずは……先ずは何しよう!?」

【殴れば?】

「わ、分かった!! 殴るよ!!!!」

 

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