これが「奇跡」と呼べたなら。

松清 天

1 世界が終わるまで

 二〇二四年二月二九日、大吹雪の中、傘を差しながら、待ち合わせしていた一本の白樺の木にもたれかかる。午前六時半、神谷と合流した後、駅のホームへ向かう。押し倒されて揉めている中年の男たちを横目に、人混みをはけながら、切符を通してホームへ入った。

 通勤、通学時間で学生やサラリーマンも多い中、僕らは通夜みたいな服装で満員電車に乗っていた。

 まだ高校生なのに、今からすることが、現実と夢との区別がつかなかった。生きていく上で、ほとんどの人が経験しないであろう事を、僕たちはするのだ。

 人に押し潰されながらも感じられる、この揺れ。その電車の中には60代ほどの男が隣にいる若い女の肩をつかみ口論になっている。女子高生はその一部始終をスマートフォンで撮影している。

 僕と神谷は今向かっている駅に着くまで、一言も喋る事なく、約三〇分間ほど、電車内での静寂を過ごした。

「次は、武雄温泉です」

「よし、乗り換えるか」沈黙状態だった場を先に破ったのは神谷だった。

「うん。つぎは五分後にくる新幹線だね」その後も僕ら二人は、口を開かないまま新幹線に乗った。ここでは人が少なく、二人とも椅子に座ることができるほど余裕があった。

 まだ朝の七時という事もあり、新幹線での三十分間、神谷は白目を剥いていたが、僕は緊張のあまり、昨晩寝れなかったのにも関わらず、睡眠欲が全くなかった。それに加えて食欲もない。

 なんだか、自分が今なにをしたくて、何をしたくないのかが分からなくなってきた。今いる世界が本当に存在するのかさえ、分からなくなってしまっていた。

 既に頭がおかしくなっていたのだろうが、僕はそれに気づかなかった。側から見たら、完全に薬物をヤっている目になっているのだろう。

 「おい、大丈夫か?その目」神谷が喋りかけくれなければ、僕はここで失神していたかもしれない。

「次は、博多です」ホームに降りて、武雄温泉駅のホームで呼んでいたタクシーが、駐車場にわかりやすく止まっていた。

「お客さん、本日はどちらまで?」おそらく還暦を迎えているであろう男性ドライバーが、僕らにどこか懐かしい声で聞いた。

「えっとー、福岡留置所までお願いします」どちらとも口に出したくはなかった。このドライバーに何を思われるかが、わからないからだ。

「福岡留置所ですね」そう言いながら、車の中にあるカーナビで福岡留置所と調べていた。

「シートベルトの方よろしくお願いします」そう発した直後に、アクセルを踏んだ。

 福岡に知人がいれば、車で行きたかったのだが、あいにく、そんな都合よく世界は成り立ってない。

「ところでお客さん、なんで本日はこんな朝早く、留置所へ?」

「僕ら、今か」

「おい、いえなんでもないです。留置所の近くにあるご飯屋さんに行きたくて」危なかった。ここで神谷を止めなかったら、どうなっていたことやら。

「あー、そうなんですね。でも、今日は平日ですけど、大丈夫なんでしょうかね?高校生に見えますので」神谷に答えさせたら、また僕が止める羽目になりそうだった。だから、僕は神谷よりも早く質問に答えた。

「今日、僕らの学校、休みになったんですよ。ほら、昨日全国的に大雪になったでしょう?校長が今日は学校を閉鎖するって言ったんですよ」咄嗟に出た嘘が、結構質の良い回答だったので、自分でも少しすごいと思ってしまった。

「へー、そうなんですね」僕らが今から何をするか分かるかもしれない、ぎりぎりの質問攻めをしてくるドライバーと、三十分間話していてた。

「はい、着きましたよ。えー、ご料金の方が、千と九十円ですね」

「はい」そう言って僕の財布からピッタリ千九十円を払って、ありがとうございましたの一言も言わずに、僕らはタクシーを降り、目の前にある留置所へ入っていった。

「本日はどのような御用件で」受付の女性が、僕らに聞いた。今日はやけに質問が多い。これに関しては当たり前なのだが。

「福岡警視庁の福島さんに会いにきたんですけど」

「かしこまりました。少々お待ちください。」それから一五分ほど待っただろうか。その時間は永遠に感じられた。

「佐野くんと神谷くんで合ってるかな?」その見た目とは裏腹に、声はすごく優しそうで、いつでも寄り添ってくれそうな口調だった。

「はい、そうです」

 時刻は九時、僕と神谷は長い廊下を歩いたその先に天沢の姿があった。

「とうとう時間がやってきたな」その声にはまるで、恐怖心がなかった。  

 今から『生』というものがなくなると言うのに。

「そんじゃ、卓也、佐野、よろしくね。今までありがとう。楽しかったよ」その声を聞いた瞬間、僕の肩から感触がなくなっていた。今なら、右腕を切断されても気づかないくらい。

 そして、僕はボタンを押した。何回目だろうか。もう覚えていない。五十回か、百回か。いや、それ以上かもしれない。

 でも、この感覚はいつも初めて経験したような感じだった。

 何故か、自分が押した感覚はないのに、押した瞬間に全てが戻るように、少し重たく、数年使っていなかったのだろうか、すごく冷たかった。

 指先から手首へ、手首から肘へ、肘から肩へ、肩から因数分解されたかのように、全身へ伝わるこの感覚は、なんとも言えなかった。

 僕ら以外、同じ空間にいる人間はガラス越しに見える警察の姿だけだ。神谷が抑えて、僕と神谷だけが泣かずに、死刑を執行した。

 天沢の死刑が執行された。

 僕は、一人の人間を殺したのだ。


 冬が嫌いだった。

 生活していれば絶対に目にするであろう、雪の単純な白い色が嫌いで、肌を刺すような、冷たい風が頬をかすめる、この感覚がまだ慣れなくて。

 でも、冬の最後に咲く、満開の桜だけは好きだった。

 でも、あの瞬間、僕らが何を思ったかは、満場一致すると思う。

 彼を除いて。


 二〇二一年四月八日、今日は高校の入学式だ。制服を着こなし、両親に声をかけて家を出た。

 「行ってきます」

「ごめんね、ついて行ってあげれなくて」

 僕の両親は出張が多い。昨日の夕方に沖縄から帰ってきて、また今日も四国に行く。

 家から学校までは距離がある。電車を利用して高校最寄りの駅に着いたら、そこからは徒歩だ。

 校長の長い話を聞いて、担任からの説明が終わり、十三時に学校を出た。

 電車を待っている間にワイヤレスイヤホンをつけて、最近気に入っているアーティストの新曲を聞いた。流れてくる歌詞を口ずさんでいると、肩をたたかれた。 

「久しぶり!卒業式ぶりだっけ?」弾んだ声が耳元で聞こえた。

「あ、うん。久しぶり」低く、少し冷たい声で返した。

 彼は、小学校から同じの神谷卓也だ。誰とでも明るく接しているイメージが多かったが、中学では色々やらかしていた。

 例えば、 僕らの同級生に虐められていた下級生を助け、そこで神谷がいじめっ子に対して、「年下虐めんなよ。だせーな」とボソッと吐いてしまったせいで、殴り合いにまで発展していた。

 次の日、神谷の顔面はあざだらけだった。別に、神谷が悪い訳ではない。だが、神谷の放った一言が、そいつらにとって、よほど気に食わなかったんだろう。

 でも、僕はそんな彼が今の僕にとって、羨ましかった。誰とでも接せて、まさに、好青年って感じの男だ。

 この高校は決して頭が良いとは言えないが一応、進学校らしい。多分、神谷もそこまで頭は良くないのだろう。こんだけ付き合ってて知らないのもおかしいが。

 僕もそこまで成績優秀ではないが、できるだけ知っている人がいない高校に行きたかった。だけど、絶対一緒になりたくなかった人と、クラスまでもが一緒になるのは、かなり困った。

 案の定、神谷は毎日僕に駆けつけて話してきた。

「俺さー、人見知りってわけじゃないんだけど、全く知らない人と話す分には大丈夫なのに、そこから上まで行くことができないんだよね」つまり、親友が出来づらいというわけだ。

「僕は、そもそも神谷以外の人とあまり話せないけど」テキトーに言葉を選んで返したが、読んでもない本のページをめくりながら、彼の話をひと通り聞いた。

 小・中学校は、小さい頃から仲の良い人や、仲が良い人との繋がりで新しい出会いもあり、神谷はどんどん友達が出来ていた。もともとのコミュニケーション能力が高いのもあるが。

 小・中学校の頃は、神谷に人を紹介されたが、結局、誰とも仲良くなることはできなかった。

 そもそも僕は、人に対して興味がなかった。

 でも、高校に入って神谷に紹介された人の中に、僕とものすごく性格が合う人と出会った。漫画を描くのが趣味の天沢遥斗という奴だ。

 天沢の描く漫画は他の漫画は、ありえないほどリアルで、グロテスクだった。もはや、本当に人間の死にざまを見ているみたいだった。

 ここまでは、まだ他の漫画でもちらほら見かけるのだが、天沢の漫画は、既存のものにはない、『魅力』があった。よく僕らに漫画を提供してくれるのだが、気が付いたら読み終えてしまうのだ。授業50分でそれを20コマ程で、起承転結がしっかりしている物語を描き終えてしまうほど。彼は、漫画に対し、愛があった。

 あんな漫画を描いていても、天沢には優しそうなオーラが湧き出ていた。僕はそんな彼に憧れを抱いていた。

 入学して三週間、高校に入って特にやりたい部活はなかったけど、僕ら三人は、天文学部に入部した。望遠鏡で観る星空はまさに絶景だった。

 僕は、天沢と同じように、愛が溢れ出してまうほど好きな趣味がある。

 小説を書くことだ。

 一つのことに対して執着があり、友達ができにくい、僕と天沢は、言葉の書き方、リアルやオリジナリティなどを求める性格が似ていた。

 まるで双子のように。

 僕と天沢の目指す夢は、似ていた。

「天沢の夢はなんなの?」

「世界で僕が描く漫画を知らない人が居ない漫画家になることかな」僕と夢がほぼ同じだった。

 例えば、夏目漱石の「吾輩は猫である」や、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」などは年齢関係なく、全国で知れられている小説だ。そんな小説を書く小説家に、僕はなりたかった。一方天沢は、日本内外でも人気の漫画を目標にしていた。

