2. パン屋で店員さんに告白される話(後)



「悪いけど」


 これ以上話していてはダメだ。


 動機きっかけも聞いた。経緯ワケも聞いた。

 いちおうの筋は通したし、俺が聞くべきことはもうないように思う。


 学年、いや学園一の美少女とよばれている彼女だが、話をするようになってから数分の女の子とデートに行けるほどの気概きがいは俺にはない。

 楽しませられると思うほど、自信過剰でも冒険野郎でもないのだ。


 結果がきまっているなら、先延ばしにする理由ももうない。

 そのぶんだけ期待させてしまうくらいなら、いますぐここで終わらせるべきだ。


「悪いけど、俺はそんな大した人間じゃない。面白いこととかも言えないし、とくべつ性格がいいってわけでもない。ハンカチの件もたまたまだし、優しい人って意味ならさがせば……いや、探さなくても俺より条件のいいやつなんてうじゃうじゃいると思う」


 目の前にたたずむ店員さんの、その足元を見ながら言葉をつなぐ。

 誰かと話すとき、言葉をえらぶようになったのはいつからだろう。言い方ってのをみつけられずにあれこれ考えてしまうのは、きっと俺の悪いクセだ。

 それでも。


「気の迷い──って言葉は、俺の身勝手だし、失礼か。でも、もう一度冷静になってよく考えてみてほしい。本当に俺でいいのかって」


 選ぶ言葉は慎重に。

 できるだけ相手に傷がのこらないよう、最大限の注意と、敬意をはらって。


 俺は彼女の目を見て、ゆっくり頭を下げた。


「期待に沿えなくて申し訳ないが、これからは他の人にも目を向けてみてやってく──」

「デートしてくれないなら泣きます」


 ──れ、という言葉の最後は、りんとした声にさえぎられた。


 下げていた頭をふたたびゆっくりと上げ、彼女の顔を見つめる。

 言われた言葉を頭のなかで反芻はんすう。数秒かけてその意味を理解する。


 ん、泣くって言った? この子。


「…………え、泣くの?」

「はい。泣きます」

「……ここで?」

「はい。今ここで」


 Ohおう……まじか。


 あらためて周囲を見渡すと、ちょうど親子連れが店内に入ってくるところだった。

 いや、他人がいなかったとしても──とにかく面倒なことはたしかだ。


「おまえ、それおどし……というか、いろいろアウトじゃね?」

「いいんです。いらないこと気にして目的を達成できなかったら意味ないですから」

「俺の気持ちはいらないことなのか」

断腸だんちょうの思いです」

いさぎよいな」


 目前の少女はんだ瞳をしている。冷めた、というより覚悟を決めた、みたいな。

 どうあれ退く気はなさそうだ。



 内心でおもわず頭を抱える。

 押しが強いとは思っていたが、これほどだったとは。


 清楚でひかえめな少女、なんてとんでもない。強靭きょうじんな意志と覚悟、それらを実行する行動力をもった暴走機関車である。前言撤回しよう。やっぱりこいつブレーキ壊れてるイノシシだわ。

 うわさを流した相手にめ寄り、うったえを起こしたいレベルで────。


 いや。でもそれは。


(──それは、俺が勝手に想像の長船こいつをおしつけてるだけ、か)


