時計
マツ
時計
時計のアラームが7時を告げてもお母さんは起きなかった。このまま寝かせてあげようとるり子は思った。ひとりで着替え、ひとりで朝ごはんを食べ、ひとりで顔を洗い、ひとりで今日の授業の教科書をランドセルに詰める。行ってきますをするのはひとりではできないから、そのときお母さんを起こそう。おかあさん、びっくりするだろうな。寝坊したことにびっくりして、その次にわたしがひとりで朝のしたくをしたことにまたびっくりするに違いない。るりちゃんすごいねえ、ぜんぶひとりでできたんだねえ。そういってほめてくれるに違いない。そうだ、わたしはお母さんにほめられたいのだ。るり子が自分の気持ちにたどりついたとき、時計は7時15分まで進んでいた。えみちゃんはいつも8時きっかりに迎えに来る。あと45分でしたくを終えなければ。四年生のえみちゃんはるり子より一学年上だ。自分でぜんぶできたら、えみちゃんを追い越せるかもしれない。るりちゃんすごい!えみなんて四年生になってもまだお母さんにぜんぶやってもらってるよ。あたまの中で劇がはじまる。夢中になっているうちにまた15分進む。るり子はあわてた。心臓がどきどきした。心臓の音がお母さんを起こしてしまうような気がして、でも心臓は止められないから代わりに息を止めて布団をでた。そっとふすまを開け、居間へ移動する。寒い。お母さんが先に起きて暖房を付けていない居間はだれもいない公園だ。息を吸う。鉄棒の匂いがする。素足がかじかむ。靴下はどこだろう。箪笥の抽斗を下から見ていく。ない。ない。ない。靴下もお洋服もない。ここから上の抽斗は、もうるり子には届かない。壁掛け時計を見ると7時45分。目が覚めたときの勇ましい気持ちはすっかりなくなっていた。お母さんはまだ起きない。るり子のあたまにおそろしい想像が入り込む。もしかするとお母さんは寝坊しているのではなくて。眠っているのではなくて。眠っているのではないとしたら。ないとしたらお母さんは。だれもいない公園。鉄棒の匂い。風の音。朝なのに夜が近づく。るり子はしゃがみ込む。体が寒さでとうとう震えだす。涙があふれる。お母さんのふとんに戻るのがこわい。確かめるのがこわい。そのとき、ふすまを開ける音がした。るり子が振り向くと、お母さんが立っていた。るり子は駆け出し、お母さんに抱きつく。早起きだねるり子、とお母さんがいう。怖い夢みたの?とお母さんがやさしくたずねる。るり子はもう思い出していた。1週間前から学校でインフルエンザが流行りだしたことを。るり子のクラスも休む子がだんだん増え、とうとう昨日、クラス閉鎖が決まったことを。るり子のお母さんは、るり子にしがみつかれたまま、ベランダ側のカーテンを開けた。朝日が入り、居間は一気に明るくなって、公園が消えた。時計は8時を指していた。るり子は7時に目覚めたはずなのに、もういちど目を覚ましたような気がした。
時計 マツ @matsurara
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