3話

 出されたお茶には茶柱が立っていた。


 非常にめでたいことなのだが、目の前の女性たちにとって、茶柱の1本や2本が立ったところで何の感動もないだろう。

 俺のことを呼びつけたくせに、気もそぞろで心ここにあらずという状態だった。


 依頼人の名前は瀬戸まさこと、その娘の愛子。母親の方は52歳で娘の方は美術大学に通う22歳とのこと。ただし、今回のことがあってから娘は体調を崩し、大学を休学中だという。

 俺は出されたお茶には手を付けず、虚ろな表情で虚空を見つめている2人に話しかけた。


「それで、出る、というのはこの家での話なんですね?」

 

 俺の声にびくりとした反応を示した2人は、黙って首を縦に振る。


 インターネットからの相談内容をまとめると、2年程前にこの家に越してきてから時々人の気配を感じるようになったという。


 最初にそれを言い始めたのは娘の方で、母親は気のせいだろうと笑っていたが、しばらくして当の本人も得体のしれない寒気に襲われるようになったそうだ。


 やがてその<気配>が徐々に人の形を成していき、いつの間にかはっきりとした老女と老男の姿となって2人の前に現れたのだという。


 怖いという思いが妄想を掻き立てているのではと思った2人だが、日に日にその姿は鮮明になっていき、家の中で出くわすことによりパニックになって失神することが度々起こるようになった。


 藁にもすがる思いであちこちの霊媒師を頼ったが、なかなか思うような結果には至らない。そこで今度はインターネットで検索した俺にメールを寄越したということだ。


「ふむ、おっしゃるように良くない気を感じます。この土地の磁場が影響しているのかもしれませんね」


 俺は最もらしいことを言ってのけたが、この家と近隣の土地情報はすでに役所や不動産、図書館などで確認済みだ。


 この家が建ったのは昭和20年頃のこと。その当時ここら一帯で手広く商売を手掛けていた和久田という大金持ちが所有していた土地だったそうだ。


 この家は代々その和久田一族が所有していたが、時代の流れに乗って一族は別の土地に移り住み、そこから借家という形で数人の家族の手に渡っている。


 残念なことに過去にここで惨劇が起きたとか、不慮の死を遂げたとか、以前墓地であったとか、そんな都合のいい舞台装置は揃っていない。


 こういう背景があれば原因をそこに集約して適当にお祓いをし、別の土地へ引っ越すことを勧める。残念ながら今回はそんな効果的な演出もできないようだった。


 はっきり言って、この事象の原因はこの家の立地にあるだろうと考える。


 陽の光もあたらず、窓も閉めっぱなし、これだけ古ぼけていれば隙間風や雨漏りもするだろう。風が吹けば家も軋むし、家鳴りもする。

 そういったさまざまな自然現象がこの親子の生命力を奪っているのだ。


 「何かいるような気がする」という不安状態が続くと、やがて「何がかいる」という確信に変わる。こうなってくると、思考回路は悪い方にしか進まない。


 生気が感じられず、顔も青ざめ、眠れていないのだろう目も落ち窪んでいる母娘。2人の精神状態がかなり悪化しているということは、素人目でも判断できる。

 

 俺は何気なく2人の背後に目を向けて、すぐに何事もなかったかのようにお茶に視線を戻す。


 大丈夫だ、まだ茶柱が立っている。絶好調、今日はハッピーディだ。そう自分に言い聞かせ、改めて2人に目を向けた。

 俺のそんなポジティブシンキングを打ち砕くかのように、2人の表情にはますます影が差していく。


 正直言って、ここに長居していると俺の気が滅入る。

 ほんの数十分ここに居ただけでこんな気分になるのだから、ここで生活している2人にとっては、さぞや精神的にきついものがあるだろう。


 俺にできることは、霊を祓ったふりをして、一刻も早く新しい土地に住まいを移してもらうよう進言することだ。体調がよくなるまで病院通いを勧めるのも良いだろう。

 

 おおまかな霊は祓ったが肝心の地縛霊は祓いきることができなかった、また同じ現象が起こる可能性があるから一刻も早くここを離れたほうがいい。そういう方向で話をまとめようと結論を出した。

 この家さえ出ていけば、2人の精神状態も次第に回復していくだろう。


 犬か猫でも飼えと勧めてやろうか。ペットと言うのは不思議なもので傍に居るだけで心の安定をもたらす。俺も昔ウサギを飼っていた。メンタルを安定させることにかけては、どんな薬よりも即効性のある治療薬だ。


 俺は胸ポケットに入れていた清めの塩と半紙を取り出し、儀式の準備に取り掛かった。


 2人に軽く目礼をして立ち上がった瞬間、もろに<奴>と目が合った。


 薄手の浴衣を羽織った老女が、どんよりとした瞳で俺を見ていたのだ。


 目の前の老女に対して確実に言えること――――それは間違いなく死んだ人間である、ということのみだ。

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