第52話 月下歩行

 マクベトが消え去ってから2日が経ち、王宮は急ピッチで修復が進んでいた。


 王の執務室。ルカノールが椅子に腰かけ、その目の前にイサドが立っている。


「なるほど、これが事の顛末か。ご苦労だった」


 ルカノールは「マクベト事変」と名付けられた報告書を受け取った。マトリが全員で作成したものである。マフィアについて、マクベトについて、そして事件の成り行きが書かれている。


「マフィアを組織し、国を牛耳ろうとした……それは全てこの国の平和のためか。恐ろしい男だ」

「ええ。マフィアの残党はまだ潜んでいるかもしれません。引き続き、呪詛の事件には目を光らせておきますわ」


 ルカノールは背もたれに体を預けた。


 マクベトの虐殺呪詛により、多くの官僚が一瞬にして死んだ。すぐに人手を補填しなければならない。王宮の修理も大詰めだ。やるべきことはたくさんある。


「全く、本当に大変な事件だった。死ぬかと思ったよ。全く、僕が王の間くらい平和でいてくれないもんかねぇ──」


 ルカノールは呟くが、すぐにそれを打ち消すように首を横に振る。


「いや。そんなこと言っちゃいけないよな。せっかく戦争が終わって平和になったんだ。ここで気を抜いたらダメだ」

「その通りですわ。愚痴ならもう少し後になさってくださいな」


 わかったわかった、とルカノールは苦笑した。国の長というものは愚痴ひとつで周囲の気持ちを下げてしまう。気を付けねば、と王は気持ちを少し引き締める。


「イサド、マトリの4人にもよろしく伝えておいてくれ。マトリにはそのうちちゃんと直接ねぎらいの言葉をかけにいくつもりだが、まだ時間が取れそうにない」

「もちろん分かっておりますわ。私からもとびきりのねぎらいをするつもりです」

「ほう?」

「今日の夜に、私から4人に慰労会を開いてあげようと思ってますの。つまりはまあ、打ち上げパーティですわね」

「なに?! 打ち上げパーティ?! 何だねその楽しそうなイベントは?! ずるいぞ、僕も参加させろ」

「ダメです。王にはまだ仕事が残っているでしょう」


 ぐぬう、とルカノールは無念の吐息を漏らした。


「……分かった。マトリは最大の功労者だからな。しっかりいたわってあげてくれ。臨時ボーナスも弾むと伝えておいてくれ」

「分かりましたわ」

「そしてもう一つ。この私は諦めの悪い男だ。目の前にある仕事を片付け、いつか私も打ち上げパーティを開くぞ。事件の解決とこれからの平和を祝う、盛大なやつだ。覚えておけ、イサド!」


