第33話 キング・アンド・ティータイム

 晴明たちは、ルカノールにマフィアとの戦いについて話した。


 呪詛について。呪詛の被害について。呪物について。おぞましい部分も包み隠さずに伝えた。ルカノールは静かに、頷きながら耳を傾けていた。


「なるほど、人間の遺体を材料に……。胸が痛む話だな」

 

 人間粉末のくだりになると、ルカノールの顔に沈痛の色が混じる。それに対し、アリアネルがいつもの表情で答えた。


「あれは本当につらかったです。でも、これで当分サティルスではこれ以上呪物が作られる心配はないはずですよ」

「……本当にご苦労様だ。呪詛事件の最前線で戦う君らには、頭が下がる思いだよ」


 ルカノールの顔に微笑が戻った。


「しかし、王は先ほど気になることを仰られていましたね」

「うん?」


 話を変えたのは晴明だ。手を上げ、控えめに質問する。


「ブルービアードは、この国の中枢に食い込んでいるような気がする……と。あれはどういう意味なのでしょう?」

「ああ。これはあくまで私の直感なんだが」


 お茶を飲みながら、ルカノールは控えめに答えた。


「ブルービアードは、何というか得体が知れない。ただのチンピラが集まってこれだけのことをできるだろうか……と疑問を覚えている。彼らには「後ろ盾」になっている者がいると思うんだ」

「後ろ盾……」

「そうだ。例えばどこかの金持ちとか、地方にいる名士とかな。ブルービアードの加担者がいる。私のすぐ近くにいてもおかしくない。そう思えてならない」


 口調こそ穏やかだが、その表情は確信的だった。だがすぐにルカノールは人懐こい笑みを浮かべた。


「ああ、いや、あまり気にするな! ただの私の思い込みかもしれない。戯言だと思っていい。王が疑心暗鬼になってしまうのはよくないな、うん」

「変なところで疑い深いですわね、王様は。昔からそうですわ」


 イサドが言うと、ルカノールは眉の端を下げて苦笑いする。


「はは、そうだな。私の悪い癖だ。反省する」


 マトリの4人にとって、王というのは絶対者だ。それが目の前にいて、一緒にお茶を飲んでいる。それがとても不思議な状況だった。


「……話を変えよう。実は前から気になっていたことがあってね。安倍晴明君、君は「空の穴」から来た人間だそうだね?」

「はい、そうですが」


 それを聞くと、ぱっとルカノールが目を輝かせた。


「そうなのか! そうかそうか、すごいなあ。平安京とかいう所から来たんだって? どんな所なんだね?」

「美しい所です。大きな戦もなく、綺麗な花や鳥が栄えている。華やかで雅な都ですよ」

「ほぉぉぉ……」


 感心したようにルカノールはため息を漏らした。すると晴明は人差し指を立て、「ただし」とさらに話を続ける。


「暮らしそのものに目を向けるなら、もしかするとアトルムの方が住みやすいかもしれません」

「そうなのかね?」


 意外そうにルカノールが眉を上げる。晴明は頷いた。


「例えばこのお茶。アトルムにおいては当たり前の飲み物ですが、平安京にはここまで美味な茶というのはなかったように思います」

「おや……茶などというのはどこにでもあると思うのだが」

「お茶を楽しむという文化は私にとっては高貴なものでしたよ。平安京における茶というのは、ブロックのように固めた茶葉を少しずつ溶かす「磚茶だんちゃ」というものでした。帝のような選ばれた者しか飲めないものです。あるいは、麦をお湯に溶かして飲む「麦湯」というのもありましたが……このように洗練された一つの文化というわけではなかったように思います」


 洗練された模様のカップを指さしながら晴明は言った。


「ふかふかのベッドも。夜を照らす照明も。貨幣という流通物も。平安京にはありませんでした。とても素晴らしい。そして何よりこの国は……貴族出身の者がそうでない者に優しい」


 晴明はミシェルとアリアネルに視線を移しながら続ける。


「平安京の貴族は、生まれついて高貴な血筋です。だからそうでない人を見下す言葉を平気で言います。それに悪意はありません。ごく当たり前のことと考えているのです」


 これは晴明自身の経験談でもある。下級貴族の家に生まれ、若い頃は出世もできず、陰陽師どころかただの下っ端として働いてきた。心無い言葉をかけられたのも一度や二度ではなかった。


「だがアトルムの貴族はそれとは違う。生まれの違いで人を馬鹿にはしない。私はそういう在り方を好ましく思います。……もっともこれは、アトルムの人間が戦争の「痛み」を経験したから、かもしれませんが」

「ははは。そうか」


 嬉しそうな、恥ずかしそうな表情でルカノールは微笑んだ。


「……そう言ってもらえると、非常に嬉しいよ。ありがとう。もっともっと住みよい国になるように努力しないとな」

「では、今度は逆に王様の話を聞かせてくださいませ。元々、王は薬売りだったのですよね?」


 イサドが聞くと、ルカノールは笑顔で頷く。


「そうとも! 薬品の行商人さ。何しろ戦争中だったからね、傷薬は飛ぶように売れた」

「傷薬か。マトリもいつもお世話になっている」

「ははは、そうかそうか。薬と言ってもいろんなのがあってね。酔い止めとか、ニキビ治しなんてのもあったんだ。面白いのだと「仮死薬」なんてのがあって、少しの間死んだフリができるんだ」