 そんな話を、学校の裏にある小さい山に登りながら話す。

 実際に天沢の描いた漫画を読み、あまりにグロテクスで吐き気を催したのは、天沢が描く漫画特有の、表現力が原因なのはわかっていた。ただ、ページをめくってしまうこの手を止めることはできなかった。

 ある日、天沢から、僕と神谷に漫画のネタを求めてきた。

「なんもネタが思いつかなくてね。なんか良い案ないかな?」

「デスゲームとかどぉ?」神谷にしては珍しくテキトーに答えた感じだった。いつもならもう少し考えてくれるのに。

「それ良いかも!」まるで、忘れてたものを思い出したかのような反応だった。

 結局、僕は何も案を出さないまま神谷と食堂の席を立った。

「んー、僕にはネタが有り余っているのに、なんで天沢に言えなかったんだろう」僕のネタはキャンパスのノート二冊分ほどはある。それほどあったら、たとえライバルであろうと分けるのが優しさってやつだろう。

 しかし、僕にはそれができなかった。自分の話が汚れていく様を見るのを無意識に怖がっていたのかもしれない。

「佐野が話を考えて、天沢がその漫画を描いて、二人で一つの作品を作れば良いんじゃない?」なかなか、ユーモアのある考えだった。他の人では思いつかなそうな。

 神谷に言われたことで間違ったことは一度もない。神谷には本当に中学の時救ってもらった。神谷との思い出に、思い出したくない記憶はない。

 次の日、神谷に言われたことを、天沢に伝えてみたら「良いんじゃない?なかなかいないだろ。小説家と漫画家がタッグを組むのって」笑いながらそう答えた天沢の眼の奥に、何か暗いものがあった。気のせいだと良いけど。

 そういえば、久しぶりに、よく人の目を見た気がする。

 何か、惹きつけてくるような眼だった。

 僕は、小説家になるのを中学一年の時から夢見てる。一年前までは、よく周りの大人に将来の夢について話をしていた。

 まだ二十歳にもなっていない中学生の夢の話を否定する大人は、僕の頭の中には想像がつかなかった。

 しかし、現実はそう甘くなく、家族以外の大人からは、「小説を書いてプロになれるのは、一握りの人間だけだ」と、皆からそう言われた。

 

 正直、大人が嫌いだった。

 やっと見つけた夢を簡単に否定するところが。真っ直ぐに見ていない、あの目が。

 でも、僕達より何十年も長く生き、苦しみもがいて、生きてきた大人達がいるおかげで、今の僕らがいるのだろう。

 縛る大人は、縛られてきた大人なのだろう。

 傷つき、悲しみを、僕らの何百倍も経験してきた大人達は、僕らに対する接し方を見つけてここまで生きてきたのだろう。

 だからこそ、この悲しい連鎖を繰り返したくはない。

 僕ら三人はこのことについて、学校付近の公園で語り合っていた。涙も流したし、たくさん笑った記憶もある。でももうあまり覚えていない。

 ある日突然、「そういえば、この前応募した漫画新人賞の大賞とったよ」と、軽くすごいことを話してきた。

「へぇー、凄いじゃん」軽く返したが、正直羨ましかった。そりゃそうだ。応募しているキャリアだったら僕のほうが長い自信がある。僕も応募してるのに、なぜ選ばれないのかが不思議なほど、いろんなジャンルで応募してるのに。

 「何回も応募してたの?」

 「いや、今回が初めてだよ」こいつは化け物だ。話の内容自体はありきたりなのに、その話をどう調理したら一番面白くなるのかを把握している。

 漫画の内容は、神谷が話してた、デスゲームを主材に、人がどんどん死んでいくような作品だった。最終的には何とも言えないものだったが、確かに面白かった。

 これを機に、天沢は学校で「俺の顔を描いて欲しい」なんていう言葉が、天沢の周りで、飛び交った。でも、僕と神谷以外の人には漫画で大賞を取ったのを、天沢本人は話していなかったが、神谷が仲の良い人全員に話してしまったらしい。

 この事件があってから、一週間ほどは、天沢は、神谷とあまり接してなかった。

「佐野は生きていく上で、一番大事なことはなんだと思う?」神谷が急に僕に問いを投げてきた。

「健康に気をつけるとか?」ピンと来なかったから、テキトーに答えた。

「そうなんだ。俺は全く違うけど」今まで見たことのない、真剣な顔で言った。「じゃあ、なんなんだよ」

「運が有るか無いかだよ。運命が決まっていたとしたら、未来か過去に行かない限り、変えることはできない。命を運ぶと書いて運命。結局さ、人生運が歩かないかだよな。誰に何を言われようが、俺はこの考えを変えることはない。

 成るように成る。俺の尊敬する人が言ってくれた言葉だよ。疲れても、辛くても、この言葉を思い出すと、自然と元気が湧き出て来るんだ。なんだかんだ決まったことになるんだよな。どんだけ頑張っても、結果は変わらない。でも、俺は結果だけを求めてない。だって、過程を見てきた人が俺が成功した時、より一層格好良く見えるだろ」

 この話の中で、その尊敬する人とやらが誰かだけが気になったが、小説の一部で使えそうな台詞だなと思うことしかできないくらい、神谷の目は、今までに見たことのないくらいまっすぐだった。

 天沢はメモをとりながら聞いてた。どうせ漫画の一部になるだけだろうが。

「この前聞いていたことを、そっくりそのまま返すようだけど、神谷の夢はなんなの?」なんとなく気になったのか、その場の流れで、天沢は神谷に聞いた。

「別になんだって良いんだけど、理想は、とにかく有名になることかな」

「僕ら三人は似たようなものだな」天沢は少しにやけていった。

 僕は、天沢がしっかり笑っているところをここで初めて目にしたかもしれない。

「昨日十六時ごろ、中島川にて、一八歳の高校生、山田大翔さんが溺死している状態で発見されました。警察は自殺と見ており、遺族は『何が不満でこんなことをしてしまったのか分からない』と語っています」最近は本当に自殺をする若者が多い。自殺は、現実から逃げたくなった時、ふと死のうと考えてしまう。

 僕だって、そんな時は山ほどあるが、簡単に死ねるほどの勇気がない。

 だから、尊敬できる。

 とりあえず、明後日から夏休みだ。高校一年目の夏休み、何があるかわからないが、毎年同様に、どうせ暇だろう。

 新しい話を考えとくか。

「明日からやっと夏休みかー」

「神谷、声でかいよ」校長の長い話を聞き流し、少し興奮気味の神谷を落ち着かせる。誰しもが経験した事のある、あのワクワク感は、何となく小学生の頃の神谷と似ていた。そりゃそうか。

 性格はそう簡単に変わらない。生まれ育つ環境の中で出来上がっていくものだ。

「夏休み早々だけど、明日三人でどっか遊び行かない?佐野と天沢のネタになればと思って」

「僕は良いけど、どこ行く?」天沢は嬉しそうに答えた。今まで遊べる友達が居なかったのか、声の抑揚が、波に乗っていた。

「どっかとか言ってるけど、僕は金ないよ。近場で自転車とかで行ける距離なら良いけど」

「佐賀とかならバスで行けそうじゃね?あんまり金かからないし」なんで天沢も話に乗るのか、とは思ったが、口には出さず、黙って話を聴いてたが、流れが良くない方向に進んでいった。

「吉野ヶ里遺跡と呼子とかはどう?二泊三日とかで。ホテル代とかは俺が出すから」

「分かった。じゃあ九時にバス停集合で」

「詳しいこととかはLINEで話すから」

「じゃあ、また明日ねー」

 やっぱ辞めときゃ良かったかもしれない。神谷がいると碌な事にならないだろうな。とは思いつつ、少し楽しみたい自分がいた。

 集合時間の九時、天沢が珍しく遅刻している。

 それから五分経つと、二百メートルほど先に神谷が見えたと同時に、反対方面から、二日に一回は聞くであろうサイレン音と共に禍々しい赤色灯が僕の目の前を通っていった。

「あれ?天沢は?」気付いたら神谷が隣にいた。

「まだ来てないんだよ。あいつ、いつも集合時間の十分前には来るのに」

「連絡なしは心配だな」

「次のバスが出るまでに来なかったら、家行こう」

 結局、三十分待っても天沢は来なかった。

「家行くか」急いで自転車を出して漕いだ。天沢の家は僕らの家とそこまで離れてはないが、

 九時五十分。天沢の家に着いて、チャイムを鳴らした。

 誰からも返事はなかった。とりあえずその場で解散し、天沢からの連絡を待つしかなかった。

 後日、天沢からLINEで、

天沢:交通事故に遭った。本当にごめん。

神谷:そんなことより、容態は?大丈夫なの?

