波間に揺れる恋心 ⑧




 ポセイドンは浜辺に大の字になって寝そべり、雲がゆるゆると流れていく空を見つめていた。

 形を変えながら流れていく雲をぼんやりと見つめていると、その視界が不意にさえぎられる。


「やっほー、陸揚げマグロ」

「……誰がマグロだ……」


 仰向けになったポセイドンの目の前に、満面の笑みを張りつかせたゼウスが立っていた。

 いつの間に現れたのか、神出鬼没の主神は寝そべる次兄の側にしゃがみ込むと、興味津々の体で尋ねてくる。


「首尾はいかがかな」

「……全然うまくいかなかったぞ、このテキトー野郎」

「そうかそうか、それは残念。

でも、それであきらめるわけじゃないんでしょう?」

「ったりめーだ」


 言い返しながらも、ポセイドンにいつもの気勢はない。

 起き上がる気力もないらしい様子にゼウスが怪訝そうな顔をすると、ポセイドンは仰向けになったまま、ゼウスの方を見上げて尋ねる。


「お前こそ、デートはどうした」

「いやぁ、今回はちょっと、ねえ」

「ふられたのか? お前にしちゃ珍しい」

「まあ、これも恋の駆け引きと思うさ。次の機会というものがあるしね」

「前向きだなぁ、ほんとに」

「兄上さまほどではないよ」

「俺は……」


 言って、ポセイドンは視線を空に投げた。

 その珍しく何かを深く考えている様子に、ゼウスは興味をかき立てられながらも、黙ってポセイドンはしゃべり出すのを待った。


「……俺は、よくわかんなくなっちまって」

「何が?」

「俺は今まで、何でも自分の好きなようにやってきたはずなんだ。

俺には力があって、何でもできて、できないことなんかなくて。

自分の好きなことを好きなようにやって、自由に生きてきたんだ。

そのはず、だったんだが……」


 ――あなた、今、楽しい?


 耳にアムピトリーテの声が聞こえてくる。

 浜辺に寄せてくる波のように、何度も何度も、アムピトリーテの問いかけがよみがえってくる。


 凪いだ海を思わせる瞳で見つめてきて、言われた言葉に、ポセイドンは胸の内を見透かされたように感じていた。

 平和に飽きて、穏やかな海に倦んで、力を持てあまして暴れるしかできずにいる、自分でもどうしようもない荒くれ者の血を。

 その血を飼い慣らすことができない、ポセイドン自身の苛立ち。

 平和な世界で感じる息苦しさ、不自由さ。

 その矛盾に、誰よりもポセイドンが苛立っているのだということを、アムピトリーテにはたやすく見抜かれてしまったように思った。


 真っ向からそれを言い当てられて、ポセイドンは、


「わからなくなった……」


 らしくなく、戸惑っているのだった。


 ゼウスはしばらく、そのどうやら落ち込んでもいるらしいポセイドンの様子を眺めていたが、


「ポセイドンはさぁ、あの子が何で好きなわけ?」


 ややあって、そう聞いてくる。

 ポセイドンは顔だけをゼウスの方へと向けて、たくましい眉をひそめてみせる。


「……は?」

「ポセイドンは好きな子をただ縛りつけておきたいだけなの? 

きれいな魚を水槽に閉じ込めて愛でるみたいに、あの子を閉じ込めようとしているの? 

ポセイドンにとっての愛情ってそういうことなの?」


 そう言うと、呆然とするポセイドンをまるで捨て置くように、ゼウスは砂を払って立ち上がった。


「まあ、たまには、自分の気持ちと静かに向き合ってみるのもいいんじゃない。

海を駆け回るばっかりじゃなくてさ」


 そう言い置く声と、砂浜を歩き去って行く足音が遠ざかって聞こえる。


 ポセイドンはぼんやりと波の音を聞きながら、弟の言葉を頭の中で反芻していた。



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