「へえ……しかしそんなのいつ使うんでしょう」

「うむ、私にも分からないんだ。研究してて偶然できちゃっただけだからね」


 その時、入り口の扉を勢いよく開き、一人の男が入って来た。


 髪を短く切りそろえた、迫力のある男である。


「陛下。もうそろそろお時間です」

「何?! しまった、もうそんな時間か!」


 慌ててルカノールは立ち上がった。悔しそうに天を仰ぐ。


「くっそ~、もっと話したいことがいっぱいあったのになぁ。もう会議の時間なのかあ」


 王に次の仕事が入ってしまったことを、その場にいる全員が察知した。ブルーセが優しい声で言った。


「楽しいお茶会でしたぜ。本当にありがとうございました」


 ルカノールはまだ残念そうな表情だったが、無念を振り切るように声を張った。


「……うむ! こちらこそ楽しかった! 突然で済まないが、本日はこれにて! また会おう諸君! 風邪など引くなよ!」

「そちらこそ、王様!」


 アリアネルの言葉を背中で受けながら、ルカノールは颯爽と去っていった。


 部屋に入ってきた迫力のある男は、まだ動かずにとどまっている。


「ほう……お茶会ですか。すると、貴方方が例の、マフィアを確保したとかいうマトリですね?」


 男は少しずつ近寄ってくる。血のように赤い瞳が、マトリ達をじっと見つめていた。するとイサドがそれを制するように声をかける。

 

「自己紹介もせずに近寄ってくるのは失礼ですわよ、ジャイルズ」

「おお、そうだな。これは失礼」


 男はふっと笑った。


「私はジャイルズ・パラポネラ。アトルムの財務大臣をやっている。どうぞよろしく」


 晴明は、その姿に見覚えがあった。


「ジャイルズさん……ああ、そういえば。貴方を見かけたことがありますよ」

「ほう? どこかで会ったかな」

「いえ、これが初対面です。街の中に貴方の銅像があるのを見かけたことがありましてね」

「ああ。なるほど」


 ジャイルズは頷き、目を細めて顎をさする。


「……素敵そうなお茶会だ。正直私も参加したいが、そうもいかない。これで失礼するよ」


 踵を返し、足早にジャイルズは立ち去った。それを確認し、ミシェルは呟く。


「……これにて、お茶会は終了かしら?」

「みたいだな。いやぁ、いいお茶にいいお菓子だった。余ったヤツを持って帰りたいくらいだ」


 ブルーセがにやりと笑って言うと、晴明がぴしゃりと反論した。

 

「やめた方がいいだろう、みっともないからな」

「分かってるって。……おい、そんな目で見るなよ晴明。冗談だっつうの!」


 晴明たちは離席し、事務所に戻るため廊下に移った。


「それにしても、王様ってあんなにフランクな方だったんですねぇ」


 アリアネルが言うと、微笑みながらイサドが答えた。


「そうですわね。ルカノールはもともと庶民に混じって働いていましたから。それに……今の世の中、ああいう王のほうがいいのかもしれませんわ」

「というと?」


 晴明が尋ねると、イサドは少し遠い目をした。


「呪詛戦争の最中、アトルムの王家は後継者争いをしていましたわ。王子同士で殺し合いをしてしまったのです。ルカノール陛下のお兄様方ですわね。戦争を収めるはずの王家が、戦争の拡大を招いてしまった……民衆は王家に不信感を抱いてしまいましたの」

「ああ。俺も覚えがあるぜ。ルカノールさんが出てくる前、王家の悪口でみんな盛り上がってたっけな。あいつらは何もしてくれない、ってな」


 ブルーセが皮肉っぽい口調で口をはさんだ。小さく頷きながらイサドは言葉を続ける。


「王家が全員死に、王になったルカノール陛下がまずやったことは、たくさんのビラやチラシを作ることでしたわ。「命を守ろう」「アトルムを一つに統一して、平和を築こう」というメッセージを作り、アトルム中にばらまいたのです。田舎の小さな村に至るまで、隅々までね」

「へぇぇぇ……」

「そうやって陛下は民衆を味方に付けていったのです。そして戦争を終わりに導いていった。だから、陛下はあんなにフレンドリーなのですよ。偉そうな態度をとると、また王家が信頼を失ってしまうでしょう?」


 手品の種をこっそり明かすような、控えめな声でイサドは言った。


 なるほど──と晴明は納得する。


 王も、貴族も、戦争によって「信頼」を失った。彼らが民衆に優しいのは、その失った信頼を取り戻すためなのだ。


「国により、王に求められるものは変わる。アトルムにおいて求められたのは……信頼できる王だったのですね」


 ゆっくりと力強く晴明は言った。



 ◆◆◆



「……私の部下をとっ捕まえたマトリ。あいつらがそうか。なるほどな」


 誰もいない廊下を歩きながら、ジャイルズは呟いた。


 彼の表の顔は、アトルムの財務大臣。だが裏の顔は──ブルービアードの首領だ。


 その表情は動かない。


 全ての感情を排除した、まるでハチやカマキリのような残酷な無表情で、ジャイルズは歩みを進めるのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る