第7話実家

 屋敷の主人がいないところに居ても仕方があるまい。

 私と龍馬は民子さんに礼を言って、外に出ることにした。

 民子さんは「泊っていけばいいのに」と言ってくれたが、そんな間男みたいなことはできない。私は胃薬を渡して丁重に断った。


 龍馬と二人、彼の宿にでも行こうかと話していると、「おんしの実家に行ってみたいぜよ」と唐突に言いだした。私はこのとき、だいぶ酔っていたので別段反対しなかった。

 ああ、構わないよ。そう答えた。


「そうとなれば、土産でも持っていかなあかんのう」


 そこまで気遣う必要はないと私は言ったけれど、龍馬は「初めて会うのに無いのは無礼じゃ」と頑として譲らなかった。そういうわけで私たちは夜中、両親に贈る土産として近場で売っている茶葉を持っていくことにした。父には酒を控えてほしかったので、これでいいだろうという結論になった。


「梅太郎のご両親はどんな人ぜよ?」


 帰途を歩きながら龍馬が問う。

 私は、父は自分に甘いが、医術の腕前は江戸でも指折りだ。とまず父について言う。

 続いて、母は優しいが時に厳しい。まあ普通の母親だ。と評した。


「まっこと羨ましいのう。わしは母親が早く亡くなったから」


 そうだったのか。私は今まで龍馬の家族について聞いたことがなかった。


「だから、乙女おとめ姉さんが親代わりしてくれた。あん人がおらんかったら今のわしはおらんぜよ」


 弟にそう言われるのは、姉として慕われている証拠だ。

 ましてや他人に話すときは顕著に表れる。

 だから私は、良い人なんだな、と言う。


「まあ厳しいところもあったき、いいところだけじゃないわ」


 完璧な人間なんて存在しないよ、医術が完璧じゃないように。


「おっ。洒落たことを言うなあ」


 そうした会話をしていると、実家の門の前まで来た。

 私と龍馬が中に入ると、夜中だというのに妹が外で家事をしていた。

 よく見ると服に着いた墨を落としているようだ。


「あっ。兄上。お帰りなさいっ!」


 私の姿を見て洗濯物から手を放した妹。

 元気よく言った後、そばに龍馬がいることに気づいて「あれ? どなた様ですか?」と不思議そうに言う。


「梅太郎の友人の坂本龍馬ちゅうもんぜよ」

「坂本、様ですね。お恥ずかしいところを」

「女性が家事をするのは恥ずかしいことではありゃせん」


 気さくに龍馬は言ってから豪快に笑う。

 妹はますます不思議そうな顔になった。

 私は、お前も名乗っておきなさい、と妹を促した。


「えっ。ああ、松江まつえと申します」

「うん? 梅太郎の妹なのに、松江なんじゃ?」


 妹は幼いとき、病弱だったから、名前だけでも立派にしようとしたんだ。


「なるほどのう。そんじゃ松江さん、墨はこするだけじゃ落ちん。こうするんじゃ」


 そう言って妹から着物を取って、洗濯し始めた龍馬。

 見る見るうちに汚れが落ちていく。

 へえ。手慣れたもんだな。


「よく墨を垂らして乙女姉さんに叱られたものぜよ」

「手際が良いですね」


 妹も呆気に取られている。

 そんな妹に、どうしてこんな時刻に洗濯を? と訊ねた。


「父上が書初めしたいって。まったく、いい迷惑です。酒の飲みすぎで手が震えているというのに」


 まあ正月だもんなと思いつつ、元気そうで何よりだと思ってしまった私は、余程のん気だろう。

 龍馬が「落ちたぜよ」と言って妹に見せる。


「ありがとうございます。坂本様」

「梅太郎みたいに龍馬でええぜよ」


 私は立ち話もなんだから中に入ろうと言う。

 妹は「こちらへどうぞ」と普段おてんばな感じを出さずに丁寧に案内する。

 龍馬は「ありがとう」と礼を言って入る。私も後に続いて入った。


「お医者さんの家っちゅう感じじゃな。薬の匂いがしとる」


 鼻が利くのか、それとも私たちが慣れているのか、それは判然としなかったけど、言われてみればそうだなと思った。


 まずは家長に挨拶させておこうと父の元へ案内した。

 すると父は布団に横になって、母に腰を揉んでもらっていた。


「おう。梅太郎。わりぃな。腰をやってしまった。後で診てくれ」


 角度的に龍馬が見えなかったのか、私に言う父。

 もう。書初めのせいですか、と私は呆れた。


「松江に聞いたな? しかしだ。傑作ができたのだから万事問題ない」


 父上は医者であって書道家ではないでしょう。


「揚げ足を取るんじゃあない」


 それより、父上に紹介したい人がいるんですよ。昼間話した、坂本龍馬です。


「坂本龍馬といいますき。よろしゅうおねがいします」

「おお。せがれから聞いております。こんな格好で申し訳ない」


 龍馬は「つまらないものですが」と茶葉を母に渡した。

 母は早速淹れてきますね、と腰を揉むのをやめて台所へ行く。


「おおい、俺の腰はどうすんだよ」


 私が診ますから、と近づいて診断する。

 ぎっくり腰ではなく、ただの腰痛だろう。運動不足が祟っているし、無理な体勢で書いたのが問題だ。


 私は軽く揉んでやり、痛み止めは飲みましたか、と父に問う。


「ああ、飲んだ。先ほどな。徐々に効いてきた」


 なら明日、お灸でも針でもやってください。とぱあんと腰を叩いた。

 父が「ぎゃあ! 何をするか!」と怒る。いい気味だ。

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