天沢:医者からは、とりあえずは安静にしてろって。

神谷:生きてて良かった。明日佐野と見舞いに行くからな。

 なんてかわいそうな話だ。と神谷は思ったのだろうが、僕は違った。

 わざと交通事故に巻き込まれたのじゃないかと僕は思う。天沢の事だから、どうせ交通事故に遭ってからの痛さ、辛さを漫画に描き込みたかったからわざと事故に遭ったのだろう、と予想している。

 勝手な想像かもしれないが、明日聞けば全部分かるだろう。

 なんせ、僕と天沢の性格は瓜二つだからだ。

 翌日、電話で病院名を聞いたあと、神谷と向かった。

「天沢大丈夫だったのかよ」

「脳が少し傷付いてるけど、別に、頭が痛いくらいで、それ以外に支障はないかな」

「それは良かった」

「申し訳ないけど、神谷は少しの間出ていってくれない?二人で話したくて」例の事を天沢に問うつもりで、神谷には出ていってもらった。

 ここで僕は鋭い目つきで天沢に問う。

「天沢がなんで交通事故に巻き込まれたのかは、僕は大体分かるけど。何か理由があって、交通事故に遭ったよね?それは、金欲しさなどではない。漫画のネタになればと思ってこのような行動に出た。そうだろう?」

「さすが佐野だな。大体合ってるよ。本当は轢いた人の絶望した顔も見たかったんだけど、轢かれた瞬間に気絶しちゃってね。確かに、金欲しさではなかったかな」予想的中だった。天沢の性格ならこんな事だろうとは分かっていた。

 やはり目の奥に何か暗いものがある。これ以上見てはいけない何かが、そこにはある気がした。

 天沢の体調は良くなったが、医師からは自宅で安静にしてろと言われたらしい。今年の夏休みも暇なんだろうなー、と思っていたのだが、神谷からLINEがきた。

神谷:明日、天沢の家に遊び行かない?あいつも暇だろうし。どうせお前も暇だろ。

 少しイラッとしたが、一旦、心を落ち着かせて、返信した。

佐野:分かった

 どうせ神谷は毎年のように、夏休みの課題を写すのだろう。ちゃんと集合時間ぴったりで天沢の家まで行ったのに、課題を取りに帰らされた。天沢ならまだ分かったが、神谷に貸す理由が分からない。まぁ、いつもの事だから良いけど。

「天沢、記憶障害とかは無いのか?」

「うん。ちゃんと轢かれた瞬間の痛さも覚えてるよ」

「あんまりリアルを求め続けてたら、いつか死ぬぞ」一応、釘付けはしておいた。

「何の事?」神谷はまだ何も分かってないっぽい。

 課題は終わってたので、天沢の家に置いて帰った。

「これ、見て写して良いから。今度取りに来るから、終わったら連絡して」

「良いの?ありがとう」

「でも、この『人はなぜ仕事をするのか』のところは自分でスピーチ内容考えてから書いてね」

「分かった」神谷が家を出てから天沢に言った。

 課題も終わったし、小説を書いたり読んだりしている時以外は暇だったから、週5ペースで神谷と天沢の家で遊んでた。

 神谷は家の門限が厳しいのか、僕より先にいつも帰っていた。

 8月17日、

「夏休みもあと2週間も無いのかー」と神谷が言った。

「そうだねー。そういえば、神谷課題終わった?」

「あと一つなんだけど、なかなか分からないんだよ。この、『人はなぜ仕事をするのか』ってところのスピーチ原稿を書かなきゃいけないやつなんだけど、仕事をする意味が分からないんだよ」

「僕も全然分からなかったけど、いつも通り、漫画を描いていたら何かが降りてきた様に、無心になってスピーチ原稿を書いてたな。その時の感覚が忘れられなくて、急にネガティブ思考というか何というか分からないんだけど、ちょっと読んでみてほしいんだ」

 原稿を手に取り、神谷が読み上げる。

「私が思った、人はなぜ仕事をするのかについての答えは、人生を歩む上での経験だと思います。

 理由は、今生きているだけで、有名な作家や、スポーツ選手、科学者、哲学者などが、今に繋がる何かを残さない限り、その人は何の感情も持たないただの肉と骨になるだけなのに、生きている間だけ稼いで娯楽を得ても、何も徳がない。

 つまり、生きて間の経験、知識を得るための無駄な作業と一緒の事だと思います。

 筆者は、生きるため、だとか、安定した暮らしをしたいから、だとか、こう言った現実味のない戯言を寝言だと言っていました。

 しかし、筆者の考えも、寝言同様です。何かを交換したい人間の一つの欲求として、仕事を捉えていましたが、こんなのはただの考えに過ぎない。全国的にアンケートを取ったら、勿論、生きるためなどと、ありきたりな答えを出すでしょうが、僕は、人生での経験だと思い続けて、将来働くことになったら、無駄な作業だと思って、仕事をしたいと思います。

 なんだよこれ」最後に神谷が笑いながら言った。スピーチを読み上げた後の神谷の顔が少し引き攣っている様にも見えたが、流石にこの内容は酷い。それに、文章力がない。なんというか、僕らが読んでみて天沢の気持ちが伝わらない。

 天沢も自分の文章力のなさを理解していたのか、大体の漫画にはあるナレーション的なのがあまりなかった。それのおかげか、他の漫画とは違い、読みやすかった。

 でも確かに、自分の考えを書けとは言ったが、嘘でもこんないかにも狂気じみている事は書かなくて良かったのではないかと思う。

「良い内容じゃん」日本人のマナーとして、相手のことを称賛することはしたが、天沢の性格が分かる、唯一の僕でも少し引いてしまった。

 そんな天沢と僕の間ではまったゲームがある。神谷が提供してくれたゲームで、僕と天沢が互いの次の台詞を当てるというゲームだ。一日で一語一句間違えずに多く当てられた方が勝ちで、負けた方は勝った方にネタを提供するといったルールで一時期は毎日やってた。

 天沢とはユニットを組んでいるつもりではあるが、僕にもプライドがある。そう簡単にネタを渡すわけにはいかない。

「お前ら、そのゲームそろそろ飽きただろ」

「そうかな?このゲームめちゃくちゃ楽しいけどね」

「そうかな?このゲームめちゃくちゃ楽しいけどね」

 当てた。一語一句間違えずに天沢の言うことを同時に話すことができた。

「はい。今日は三対〇で僕の勝ち」

「九連敗か」

「九連敗か。はい。これで四対〇」

「いや、もう今日のゲーム終わってるから」

「いや、もう今日のゲーム終わってるから」

「いやー、でもさ、一語一句間違えずに何回も同時に喋れるのって、奇跡じゃね?」

「奇跡」誰しもが聞いたことのある単語だ。僕は聞かれた瞬間、手が動く。スマホで「奇跡 意味」と検索していた。どうやら「常識では考えられないような、不思議な出来事。特に、神などが示す思いがけない力の働き。また、それが起こった場所」とのことらしい。

 何が不思議だ。

 何が神だ。

 確かに、常識では考えられないことが起きた時、それは奇跡と言うだろうが、それが起こったらその時、それは奇跡じゃなくなる。

 例えば、サイコロを三つ同時に投げて、ゾロ目になる確率は、一三六分の一、五つ投げてゾロ目になる 確率は、一一二九六分の一、 でも、投げ続ければ、いつかは揃う事はわかる。最近の若者は、『奇跡』という単語を使いすぎだ。

 仮に人間と魚で子供が出来て、人間がえら呼吸出来るようになろうと、それは事実上、起こっているわけだ。奇跡とは言えない。

 よって、この考えから僕は奇跡と言えるものはこの世で未だかつて、出来ないものだと思う。と言う話を簡潔に、天沢に話した。あの後、謎に天沢は納得していたが。

 だとしても、このゲームで天沢は弱すぎる。

「分ったか?家族の思ってる事とか、大体は分かるだろ?それと同じだし、天沢はこのゲーム弱すぎるんだって。」何日も引き続けに勝っていた。

 天沢は、決まった言葉遣いと、単語しか使わない。だから、天沢が言葉を発す前に、その前までの空気感と、テンションだけ分かれば、読み取ることができるのだが、神谷にこれは出来ないらしい。

 僕と天沢の仲だ。当てられるわけがない。

 このゲーム中は、時々言葉遣いを変えて喋っているから、一語一句間違えずに天沢が当てたことは一度しかない。

 こんな明らかに暇人しかしなさそうななゲームを夏休み中、飽きずにやっているわけだ。よくよく考えてみると、僕の夏休みは毎年同様、腐っていた。でも、天沢と神谷が居たから、少しはマシな夏休みと思えばいいだろう。

 ポジティブに考えてないと、こんな世界、生きていけないだろうな。そんな事を思っていたら、夏休みが終わっていた。

「はい、皆さんお久しぶりです。勿論、夏休みの課題は終わってますよね?」

 少しふざけた声で、笑いながら担任は言った。「もちろんですよ!」神谷だけが答えた。

「神谷、夏休み終わったのに、なんであんな元気なんだろうな」後ろから天沢に肩を叩かれた。

「天沢は違うかもしれないけど、夏休み終わるの結構早かった気がするけど」

「確かに。今思えば結構早かったな。」

「そういえば、課題のスピーチ、あのまま出すのか?」

「うん。今頃書き直したところで何も変わりはしないだろ」課題を後ろから集めてもらいながら話した。

「はい、おはようございます。夏休み明け、一回目の授業、英語で面倒臭いでしょうけど、頑張っていきましょう。

 今日の単元は、過去完了形と過去完了進行形ですね。では、まず過去完了形とは何かについてなんですが、ある過去の一時点に至るまでの出来事を指します」

 なんだよそれ、ややこしすぎるだろ。黒板に赤と白のチョークを使って図を書きながら次々に説明している教師を見ながらそんな事を思っていると、その過去完了形について神谷が、

「先生、俺は、その過去完了形とやらについてなんか、学びたくなんかないです。大体、将来何処で使うんですか?教師になったり、留学したりしない限り使わないでしょう?普通のサラリーマンになって使えるとでも思って教えてるんですか?全部答えてください。

 今時代は色々な技術が発達してきてスマートフォン一つで他国の言語も翻訳できるようになっているんですよ。スマートフォンを持っていないときはアイドンノーとアイキャントスピークイングリッシュとだけ話せれば良いんですよ」カタカナ英語でまだ若い25歳位の男教師に向かって煽ったような口調で神谷が先生に向かって言った。

 何も、そんな本気にならなくてもいいのに。ずっと僕らと一緒にいたからか、区長が天沢そっくりだった。天沢なら言いかねない台詞だった。

「全部一気に答えるなら、とりあえず黙って授業受けてろ。授業終わったら職員室来いよ」

「だから、お前の私情で佐野を痛めつけるなって。何より、佐野がかわいそうじゃないか」部室から神谷の怒声が聞こえてきた。静かにキレてるのは長年の付き合いでなんとなく分かってたが、あんな大声で起こっているところを見たことがなかった。

