パン屋の店員さんに告白された話

衣見 ヒビキ

1. パン屋で店員さんに告白される話

「好きです! 今度の週末、私とデートしてください!」


 そう叫ぶと、店員さんはぐっと右手をつきだしお辞儀じぎの姿勢でぴたりと静止した。

 店の棚にならべられたトレイの前で、『本格! あんバターツイスト改』と『ぶっとび濃厚カスタードレーズンフランス』のどちらにしようかと頭を悩ませていたときの話である。



 舞台は行きつけのパン屋さん。うちから歩いて四、五分の、駅へとつづくわりと大きな道路に面した場所に建っている。

 店自体は小ぶりなログハウスだ。

 深緑色の屋根と、積まれた丸太の茶色い壁。温かみを感じさせる木組みの天井と、店内にただよう甘い匂い。幼い頃からあった気がするのでかなり年期が入っていると思うが、それほど古めかしさは感じない。

 朝には仕事に向かうサラリーマン、昼下がりには近くに住む主婦のみなさん、夕方には学校帰りの学生たちが愛用する、いわゆる“近所のパン屋さん”というやつだ。


 たまたま両親とも出かけた休日のお昼時。いつもならカップ麺ですませるところを、なんとなくお湯をかす気にもなれずに外出したのがほんの数分まえのこと。

 そうしてくだんのパン屋さんに入り、『本日のおすすめ』と書かれたポスターの前で腕ぐみしながら様々な種類のパンを見比みくらべていたところ、背後から現れた彼女の「あのっ!」という大声に振り向いたわけである。


「えっと……人違いとかじゃないですか?」

「とかじゃないです! デートしてください!」


 とりあえず、“言う人まちがえた説”を提唱してみたものの、すぐに否定された。

 そうだといいなあ、なんて淡い希望を抱いていたのだが、現実はそう甘くはないらしい。パン屋なのに。……関係ないか。

 というか、しれっと語尾におかわりがついてる。


 正直、告白されるなんて人生初体験だ。

 これが少しは見知った顔なら、心臓が浮きあがるような喜びとか、全身がムズがゆくなるような気恥ずかしさやらに赤面するのだろうが──。

 相手はほとんど話したこともないパン屋の店員さん。疑念と戸惑いと、うっすらとした恐怖感に『よし、いったん逃げよう』とか考えている自分がいる。


近江おうみ先輩ですよね。奥山北高校の二年生で、クラスは八組。座席は窓側の後ろから二列目の席、部活は陸上競技をされている」


 逃げれんわ。

 どうやら俺のプロフィールはがっつり握られてるらしい。いったん逃げようもなにもない。


 そうです……、と覚悟をかためて向き直る。そこでようやく彼女を真正面から直視するかたちになった。

 目が合い、にこりと笑う店員さん。よく見なくても美人の類だ。



 イノシシみたいなこの店員さん──いや、外見のことを言っているのではない──は、同じ高校に通う一学年下の後輩、長船おさふね カナ。

 白菊しらぎくをおもわせる清楚せいそ可憐かれんな容姿と、おとなしく物腰やわらかな態度と性格で、またたく間に我が校の女子人気トップの座にのぼりつめた実力の持ち主である。


 肩口まで伸ばしたつややかな黒髪、少女らしいくりりとした目つき。はっきりとした顔立ちをしつつも、まだ若干幼さを残した面影は、さすがに高校上がりたてといったところか。背丈も小柄で華奢きゃしゃなぶん、美しいというより可愛らしいという印象だ。

 あえて動物に例えるなら、イノシシというよりウサギである。それも干支に使われるような神聖っぽいやつ。



 ……と、縁のないはずの少女のことをここまで知っているのは、別にがあったからというわけではない。

 彼女が学年にとどまらず、学校中でひそやかに名をせている美少女であることも、

 隣の席の友人バカが“長船おさふねさまファンクラブ”とやらの会員であることも、

 昼食の際はもっぱらその話をすることも……まあ、多少影響を受けてはいるのだろうが。


 主な原因は彼女が行きつけのパン屋さんで働くアルバイターだったことである。

 雲の上の人気者には興味すらわかないが、それが生活圏内にあるなら少しは頭に入っている……ということなんだろう。


「とはいえ、デートに誘われるほど親しくなった覚えなんてこれっぽっちもないけども」

「大丈夫です! これからなりますから!」

「なにその自信……」


 ずいと身を乗り出す長船おさふねさん。ぐいと身を引く俺。

 助けを求めて視線をさまよわせるが、なにかしらの準備のためかレジに人影はなく、この時間にしてはめずらしいことに客の姿もない。

 あるのは整然せいぜんと並べられ、おいしそうな匂いをただよわせるパンたち……まてよ、俺パン屋で告られてるのか。


 やっと思考が追いついてきた。冷水で顔をすすいだように、すこし頭がクリアになる。と、同時に冷水をかぶりなおしたみたいに現実に引き戻された。

 “え、ここでする……?”みたいな。いや、ぜいたくだけど。

 

