第五話

 アメの胸を触る許可が降りなかった。

 ……よく考えたら降りるわけないな。


「……ど、どうします。これから」

「……とりあえず帰ったらツナに謝るとして……飯でも食いにいくか」

「……えっと、近くにお店なかったですよね」

「あー、車酔いがきついか。近くにコンビニあったと思うから行くか。何か買ってきてほしいものとかあるか?」

「えっ、いえ、一緒にいきたいです」


 アメはそう言いながら佇まいを直す。


「いや……俺が出かけてる間にシャワーとか風呂とか済ませてくれてた方が助かる」


 アメは首を横に振って、小さく口を開く。


「僕も、少し外に出て頭を冷やしたいです」

「……あー、じゃあそうするか」


 二人でホテルから出て少し寂れた町を歩く。熱に浮かされていた顔が、いつもの街よりも冷たい空気に冷まされていくのを感じる。


「……そういえば、さっきの話の続きってどうなんだ?」

「えっ、よ、ヨルさんに触ってもらう件ですか?」

「そうじゃなくて、なんでツナが怒るのをやめたのかって」

「あ、そういえばそういう約束でした。……でも、ツナちゃんにしてるようなことをしてもらえなかったので……」

「ツナの胸を触ったことはないぞ。……だいたい、頭を撫でるぐらいだ」


 最近はキスをするようになったが……これまでのいつもとは違うので嘘ではないだろう。


 アメは赤ばんだ頬を少しずつ元の白い色に戻しながら、少し寂しげに口を開く。


「ダンジョンマスターはダンジョンコアというものを取られると死んでしまうそうですね」


 物騒な話に少し驚いていると、アメは真剣そうに俺を見る。


「ヨルさんには隠していたんですが……少し、ツナちゃんとふたりで話したんです」

「……ダンジョンコアの話と、アメとの話、何が関係してるんだ?」

「ダンジョンの副官は、あくまでもダンジョンマスターに与えられた初期ボーナスのようなもので、ダンジョンコアを取られても死なないらしいです。……つまり、システムとしては探索者と変わりないと」


 アメの髪がサラサラと風に流される。


 ほんの少し寂しそうな表情。幼なげな顔には似合わないもの憂げな色をその瞳に乗せていた。


 吐いた息が風に流されて溶けるように感じる。

 少し、身体が冷えてきた。


「ああ。システム上は裏切りも可能だ。まぁするはずもないが」

「……実は、怒ってないんです。僕とのこと」

「ダンジョンのシステムとアメに何の関係が……」


 俺はその答えが分かりつつも、それを認めることが出来ずに歩調を早める。

 けれども、アメはきっと俺に伝えるべきと思ったのだろう。


「自分が死んだときにヨルさんを支えられる人が欲しかったそうです」


 俺が聞きたくない言葉を、俺の背中にゆっくりと当てる。


「ツナが死ぬわけないだろ」

「……ダンジョンコアの研究が進んでいるそうです。それだけの数のダンジョンが攻略されたということです」

「俺が守ると言ってる」

「……はい」

「だから、そんな仮の話をする意味なんてないんだ。馬鹿なことを言って……!」

「……すみません」


 アメを責めるつもりもないのに言葉が漏れ出る。

 少し謝ってから、ゆっくりと息を吐く。


「……悪いな。感情的になった」

「いえ……分かります。気持ちは」

「……ツナはいつも最悪の事態を考えて保険をかけたがるから、その一環だとは分かる。……ただ、俺は……ツナがいないと生きていけない」


 そう口にして気がつく。


「ああ……違うか、俺がそうだから。ツナがいなくて一人になれば死を選ぶだろうから……。死なないように、か」


 思わず立ち止まり、拳を強く握る。

 ぶつけどころのない怒りと情けなさの間で、ただ自分への嫌悪感が募る。


「僕も「そんなことは僕がさせないから、気にしなくていいです」と言ったんですけど」

「……重婚を認める内容なのに否定したのか?」

「はい。僕が守るから大丈夫と言いました。ヨルさんとの結婚は、そんなツナちゃんの自己犠牲からではなく、単に「みんなハッピーだったらみんなハッピーだよね」という考えから進めていこうと思ってます」