 にしても、なんであんなに怒ってるんだろう。

「いやいや、別に良いだろ」なんであそこで逆ギレするのだろう。神谷の怒りが増すだけなのに。両方にも見えないように隠れながら、二人のやりとりを見ていた。

「どうした?」ぼくは落ち着いて、壁から出て、彼らに問いかけた。

「いや、別に。なんもない」

「それと、神谷が言ってた。僕がかわいそうってのは何?」どうしても引っ掛かっていた事を聞いた。

「だから何もないって」かなり強めに天沢が言った。別に怖いわけではなかったが、これ以上あれこれ言ったら面倒な事になるかもと思い、僕はその場を後にした。

 翌日、神谷が「てかさー、お前の小説いつも見させてもらってるけど、正直、才能無いよ?」と少し煽った口調で僕に言ってきた。

「分かってるよ。だから何回応募しても、選ばれないんだろ?」

「だからこそ言わせてもらうけど、お前には出来るわけがない。もっと現実を見ろ。もう、小説を書くのを諦めた方がいいよ。俺はそう思う。まぁでも、読者としての、一意見だけどね」顔が引き攣っているのがわかる。恐らく、相手を傷つけるのが慣れていないのだろう。

 神谷はよく父と喧嘩してるらしいが、相手の傷つかない言葉を選んで使っている。この前、神谷の家に初めて遊びに行った日は、なかなかに酷かった。父と目が合うたびに、こっちを見るなだの、家にいるなだの、でもそれを神谷が言われてるのだ。それに対して神谷はいつも「そこまで言う必要無いだろ」と返してる。

「一つ言わせてもらうけど、僕は趣味の範囲内で小説を書いてあるだけであって、競技として小説を書いているわけでは無い。そこを勘違いしてもらいなく無いね」僕は確かに、趣味で書いてるわけだが、競技として書いてるわけではないと言うところは嘘だ。

 日本の高校生で名の響く小説を書きたい。そのためには他の人より質の高い作品を書く。これは競技だと思っていた。咄嗟に嘘をつけたのが良かったが、神谷は僕が嘘をついているのは分かっているだろう。

 この時点で、神谷と天沢が昨日話していた事だろうとは思っていたのだが、ここでそれを話してしまうと面白くない。探りを入れながら、乗ってあげよう。

「しかし、そこまでいうか?いつも悪口や本当に思っててもそれを口に出さない神谷が」明らかに下をチラチラ見ていた。朝のHR後に屋上へ続く階段へ呼び出されたので、多分、天沢が下で話を聞いているのだろう。

 もう、あまり話したく無いのか、神谷は黙ってしまった。別にこっちが話したいわけではなかったから、階段を降りていくついでに階段を降りる直前で神谷に「どうせ天沢だろ?大体わかるんだよ」と言った。

「うん、申し訳ない。あんな話に乗っかって」

「もう夢を否定されてるのは慣れてるから」去り際にそう言った。どうやら本当に神谷は悪口が嫌いらしい。階段を降りた時、天沢は教室に戻っていた。

 後々知った事だが、神谷は養子らしい。

 神谷の母親は、産んだと同時に亡くなり、父親は五歳まで育てたが、女と共に消えた。この事実は神谷が中学になってから教えられた。

 里親は、子宝に恵まれず、神谷を息子として育てる事にした。しかし、父は母と違い、中々に厳しかった。中学の頃は真実を知ってから、思春期と重なって反抗的になった時は、しつけと言いながらDVもされていたたらしい。

「前の父さんは優しくて、いつもそばにいてくれてたんだけどなぁ」金曜日、部活の帰り道、暗い公園のベンチで泣きながら話してくれた。

「顔が忘れられないんだよ。どこか、天沢に似てる気がして、だから初めてこの高校に来た時一番最初に天沢に話しかけたんだよ。

 最近、何故かよく父さんのことを思い出すことが多くて、だからこの2ヶ月くらい、他のやつと話して無いだろ?」

「じゃあ、久しぶりに天沢の家行かない?夏休み以来行ってないし」

「えー、別に良いんだけど、少し協力してもらって良い?」

「内容によるけど」

「帰ったらLINEで話す」十九時には学校を出てたはずなのに、気づいたら二十一時半になってた。

神谷:さっきの話の続きだけど、もしかしたら、天沢の父親が俺の本当の父親かも知れない。この前、夜遅くまでいた時、下で夫婦喧嘩してただろ?その時の言葉遣いが、俺に似てたんだよ。確認をしたいから明日十七時くらいに行って、天沢の父親帰ってくるの一緒に待てば、顔も見れるだろ。

佐野:なるほど。

神谷:俺一人だと天沢に怪しまれるかもだから、佐野も一緒に来てほしい。この前の悪口のことも天沢に聞いて良いから。

佐野:分かった。天沢には神谷が連絡しといて。

 別に天沢に聞いたところで、僕の予想はほとんど合っているから聞く必要はないだろうとは思ったが、まさか神谷の協力してもらいたい事がこんな夢見たいな話だとは思いもしなかった。

 それからは既読がついたまま返信は来なかった。

 十六時、天沢の家で現地集合だったが、珍しく神谷が遅刻せず集合場所まで来た。

「本当の父さんの顔は覚えてるから。帰ってきた時に顔を見て、前の父さんだったら話しかける。こんな感じで行けるかな?」いつにも見ないような真剣な顔つきで言った。相当会いたいのだろう。

 普通、人は会いたい人に確実に会える時、ワクワクしてるか、緊張して動けないかの2パターンが大体なのだろうが、神谷の場合、獲物を狩る直前の虎の様に眼が光っていた。

 予定時刻の十七時、天沢の家のチャイムを鳴らした。

「失礼します」二階の廊下まで上がっていき、部屋へ入る。いつも通り、天沢の部屋は散らかっていた。破れている紙、辞書、鉛筆、もはやくつろぐスペースが無いくらいあらゆるところに破れた紙が、投げ捨てられていた。

「本当、急に来たね。連絡はされてたけど、何か用があってきたでしょ?」

「別に。ただ、お前の親に挨拶でもさせて頂こうかなと」

「なるほど。じゃあ、なんで佐野まで来たのかが分からないな」

「僕も神谷と同じだよ。お母さんには挨拶してるから、お父さんにもしとこうなかって。ほら、天沢が事故った時、毎日来てただろ?なのに一回も顔合わせた事がないからさ。一応ね」

「分かった。帰ってくるまで、ここで待っとくか」一通り話し終わった後、天沢は神谷と話しながら漫画を描いていた。

 どうやら、以前大賞をとったデスゲームをシリーズ化して漫画家デビューするらしい。

「両親は反対しないのかよ。だって、このままその調子でやっていけるとは限らないだろ」

「うん。お母さんは趣味の範囲でって感じだけど、お父さんは僕の夢を否定しない性格だから、僕のやりたいようにやっていけば良いって言ってくれるね。

 将来、漫画家になるかは分からないけど。神谷もこの前言ってくれただろ?成るように成るって」

 僕は小説家になりたくて今、小説を書いて応募している。この前応募したやつが、2ヶ月後、発表と好評だ。もとから期待しているわけではないが、いつも、もしかしたらいけてるかも知れない、と心のどこかで思っている自分がいる。

 しかし、今回の作品はなかなかに出来が良い方だと思う。「輪廻転生」を題材にした作品だ。

 実際、実話を元にした作品はそう多くはない。僕はオリジナリティとリアルを求めてしまう性格が出てきて、絶対にあり得ない話もニュース等を見て、できる範囲で調査をしている。多少、フィクションが含まれている部分もあるが、僕の小説の九十八パーセントは実話をもとに書いている。

 しかし、これにも例外があり、ホラー小説や恋愛小説などはどうしても自分が実際に経験してみたいところがある。ホラー小説は身近に経験できる心霊スポットや事故物件を巡って怪奇現象を表現できるのだが、恋愛に関しては、その時の心情、台詞を、詳しく覚えてないとリアリティがなくなる。

「ところで、神谷は人の感情はどれくらいあると思う?」いつも一人で考え事をしている時は、誰に声をかけられても、肩を叩かれたりしない限りは気づかないのに、何故か耳に入って来た会話があった。

「喜怒哀楽の四つくらいなんじゃ無いの」

「残念。正解は四十八種類。これは諸説あるんだけど、オランダの哲学者スピノザは人間の感情は四八種類であると言っているんだよね。これを聞いて僕は何を思うか分かるかい?僕は、この四八種類の感情を、漫画の命である顔に入れたいんだよ。

 だから、神谷には僕が今から言う感情を顔に表してほしい。鏡で自分の顔見ても、わかりにくいだろ?だから頼んだ。」無茶がある。本当にそういう場面じゃないと表情には出ないから、役者でもない神谷には無理だろう。

 しかし、天沢の頼み事は大体が実際には不可能に近い。

「それなら、佐野にしてもらったらいいじゃん」

「無理だよ。役者でもあるまいし」

「ただいまー」なんの声かと思ったが、ここへ来た趣旨を忘れていた。

「あ、うちのお父さん帰って来たよ。挨拶しにいくんじゃ無いの?」

「よし、神谷行くか。心の準備は?」

「大丈夫」そう言うと神谷は階段をスタスタ降りて玄関まで行った後、軽々しく動かしていた足が、おもりが付いたように急に止まった。

「父さん?」

「・・・」

「返事くらいして下さいよ。僕はね、あなたに会うためだけにここまで足を運んだんですよ。お願いです。質問に答えてください。

 あなたは十年前、俺を、この神谷卓也を捨てた父親ですか?」その声には、怒り、悲しさと嘆きさがあった。

「ごめんな、こんな父親で。もはや父親とも思えないな。こんなのことをして堂々と父親名乗れるやつは人として終わってるな」

 天沢の父親、いや、神谷の父親は本当は自分の息子に十年ぶりに抱きしめ、腕の中で温かくしてやりたかったのだろうが、自分の罪を飲み込んだように、彼はただその場で、泣き崩れていた。

 その姿を、神谷は死んだような目で見続けていた。しかし、その瞳には明らかに大粒の涙が溢れ、肌に滲んでいた。父親の方は泣き叫んでいたが、神谷は黙っていた。近くで見てやっと泣いていることに気づくくらいに静かだった。

