10話

「言っておくが、私は1円も払うつもりはない。頼んだのはまさこであって、私には関係のないことだ。そもそもなんなんだ、今頃になって来訪するなんて、遅すぎるだろう」


 どうやら依頼者の夫は費用面のことが気になっているらしい。

 1円も払うつもりがないと言われた俺にしても、黙って引き下がるわけにはいかない。手付け金はもらっているが、まだまだ費用対効果としては赤字である。

 せめて交通費だけでももらわないと、高速料金とガソリン代がマイナスだ。


「今頃ではありません、以前にも来ています」

「ああ、知っている。2週間くらい前に和久田さんから怪しい男が家の前にいたって連絡をもらったから。とにかく君みたいな詐欺まがいの男に払う金はない、帰ってくれ」

 

 願ったり叶ったりの言葉だ。

 正直言って老女の霊が強烈すぎたので、もう2度とこの家に関わりたくないというのが本音だ。


 相手から断りの言葉を聞けたのは幸いなのだが、あまりにも横柄すぎる態度が気に入らない。俺の事を詐欺師呼ばわりするとは、当たっているだけに余計に腹が立つ。


 この男に金を払う意思がないのであれば依頼者でもなんでもない、ただの冷やかし野郎だ。俺はそう解釈し、帰る前に一言ぶつけてやった。


「人を呼びつけておいて金を払わないなんて、どっちが詐欺師なんだ」

「何だって? 私のことを脅しているつもりか? だったら警察でもなんでも呼べばいい」

 

 いやいや、それは困る。


「クソッ、分かったよ、帰るよ。しかし、奥さんと娘さんも気の毒にな。本人たちはあんなに苦しんでいるのに旦那に理解してもらえないなんて、そりゃ体調も悪くなるはずだ」

「は? 知ったような口を利かないでもらいたい。君こそ私の苦しみが分かってないだろ」

「分からないね。2人が苦しんでるのに1人だけ家を出て別のところで暮らすなんて。愛人がいるのか? ふん、あんたが旦那じゃ、奥さんと娘さんの気がおかしくなるのも理解できるな」

「一体何を言ってるんだ?」


 男は眉根を寄せて近づいてくる。

 俺は無表情で立ち尽くしている紗里を庇うようにして、もう一言応戦した。


「ちょっとでも家の雰囲気を良くしようと、2人で壁を塗り直してるんだってな。気の毒に、男が手伝ってやりゃいいいのに、あんたは何をしてたんだか。もう塗り終わったのか?」


 俺がそう言った途端、男は信じられないものを見たような目つきで俺の顔をまじまじと見つめた。

 その様子があまりにも異様だったため、さすがに何かまずいことを言ったのかと声のトーンを下げる。


「おい、何だよその顔。何を驚いてるんだ」

「それはこっちのセリフだ。君こそさっきから何を言ってる。壁の塗り替え? いつの話をしてるんだ、それは2年前のことだろう」

「2年前?」

「ああ、そうだ。家を借りて1年後のことだ。それに君の言ってることは真逆だよ。私が家を出て行ったんじゃなく、妻と娘が私を置いてこの家を出て行ったんだ。私がここを出て行ったのはその後だよ」

「……え?」

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