「……そうか」

「僕はみんなで幸せになるべきと思ってます。そのために全力を尽くします。……今回の作戦も成功させましょう。それでツナちゃんに「私は死ぬことがない」と安心してもらった上で、三人でイチャイチャすることを認めてもらいましょう」


 ……いい奴なのか最低なのか分からないことを言うな、アメは。いや……単に欲望に素直だけど優しい奴ということか。


「……ちょっと、ツナに電話する」

「はい」


 電話をかけるとまた一コールも終わらない間にツナが出て、むすっとした声が聞こえる。


『……えっちなことはダメですからね』

「いや、違うから……」

『じゃあ何の用ですか?』


 そうツナに問われて、そういえばなんで電話したんだったかと思う。


 自分がいなくなったあとのことを想定していることに怒りはしたが、責めるような気にはなっていない。


 何のために電話をしたのかと考えていると、電話越しにツナが不思議そうにしているのが伝わってくる。


「……声を聞きたくなったからだ」


 一瞬、ツナの声が止まり、それから嬉しそうな笑い声が聞こえる。


『えへへ、一緒の気持ちでした。お弁当は食べましたか?』

「ああ、サービスエリアで食べた美味かったよ」

『愛が入ってるので!』


 冗談みたいに言うツナだが……アメの話を聞いてからだと笑うことが出来ない。


 スマホと耳の間に流れる冷たい風を少し寂しく感じながら呟く。


「……あのさ、俺が昔から言ったこと、覚えてるか? いや、多分覚えてないと思うんだけど……そのとき、初めてツナが笑ったのを見たから印象に残っていて」


 言葉が上手くまとまらない。通じるはずのない言葉を口にして、通じていないだろうもどかしさが喉を乾かす。


「あのとき、俺は……」

『一緒に生きるか。ですか?』


 通じるはずのない言葉が通じて、思わず足を止める。アメは俺の少し前で足を止めて、不思議そうに振り返った。


『もちろん。覚えてます。プロポーズの言葉を忘れるほど野暮じゃないですよ』

「プロポーズじゃねえよ……」


 ただの大したことでもなかったはずの会話、覚える意味もなかったはずのそれが通じた。


『えへへ、大切にしてくれてたんですね。その言葉』

「……まぁ、ツナの笑った顔を見たの、アレが初めてだったしな」

『私の中で、一番大切な宝物です。あのプロポーズは』

「プロポーズじゃないからな」


 電話越しに『照れてるんですか?』とからかうツナの声を聞いてため息を吐く。


「……プロポーズは、またちゃんとする。帰ったらな」

『えっ……は、はい。そ、その、りょ、了解です。……急に、そんな恥ずかしいこと言わないでくださいよ』

「照れてるのか?」

『照れてますよっ! もうっ! …………その、嬉しいですけど、もしかしてアメさんから聞きました?』

「……ああ、ツナは俺が守るから、そんな意味のない心配はするな」


 俺がそう言うと電話越しのツナは微かに寂しさを感じさせるように笑う。


『えへへ、はい、知ってます。……でも、浮気性でえっちなヨルはそっちの方が都合いいんじゃないですか?』

「……ツナが、自分の死を考えて行動することに耐えれるわけないだろ。……もしものために俺が遺書とか書いてたらどう思うんだ」


 ツナは少し息を飲む。


『……ごめんなさい。ヨルの気持ち、考えてなかったです』

「ごめん。心配させて。俺が守るから、大丈夫」


 それから少し話して通話を切る。


「アメ、話し込んでごめんな」

「いえ……よかったです」


 ツナとイチャついていても気にしないんだな……。


 よし、ツナの変な不安も解いたし、これでちゃんと帰ったらツナに怒られることが出来るな。

 ……いや、怒られたくはないけど。



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