 にしても、神谷の顔を見て、よく自分の息子だと分かったな。小学生の頃より、顔つきがだいぶ大人になっているのに。

「ところで、なんでお前は泣いてるんだ?」

 後ろを振り向くと、天沢も涙をこぼしていた。

「僕、こう言う場面には弱くて、めちゃくちゃ顔に出るんだよ」まぁ、天沢の父親でもある。自分の父親が、友達の父親でもあったら、これだけ驚いてもおかしくないだろう。

 これには僕も驚いた。最初は、神谷の戯言だと思っていたが、まさか真剣に考えていたとは思わなかった。

「おい、これは奇跡って言っても良いんじゃないのか?」

「実際に起こっていることだ。この前も言っただろ?魚と人間の子供が出来て、えら呼吸できる人間が生まれても、それは奇跡ではないって」

「そうか」

「もういいよ、過去のことだし。なんで夜逃げしたかは聞かないからさ、ちょっと言い過ぎたし」

「ありがとう、ごめんなごめんな」両者涙を流しながら、父親は謝り続けていた。

 長い話し合いの結果、神谷と父親は元の関係に戻り、今後、神谷は天沢の家で過ごすことにしたそうだ。僕も付き添いで話を聞いていたが、話の中では二人の笑みがこぼれる場面もあり、少し心がほっとした。

 このことを里親に話すべく、帰りに神谷の家に寄って行った。

「今日、天沢の家に行って来たんだけどさ。天沢の父親が、俺の本当の父親だったみたい。ごめんね、母さん。急にこんな話されても困るよね。その場で色々話し合ったんだけど、天沢の家に住むことにした。父さんには、巣立ったでもなんでも言っておいて。

 今まで、本当に感謝してるよ十年間ありがとう」そこでも神谷の瞳には、確かに涙があった。

「また、遊びに来るから」母親は涙をこらえた何とも言えない顔で、神谷を眺めているだけだった。そんな姿を後目に神谷は家を出た。

「あの後結局、母親とはどういう関係になったのよ」水曜日の放課後、部室で神谷に聞いた。

「昨日遊び行ったよ。その時にもう一回改めて話し合ったんだけど、やっぱり母さんは俺の事を大事に思ってくれてたらしい。父さんは、何も喋らなかったよ。それで今は、天沢の家で暮らしてるよ。天沢の母さんも快く受け入れてくれたし。まぁ、面倒なことにならなくてよかったよ。本当に」なら良かった、とでも言ってやれば良かったのだが、その場で僕は何も話せなかった。神谷が天沢みたいにならないかが心配だった。

 思えば、神谷はよくあの五分ほどで、今後の人生を左右するであろう選択を考えられたと思う。

 でも、人生は過去と未来を見てばっかじゃ、生きていけない。悩んでは、忘れ、忘れては、悩んで。だけど、今だけを見ていたら、そんなもったいない時間を過ごすことはなくなる。

 天沢が夏休みの課題で書いた『人はなぜ仕事をするのか』のスピーチでは、生きてる間に世に名を残さない限りは、ただの肉と骨になるだけだと言っていた。なかなかにひどいが、あながち間違ってはいない。どちらかと言うと、僕も天沢の意見側だ。

 でも、今日という日は昨日生きれなかった人が必死に行きたかった明日なんだ。しかし、人間はその思いを何一つ知らず、変わらない、何の面白みもない日々を過ごしている。いつ死ぬか分からないこの人生というのは、過去や未来を見返す、見透かすことが大事なのだろうが、明日必ず生きる為に今日を生きている。

 この世で何かを残した人間は何千何万と居ただろうか。今、少し有名になったところで、百年後、世に名が残っているとは限らない。

 口で伝えられたり、自筆の紙が残されたところで、百パーセント事実とは限らない。物として残っているものは数少ない。例として、夏目漱石の脳みそは東京大学で保管されてるらしいが。漫画とかでよくある、過去を映像化して見れるものが作られたら、ぜひ見てみたいものだ。


 土曜日、僕は、天沢の家に遊びにいった。

「失礼します。あれ?神谷は?」

「前の母さん所まで行ってくるだって」

「なるほど。そう言えば、最近、天沢に彼女が出来たって話がめちゃくちゃ出てるけど、あれ本当なの?」

「マジか。そんなの初耳なんだけど。新手のいじめか?」その時、僕は天沢の口元を凝視した。天沢は嘘をつく時、一瞬、口を窄める。この時、天沢の口元はほんの一ミリ窄んでいた。

 別に、高校生だからこういう恋愛系の話を本当に話したくないのは分かるが、ここで嘘を言う必要性がわからない。そんなことを考えながら階段を登っていた。

「ただいまー」

「あ、神谷帰って来たよ」

「神谷、前のお母さんとお父さんはどうなったんだよ。離婚したのか?」

「俺がこっちに住むことにしたのを決めた時に、離婚したって。今まで俺に虐待してたのも、この前俺が言うまで知らなかったって」神谷は自分の母親同然の女が、虐待されている可能性があると考え、自分から告白したが幸い、母親は虐待されていなかったそうだ。

「あの時は本当に安心したよ」その顔には笑みが溢れていた。でも、それと同時に涙が一粒滴っているのが、僕には見えた。

「おー、その話少し変えたら良いネタにできそうだね」

「いやいや、流石に酷すぎるんじゃ無いのか?人の一大事をそっくりそのまま漫画に描き写すようなものだろ?そんな漫画家いるか?いないだろ。いくら現実に起こったとはいえ、身内の話を書かなくたっていいだろ」

 そう口に出したのは神谷では無く、僕だった。人の人生を踏み躙るように漫画を描く漫画家が何処にいるか。

「別に、俺はいいけど。何かしら奢ってくれるならだけどね」微笑みながら神谷は答えた。なんでそんな簡単に話に乗るのかが、十年間一緒にいても分からなかった。

「神谷、いつも天沢と一緒に寝てるの?」

「そんなわけないだろ。男二人で寝てたら流石に気持ち悪いだろ。今は、天沢の妹さんが元々使ってた部屋が俺の部屋になってる」入ったことはなかったが、天沢の部屋の隣にもう一つ部屋があった。

「妹さんはどこで寝てるの?」

「妹は、3年前に死んだんだ。自殺で。今、神谷が使ってる部屋で、首吊りの状態で発見されたんだけど、僕のお母さんがこの部屋でいいならって。神谷はそう言うのに抵抗がないみたい」

「まさかお前、妹が死んだのも漫画にしたのかよ」ここでも、僕が口に出した。なんとなく嫌な予感がした。

 僕なら、家族がもし死んだ時のことを思い出したりしたら涙の一つでも流すのだろうが、天沢は涙どころか、少しニヤけていた。

「いや、まだしてない。このデスゲームでする予定」

「お前さ、人が死んだのとか、不幸を漫画のネタにするのは流石に違うと思う。リアリティを求めて漫画を描くのは分かるけど、身内をネタにするのは僕は許せない。控えめに言って、八つ裂きにしたいくらいだね」僕はキレた。これまでにないくらいに。

「まぁまぁ、すこし落ち着けよ」神谷が止めに入る。

 そんなやりとりを尻目に天沢が後ろを向きながら、メモを取っていた。やはりこいつの性格はゴミだというとを再確認し、神谷が僕の腕を強く引っ張りながら外に出た。

「ちょっと。お前急にどうしたのかよ」

「もう天沢に何言っても無駄かなって。だから、神谷からも言ってほしいんだ。本当はああいうの嫌いだろ?十年も付き合ってれば分かるよ」今思えば、これは半ば強制的にそう思わせてなのかもしれない。一種の洗脳のように。

「んー、分かった。俺から天沢に言っておくから。お前は口出しするなよ。また面倒なことになるかもしれないから」

「ごめん。僕もう帰るね」本能的に、このままではまずいと思ったのか、気づいたら家の玄関にいた。

 自分の部屋に入ってベットに転がったまま、神谷にLINEした。

佐野:なんか、ごめんね。自分でもよくわからないんだけど、本当は神谷に同情を求めてたみたいだ。

神谷:今からそっち行くよ。

 そう返信が来てから十分後、神谷がチャイムを鳴らした。

「失礼します」声が聞こえて真っ直ぐ部屋へ向かう足音が聞こえて来た。本当に来るとは思わなかった。

 確かに、神谷は嘘をつかない。だがここが欠点で、無理ある事を言い、すぐ実行してしまう。長所でもあるのだろうが、ある時は短所になりえる。

 何に対してもそうなのだろうが、最初はそのものについて何も知らなかったら、良いところしか目立たないのだが、付き合いが長くなっていくにつれて、良くない所が目立ってくる。何故かはわからないが、多分、良いところが目に見れる範囲で尽きてしまったのだろう。

 結局、その後は特に何かしたわけではないが、神谷に天沢がどんな心情で漫画を描いているのかを聞いていてくれとだけ言った。

「俺、夢決まったわ」一連の事件があった日の翌日、数学の授業中に、横から神谷の声が聞こえた。

「急にどうした?神谷らしくないじゃないか。で、その夢はなんなの?」そう返したが、何故天沢が居ないところで話すのかが分からない。

「映画監督だよ」なんか、思っていたのとは予想外だった。神谷のことだから社長だとか、モデル、俳優だとか、ギリギリ現実味のある職業だと勝手に思っていた。

「なるほど。なんで映画監督になりたいのかは別にどうでも良いけど、誰に憧れて映画監督になったんだ?」理由はどうでも良い。とにかく誰に憧れて、誰を目標にその夢に決まったのかがどうしても気になった。

「別にいないけど、自分が監督した映画が流行ったら嬉しいだろ?それに、自分の名が世に広まったら嬉しいだろ」

「それなら今からでも勉強して、大学入ってIT企業の上の方まで登れば、日本だけでも名が広まるんじゃないのか?」監督に限らずとも、世に名を響かせる方法はいくらでもある。

