拝啓

伊富魚

第1話

 僕には今、やらなければならない諸事がある。




 しかしそれらの所用は、今日から三日後に行われることになっていて、僕一人の裁量ではどうすることもできないものである。こういった些事は日々過ごしていればままある。友人との予定とか、大勢での催事なんかはたいていこんな所だろう。僕はこの余白とも言える時間が、何だか大変苦手である。これといった理由は思いつかないのだけれど、一度予定が決まってしまうと、その事が頭から離れなくなってしまう。目的もなく家中をうろうろして、読みかけの本を手に取ってしばらくパラパラ繰ってみても、一向に頭に入ってこない。目が滑るとは、なるほど昔の人は上手いこと言ったものである。もし仮に、その諸事が今すぐにでも手をつけてしまえるものなら、僕は勇んで全ての予定を完了させてみせる自信がある。そして僕の心もすっと穏やかになるのだろうけれど、未来のことには悲しいことに僕の手は届かない。今までに何度も考えたこんな事をまた僕は巡らせている。そして、自分の中でうごうごしている居心地の悪い焦りをなるべく見ないように、別の適当な言い訳ともいえる予定を作って、いそいそと外へ出かけるのである。今回もそうして、夕暮れ前の鴨川の河川敷までやってきた。




 これらの行動全て、僕の小心者ゆえであることは読書のご想像の通りである。柔らかに流れる鴨川の上流から下流までをさらと撫でるように眺めていても一向に落ち着かない。溜息の数もやけに多いのが、悩み事でも抱えた思春期の少年のような様相であるような気がして、いささかおかしい。そういえば子どもの時分、両親の帰りが遅く祖母の家で毎日夕ご飯を食べていた頃、祖母に、溜息をつくと幸せが逃げると言われていたことを思い出した。その度毎に僕は、これは溜息ではなく深呼吸なのだ、と祖母に弁明していたものだった。その時は単なる詭弁であったあの説も、世間で言えば大人と言われるようになった今となっては、正しかったかもしれないと思いはじめた。祖母は今年で81か、82歳くらいだったか。こうして川を眺めている間に、すっと遠くへ出かけてしまうこともあるかもしれないと、ぼんやりと想像してみる。ばあちゃん、元気でやってるかい。僕は仕合せなことに平安に暮らしています。鴨川の土手には、陽気につられて人が増えてきました。人もたぬきも変わりません。早く根を張って生活ができるように精進します。ばあちゃんもご自愛ください。近いうちに帰ります。あちらに行く前にまた何でもない話をしてくださいね。では。

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拝啓 伊富魚 @itohajime

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