4.外出

「外に……?」

「ちょうど気候がいいです。アパーム様、フェリーって乗ったことあります?」

「お前、アパーム様を水上バスにでも乗せる気なの?」

「幸いここはお台場だから、発着してるんだよね。日の出桟橋までなら往復しても1時間圏内だ」


 地名を言われてもよくわからない。けれど、舟、と聞いて興味がわかないでもない。私は水の神なのだから。


「この館には人間のヒト、いないんですよね。秋葉、外に出ていろいろ説明してあげたらいいのでは?」

「いいけど。そういうことはここに来る前に言ってくれる? 突然降られてもオレがびっくりするから」

「秋葉の都合は関係ないの。アパーム様が行きたいか行きたくないかなの。あと、今思いついた」


 本当に。なんだか子どものような奔放さでそう言われると口元がほころんでしまう。

 彼女は大人の面と子供の面を多分に持ち合わせているように見える。

 なんとなく、でかけてもいいかという気分になって来たのは久しぶりだった。


   * * *


 私の館は水辺……ベイエリアと呼ばれる東京の内海の湾岸に構えさせてもらった。

 けれど人の営みの中に出ることもなかったからこうして遠出をするのは初めてのこと。

 「水上バス」という耳慣れない言葉の乗り物は確かに船だった。けれど


(この乗り物は、動くのに風を必要としていないのね……)


 そのことに気付いてしまうと広がる内海を前に高揚した気持ちも、やはりなんだかもの哀しく落ち込む気がしたが……


「やっぱりデッキはいいな。風があるのが」

「確かに今日は風が気持ちいいなー水上バスってすごく気分転換になるのがいいよな」

「さっきはナニソレみたいな反応してたのに。やっぱりいいよね、水上バス」


 速度を上げて船が風を切り始めるとそう言葉を交わし始める二人。

 風に当たるだけで人の心は晴れやかになるようだ。二人の顔を見てなんだか私もほっとする。

 甲板に出ているのは私たちだけではなく、気付けばそうして風に向かっている人たちは一様に笑顔で空気が軽やかなのが感じられた。


 彼らは純粋に吹く風に喜びを感じている。


「アパーム様、風、強くないですか」

「いいえ、気持ちがいいわ」


 知らずに微笑みがこぼれていた。気遣ってくれた彼がなんだか少し驚いた顔をしていたのでそのことに自分でも気づく。けれど返ってきたのもまた、笑顔だった。


「アパーム様は自然系の神様だから、少し自然があるところの方がいいでしょう」

「……それでこの水上バスに?」

「東京は地方の人からは自然がないと思われがちですが、けっこうあるんですよ。川も多いし、最近は屋上緑化も進んでた」

「そこは過去形な」


 ビルは半壊してしまったので、魔界のヒトたちと人間が作り直している最中だ。


「大きな公園もあります。あ、浜離宮行けばよかった?」

「それは次にしよう。どっちにしても直行便だし、オレも行ったことない」


 そんな「知らなかった」話をたくさん聞きながら日の出桟橋という場所まで20分。その先はまだ復興中で、自然というより街中なので今日は散歩、と引き返す。


「何か、エネルギーが充填された気がする」

「お前は空気が流れてるとこじゃないと生きられないの?」

「そうかもしれない。宝瓶宮は風の属性と言われている」

「ホウベイキュウって何」


 お台場の船着き場へ戻る頃には、私たちはすっかり打ち解けて話ができるようになっていた。「外へ出る」「自然に触れる」というのはやはり大事なのだと思う。

 人にとっても、私たちにとっても。


 その道すがら。


「川はまだ少し淀んでるね」


 館近くの小さな川を覗きながら彼女が言った。


「そういえばそうかも? 魚も減ったって言ってたっけ」


 それは天使が襲ってきたこととは直接は関係ない。聞いてみると浄水のシステムや技術者がいなくなってしまったことで汚水が海や川に流れ込んでしまっているのだと彼らは教えてくれた。


(これが普通ではなかったのね……)


 文明の進んだ街だから、ある程度の汚染がふつうなのだと思っていた。

 けれど文明が進んで自分たちが汚したものをきれいにする仕組みもできているのだとしたら、確かにうまく動いていない証拠ではあると思う。


「この川には、もともと魚がいたの?」

「この川はわかかりませんが、海の方にはけっこういましたよ」

「そのずっと昔は東京湾も汚染されて、魚もいなかったらしいけど漁場ができるくらいにきれいになってたんだよね」


 人間のずっと昔、というのは歴史の教科書に載るくらいらしい。聞けば半世紀くらい前ではと返って来る。


「いろいろ人工物に頼ってるから、壊れるともろいよね」

「まぁ……本来は時間かけてきれいになるとこだろうからな」


 時間が忙しないというのは人の子も感じているようで、そういうものから離れられる場所を都会のオアシスというのだという。

 その日、私はたくさんのものを見て、たくさんのことを聞いた。




 そして次の日、私は自分から館を出て辺りを歩いた。



 *  *  *



 少し陽射しが強い日だった。

 外交官の彼の言うように、人工的ではあっても緑の豊かな公園があった。

 噴水は止まったまま。

 水道からは水が出るようになっているようで、小さな子供を連れた親子が遊んでいた。


「……」


 水路の水もなんだか淀んで見える。淀んだ川淵の葉陰に小さな影が動いた。生き物がいる。

 これではさぞ人以外の生き物も生きづらいだろうと、私は見かねてその川を浄化した。

 誰にも見られないようにひっそりと。


「わぁ……! 水がきれいになってるよ!」


 けれど、こどもは目敏かった。さきほどとは違う子が、その変化に気付いて声を上げている。母親が小さな川を覗いて本当ね、と笑顔で答えている。

 それを聞いて他の子どもたちも……そして喜んで足を浸けようとして、親に止められている。


「まだ汚いかもしれないから、駄目よ」


 突然にきれいになった、というのは人間からすればそういうことなのだろう。異変というと異変なのだ。

 少し残念に思ったけれど、この近くの人のようだししばらくすれば安全だと理解して子供を遊ばせるだろう。


 私はそっとその場を離れた。

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