 一般人だって、指名手配などでも、スーパーや交番のガラスに顔写真が貼ってあるのは誰しもがみたことがあるだろう。テレビでもよく放送されるが、他と比べて悪い広がり方だが、これも一つの方法だ。


 何に対しても「方法は無限大、可能性は永遠の海」僕の座右の銘だ。

 ドラマなどで、面接のシーンをよく見る。その質問内容のほとんどに座右の銘を聞かれている。僕はかれこれ3年ほど座右の銘は変わってないが、前までは、『笑う門には福来る』だったな。なんで変わったのかは覚えてない。

 高校生入試の二日目、面接にて最後にこんな質問をされた。

「では最後に、皆さん、『生きる』とはどういう事ですか?」

 僕は生まれてきて初めて、『生』について真面目に考えたと思う。以前、神谷にも同じのうな質問をされた気がするが、神谷は生きる上で大切だと思う事を聞いてきた。神谷もこの面接での事を思い出して同じような質問を問いかけてきたのだろうか。

 なんせ、神谷はもともと『生』に関する事を聞いてくる性格ではない。

 この時、僕はなんと答えただろうか。神谷の時は確か健康とか言った気がする。

 面接の時はすこしとまどった記憶がある。他の受験者は、生まれてから死ぬまでの期間とか、来世への道のりだとか、生き甲斐を感じるまでの道だとか、その中で僕と神谷だけは違って、他の人達からの少し鋭い視線を感じながら答えた記憶がある。

 神谷は、明日を生きたいから今生きてる、とそのキリッとした目の奥にはなにかを失ったような、何も考えていないような表情が、そこにはあった。

 そんな神谷の顔をよくよく見ていたら、最後に僕の番が回ってきた。

「大丈夫ですか?無理して、答える必要はないですよ」面接官は、優しい声で僕に話しかけてきた。

「いえ、問題ないです」とりあえずそう答えて、少し時間をもらった。

「死ぬまでの暇つぶしですかね」ここで何か言わないと落ちるとでも思ったのか、咄嗟に出てきた単語が「暇つぶし」だった。

 でも、結局自分の考えではあり、実際に今もだが、僕には『死』への恐怖がなかった。生きていればいい。小説が書ければ、どうなってもよかった。

 当時の僕は、小説を書いている時しか、生き甲斐を感じなかった。今もそうなのだが。

 駄目だダメだ。過去のことばかり思い返すと、今がダメみたいになってしまう。最近、一人での考え事が多い。

「普通に進学して、そこから映画監督目指そうかな。ってか、もう十一月かよ」神谷の元の話から路線が外れ過ぎている考え事をしていた僕の耳に神谷の声が入り込んできた。

 多分、僕が真剣に考え事をしていることを感知して話しかけてくれたのだろう。

「確かに、そうだね。一ヶ月前にもこんな話しなかったっけ」

「そうだったな。時間って本当に一瞬で過ぎるよな」少しにやけながら、神谷が小声で返した。

「そういえば、明日、僕が応募した小説が賞に選ばれているかどうかの発表だよ」

 完全に忘れていた。神谷にもう十一月か、と言われて、夏休みが明けてからの二ヶ月間、いろいろなことがあった。そんな記憶の中から忘れかけていた小説を脳内から引きずり出した。危なかった。そのうち何もかも忘れてしまうのだろうか。

「佐野がそう言うって事は、今回の作品、結構自信あるんだな」さすが神谷だ。ずっと一緒にいれば、声のトーンで少し興奮気味なのが分かるのか。

「よし、このページにアクセスしたら、分かるんだよな?」土曜日の早朝、神谷が家にきた。

「うん。そうだけど。来るの早過ぎない?」

「そうかなぁ?別に普通だと思うけど」

 出た。『普通』僕の一番嫌いな単語だ。どんな場面でも、小説にこの単語は絶対に入れない。普段の会話でもあまり使わない。

 そもそも、『普通』ってのは、人によって基準が違う。僕にとっての『普通』と、神谷や天沢にとっての『普通』は、全く違う。だから、僕はそう簡単にこの単語を使わない。

 もちろん、『普通』もなければ、『異常』もない。基準が定められているならまだわかるが、そもそも基準など人による。

 そんな事はどうでもいい。大事なのは結果だ。

「有名な小説家や脚本家の厳格な審査の元、以下の方々が賞に選ばれました。

 銀賞 大阪府二十八歳 三浦 陽弘『生命の遠吠え』

 金賞 新潟県四十三歳 松井 依子『未知の道』

 大賞 静岡県三十七歳 金矢 智彦『3年前の君』

 以上、三名の方が今回結果を残しました。一次審査を通った方には、審査員からの選評がありますので、ご確認ください」

「無理だったか。どんまい」神谷は一言だけ言い、それ以降は黙ってしまった。

 別に、また頑張ろうとか、俺も協力するからとか、そんな言葉が欲しい訳ではない。神谷が、僕を励ましてくれるだけでいいんだ。

 追加でいらない事を言われたら、お前もうちょっと頑張れよって言われているような気がしてる。僕の気持ちを読み取ってくれるのが、わかってくれるのが、家族と神谷だけだった。

 応募しては落ちてを何回繰り返しているだろうか。考えるだけで頭がおかしくなる。こんなに応募して悔しがっていると、自分が本当に趣味で小説を書いているのかと疑問になるときがある。

 僕は小説を読むのも、書くのも、小説について考えるのも好きだ。これを『愛』と言えるのかといえばまだ、そうではないのかもしれない。

 だが、『愛』っていうのは、要するに、自分の命を犠牲にしてまで、守りたいものだと僕は思ってる。小さいころから祖母に言われ続けていた。

 でも、最近の高校生カップルはすぐに「愛してる」「愛し続ける」だとかどうとか、簡単に『愛』を使っている。そこまで血の繋がってない異性のことを愛せる理由が僕にはわからない。だから恋愛小説は僕は書かない。だって、恋愛感情が無いのだから。人が人を好きになるとか言った感情が分からない、沸かない。

 何故かすらも分からない。でも、一つだけ断言できる。

 僕は小説を愛してる。

 たとえ、作品が完成してないまま、僕が死んでも多分、小説を書いたことのない神谷に続きを書かせるだろう。信頼の深い人にそれを託す。この世から小説がなくなっても。

 死んだことないから分からないけど。

「起立、礼」

「お願いします」

「はい、お願いします。今日のLHRのテーマは、二週間後の文化祭の模擬店と出し物を何にするかをある程度決めたいと思います。じゃあ、学級委員長の香月さん、この前アンケートしてもらった紙から選択肢を書いて、改めて決めてもらって多数決で最終決定してもらうのをお願いてしもよろいしでしょうか?」

 マジか、もうそんな季節か。

 中学三年の一学期、まだどこの高校に行くかも決めてなかった頃、県内にある公立高校のパンフレットを見ていた時に、パラパラと適当に読み流していた手が急に止まった。

 その時、なんで急に手が止まったかはわからなかった。衝撃でも受けたのだろうか。  

 この時の心情が分からないのが、悔しい。何かしらの能力によって過去に戻れたり出来たりしたらいいのに。一瞬だけでも戻りたい、何なら生まれたころからやり直してしまいたい。

「はい、えーっと、案に上がったのが、お化け屋敷、フォトショップ、射的等を主にした祭り、以上でいいかな?

 えー、そして出し物が、ダンス動画、チャレンジ系動画、劇、文芸?あー、多分モザイクアートとかそこら辺かな?あと、短編映画、以上です」文化祭か、体育祭の次に嫌いな行事だ。

 今年、体育祭は練習の時点で、熱射病により、救急車が何台も学校に来てしまったため、二日目の練習で本番中止になった。熱射病になった人には申し訳ないが、本当に救われた。

 大体、LHRの時は、何人かで勝手にグループになって、私語をしているが、相当うるさくならない限り、担任は何も言わない。これだからうちの担任はだめだ。

 というか、そもそも体育祭とか、文化祭を本気でする意味がわからない。こんなのただのレクリエーションであり、一日の授業を減らしてくれる良い機会だ。僕にとってはマイナスの方が多いが。

 そんな話を天沢と二人でしていると、

「どうですか?どこに票を入れるか決まりました?」クラス全員に問うと、クラスメイトは、何も言わずに、ただ首を縦に振った。

 そして淡々と、話が進められていく。結局模擬店はお化け屋敷、出し物は短編映画となった。

「決まりましたね。とりあえず、それぞれの責任者だけ決めておきましょうか。まず、模擬店の責任者をやりたいひとー。えーと、佐藤と森ね。じゃあ、出し物の責任者やりたいひとー。神谷と和泉ね。四人ともありがとう。思ってたより早く終わったから、少しだけ説明するね。まず、模擬店をするにあたって、使って良い教室が、管理棟二階にある計算実習室ね。それと、予算は五千円です。そんで出し物は、一年が七分、二年か八分、三年が十分です。大体このルールで毎年文化祭開いてるから。

 明日から三・四限目以外は全部文化祭準備になるから、その時間中私は指示しないので、責任者に従って行動してください」チャイムが鳴る。

「おっ、ここで1時間終わったので、もう休憩時間入って良いよ。ありがとうございました。」この1時間休憩みたいな感じだったけど、授業が潰れてくれて嬉しい。

 翌日から早速、文化祭準備が始まった。

「佐野ー、短編映画の物語考えてくんね?」

「うん、分かった」そう言って、僕はブレザーの内ポケットから百均に売ってる、小さいメモ帳を取り出し、三ページで一つの話がぎっしり書いてあるノートの中からテキトーにページを開いて、神谷へ雑に渡した。

「はい、これで良い?」別に、文化祭ごときに命をかけてるわけなんかじゃないんだが、幼馴染の神谷に頼まれたら、断れるわけもなく、あっさり承諾してしまった自分を恨みたい。

