第2話 呪詛された赤ずきん

 晴明の母親は、晴明が子供の頃に死んでしまった。


 原因は、道で拾った人形だった。晴明の母は「売れば生活の足しになる」と考えて拾い上げたが、それは人に呪いをかけるためのヒトガタだった。


 どこかの呪術者が道端に落としたものだろう。あるいは、呪いが制御しきれずに手放したのか。


 それにより母はあっけなく病気になり、とうとう死んでしまった。


「ごめん、母上──僕がちゃんと気が付いていれば」


 晴明はそれで思い知った。呪いは簡単に人を殺すのだと。


 人を呪うモノは、この世にいくらでも転がっているのだと──晴明は思い知った。


 そんな晴明に、目をかけてくれた男がいた。


 その男は、幼い晴明を一目見るなり「才能がある」と言って、その場で声をかけてきた。晴明は彼の弟子となり、徹底的に陰陽師の知識を教え込まれた。


 晴明にとって師匠にあたるその人は、晴明によくこんなことを言っていた。


「晴明。お前にはとてつもない才能がある。それはもうすごい才能だ、私には分かる。だから、その力は他人を助けるために使いなさい。お前の力は人のために使ってこそ、最高の力を発揮できる」


 その男の名は賀茂忠行かものただゆき。晴明の才能を見出した者。晴明を形作った人物ともいえる。


 晴明は、その言葉をずっと忘れなかった。


 

 ◆◆◆



 異世界。


 そんな言葉が適切だろうか。


 地獄でもなく、天界でもない。平安京と同じように、風が吹き、木が生え、天があり地がある。


「ここがどこなのか教えてくれるとありがたいのだが……」


 晴明が質問すると、赤ずきんの少女は体をこわばらせた。


「何なんですか貴方?! 追手ですか?!」

「えっ?」


 少女は明らかに怯えていた。晴明は何とかなだめようとするが、少女は聞く耳を持たない。


「あっちに行けッ! 私を捕まえようとしたって無駄だ!!」

「落ち着きたまえ。私はただ、ここがどこか尋ねたいだけなんだ」

「騙されないぞ! 私はッ……!!」


 その体はガタガタと震えていた。目の焦点は合わず、吐息は荒い。明らかに恐慌状態だ。


 だが、急に糸が抜けたように少女の足がおぼつかなくなり、そのまま倒れこんでしまう。


「おい、どうした?!」


 駆け寄る晴明は、そこで不審なことに気が付いた。


 少女の体からはドス黒い気配が漂っている。平安京でも何度も出会った、真っ黒な気配だ。

 

「……何ということだ。こいつは「呪詛」だ」


 少女の体には呪詛がかけられていた。


 人を苦しめ、そして死に追いやる呪いまじない。それが呪詛だ。陰陽師として、晴明が幾度となく対峙してきた術の一つだ。


 晴明は深呼吸をする。ここがどこかも分からない状況だが、やるべきことは一つだ。

 

「何が何だか分からんが、いいだろう。呪詛で苦しむ者を放ってはおけん。この安倍晴明が隣にいて良かったな」


 懐から呪詛祓いの符を取り出しながら、励ますように晴明は言うのだった。



 ◆◆◆


 

「ん……」


 赤ずきんの少女が目を覚ますと、いつの間にか草むらの上に横たわっていた。


 近くには安倍晴明が座っている。


「おお、起きたか」


 こともなげに晴明は言った。少女は自分が倒れたことを思いだし、がばりと起き上がる。


「あ、あれ……私……?」

「君の体には呪詛がかけられていた。すでに取り除かせてもらったよ。運が良かったな、あのままだと死んでいたかもしれんぞ」

「え……」

 

 晴明は一枚の紙を取り出した。人間の形をかたどったそれは、黒く染まっていた。


「君の呪いは、すでにこの符にある。安心するがいい。もう、痛みや苦しみはないはずだ」


 状況を理解した少女は、手をついて頭を下げた。


「ご……ごめんなさい!!」

「どうした、いきなり」

「わ、私、貴方のことを「敵」だと思ってしまって……失礼なことを言ってしまって……ごめんなさい!!」

「ああ、それなら気にするな。行き違いは誰にでもあることだ。気に病むな」


 晴明は笑って返す。続けて自己紹介をした。


「改めて名乗ろう。私は安倍晴明。平安京の陰陽師だ」

「……晴明さん、ですね」


 晴明は頷き、ゆっくりと話を続ける。


「アリアネルといったか。君がなぜ呪詛されていたのか……すぐにでも尋ねたいところだが、それは後にしよう。少し、今の状況を確認したいのだが、いくつか質問してもいいかね?」

「は、はい、どうぞ」

「妙な質問になるが……ここはどこなんだ?」

「ここは、アトルム王国にあるアムレットの森です」

「アトルム……」

 

 さっぱり聞き覚えのない土地だった。自分がよその世界に来ていると晴明は改めて確信する。


 そして試しに占ってみようと、晴明はアリアネルにさらに尋ねた。


「では、つかぬことを聞くが……この世界に干支はあるか?」

「エト?」

「ほら、うしとかとらとか言うだろう。色々な物事を十二の動物に当てはめるアレのことだ」

「……すみません、よくわかりません。そういうのは初めて聞きました」

「な、なんと」


 晴明は目まいをこらえ、さらに尋ねる。


「──質問を変えよう。この国で、1年というのは何日だね」

「1年? もちろん、1年は688日ですよ。ひと月がだいたい28日の」

「お、おぉ……」

 

