第30話 しかし幽霊は出た

「……おい、何だこいつは。もしかして、マジで、「幽霊」ってやつなのかよ?!」

「そうよ。幽霊よ。わたし」


 晴明たちは、幽霊と名乗る女性を取り囲んでいた。


 体は薄く透き通っていて、倒れている女と全く同じ姿をしている。倒れている方は既に亡くなっており、生身の「死体」と化していた。


 その女性の目の下にはクマが出ていて、顔にはそばかすが散っている。長い髪はくしゃくしゃになっており、目を細めて晴明たちを見つめている。


 アリアネルはこわごわ幽霊に手を伸ばした。その指先は体をすり抜けてしまい、慌ててアリアネルは手を引っ込めた。


「うわぁ、触れない! でもなんかヒヤッとしますよぉ!!」

「よく触れるわね……こんな恐ろしいものに」


 アリアネル、ミシェル、ブルーセは幽霊を見たのは初めてらしく、驚きの表情でそれを見つめている。


 晴明にとっても驚きだった。死人の霊は災いを呼ぶものだというイメージがついていたため、このように穏やかな幽霊は新鮮だ。


「質問してもいいかな。貴方の名前は?」


 晴明が尋ねると、幽霊はかすかな声で答えた。


「……グッドウィンよ。レムレス・グッドウィン」

「うわあすごい、幽霊としゃべってる……!」


 アリアネルが目を見開いて驚きをあらわにするが、グッドウィンはギロリとそれを睨みつけた。


「あぁ? 何よ。幽霊だってしゃべるに決まってんでしょ。ジロジロ見んじゃないわよ、小娘」

「ひえっ、す、すいませんでした」


 恐縮し、アリアネルは一歩引きさがる。晴明は何事もなかったかのように質問を続けた。

 

「グッドウィンさん、ですか。なるほど。このご遺体は貴方ご自身でしょうか?」

「そうよ。ひと月前まで、この体で私は生きていたのよ」

「では、ここにたくさん貼られていた符を貼ったのも貴方ですか」

「そうよ」


 グッドウィンは悲し気な表情で続けた。


「私はね。子供の頃からずっと病気がちでね。戦争を生き延びたはいいけど、とうとう打つ手なしという重い病気にかかってしまってね。それで私は研究を始めたのよ。死んでからも、霊魂だけをうまいこと維持し、他の肉体に乗り移れないかと」


 マトリの4人に動揺が広がる。


 肉体が死んでも、魂が体を乗り換え続けるというのは、それはつまり「不死」だ。


 グッドウィンはわずかに笑みを浮かべながら続けた。


「実はねぇ、アトルムの古い伝説にあるのよ。とても強い魂を持つ者。魂だけで行動でき、他の肉体を乗っ取って無限に生き続けることができる、恐るべき人間。「征服者」と呼ぶ地域もある。私は「征服者」になりたかったのよ」

「征服者、ですか」


 とても正気とは思えない発想だが、目の前の幽霊はいたって真面目な表情だ。


「ただし問題もあったわ。霊魂っていうのはね、弱いのよ。死んだ後に急速に薄まり、消滅してしまう」

「へえ……」

「私はそれを防ぎたかった。そのために私は、「霊強術」というものを利用した。人間の魂を強化するという、マイナーな魔術よ。霊魂の消滅を遅らせてくれる。そこで私は自分で自分に術をかけて、魂が消滅しないようにした。ここに貼られた符はそのためのものよ」

「そうか……呪詛の道具ではなかったんだな。なるほど、呪詛の気配がしないわけだ」

「フフフ。結局はうまくいかなかったみたいだけどね」


 グッドウィンの笑みが自嘲的なものに変わった。


「霊強術ってのも、結局はそこまで効果は出なかったのよ。術により私の霊魂はひと月ほど存在を維持できたけど、それ以上のことはできなかった。寒くて寒くて動けない」

「寒い?」

「幽霊はね、寒いのよ。肉体と言う器がないからだろうけど、吹雪の雪山にいるみたいなのよ。……もうじき私は消滅するでしょうね」

「そうなのか……」

「それに、死んでみて初めて分かった。霊魂だけの存在というのは、ろくでもないモノなのよ」


 急に、グッドウィンが体を丸める姿勢になった。胸や頭を押さえ、苦しみの声を上げ始める。


「どうしたんですか?!」

「……人間が正気でいられるのは、肉体があるおかげよ。肉体を捨てた人間は、人間らしい心が消えてゆくのよ。声を上げ、駆けまわるだけの、ケモノのごとき存在になるの」

「どういうこと?!」

「幽霊は……幽霊は、もう、まともに物を考えることもできなくなるのよ」


 グッドウィンは歯を食いしばる。

 

「だから私から離れなさい。私はお前たちに襲い掛かってしまうかもしれない。本当の怨霊になってしまうかもしれない。だから……」


 そこまで言って、唐突にグッドウィンは苦しむのをやめた。口からは、ケモノのような荒い吐息が断続的に漏れていた。


「……は、ははハ」

 

 グッドウィンが口角を上げて笑った。


「わたしはモうすぐ、消えてなくなる。けれど、良いことを思いついた。お前たチも道連れよ。お前たちもわたしと一緒に死ぬンだ。そうだ! そうに決まった!! さあ、一緒に死のう!!」


 目は爛々と光っていて、歪んだ笑顔が貼りついていた。晴明が平安京で何度か見たことがある、「怨霊」そのものの表情だった。


 晴明の心にじわりと悲しみが差す。


「……なるほど、これが怨霊になるということか。死してなお、人は狂気から逃れられないということか。残念だ、グッドウィン殿」

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