 神谷のことだからどうせ自分主役にするだろう。あの話は神谷と真反対の性格のやつが主人公なんだ。

「さすが佐野だな。どのページ開いても、話が被らない。やっぱ天才だよ」

「天才とか言うな。才能もなければ、努力したわけじゃないんだ。天から落ちてくるように、ネタが来るだけなんだ。中学の時から言ってるけどな、僕を天才呼ばわりするな」

「分かったよ。すまんすまん」鼻で笑って友達の元へ戻って行った。

 天沢と文化祭へ話を分けてあげれるほどは量がある。渡してやっても、損はないだろう。

 天沢に話やネタをあげる時は、しっかり金は取っている。一つにつき大体五百円前後だ。しかし、今はデスゲームが終わるまでその話一筋だ。最近はあまり金を取れていない。

 僕が中学に入ってすぐ、父が死んでから貧乏になり、収入源が母のパートと、姉のバイトだけ。姉は大学に行っているから、結局、そこまで入ってこない。だから、僕はそこそこ金のある天沢に少しずつもらっていた。

 金がなくても、生きていけることにはいけるが、金があった方が、余裕ができるからかなり楽になる。

 文化祭三日前、模擬店の役割と映画の編集など、長い作業も終わりに差し掛かかり、一日もやっと終わる、と思っていた時、自分の真上から聞いたことのあるブザー音が鳴った。

「なんだなんだ、大丈夫か?」皆が一斉に焦りを見せる。

「火事だ!煙が上がってる!」火災報知器だった。

「火事です、火事です。教室棟一階、科学室にて、火災が発生しました。落ち着いて体育館に避難してください」事務室の人が早口で放送した。

 僕らは、二階の非常階段から一気に駆け降りて、皆は、体育館へ向かった。僕は、トイレに行っていた天沢を一応呼びに行ったのだが、どの個室もカギが閉まっていなく、体育館に避難していることを信じて足を運ぶ。

 天沢はすでに体育館に到着していた。幸い、死傷者はおらず、全校生徒が体育館に着いた頃には、消防車が来て、消化活動を行っていた。

 無事、火は完全に消え、火が他へ燃え移らなかったため、十五分で活動再開することができた。

 しかし、帰りのHRにて、衝撃の事実が知らされる。

「先ほど、小さかったですけど、科学室で火事がありましたね。実は、原因が放火だったのです」おいおい、嘘だろ。校長と警察、消防士が長々と話していた理由がこれだったのか。

 そして、放火と教師が発した瞬間、教室中がざわついた。

「はい、少し落ち着いてください。科学室は、学校の周りにあるフェンスに一番近い教室ですよね?そして、フェンス側の窓だけが全て割れていたんです。今、警察が証拠を掴もうとしてます。現場にはライターが落ちていて、指紋が残っていたのです。

 そこでなんですが、あなた達を疑っているわけでは決してありません。しかし、これは人として許されないことです。なので、君たちの指紋を採取したいのですが、よろしいでしょうか?はい、みんな伏せて、指紋を採取して欲しくない人は手をあげてください。

 もう大丈夫です。今から、採取するので、着いてきてもらいます」そこまで言うと、僕らは番号順に並んで、担任について行った。職員室まで行くと、見たことのないコピー機が入ってすぐのところに置いてあった。

「はい、一人ずつここに手を置いて少し待って下さいねー」警察官にそう説明されると、一クラス五分ほどで、かなりスムーズに指紋を採取できた。

 結果はと言うと、科学の先生の指紋だと言うことが分かった。現在も留置所にて、警察に事情聴取されているらしい。

 だが、科学の先生には、確実なアリバイがあった。

 自分のクラスの出し物で、生徒達の行動をずっと見守っていたらしい。それを生徒全員が保証するのだ。元々、先生がそう言った事をする人ではない。色んな所で生徒から好かれていて、教師として、尊敬されるほど。彼が放火など、するはずが無いと、僕は思っていた。

 だが、警察・検察官はそう甘くなく、生徒に発火直後、本当に先生がその場にいたかと言ったら、正確な時間は分からず、取り調べでは五十代前半の先生を殴る蹴るなどして、半ば強制的に、地獄の底へ追いやったのだ。

 先生は何度も警察へ自身のアリバイを訴えたのだが、奴らは聞く耳すら持たなかった。これだから日本の警察は使えないと最近言われ続けているのだ。国民の税金で、生きていけてるんだ。人の金で働けていると言う自覚が本当にあるのかと思うと、僕はそうには見えない。

 仕事には、必ずしも『客』が存在する。公務員全体にだ。教師からしたら生徒が客、ある企業からしたら取引先が客、飲食店なら利用者が客、小説家からしたら読者が客だ。

 先生だって一人の国民だ。国籍だって日本だし、人権だってあるのだ。給料を払ってくれている人に暴力を振るうなんざ、鬼畜のすることだ。だが、警察だって、金がもらいたくて先生の口から強制的に証拠を出し、起訴しようとしている。

 確かに、警察の気持ちもわからなくはないが、ここまですることなのかと言われたらそうではないと思う。救えることなら先生を救いたいし、もし、真犯人がいるのならば、そいつも捕まえたい。だけど、こんな事件にただの高校生が首を出して良いわけがない。出したら出したで邪魔になるし、先生の味方についても、疑いが増すだけだ。

 それだけは絶対にダメだ。神谷とどうにかして先生を救えないかと考えを出し合っていた時、一つの可能性が僕の頭に浮かぶ。

 もしかしたら、この放火の犯人は、天沢かもしれないと。信じたくはない。だが、天沢ならやるかもしれないのだ。友を疑いたくないし、うちの学校に犯人がいてほしくもない。だが、警察が先生を疑い続けるどうしてもの疑問があった。

 なぜ、先生だけの指紋が残っていたのか。この日、先生は朝七時ごろに学校に来てから一度も校内から出ていない。僕らのクラスで先生の授業があったのは三限目、四限目で模擬店の準備をしている時に発火しているのが発見された直前、先生は、科学室へ続く渡り廊下を歩いていたのを神谷と僕が見た。そこは保証出来るのだが、そこだけ保証したら先生側からして逆効果でしかない。

 結局、警察の強制的な起訴のせいで、先生はずっと暴力に耐えることに限界が来て、自分の口から罪を認めてしまった。

 裁判では、人が多くいる場所での放火ということで、普通なら禁錮五年なのだが、人を殺そうと計画していたのなら、悪逆非道だったとなり、精神異常者でもないと診断され、無期懲役となった。

 即座に先生は刑務所に放り込まれ、刑務所内でも、他の受刑者や、刑務官に暴力や罵倒を受ていた。、判決を言い渡され、刑務所に入って一週間後の朝、このまま死ぬまで働かされるならと、自分でトイレの便器に頭を突っ込んで、午前八時二十分に当時五十三歳だった大島茂光が溺死した。

 この事実は、翌朝のHRにて、担任から言われた。

「えー、単刀直入に言います。以前まで、私たちの科学の授業を担当してくださった大島先生が、刑務所内で自殺しました」他の先生からも本当に好かれてたのだろう。担任は噛み締めて言った。

「マジかよ。俺は絶対先生が犯人だと思わないけどな」この一週間、神谷はこれしか言ってない。

 この日、天沢は学校を休んでいた。どういった理由で休んだのかも、何も知らされてない。

 結局、文化祭は無しになり、学校も今から冬休みが終わるまで、休校になった。

「てかさー、休校中マジで暇じゃね?だって、二ヶ月くらいあるんだろ?何するよ。」

「山登りとか?」

「寒いだろ」笑いながらそう答えた神谷は僕の答えを聞いて、改めて何をするのか考え直している。

「んー、そんじゃあ、天沢も連れて行くか。明後日でいいでしょ?」

「うん、わかった」考え直しても、何も思いつかなかったのか、結局僕の意見に一票入れた。

 二日後、各自防寒対策をして、近くにある標高六百キロメートルほどの山へ登りに行った。

「いやー、運動部でもないし、山登りなんてしたことない俺が、こんな山登れるか?」ヘトヘトになりながら言ったのは、意外にも、天沢ではなく、神谷だった。

「いや、神谷中学の頃、バスケ部入ってたじゃんか」

 中学の頃、クラブチームに勧誘されるほど強かった神谷、いざクラブで練習してみたものの、全国で戦えるほどのチームだ。中学も強豪なわけじゃない。もちろん、練習にはついていけず、入って三ヶ月で辞めてしまった。中学の部活も二年になって飽きたとか言って辞めてしまった。

 当時の母親には何も言われなかったが、父親には、なんだよ、大金だけ出させておいて飽きたとか、調子に乗るなよ、とめちゃくちゃに言われていたらしい。中二の二学期の昼休みに愚痴られたのを覚えている。

「もう二年も前の話だろ。俺にとって、あれ結構後悔してるんだよ」嫌な思い出を蘇らせてしまっただろうか。僕は、神谷に嫌な思いをさせてしまったことに少し後悔して、神谷の言葉を受け取った。

 山登りを始めて三十分が経過し、八割ほどは登っていた。

「結構高いな」天沢は高所恐怖症だ。僕もなのだが、確実に死ぬ高さなら全然大丈夫だ。逆に死ぬか死なないかギリギリのラインが本当に無理。校舎の三階とか、ビルのエレベーターのガラス張りとか、ああいう系統の高さは想像しただけで気絶してしまいそうだ。

 それから約十分、ようやく山頂へ着いた。近くは高速道路のトンネルがあったな。風の音、虫の鳴き声、車が走る音、その全てに共通しているのは、普段聴くものとは違って、静けさがあった。この静けさが山の醍醐味だ。

 一年前はこれを聴くためだけに、一人でかなりの頻度ここへ通っていたな。あの孤独感が当時はたまらなく好きだったのだが、今は少人数でも、少し人の温もりがある、この感じも好きだ。

 ここに居ると、思い出す。まるで、大家族で晩御飯を囲んでいるような安心感。また、通い始めようかな。そう考えながら、小説を書く。天沢は編集部に提出する用の紙に目の前にある街と、自然、上空から見た僕らを描いていた。

 やっぱ天才だな。天沢の、努力では決して越えられないだろう壁を優に超えている。僕が一行書き終わった時点で、天沢は三ページ分描けていた。これを越す漫画が今後出てくるのだろうか。

