第2話  紅茶の淹れ方と暗殺術を学びます!

 ティーガ公爵家へ仕えるようになり一年。それはわたしの七年という人生の中で最も幸福に包まれた一年でありました。

 使用人として一通りの仕事をこなせるようになったわたしは、オズヴァルド様の言いつけで、更に複数人の教育係をつけられ、彼らに師事を乞い、新たな技能を身に着けることになりました。



 ひとつは護身術であり、ひとつは医薬薬学でありましたが、やがて護身術は暗殺術へと、医薬薬学もまた、毒物を中心に扱う授業へとなりました。


 わたしはエリス様の身の回りの世話をするためだけに呼ばれたのではありませんでした。

 権謀術数けんぼうじゅっすう蔓延はびこる王宮において、第四王女であるエリス様を守るため、そして上位の王子王女を出し抜き王位を継承させるため、ありとあらゆる技術を叩きこまれました。

 それは使用人というより、むしろ暗殺者と呼んで差支えのない、仄暗いものでありました。


 人を効率的に殺す殺人術、他者の懐に入り込む人徳掌握術じんとくしょうあくじゅつ、毒物の知識も幅広く教え込まれましたが、何よりも辛かったのは、毒に対する耐性をつける修行でありました。


 毒物を口に含み、吐き出す訓練。それが慣れたら次は毒物を体内に取り込む訓練。


 最初のうちは体内で暴れまわる毒に、身体中の穴という穴から体液を分泌しながら大声を上げてもがき苦しんだものです。

 反射的に吐き出そうとする毒を、ぐっと堪えて体内に取り込み続けることの苦しさと言ったら、言葉で表現することは到底できません。


 取り入れる毒の種類と量は日に日に増えていき、目の前に出された毒液、その致死量ギリギリを目分量で見定めて飲み込む訓練もしました。

 あと一口でも多く飲み込めばそのまま死に至る量を毎日飲み続けた結果、やがてわたしの肉体は毒に対する耐性がつくようになりました。


 これもまた、エリス様も守るため、そして、エリス様の兄上と姉上を殺すため、そう、エリス様の幸せのためを思えば、いかような苦痛も耐えることが出来ました。


 どれだけ苦しい訓練も、お嬢様が、


「いつもありがとう。ノアのおかげで毎日が楽しいわ」


 と仰って下さる、ただそれだけで報われるのですから。



***



 こうして毒に対する耐性がほぼ完璧についた頃、エリス様に身に危険が降りかかる事件が起こりました。


 屋敷の中に賊が入り込んだのです。

 賊の目的は金品ではなく、エリス様の命でございました。


 真夜中。

 見張りの守衛が鳴らした警笛けいてきにいち早く目を目を覚ました当時八歳のわたしは、枕の下に隠したナイフを握ると靴も履かずに寝巻のまま、真っ先にお嬢様の部屋へと駆け込みました。


「ノア! 助けて!」


「エリス様!」


 するとどうしたことでしょう。

 面で顔を隠した黒ずくめの賊が、お嬢様の寝室に潜り込み、刃物を振りかざしているではありませんか。


 わたしは腰を屈め、日頃の訓練で身に着けた体術でもって勢いよく床を蹴り、一足飛びで賊の懐に飛び込むと、その凶刃がエリス様の柔肌に食い込むより早く、賊の脇腹のナイフで突き刺しました。

