第十六話~急転直下~
『やだやだっ、行きたい行きたい!ポケビーの映画観に行きたい!』
あれは私が小学2年生になったある日。
私は生まれて初めてお父さんとお母さんにわがままを言った。
前の年に桜幡公民館で観た人生初の本格的な映画。
繋くんと一緒に観て、体験したあの映画館の雰囲気がどうしても忘れられなかった。
一年間、ずっと待った。待ったのに、もう桜幡では映画を上映しないのだという。
悔しくて、悲しくて……私は駄々をこねた。
そんな時、隣接市であるむつ市の文化会館でポケビーの新作映画が上映されることとなり、私はどうしてもそれを観たいと願った。
しかし、お祖母ちゃんは許してはくれなかった。私は桜幡から外へは一生出られないのだと。
両親はその理由を祖母に尋ねたが、詳しくは教えてくれることはなかったようだ。
ただ、これは私がこの地に生まれた瞬間から
……でもあの日、両親は祖母に内緒で早朝にひっそりと車で私を連れ出してくれたのだ。
一緒に映画を観に行こう、と。
初めての両親との遠出に私は大はしゃぎだった。
お母さんは私の大好きな卵焼きをたくさん入れたお弁当を作ってくれて、映画を観終わったら一緒に食べようと約束してくれたのだ。
ああ、なんて幸せな一日なのだろう。
その時の私はそんなことしか考えていなかった。
───だが、車が桜幡とむつ市の境へ差し掛かった瞬間、突然私の記憶は途切れた。
そして気づいた時には───。
『…………お母さん……お父さん……?』
私が乗っていた車は見るも無惨に鉄塊と化していた。事故に遭ったのだと子ども心に理解したが、不思議なことに私はかすり傷ひとつ負ってはいなかった。
……そしてあることに気付く。
私は何か弾力のあるものの上に立っていて……ふと足元に目をやると───。
『……いやっ……いやあぁぁぁぁぁぁあっっ!!!!!』
───私が踏んでいたのはペシャンコに潰れたお父さんとお母さんだったものだった。
血の海の中に、お母さんの作ってくれたお弁当の残骸が混ざっていて……卵焼きの欠片が真っ赤に染まっていた。
そこで私の意識は途切れ、再び目を覚ますとそこは病院のベッドの上。
横に首を傾けると、そこには青い顔をして涙を流す祖母。そして繋くんとおじ様とおば様が心配そうに見詰めていた。
おじ様とおば様に何が起きたのか尋ねると、私が乗っていた車に大型トラックが突っ込み、お父さんとお母さんは助からなかったのだという。
それを聞いて何も言えず、ただただ涙を流すことしかできない私の手を繋くんはずっと握ってくれていた。
だが、しばらくするとお祖母さんが私と二人だけで話がしたいと繋くんたちを病室の外へ出し、この事故の“不都合な真実”を語り出した。
『よいかナガメ……否、
祖母が何故か私のことを
クシナダヒメ……身に覚えがないはずなのに、その名前を聴いた瞬間、私は己が何者であるかを魂で理解した。
そんな気がした。
『貴女様は生まれながらにしてこの桜幡の地を守護する役目を担っておるのです。
故に、貴女様はこの桜幡の地を離れることはできない。もし離れようとすれば、貴女様は大いなる災いとなり、多くの人々を死に至らしめるでしょう。
……
あ、ああ。
そうか。
私だ。
私がやったんだ。
私が、お父さんとお母さんを……!!!
許して、許してお父さんお母さん。
知らなかったの。
私が。
私が“怪物”だったなんて!!
『悪ィ子だなナガメぇェェ……お父サんの頭かラ脳ミそが全部出ちャったヨぉぉオ』
『どゥして私たチを殺したノ……アんなに可愛がッてあゲたのニぃぃィっッ』
私の背中にぐちゃぐちゃになった両親が寄りかかってくる。歪に潰れ、ねじ曲がった二人の腕が私の首を締め上げ、爪を食い込ませる。
いやっ、ごめんなさい、許してっ!!
助けて!!
誰か助けて!!
おじ様!!
おば様!!
繋くんっっ!!!!
────────────────────
「ナガメ!」
大きな力で抱き締められ、あたたかな温もりと共に視界がクリアになっていく。カーテンからは朝陽と思われる光が少し差し込んでいる。
目を見開くとそこには心配そうな表情を浮かべる繋くんの姿があった。
……夢、か。
久しぶりに恐ろしい夢を見た。
忘れたい、でも……忘れてはいけないあの時の記憶。私はこれをずっと背負っていかなければならないのだ。
「繋くん……っ」
逞しい胸に顔を埋める。
大きな手が私の頭を優しく撫で、前髪をかき分けた繋くんの唇が私の額に触れた。
「怖い夢を見たのか」
「……ええ、お父さんとお母さんが亡くなった時の」
「……おじさんとおばさん、凄く優しかったよな。
おじさんとはよく釣りやキャッチボールしたし、おばさんにはよく美味しい料理を振る舞われた」
「……っ」
懐かしい二人の顔を思い浮かべたことで視界が再びボヤける。
それに気づいた繋くんの手が、そっと私の目元に溜まった涙を掬い上げた。
「二人に見せたかったな……ナガメの花嫁衣装」
「はい……きっと喜んでくれたでしょうね。
…………へ?は、花嫁衣装?」
瞬間、視界が一気に鮮明になり、自分がどこに寝ているのかを一瞬で理解した。加えて直に感じていた肌の温もりの意味も。
ここは繋くんのベッド……?
