第17話 散歩先マイライフ(前編)

 とある日、晴明達は半休をもらうことができた。


 晴明も休日は好きである。朝をだらだらと過ごせるのは何ともいえず心地がよいものだ。


 思えば、平安京にいた頃は基本的に忙しかった。そもそも官僚というのはおおむね忙しいものである。それが有能であればあるほど、様々な仕事を頼まれ、忙殺されるのだ。

 

 陰陽師は、まさしく「様々な仕事を依頼される」官僚のひとつだった。晴明も、休日であろうとも出勤することはしょっちゅうだった。


 だからこそ、このゆったりとした朝がありがたかった。


「……飯を食ったら散歩にでも行ってみるか」


 そういうことになった。


 外は快晴だった。近くに流れる川は整備されており、清涼である。心が洗われるようだった。


「きちんと整備しているのか、感心な川だ。これなら悪天候でも冠水はしないだろう。平安京ウチの賀茂川は大雨のたびに氾濫していたからなぁ」

 

 呟きながら晴明はあてもなく街の南側を目指して歩いた。しばらく歩みを進めていると、やがて薄暗い通りに出た。


 建物は汚れ、道にはゴミやガラクタが散乱している。


「……いかんな、ここらへんは治安が悪いのか」


 道路状況で、なんとなく治安というのは見えてくるものである。晴明はそれを敏感に感じ取り、引き返そうとした。


 その時、後ろから通りすがりがやって来た。ぶつからないように晴明は身をひるがえすが、服の端が当たってしまう。


 それがかえって通りすがりを刺激したようだった。


「何だお前、どこ見てんだ」

「失礼。ぶつからないように避けたつもりだったが」

「舐めてんのかこの野郎」


 逃げるか、それとも身を護るために一発ぶちかますか。どちらがいいか晴明は考え出す。


 晴明は暴力は好まないが、いざという時には身を護るために「攻撃」することをためらわない。平安京の人間なら誰しもが持ち合わせるメンタリティである。


 考えているうち、背後から「ちょっと」と声をかけられた。


「安倍晴明。何やってるのよ、こんな所で」


 見ると、それはミシェルであった。


「ミシェル! こんな所で奇遇だな」

「ミシェルだと?!」


 通りすがりの男が一瞬で青ざめた。


「マトリのミシェル・スノー……白雪姫じゃねぇか」

「あら、私のことを知っているのね。なら話は早いわ。失せなさい」


 通りすがりの男は青ざめたまま、敵から逃げるニワトリのような素早さで、そそくさと立ち去っていった。


「助かった、ミシェル。姿を現すだけで暴漢を追い払うとは、すごいな」

「別に。あなたが下らないトラブルに巻き込まれて、仕事に悪影響が出るのが嫌なだけよ」


 その突き放すような口調は遠慮がない。


「……不愉快でなければ聞かせてもらいたいのだが、君のあだ名である「白雪姫」というのはどういう意味なのかな?」

「あら。直接私に尋ねるなんて、勇気があるのね」


 ミシェルは左手を晴明の目の前に掲げる。その人差し指に、瑠璃色の宝石がはまった指輪がある。


「これが、白雪姫の由来よ」


 宝石がにぶい光を発した。すると、指輪の周辺に「冷気」があふれ出す。


「これは……」


 何かの術だ、と晴明はすぐに気づく。試しに指を伸ばしてみると、ひやりと冷たい。晴明の指に霜が付着していく。


「これが私の得意技。氷の魔術よ」


 指輪の光が消え、冷気もそれに合わせて消える。


「魔術……興味深いな。その指輪が触媒になってるのかね」

「そうね。この世界ではね、基本的に魔術というのは道具を介して発動するの。このラピスラズリの宝石を介すれば氷の力を使える」

「それは便利だな。面白い」

「言っておくけど、誰にでもできることじゃないわよ。生まれ持った才能と厳しい勉強に耐え抜いて、ようやく魔道具の使い方をマスターできるの。特に氷の術というのは習得が難しいのよ。炎や雷に比べるとよっぽどね」

「なるほど」


 鼻につく言い方だった。性格まで氷のようだな、と晴明は思うが口には出さないでおいた。


 こういう偉そうな人間というのは平安貴族にも多くいたので、晴明はすっかり慣れっこになっている。


 こういう手合いに出くわした時は、とりあえず褒めること──


 晴明はそう心得ていたので、満面の作り笑いでミシェルを褒めておいた。


「君は素晴らしい才能を持っているね。感嘆するばかりだ、全く素晴らしい。いいものを見せてもらったよ」

「……ふん」


 褒められたミシェルの頬に若干の赤みが差した。もしかしたら嬉しがっているのかもしれない。だが晴明にそれを確認するすべはない。


「それじゃ、私は行くわ。変なトラブル起こさないようにね。新人さん」


 そう言い残して、ミシェルは颯爽と去っていった。


 