 そんな感じで目の前の少女、“あこがれの先輩とおしゃべり……”というより“ねらった獲物は逃がさねぇ”に近い視線の店員さんを見つめ直した。


「……というかなんで俺? 会話なんてだけで、それも『あわせて700円です』とか『どうも』くらいの店員と客のそれだろ? 一目ぼれ、なんてされるナリでもないし、好かれるような心当たりがひとつもないんだけど」

「もう、言わせないでくださいよ」


 途端とたんに殺気をひっこめ、店員おさふねさんは頬を淡く染めて下を向いた。


 なるほど、これは人気が出るよなぁと思わせる光景である。

 もじもじとしながら視線をさまよわせ、ぎゅっと目を閉じ。呼吸を落ち着けるように数回、遠慮がちに肩を上下させ。

 なんとなく“まもりたい”という気持ちにさせる仕草だ。本人は無意識なのだろうが、見てるこちらにはそれだけの破壊力がある。


 頭をふって邪念を払っていると、目の前の彼女はようやく、意を決した!というふうにいきおいよく顔を上げた。


「この前、廊下で私が落としたハンカチひろってくれたじゃないですか!」

「……あー」


 たしか、に。

 いつだったか、一か月、いや数か月前くらいか。そんなことがあったような、なかったような……。

 どちらにせよ、こちらもはっきりと覚えていないような、なんとも地味な話ではある。


「それで惚れた、にしてはインパクトうすい気がするんだけど」

「安心してください。それはきっかけにすぎません」


 びしっと一本指をたて、こちらに振る。ちょっと得意げな顔だ。


「先輩が落とし物をひろってくれたあのとき、思ったんです。『こいつ、このことを恩に着せて超絶かわいい私にふしだらな要求をするつもりだ』と」

「めちゃくちゃ失礼だな。びっくりするわ」

「でも先輩は何も言ってきませんでした。ハンカチを渡してくれたあと、何も言わずにすぐ去って行ってしまいました。そのときに思ったんです。『ははぁん。この人、女の子に慣れていないのね』と」

「しばくぞおい」


 予想外の暴言におもわずでつっこむ。

 惚れられた理由を聞いてる、んだよな? おれ。


「そのことがあってから、なんとなくあなたの姿を目で追いかけるようになりました。──あ、と言ってもいつも見てたわけじゃないですよ。たまたま姿を見かけたとき……例えば、移動教室でクラスの前を通りすぎるときとか、部活でグラウンドを走っているときとか。部活が終わって帰宅する様子、信号が変わるのを待ちながらあくびをしている様子、家の玄関の前でカギを取り出そうとカバンをひっくり返すところ──」

「“目で追う”どころかもう見張ってるレベルなんよ」

「それからなんやかんやあって好きになりました」

「まさかとは思うけど、めんどくさくなりました?」


 怒涛どとう証言セリフに怒るタイミングを見失った。

 怒りや驚きとかいうレベルを通りこし、すでに脳内がパニック気味である。


 とりあえず落ち着こう。

 ……うん、まあ正直なのはいいことか。だよな、うん。正直で偉い。

 …………うん?


「まあ詳しい話は週末にでも。そのときにぜんぶ教えて差し上げます」

「いや、待て。今の怪しさマックスの説明で誘いに乗ろう、とは、ちょっと思えないかなーって……」

「映画とかいいですよねぇ。全米あちらでもかなりの評価を受けたハリウッド映画の翻訳版が、ちょうど先週から上映されていたはずです。もふもふノンストップアクションの超大作、“ミーアキャットとマシンガン”」

「少しは人のはなし────ちょっと気になる」


 広大なサバンナの大地に二本足で立ちあがり、仲間を守るためにマシンガンをぶっぱなす──みたいな映像が瞬時に脳内を駆け巡る。

 スリリングなアクションシーンに、もふもふな毛並みを堪能たんのうする癒しのワンカット。ラストには感動の……って、ちがう。


 傾きかけた感情を理性が抑止キャッチ

 ちょっとだけ「……え、行ってみる──?」ってなった自分がうらめしい。


 ふたたび息をつき思考をリセットする。目を開けて、彼女を慎重に観察してみる。

 “惚れたワケ”とやらを語る彼女の声音はどこか弾んでいて嬉しそうだ。にこにこと頬をゆるませつつ、くっつけた両手の指をわきわきしている。

 告白の相手に理由を語るのであれば、もう少し緊張したり固くなったりするものだと思うのだが。いや、したことないからわからんけど。


 ──とにかくだ。


「…………あのさ、悪いけど」


 これ以上話していてはダメだ、と思った。

 論理的な思考と、直感と、感情的な部分で。


 勇気を出した……のかはうん、わからないな。けど、誠意を見せたのは確かだろう。こっちが聞いた質問にはちゃんと答えてくれたし、好意を伝える言葉はまっすぐで、はぐらかしなんてなかった。


 それに比べて俺はというと。

 ちょっと話しただけで見限って、気持ちに応えようとしない自分が、ひどく情けないヤツに思える。まあ実際そうか。負け犬根性というか、心が平凡モブというか。

 断る理由をいろいろ探して、あげくこんな俺じゃあ彼女にふさわしくない──なんて思うことも、きっとお得意の逃げってやつだ。



 そういうのを一番わかっているからこそ。

 だらだらと話がつづいてしまう前に、俺は告白を断ることにした。

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