4. パンを買いに来た彼に告白する話(後)
◇
「カナってばさぁ、最近好きな人でもできた?」
「…………え?」
お昼休み、友達の言葉に私は呆然と聞き返してしまった。
「おっと、とぼけてもムダだぜ娘さんや。あたしとあんた、何年ごしの関係だと思ってるんだい」
「まってまって。まずなんでそういう話になってるの」
「だってカナ、最近うわのそらになってること多いじゃん。授業中にぽけーっと窓の外みてたりとか、二年生の教室前とおるとき、じっと中のぞきこんでたりとか。あと放課後もグラウンドの方よく見てるよね」
「……うそ」
私はまた呆然としてしまった。
多少は身におぼえがあるとはいえ、そこまでとは。
「うそ、はこっちのセリフです~。──そんでだれ、二年生のどなたさんよ」
ほら吐いちまいな、あん? とあごをしゃくる友達。
とても女子高生とは思えないお下品さだ。そこが話していて安心するところではあるのだけど。
「うーん……そういうのじゃないと思うよ」
困ったように笑って私はごまかした。
そう。これはたぶん恋なんかではないのだ。
ただ少し、あの人のことが気になるというだけで。
あれからなんとなく、先輩のことを調べるようになった。
べつに全部が知りたいわけじゃなくて。
名前は
背丈は
しごく平凡な見た目というか、容姿だけでいえばそこらの男子高校生にうもれてしまうレベルのものだ。
部活は陸上部で長距離をやっているらしい。
たしかに野球やサッカーをしている男の人よりさらにしゅっとして、からだの線がほそい印象だ。けど姿勢はかなりよくて、歩いたり走ったりしている姿を見ると、体の中心に鉄棒でもはいってるんじゃないかってくらいぴしっとしている。
ふざけるでもサボるでもなく、ただもくもくと走りつづける姿が印象的だった。
たぶん真面目な人なんだろう。悪い人ではないんだと思う。
なんのつながりもないと思っていたその人だけど、意外なところでご縁があった。
なんと、その人は私の叔母が経営するパン屋さんの常連さんだったのである。
高校にあがるすこし前から店の手伝いを始めていた私は、あの人と何度か会っていたことになる。……お店のいそがしさで、あんまり覚えてはいないけれど。
それまで文字と映像だけの存在でしかなかった先輩が、ぐっと近くに来た気がした。
そして六月。私が高校生になってからちょうど二か月がたったころ。
先輩と同じ部活の子に話を聞いたり、部活おわりにこっそりあとをつけてみたり。そんなことを二か月もつづけ、ようやく先輩の性格もつかめてきた。
率直に言うと、クソ真面目。
律儀で慎重で、変なところでめんどくさがり。
表情のゆたかさとやわらかさには欠けるけど、人と接するときは丁寧だし面倒見がいい。
意外とくだけた言い方をするときがあって、気の置けない友人には言葉の飾りつけを忘れがちになる。
反対に初対面の人には礼儀ただしく、おもいやりを忘れない。
そして──相手をよく見るひと。
うわさとか偏見とかで他人を
『先輩としては良い人だけど……それ以上は、ね?』
『ダメだよ、言っちゃ悪いよ』
同い年の子たちの会話を聞きながら、私はまったく別のことを考えていた。
おもったとおりというか、ねがったとおりというか。
むしろ好都合というか、“それ以上”があったら困るというか。
この頃には、さすがに私もみとめていた。
早い話。なんの気もない人のことを二か月間しらべつづけるほど、私もヤボではないということだ。
◇
「いらっしゃいま──あ」
その日。
休日のお昼時に、あなたはお店を訪れた。
いつもの紺のジャージと灰色の半袖シャツに身を包み、ちょっとけだるそうな顔で店に入ってくる。入り口でアルコールスプレーを小さく押して手をもみ合わせ、トレイを一枚持ち上げる。
先輩の仕草はいつもムダがなくて、しずかだ。『かっこいい』とか『おしゃれだ』みたいな華はないけれど、見ていて落ち着く。
『本日のおすすめ』と書かれたポスター(私が
ふと、私はあることに気がついた。
(あ……あの目)
パンを見比べる目に、おぼえがある。
相手のことをよく考えるときの先輩の目。
うわさとか偏見とかを気にせず、相手の本質を見極めようと一生懸命に考える、あの目だ。
それがわかって、私は吹きだしそうになった。
まったく、真面目にもほどがある。パンひとつえらぶのにそんなに真剣に悩まなくたって。
あの先輩のことだ。いま立ち止まっている棚だって、律儀に“本日のおすすめ”という言葉にしたがったのだろう。『せっかく店員さんがおすすめしてくれるのだから、ひとつは買っておくべきか』なんて考えているにちがいない。
そもそも決まらないならふたつ買えばいいのに。長距離選手ならパンのふたつやみっつ、ぺろりと平らげてしまいそうだ。
吹きだしそうになるのをこらえて。にやけた顔を袖でかくして。
あなたの横顔を見ているうちに、どうしようもなくなって、私はあなたに声をかけた。
「…………あのっ!」
ぴくっと肩がうごく。すこしだけ目を大きく見開いて、こちらを振り向く。
その眼差しの、透きとおるような
「──好きです!
今度の週末、私とデートしてください!」
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