 理性がストップをかける。

 額に保冷剤を押し当てたみたいに、すっと思考が冷えて穏やかになっていく。


 他人のうわさとか偏見とか、そういったことを基準に人をはかるのは嫌いだ。

 誰かから聞かされた情報とか、そいつがいつも見せている表情とか。人の内面ウチを知るって、きっとそんなに簡単じゃない。

 実際に顔を突きあわせて、話をして、時間を積み重ねて……。それでも足りずに、ぶつかったり傷つけたりすることはあるのだと思う。

 いくら考えたって他人を完全に理解することなんてできない。いくら考えたって、正しい言葉なんてものがないように。


 それに。うわさを盾に目の前の相手を見ようとしないのは、すこし卑怯ひきょうだ。

 勝手に“理想の少女像”とやらを押しつけておいて、そうじゃないとわかればすぐ幻滅げんめつ。裏切られた、なんて癇癪かんしゃくを起こすのは、なんか違うだろと思う。


 誠意には誠意を。応えられずとも、せめて正しくまっすぐ向き合うことを。

 そのためにはくだらない偏見は捨てるべきだ。

 ……捨ててもロクなイメージは持ててないけど。



 などと。腕組みしつつ、あごに手をあてながら考える。

 ふと視線を感じて、前を見る。少女はすこしだけ笑っていた。目元がやさしく細められている。


「そういうとこです、先輩」

「え、なにが?」


 なんか怒られた。

 いや、言葉的にそうだよな。その微笑みはなんだったんwhat did you mean


「とにかく。デートしてくれないなら私はここで泣き出します。学校でも泣きます。クラスメイトに泣きついて、あることないこと言いふらします」

「や、おまえな──」

「先輩に『君の瞳はアルタイル、いやベガかな。悪いけどオリオンには届かない』って言われたーって」

「うわめっちゃ迷惑だわ」


 それは終わる。

 なにがどう、って具体的な話は省略するけども。


 ……というか、アルタイルとベガは星で、オリオンは星座だ。

 輝きの度合いを言いたいなら、オリオンではなくそれを構成するベテルギウスやリゲルなどと比較するべきで────いや、それも問題じゃない。


「……先輩ってほんとに律儀ですよね。クソ真面目といいますか、あと顔に出やすい」

「褒めてないのはわかったよ」


 にらみ返すように彼女を見すえて──ちょっとだけ、驚いた。

 からだのまえで固く組まれた両手が、かすかにふるえている。


(──緊張、か?)


 見つめられていることに気づいたのか、長船はさっと両腕を背中にかくした。顔を背けながら「いや、あの、これはべつに──」などと小さくつぶやいている。うつむきがちのため表情はよく見えない。

 けど、声に淡くにじんだ焦りみたいなものは、たぶん本物だと思う。



 こいつは本当に、俺のことが好きなのだろうか。


 たった一度だけ親切にしてくれた人を好きになる、なんてことはそうある話ではないだろう。けれど、彼女が絶対にあきらめないという強い意志を持っているのは確かだ。

 それが好意なのか悪意なのかはさておいて、そこまでしてデートに連れだしたがる理由がわからない。


 ──それも、こいつの話に付き合っていれば、わかるのだろうか。


(……なんか、乗せられてる気もしなくはないけど)


 デート行ってあげれば、なんて考え方は俺にはできない。

 そんないい加減な気持ちで応じるのは、相手に対して失礼だと思うから。“クソ真面目”と言われようと、そこは折ることのできない俺の軸だ。


 だからこそ、よくよく考えた。

 それはもう、じっくりと。


 並べられたパンの前で考えるのは他のお客さんの邪魔になるので、店内のすみの方に移動して考えた。トレイを持ったままはしっこに移動し、壁にかるく肩をつけて思案にふけった。

 なぜか長船もとことこ着いてきた。じっと黙ったまま表情を変えず、考え込む俺をくりっとした目で見上げ……てかおまえアルバイト中だろ。仕事しろよ。


「──はぁ……」


 ともかくも。

 彼女の提案をよくよく考え、自分なりにじっくり吟味し、出した結論こたえは────。


「────土曜でいいか」

「よっっっし!!!」


 店内にもかかわらず、である。

 少女の歓喜かんきの声が小さく、だがはっきりと響いた。


 パンをのせていた親子がびっくりした目でこちらを見つめ、くすくすと笑い出す。いつのまにかレジに戻っていた他の店員さんまで、顔を背けながら口元に手をあてている。


 聞かれてたんかな、やっぱり。やるせない気持ちでため息をつき、視線を戻す。

 いちおう仕事バイト中なんだし、彼女もすこしは自覚というものを──あ、こいつうつむきがちにガッツポーズしてる。



 どっと疲れが押しよせた。

 これでよかったのだろうか、いや選択肢そもそもなかったな、なんてあきらめとともに天をあおぐ。

 木組みの天井はあたたかな色合いのまま、匂い立つ焼きたてパンの香りが甘くて優しい。


 人生はじめてのワンシーンはパン屋のなかで。

 お相手は学園一の美少女──の仮面をかぶった暴走ロケットマン……ウーマン? である。


 こんなことを思うのは失礼だろうけど。

 正直もう、どうにでもなれだ。





 その後、集合場所と時間を合わせてパン屋をあとにした。


 予定を決めるときの彼女の顔は、付き合いの浅い俺でもわかるくらい生き生きとして輝いて見えた。

 そんな顔を見せられたら、まあわるくないのかもなと思うのが人間の不思議で困った一面ところである。俺だけか。


「────あ。昼飯パン買うの忘れた」


 がっくりと肩を落とす。ほんとに、散々な一日である。


 コンビニに寄っておにぎりでも買おうか。

 具は明太子とか昆布とかの塩っ辛いヤツ。

 コンビニのパンが嫌だとかそういうコトではなく。なぜだか、今は甘いものを食べようという気になれなかった。

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