 眉間を指で押さえ、晴明は深く呼吸する。


「この世界には……干支という概念がない。1年の長さも、星の配列も全く違うわけか」


 晴明が得意とする占いは、干支や星の動き、そして日にちを用いる「六壬りくじん」と呼ばれるものだ。


 だが、異世界においてそれは全く役に立たない。晴明は、自分の居場所や運命を、全く占えなくなったのだ。


 静かに絶望する晴明を心配してか、アリアネルが声をかけてきた。


「……大丈夫です? 顔色が優れないみたいですけど」

「ああ、いや、心配無用だ」

「晴明さん。そちらこそ、いったい何者なんですか? 見慣れない服装してますけど」


 どこまで話したものかと思ったが、アリアネルという女性に悪意は感じなかった。


(いっそのこと、包み隠さず話してみよう)


 晴明の心は決まった。もし敵対視され、襲われるようなら、その時には正々堂々と反撃すればいいだけのことだ。


「……君には説明しておこう。信じてもらえるかは分からないが、私はどうやら、よその世界から来たらしいのだ」



 ◆◆◆



 森の中にある岩に腰かけ、晴明はアリアネルにこれまでのいきさつを話した。


 てっきり気味悪がられるかと思ったが、アリアネルは思ったほど冷静に話を聞いてくれた。その佇まいが晴明を安心させてくれた。


「なるほど。多分ですが、貴方は「空の穴」に飲まれてしまったんじゃないでしょうか」

「空の穴……」

「この世界で、たまに起こるんです。どこか遠い、よその世界と繋がってしまうそうです。よその世界で役割を終えたものを、無理やり引っ張ってきてしまう。物がやってくることもあるし、人がやってくることもあります」

「この世界では、そんなことがあるのか」

「時々ですよ。ただ、物といっても大体はガラクタだし、人間といっても、たいていはこの世界の空気に順応できずにすぐ死んでしまうんです。けど、ごくたまにこの世界に適応して生き延びる人がいるって聞いたことあります」


 その話が本当なら、晴明はかなり幸運な人間ということになる。


 それを聞いて晴明は確信を得た。


「恐らく……私は一度死んだ人間なのかもしれないな。きっと私はあの日、確かに生を終えたのだ。しかし冥府に行くのではなく、何かがずれてここにやって来た。そういうことなのだろう」


 思いがけず訪れた、第二の生──晴明はそう解釈することにした。


「ううむ、こんなことがあるのか。人生と言うのは不思議だ」


 晴明は夜の森を見つめながら呟く。アリアネルは同じように夜の森を見つめながら、晴明へ尋ねた。


「あの、晴明さんは私のことを助けてくれましたよね。一体、どうして見ず知らずの私を助けてくれたんですか?」

「それは……」


 改めて聞かれると晴明は答えに困る。だが、晴明の根っこにあるものは一つだ。


「…………私の母は呪詛で死んでしまった。私はそれを助けられなかった。だから、私は呪詛で苦しむ人間を放っておくわけにはいかないんだ」


 アリアネルは黙って晴明の顔を見つめている。晴明は独り言のように、ゆっくりと続けた。


「私には師匠がいてね。賀茂忠行かものただゆきという人なんだが、その人はいつも言っていた。その才能は他人のために使えとね」


 お前の才能は、他人のために使ってこそ力を発揮する──晴明が口酸っぱく言われてきたことだ。


 母が死んだその瞬間から、晴明の心には決意が宿ったのかもしれない。


 ──では、師匠の言う通り、私がそれを助けてやる。


 ──助けられなかった母上の代わりに。この安倍晴明が助けてやる。


 ──この世が残酷だというのなら、私がその残酷さに立ち向かってやる。


 晴明はごく自然と、そう思っていた。


「だから私は、目の前の人間をできる限り助けてきた。平安京にいる貧しい者の悩みをこっそり聞いてやったものさ。それをやりすぎて、ある時などは大事な儀式をすっぽかして、えらく怒られたこともあったよ」


 それこそが、晴明の本性だ。


 何度生まれ変わろうが、異世界に行こうが、きっと変わることのない、安倍晴明の揺るぎない信念だ。


「なるほど。だから見ず知らずのあたしのことも助けてくれたんですね」


 アリアネルは得心したように頷く。


「この人なら話してもいいかな──」


 そう呟いて、姿勢を正して晴明に向き直った。


「実はですね。貴方の、陰陽師としての腕前を見込んで、お願いがあるんです」

「ほう?」

「初対面で不躾ぶしつけだと思うかもしれないんですが、貴方の力を借りたいんです」

「……アリアネルの体には呪詛がかけられていたな。それと関係がある話なんだね?」

「そうです」


 アリアネルの表情は張り詰めていた。


 平安京で、晴明はこんな風に様々な人間から依頼を受けたものだった。


(異世界に来てもなお、自分は誰かに頼られる運命か)


 そう思うと、晴明は少しおかしくなる。だが悪い気はしなかった。


(よかろう。これもまた運命だ。ここまで来たら、いっそのこと全力で流れに乗ってやる)


 そう思い、晴明は頷いて話の続きを促す。アリアネルはゆっくりと話し始めた。


「実は、呪詛をかけられたのは私だけではないんです。私の家族、使用人、その全員が呪詛にかけられています。それを助けてほしいんです──」

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