あなたは黙っていて



 アリシアは、アルベルト邸を出る男装ナターシャに、はなむけの言葉を贈った。


「ナターシャ様、覚えておいて。

 女は追うよりも、追われる方が幸せになれるものよ」


 そっと手に握らされたのは、羊皮紙ではなく紙とインク瓶、白い羽ペン。


「ジーン様は、この地に咲かないような珍しい花や、煌めく宝石、ドレスはもちろん、日常で使うあらゆる物を私に贈ってくれたわ。この筆記具もそう。これを、あなたの旅の友に連れて行って」


 アリシアから、声を出せば女だとばれるとアドバイスを受けた。このペンと紙で筆談をしてということだとナターシャは察した。


「ありがとうございます。義姉さま。このペンと紙。お借りしますわ」

 

 眉尻を下げながら微笑むと、アリシアは満面の笑みを返してくれた。


「あなたはジーン様と一緒で、一途でとても情熱的。この旅でたくさんの出会いと気づきがありますように」


 リアムとミーシャがフルラ国に旅立った数時間後、「良い旅を」と手を振る彼女に見送られ、ナターシャを乗せた馬車も婚約者候補の素性調査へと出立した。 



 旅の一日目は、出発した時間が遅かったために、婚約候補者と会えずに宿に泊まることになった。

 右も左もわからないナターシャとは違って何でもそつなくこなすイライジャは、一番値段が高く広々とした個室を手配してくれた。


 男装での旅のため、侍女は連れてこなかった。自分のことは自分でしなければならなかったが、ドレスを着ているわけではない。着替えくらい誰の手も借りずにできた。夕食は部屋へ運んでくれて美味しく頂いた。 

 

 ただ、全部一人だ。

 護衛騎士の彼は、部屋では休まず、食事も別。廊下に座って寝ると言い張った。


 旅に慣れていないナターシャはこれから先のことを考えて、休めるときに休む事にした。遠慮なく、ふかふかで清潔なベッドで安眠をむさぼった。


 グレシャー帝国はとても広い。

 馬車での移動は荷物も多く運べ楽ちんで簡単だったが、このペースでは一月かかるというイライジャの提案で、二日目は馬車をやめた。

 貴族ではないただの旅人らしく、荷物は最低限、お金はたんまりと持ってナターシャは馬に跨がり移動した。


  

――領地を離れて四日後。

 ナターシャは馬に乗ったまま、小高い丘から雪原と青白く輝く流氷の結界を眺めた。

 風が強く、白い息はすぐに横へ流され消えた。飛ばさないように帽子を深く被り直す。


「一月もすれば、ずいぶんと復興するものね」

「陛下と、ジーン宰相の努力のたまものだろう」


 ナターシャと同じようにイライジャも馬上から眼下を眺めている。彼のくせ毛が風でなびき、きれいな額が丸見えだ。


「ここから先はカルディア王国に接しているシュナイダー辺境領だ。余り目立たないように」

 ナターシャが頷くと、イライジャは丘の下を指さした。

「目的のシュナイダー伯爵の屋敷はまだまだ先だ。行こう、


 イライジャは先に馬で雪原の丘を下っていく。少し距離を置いて、ナターシャも下りた。


 ナターシャはイライジャの小姓として同行している設定になっていた。理由はイライジャ・トレバーの顔と名前はそこそこ知れ渡っているからだ。


 いざというとき、従者がイライジャ様に守られたら、変だと思うけれど……。


 イライジャの格好は甲冑ではなく、軽装だった。国内を移動するのだから武装する必要はないが、どうせならフル装備して欲しかった。せっかくの姫を守る騎士の設定が活かせていない。


 ナターシャは、つくづく思った。


「一人で旅がしたかったわ……」

「何か言ったか、ナターナエル」

 蹄の音で聞こえないと思ったが、彼の耳はいいらしい。ナターシャの声に反応し、馬を操りながら振り向いた。


「二人のときはナターシャで結構よ!」

 大声で返したが、馬が思った以上に上下に揺れて、舌を噛みそうになった。

 

 前を行くイライジャは余裕顔だ。彼はあるじの設定が気に入っているようで、タメ口で、ことあるごとにと連呼した。


 無事に丘を下り、除雪された歩道に出ると、一度馬の速度を落とした。


「乗馬、相変わらず上手だね」

 前に進みながら再び振り向いて、話しかけてきた彼は珍しく笑顔だった。


「ええ。兄様や、リアム様について行きたかったから、必死に覚えたわ」


 氷の国グレシャー帝国では、乗馬を嗜む令嬢は少ないが、ナターシャは違った。少しでもリアムに近づきたくて、あらゆる習い事を学び、身につけた。


 リアムは結婚願望がないの一点張りで、なかなか妃を迎えようとしなかった。しかし、状況はいつどのように替わるかわからない。先帝が崩御したころは特に、いつでも妃候補に名が上がるようナターシャは努めた。


「すべて、無駄になってしまったけれど」


 手綱をぎゅっと握りながら、ナターシャは呟いた。


「ナターシャ。努力したことに無駄など一つもないよ」


 イライジャの言葉に思わず顔を上げた。


「今、こうして馬に乗って、婚約者候補に会いに向かっている」


 呼び捨てにされるのは幼いころ以来だった。

 彼は昔から、ナターシャが落ち込んだり悩んだりすると決まって肯定してくれた。やさしくて真面目なのはイライジャの良いところだ。だが、今回は励まされたて複雑な気持ちになった。


 人前で弱音を吐くなんて……。

 

 貴婦人は常に冷静に、本音と素顔を晒さないように務めること。そう教わってきたが、イライジャがそばにいるとつい砕けた調子になってしまう。


 男装で旅をしているんだから、まあ、今だけ、良いわよね……。


 ナターシャは前を行くイライジャの背を睨むように見つめながら声を張った。


「そうね。努力は無駄にならないし、したくないわ。だからイライジャ様。もう少し大人しくして下さる?」


 イライジャはちらりと振り帰ると、馬を止めた。

 余り広くはない道幅だが、イライジャに追いつくと馬を横に付けて、彼を見た。


「婚約者に会えても、あなたがご自身の身分を明かすからみんな平伏しちゃって、素性も何も、全然わからないのですけれど?」


 ここに来るまでの数日間、何件かの伯爵邸を回ってきた。みんなイライジャに恐れおののき、本来の知りたかった情報は収穫なしだった。


「イライジャ様が、『貴殿はナターシャ・アルベルト伯爵令嬢に求婚しているそうですが、誠の心がありますか?』なんて威圧的に聞くから、相手は『誠の心はありますが、イライジャ卿には及びません』と言って萎縮してしまうのよ」


 イライジャはふっと鼻で笑った。


「これまでに回った者たちは温和な人ばかりだったが、それでも、ナターシャ様を本気で嫁にと考えているなら、俺の身分でも立ち向かって来るくらいの骨のあるところは見せて欲しい」


「骨って、無理でしょう? 怖い物知らずは陛下やイライジャ様くらいよ」


「ナターシャ様と結婚すれば、陛下が一番信を置いている側近で権力者、宰相のジーンと太い繋がりができる。もっと強かに、食い下がってくると思ったんだ」


 彼はしらっとした顔で再び馬を進めた。


 イライジャこそ、皇帝陛下の右腕だ。権力者なのには違いない。

 ナターシャは彼が護衛というより、素性調査の邪魔をしているとしか思えなくなってきた。


「イライジャ様。次の方への質問はわたくしがします。あなたは黙っていて」


 気を引き締めるべく手綱を握ると、ナターシャはイライジャを無理やり追い抜き、そのまま駆けだした。

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