しかも私たち……裸!?
ど、どうして!?
昨日は確か同窓会でたくさん飲んで……そのあと確か……。
ふと視線を下ろしたところ、自分の左手に光るものがあることに気付く。
「え……あっ、嘘……。
け、繋くんこれって……夢じゃなかったの……?」
「……ぷっ、あははは!
夢なわけあるかよ!ナガメは……もう俺の嫁だ」
心がどんどん沸騰していくのを感じる。
声にならない声が漏れ出て、私の唇はそのまま繋くんの口を塞いだ。
「……絶対に離しませんから。
やっぱりなし、なんて言っても絶対ダメなんですからね!」
「当然だ。
……俺も、絶対に離さねえよ」
耳元で囁かれる甘い言葉に同調するかのように火照る私の体……赤らむ頬。
繋くんの大きな腕が全身を這い回り、両肩を掴むと同時に強い力で私を押し倒す。
「……6回戦、していいか」
「そ、そんなにシたんですか私たち!?」
「お前途中で寝ちゃったから覚えてないか」
少しずつあの夜の記憶が甦ってくる。
そうだ、繋くんに指輪を貰ってからタクシーで帰って……そのまま私たちはこの部屋で……あぅぅ!
辺りをよく見回すと昨日着ていた服や下着が散乱しているではないか。
どれだけ乱れたのですか私たち!?
「だ、ダメ繋くん……!皆に聞こえちゃう……」
「大丈夫……!
……ナガメが声抑えれば良いんだからな」
「ひぅっ!?」
咄嗟に両手で口を抑えるものの、繋くんの手は私の弱点を的確に刺激してくる。
私は声を漏らさぬように堪えるのに必死なのに、彼の舌は遠慮することなく私の首筋を伝い……遂には耳へと達し、全身に電流が走った。
「ひゃあぅぅぅっ!!!
やっ、やめて繋くんっ……これ以上は……本当にっ」
手で繋くんの胸を押し制止させようとしてもまるで効果がない。私は彼のなすがままに全てを受け入れることしかできないのだ。
ああ……素敵。
壊して、繋くん。私を何度も、何度でも。
滅茶苦茶にして……!
私は繋くんの首に腕を絡ませ……再び唇を───。
「あー!!
パパとママまたイチャイチャしてるー!!」
「「ファッ!?!!?」」
「こらこらダシィちゃん、勝手にパパの部屋に入っちゃ……おわーっ!!?
ほ、ほらダシィちゃん朝御飯食べに行こうね!
ふ、二人ともごゆっくりっ!」
いつの間にか部屋に入っていたダシィちゃんを連れおじ様は勢いよく階段を駆け降りていった。
ああ、見られた……完全に見られちゃった。
「……つ、続きするか?」
「できるわけないでしょ変態繋くん!!」
急いで着替えシャワーを浴びた私たちは、できるだけ平静を装い何事もなかったようにリビングへと足を運ぶのであった。
────────────────────
「……はい、了解しました。
それでは手筈通りに頼みます」
私はスマホでの通話を終え、肺の底から大きく息を吐き出した。
……出来れば信じたくなかった。だが、現実は変えられない。
「すまねえ八塚……でも、お前を守るにはもう……こうするしかねえんだ」
人を喰い殺した怪異を傍に置いているお前は……このままでは対策局のムショ送り。お前だけじゃない、親父さんやお袋さんまでどうなるかわかったもんじゃないんだ。
それに、ダシィだって……。
「恨んでくれるなよ八塚……」
神話級怪異、“櫛田ナガメ”の拘束。
……或いは討伐。
それが私、上総煬に下された
奴の素性を洗った結果、私の勘は的中した。
14年前、櫛田が8歳の時に奴の両親が事故死したというのは表向きのカバーストーリーだったのだ。
奴と両親が乗った車とぶつかったという大型トラックはどこにも存在せず、かといって単独ではありえない事故の規模であった。
どうやら奴の祖母であり、かつての
一体何故そこまでして事故を捏造しなければならなかったのか。
その答えは……この写真。
当時の携帯電話の粗い画質のカメラで撮られた一枚の写真には……一台の車を押し潰した巨大な大蛇が写っていた。
事故の当日、偶然通りかかった通行人が一人だけ存在した。
咄嗟に撮影されたその写真を、櫛田ヒスイは携帯電話ごと高値で買い取ったのだそうだ。
そしてつい先日、その携帯電話が情報課の透視能力者により発見された。どうやらとある山の奥深くに埋められ、証拠隠滅のために破壊されていたという。
……しかし、SDカードまでは破壊できていなかった。
写真に写っている場所、車、時刻……分析の結果は間違いなく櫛田ナガメとその両親が事故に遭った時のものと一致していた。
櫛田ヒスイは必死に守ろうとしていたのだ。孫娘を犯罪者にしないために。
つまり、この車を押し潰している大蛇は───。
「まさか、日本最恐のモンスターがこんな辺境で生き残っていたとはな……。
……“
神話級なんてちゃちなモンじゃあねえ。
奴は。
櫛田ナガメは……。
“神話そのもの”だ。
────────────────────
・能力……八俣遠呂智そのもの。巨大な一対の大蛇へと姿を変える。血走った金色の眼と無数の牙が生えた大きな口。谷を八つ渡るほどの大きな体で、その表面にはコケや杉が繁茂している。
彼女が暴れれば町どころか国ひとつが滅亡するであろう。
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