 ◆◆◆



 それから大通りに向けて歩くと、銅像を熱心に磨いている男がいた。


「どうも、精が出ますね」


 晴明が挨拶すると、男は軽く微笑む。


「いいお天気ですな。掃除日和だ」

「この銅像は何をかたどったものなのでしょう?」

「これですか。目の前のお屋敷のご主人様である、ジャイルズ・パラポネラ様の像ですよ」


 確かに目の前には豪勢な屋敷がある。銅像は中年男性をかたどったもので、彫りの深い勇敢そうな顔をしている。


「このお方は呪詛戦争が終わってすぐ、王都の復興のために尽力された方でしてな。現在も大臣として、アトルムの発展のために尽くしてくださっているのですよ」

「なるほどそうでしたか。立派な人なのですなぁ」


 大臣だというなら、どこかですれ違うこともありうるかもしれない。


 ひとまず顔だけでも覚えておこう、と晴明はその獅子のような顔をじっと見つめたのだった。



 ◆◆◆



 大通りにたどり着くと、威勢のいい掛け声が通りに飛び交っていた。


「安いよ! 今日はチーズが安いよ! 早い者勝ちだよ!」

「お茶っ葉を各種取り揃えております、いかがですか、えーいかがですか」

「そこのアンタ! いい体してるね、ウチの鎧買ってかない?!」


 歩くたびに、食べ物やスパイスの香りが漂ってくる。平安京には無いものだった。世界が違うということは、つまり匂いが変わるということなのだ。


 混沌とした、だが色とりどりな道である。


「すごいな……」


 平安京より栄えているかもしれないと、晴明は思わざるを得ない。


 だが、よく見ると道の端には座り込んでいる者もいる。いずれも体に傷を負っていて、中には手足の一部を失っている者もいる。


 物乞いだ。一目で晴明にも理解できた。


 恐らくは呪詛戦争の影響で働く力を失ったのだろう。


(様々な者が、戦争で多くを奪われたのだな……)


 色々思いを馳せながら、たっぷり1時間かけて大通りを歩くと、脇道の向こうに公園が見えた。


 そこには見覚えのある人物がいる。


「せいやぁ! たぁぁ!!」

「踏み込みが甘いな。そこはもっと決断的に突くんだぜ」


 傘を持ち、突きの練習をするアリアネルと、それに付き合うブルーセだった。


「やあ、精が出るね」


 晴明が近寄ると、アリアネルが手を振って挨拶を返した。


「あ、晴明さん! こんちわー!!」

「訓練かね? ご苦労様だね」

「あはは。傘格闘術を教えてもらってたところですよ」


 傘で戦う格闘術。単純に見えるが奥は深いらしく、アリアネルは汗だくになっている。


「いやぁ難しいです! ブルーセさん、やっぱ強いですねー」

「何の何の。アリアネルも筋がいいぜ。そのうち追い越されちまうかもな」


 アリアネルの持っている傘はこげ茶色の丈夫そうな物だ。ブルーセが自慢げに解説する。


「この傘は俺のお下がりだ。ドラゴンのヒゲを編んで作った特注品なんだぜ。丈夫で剣も通さねえ」

「えへへ、ありがたく頂戴しました」

「わざわざ特注の傘を作るとは、面白いな」

「傘ってのがいいんだ。相手に警戒されにくい。それに剣を使うと相手を殺しちまうかもしれねぇだろ? これなら手加減して生け捕りにできる。マトリの仕事にゃもってこいなんだよ」

 

 休憩、とばかりに二人は腰を下ろした。晴明も草むらに座る。


「そういえばさっき、ミシェルに会った。相変わらず氷のように冷たい態度だったが」

「ははは、そうかい」

「ちょっと分かるかも。なんかこう、話しかけづらいところありますよね、ミシェルさんって」

「彼女の特技を聞かせてもらったよ。氷の術を使えるとか……」

「そうだぜ。魔術使いってやつだな」


 眼鏡を拭きながらブルーセが答えた。


「ごくまれにいるんだ。魔道具から力を引き出して不思議な術を使える奴がな。数万人に1人ともいわれてる」

「そうだったのか。そんな能力があるなら、もっと社会で活躍しそうなものだが」

「魔術使いってのは、そもそも数がすげぇ少ないんだ。生まれつきの才能も必要だし、努力もいるし、魔道具だって貴重な宝石が使われてるから高級品だ。そんなもんだから、魔術使いってのはプライドの高い難しい性格の奴が多くってな~。世のため人のため働こうって奴は多くない」


 なるほど、とアリアネルは難しい顔をする。


「確かにミシェルさんは難しい性格してそうですね」

「まあまあ。あんまり本人がいない前でそんなこと言うもんじゃないぜ」

「では本人がいる前なら言ってもいいのかな?」

「いや、そういうわけでもねぇんだがよ」


 眼鏡をかけなおし、ブルーセはミシェルをフォローする。


「俺もミシェルについて詳しいわけじゃないがな。あいつは呪詛戦争の時にお兄さんが行方不明になってるそうなんだ。それを探したいためにマトリに入ったらしい」

「お兄さんが……そうなんですか」

「ミシェルの奴、いいとこの貴族出身なんだがよ。呪詛戦争で没落しちまって、すっかり実家は貧乏なんだそうだ。マトリとして働く方がよっぽど金を稼げるらしいな」

「あ、それは分かります。私の家も戦争がきっかけでお金に余裕がなくなっちゃって」

「そうか。みんな大変だよな」


 呪詛戦争というものは、この国の住人の心に深く刻まれているようだった。話の途切れ目を狙って、晴明は尋ねる。


「呪詛戦争をきっかけとして、呪詛という概念はアトルムに広まった……んだったな?」

「ああ、そうだぜ」

「この国にしてみれば呪詛は「新技術」というわけだな。どこの誰がそれを広めたんだろうか」

「鋭い質問だな。実はな、呪詛を開発したヤツがいたのさ」

「ほう」


 ブルーセは少し目を細め、腕を組んだ。


「俺も伝聞でしか知らんけどよ。マクベト・レイブンって奴がいたそうだ。「呪詛戦争の立役者」って呼ばれてる奴だよ」

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