 血がしぶき、汚れた賊の血がお嬢様のご尊顔そんがんにかかります。


 今思えば、エリス様の使用人としてあまりにもお粗末な行動でした。

 真の使用人であれば、エリス様の身を守るのは当然として、その血がお嬢様に玉体に触れることなどあっていい事ではございません。


 しかしお嬢様が怪我を負うことはなかったので、当時八歳の子供にしては、ギリギリ及第点を与えてもいいと言ったところでしょう。


 わたしは賊の脇腹を刺したナイフを、手首をひねって傷口を広げ、すかさず引き抜くと、胸部を中心に幾度も刃を振り下ろしまし、完全に息の根を止めました。


「エリス様! わたしの後ろに!!」


「ノア!」


 エリス様を部屋の隅へと避難させ、残りの賊と対峙します。

 賊はナイフを構え飛び掛かり、わたしもまたエリス様をお守りするべく、ナイフをナイフで受け止めます。


 いかにわたしが一流の教師から格闘術の師事を受けているとはいえ、八歳の子供がエリス様を守りながら賊と正面から渡り合うには限界があります。

 わたしの身はナイフで幾度も切られ、無数の切り傷から大量の血が流れます。


「ノア! わたしのことはいいから! 逃げて!」


「良い訳がありません! わたしは! エリス様をお守りするために存在しているのです!」


 心温まる人情劇に慈悲を与える賊ではなく、トドメとばかりにナイフを振り下ろします。

 それをなんとかナイフで受け止めるわたしですが、口から血が噴き出し、倒れそうになります。


「かはっ……これは……毒……!?」


 賊のナイフには毒が塗りこまれており、わたしは血を吐き膝をつきます。


「やれやれ、手こずらせやがって」


 痙攣けいれんしながら床にうずくまるわたしを一瞥した賊は、今度はその毒ナイフをエリス様へと向けます。

 しかし、わたしに毒は利きません。

 油断した賊がわたしを通り過ぎ、お嬢様にナイフを振りかざした瞬間、がら空きの背中にナイフを刺しこみます。


「ぐっ!? 貴様!?」


「ノア!」


「その汚い手でエリス様に触るな……賊が……!」


 倒れる賊。静寂を取り戻した寝室は、エリス様の泣きじゃくる声で再び喧騒を取り戻し、エリス様は傷だらけのわたしを抱きしめて下さいました。


「ノア! 怖かった! 怖かったよぉ!」


「申し訳ございませんエリス様。わたしがもっと強ければ、こんな怖い目に遭わせずに済んだのに」


 わたしは、エリス様に返り血を浴びせてしまったこと、正面からでは賊に勝てないと悟り、毒でやられた振りをしてエリス様を囮に使った事を心の底から恥じ入りました。

 もっと、もっと強くならないと……。そう、改めて誓ったのです。


「なに言ってるの!? ノアはわたしの命の恩人よ! うぅ……うわああああん!」


 衛兵を引き連れたオズヴァルド様がいらっしゃるまで、わたしはエリス様をなだめ続けたのでした。



***



 初めて人を殺したことに、精神的な苦痛を感じはしませんでした。


 それよりも、エリス様の命を守ることが出来た。エリス様のお役に立つことが出来た。

 そういった喜びの感情が圧倒的に多く、わたしが下した二人の暗殺者に対する同情は微塵も湧きませんでした。


「今私がここにいるのは、ノアのおかげよ」


「滅相もございません」


「もう、謙遜ばかり」


 わたしは不甲斐ふがいないことに、賊との戦闘により負った傷でしばらくの間、療養生活を余儀なくされました。

 ベッドで安静にしているわたしの元に、エリス様が訪問して、労いの言葉をかけて下さる。

 それだけで全身の傷が癒えるかのようでした。


 エリス様は見舞いの品である果実の皮を、ナイフで切って下さろうとしたのですが、刃物を持った瞬間、エリス様の麗しい指は震えだし、手からナイフが零れ落ちます。


「あ……あ……ノア……私……」


「エリス様!」


 御労おいたわしいことに、エリス様は先日のトラウマで刃物を握れなくなってしまわれたのです。

 恐怖がフラッシュバックするエリス様の震える身体を、わたしはそっと抱きかかえます。

 全身の切り傷が開き、包帯が赤く滲みますが、肉体的な痛みより、苦しんでいるエリス様を目の当たりにする事の方が圧倒的に苦しい。


「ご、ごめんねノア……ノアの方が痛い思いしてるのに、わたし……あの日のことが怖くて……」


「大丈夫です、エリス様……わたしが、ここにいますから」



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【あとがき】

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イラストURL↓

https://twitter.com/yKcwWDFkCQtlXbF/status/1637399372592979969


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