 ルカノールの不敵な笑みを見て、つられてイサドも笑った。


「ええ。楽しみにしておきますわ」


 王の元には、次から次へと書類が舞い込んでくる。ルカノールはそれを対峙し、服を脱ぎ捨て、目を見開いて叫んだ。


「キャスト・オフ!!」

「へ、陛下?! 何をしているんですか?!」


 周りの部下がどよめく中、ネクタイとパンツのみの姿になったルカノールは猛然と書類を処理していく。


「私はこの姿になることで、事務処理速度を1.4倍にすることができる! 「裸の王様」の異名は伊達ではない! 諸君、私についてこい!!」


 ルカノールの言葉は炎のように熱かった。その本気の表情を見て、周囲の部下の心にも火がついた。


 呪詛の被害など、すぐに立て直してやる──皆がそう思った。


 自分のモチベーションを周囲にも伝染させる。それが、ルカノールの才能なのである。



 ◆◆◆



 安倍晴明は月夜の道をゆったりと歩いていた。


 上司であるイサドが開催する、慰労会に参加するためだ。


 満月の光と家々の明かりが合わさり、夜の道は薄ぼんやりと照らされている。


 すると背後から「晴明さん!」と声をかけられた。振り向くと、アリアネルが駆け寄ってくる。


「こんばんわ。奇遇ですねぇ」

「アリアネルか。君も宴会場に行くつもりだね」

「ええ。よかったら一緒に行きましょう」


 そういうことになり、晴明は月明かりの下をアリアネルと共にのんびりと歩く。


「体は大丈夫だね? 不審なことは起きてないな?」

「大丈夫ですよ。元気満タンの五体満足ですから!」


 アリアネルは笑顔で力こぶを作って見せた。


「でも、体を乗っ取られるなんて初めての経験でした。戦いが終わっても、気持ちの悪さがしばらく抜けませんでした。タチの悪い風邪を引いた後みたいでしたよ」

「風邪か……ある意味ヤツは病と似ているのかもしれんな。国を蝕む病魔だ」


 夜空を見上げながらアリアネルはぽつりと尋ねた。


「マクベト・レイブン……恐ろしい男でしたね。人間とは思えませんでした。あれはもう──完全な怪物でした」

「ああ」


 晴明は頷き、言葉を返す。


「どちらでもあるのだよ。多分な」

「どういう意味です?」

「人と怪物に境界線などない。人は案外、簡単に怪物になってしまうものだよ」


 人が怪物を生み出す。人が怪物に成る。晴明にとってそれは何も珍しいことではない。


「生まれつき怪物な者もいる。時代に後押しされる者もいる」

「……マクベトは両方だったんでしょうね」


 マクベトは生まれながらの「征服者」だったが、彼の背中を押したのは呪詛戦争だった。


「戦は、人を怪物に変える。逆に国が平和なら人の怪物性を抑えられる。平和なのが一番ということだ」

「なるほど……」

「もちろん、それでも人は怪物になる。それを止めることはできない。その時は、また怪物に立ち向かうしかないだろう」

「晴明さんがいてくれるなら、なんとかなりそうな気がしますよ」


 アリアネルが笑顔で言うが、晴明は苦笑で返した。


「私は別に万能ではない。負けることだってある」

「そうですね。でも晴明さんのいいところは、負けても失敗しても、ちゃんとリベンジをしてくれるところですよ」

「かもしれないな」


 空には、煌々と満月が光っている。


 晴明がこの世界に落ちて来たのもこんな晩だった。


(この国には、恐らくまだ呪詛が存在するはずだ。呪いというのは簡単に消えてはなくなるまい)


 晴明は一人そう思う。呪詛は消えず、水面下に潜り続けるものだ。


(ならば、これからも呪詛を祓い続けてやろう。マトリとして呪詛と対決してやろう。ある意味これは私の第二の人生だ。やってやるさ)


 満月を見つめる晴明に、アリアネルが声をかける。


「晴明さん。色んな大変なことがありましたね。けど……私は貴方と出会えた。ちょうどこんな月夜の晩に。私は幸せ者ですよ」

「私も同感だ。お互い様だ」


 それを聞いてアリアネルはにっこりと笑った。


「……これからも一緒に戦いましょうね、晴明さん。どんな事件が起こっても、貴方と一緒なら、なんかうまくいきそうな気がするんです」

「ああ。こちらこそ」


 やがて、宴会場の明かりが見えて来た。中に入ると、なじみのある声が響く。


「こんばんわ、お二人とも! 準備できてますわよ!」


 イサドの快活な声が響く。それに続いてブルーセとミシェルも声をあげる。


「おう、来たな! 晴明、お前こっち来いよ。いっぺんお前とはじっくり語り合ってみたいと思ってたんだ」

「この店はこの私が見つけたのよ。いい店でしょう? ここを知ったら普通の店じゃ満足できなくなるんだから。覚悟しときなさい」


 テーブルには色とりどりの料理が並べられ、湯気を立てている。


「凄い料理……! さっそくいただきまーすっ!」

「待ちたまえアリアネル。こういうのは乾杯から入るものだろう」


 よく晴れた月夜。よい料理。そして、気心の知れた仲間たち。宴会としては最上級の条件だ。


「楽しい夜になりそうだな、今日は」


 微笑んで、晴明はそう呟いたのだった。

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