 未来を予知できているつもりはないが、僕の答えは否だ。どんなに流行った漫画でも、アニメになったり、ドラマになったりするのには一年近くかかるのだが、天沢の場合は、映画化決定まで、半年も掛からなかった。来週から撮影開始らしい。

 天沢からしたら、凄いことではないのかもしれないが、僕ら凡人にとっては、プロレベルと思ってしまう。

「いやー、もう少しで終わるんだけど、オチが見当たらないんだよな。佐野はこの気持ちわかるか?」ずっと動かしていた手を止め、僕に素朴な質問を投げてきた。

「僕は小説だし、あらかじめ内容とオチだけ考えてるよ。天沢は、多分描いてる時にこっちの方がいいなとか、急に設定変えたりとか、してるだろ。僕はそれだと全部見直して書き直さないといけないから、あらかじめ準備してるよ」

「へぇー、じゃあ、佐野がオチ考えてくれよ。全部読んでもらわなきゃだけどね」こいつ、どうなってるんだ。自分の作品くらい自分で考えろよ。

 そう言ってやりたいのだが、勝手に口走ってあっさり承認していた。天沢の話のパターンなら、ループ系が合いそうだ。

「じゃあ、主人公だけ生き残って、次は主人公がデスゲームの主催者になる。こんな感じでいいかな。こんなんじゃダメなら、変えてもいいよ。オチならいくらでもある」

「やっぱ天才だったか。なんで、いつも選ばれないのかが分からないよ」ここで言い返すのも、もう面倒くさい。少し煽っているような口調でそう言った。

「多分だけど、佐野は他と比べて、比喩表現が少ないんだと思う。小説は、文章力、そのキャラクターの印象が命。漫画は絵で勝負なんだけど、言葉は絶対大事なんだよ」最後の二言だけ強く、僕に印象付けるように、そう言った。

「てかさー、なんで佐野の小説はぜんぶハッピーエンドなんだよ」

 僕らが作業に熱中している最中、大の字で目を瞑っていた、神谷が口を開いた。

「まず、バッドエンドだったり、モヤモヤする終わり方って嫌じゃん?でも、僕の人生を変えてくれたと言っても過言ではない本があるんだけど、その本の残念だったところが、最後、主人公の親友が死ぬんだよ。でもなんだろう、僕はスッキリしたんだよね。そこが惹かれたんだと思うけど。でも、ここで親友が生きたら生きたでハッピーエンドだけど面白くない。死んだら死んだで、バッドエンド。作者はこの二択を一晩かけて迷ったんだと思うんだけど、バッドエンドを選ばざるを得なかったんだと思う。僕も、これならバッドエンドを選ぶかな。

 でも、ここで僕は思った事があるんだ。どうすれば良いハッピーエンドになるのか。求めて求めて求め続けて、辿り着いた答えがこれなんだ。正直中身はどうでもいい。大事なのは最初の掴みと最後どう終わるかなんだ」

 僕が小説を書き始めた中一の春、お父さんが死んで、姉は大学に行き、家に金がない頃、ある小説と図書室で出会った。

 僕は小さい頃から本が嫌いで、読書感想文なんてもってのほか、小説に限らず、短編本とかもわざわざ借りて読むほど好きじゃなかった。図書室で借りるとしたら漫画、雑誌だけ。

 だけど、その小説の表紙、題名、全てが僕の何かを惹きつけてきた。気づいたら借りて読んでいる。そして、内容がスラスラ入る。二行読んだら既に次の二行まで進んでいる。自分では気づかなかった。その小説の中に引きづられていることに。

 次の瞬間には、あとがきまで行っていた。ハッピーエンドでは終わらなかったけど、気づいたら時間が過ぎて行くこの瞬間が、僕の中の何かを震わせ、これまた気づいたら、自分で小説を書いていた。授業中も小説、休み時間、放課後、家でも小説のことばかり考えていた。

 僕は、読者にあの体験をしてほしい。気づいたら次の行、気づいたら次のページ、気づいたら次の本。手が止まらず、止められないあの体験をしてほしい。だから、僕は小説を書いている。

 バッドエンドではない小説を。

「へぇー、そんな理由があったんだ。詳しく、いつ書き始めたとか聞いたことなかったからさ」

 書いては話して、描いては話してを繰り返していると、もう十八時、冬ということもあり、空はほとんど黒く染まっていた。

「もうそろ帰るか。だいぶ暗いし、父さんたち心配するだろ」一つ一つ長々な話だったのを切って、神谷がそう言った。

「おっけー、降りるのは早く行けそうだな。神谷、お父さんに一応、LINEしといて」そう言って、神谷と天沢が山から降りようとしていた。

「おい、佐野は降りないのかよ」僕はもともと明日の朝までここへいるつもりだったのだが、すっかり天沢と神谷に言うのを忘れていた。

「いや、僕は明日までここにいるから、先帰ってて大丈夫だよ」

「心配だな。父さんと母さんに泊まってくるって言うから、俺もここに残るよ。天沢はどうする?」余計なお世話だ。僕は一人だった時の気持ちを思い出したいがために、残りたかっただけだ。天沢や神谷を欲しているわけではない。はっきり言って邪魔だ。

「じゃあ、僕も一緒に」

「いや、帰ってくれないかな。一人でここにいたいんだ。確かに、話してる方が、小説は捗るかもだけど、一人の方が集中できるんだよ。だからごめん。今日、明日くらいは一人にしてくれない?」少し強めに言った。こんくらいで言わないと、神谷は引かない。

「分かったよ。じゃ、今日は失礼するよ。じゃあねー」そう言うと、神谷と天沢は小さめのキャリーケースくらい重いリュックを背負って、降りて行った。

 よし、これでかなり静かになった。それから、六時間、僕は休む間もなく、小説を書き続けた。短編小説も書いてみた。新しい物語も一五個くらいは考えてみて、そっから何個か除外して、結局五個にまで減ってしまった。減らし過ぎた、とも思ったが、もうぐちゃぐちゃに上から重ねてしまった。

 大体、僕が物語をメモするときは、ペンで書く。鉛筆やシャーペンだと消しゴムで消せるから、それらでは書かない。間違えたら、上から重ねて線を書くし、たとえ、この案はダメだとなっても、逆にどこかで使えるかもしれないという希望に乗せて、消す事ができないペンで書いている。

 小説を書く際はパソコンなのだが。

 結局、時計の針は一周し、朝六時、一睡もしてないから眠い。眠りたいけど、寒すぎて眠れない。毛布でも持ってくればよかった。持ってきてるのは、飲み物、ウィダー、カロリーメイト、スマホ、財布、ビニール袋、ブルーシートだけ、あとは身に付けている、ニット帽、手袋、ネックウォーマー、パーカー、こんなに着込んできているのに、めちゃくちゃ寒い。

 この寒さで寝れるものか。

「おーい」西から神谷の声が聞こえてきた。

「ちょっと、こんな朝早くに、よく来れたね」何か返そうとしたのだが、喉が詰まって、声が出なかった。

「今来たって、僕は今から降りるんだよ?今登ってきて、今降りるって、だいぶキツくない?」ちょうど荷物をまとめて立とうと思っていた時に来たのだ。これからまた長居するわけにはいかない。寒いし。

「いやいや、それより、佐野さーどうせ寝ずにずっと小説書いてたんだろ?もし、途中で倒れたりしたら誰が救急車呼ぶんだよ」まぁ、ありがたい。神谷に肩を貸してもらえるし、話しながら帰れるし、一石二鳥だ。

 前までは、一人で帰っていたが、ずっと座っていたせいか、足の痺れが酷く、治るまでずっと帰ることができず、三十分は動き出すのに長引いてた。あの時間何も考えていなかったのが、勿体無い。あの時間をもっと有効に使うことができたらよかったのに。

「ねー、昨日帰ってから天沢がどうやったら自分で話考えられるかなーっていいながらネットとか色々使って調べてたんだよ。それで誰だかは覚えてないけど、この世界に存在しない場所の風景画を描く画家とか、漫画家とかいるじゃん?これは、とある有名な画家の話なんだけど、寝る時に手にものを持って、ベットで寝るんだよ。そんで、寝たら力が抜けるじゃん?力が抜けたら手に持ってるものが落ちて、その物音で起きて、直前まで見ていた夢を直前の記憶でスケッチするんだ。

 よく分からない夢を見る時があるだろ?俺は起きたら夢を見ていたかも全部忘れてるけど、そういうよく分からん夢はなぜかよく覚えてるだよ」へー、としか思わなかった。だって別に話を欲しているわけじゃないから。でも、これをしてみたら新しいアイデアが思いつくかもしれない。今度やってみるか。

「そういえばさー、佐野の小説って一人一人の台詞いちいち長いよね。何でなの?」

「んー、例えば、今みたいに疑問を投げるときはだいたい短くなるよね?でも、こうやって説明してたり、さっきの神谷みたいに話してたりしたら長くなるだろ?それに、神谷は僕が小説を書く上で一番大切にしてることは分かってるはずだろ?リアリティとオリジナリティだ。全ての台詞二十文字もいかなかったら、リアリティもクソもない。だから台詞は長くしてるんだよ。台詞が多いほうが、読みやすいんだ。」あまりに急すぎて、話終わるのに三分はかかった。

 神谷の質問攻め、こんなに長く付き合ってるのに、一つも被ったことはない。神谷はそういう無駄な才能がある。でも、こういう才能があるから、誰一人からも嫌われずに友人が出来るのだ。そもそも、人見知りじゃないこともあるが。

 神谷の質問を自分の考えで的確に答え続けて二十分、残り百メートルの看板が見えてきた。神谷には、もう質問は勘弁してくれと言って、僕はメモに神谷が降りるまでに質問してきた内容を書いた。神谷からの質問専用ノートに。

 降りたあとはそのまま、自転車で神谷の家へ向かった。山から十五分ほどで神谷の家に着いた。

「失礼します」

「今日俺しかいないけど」

「え?天沢はどうしたの?」

「なんか、映画監督と話し合いだって。来週から撮影開始って言ってただろ?一週間は帰ってこないってよ。」すごく羨ましい。

 僕は小説を書き終わった後、脳内でその場面を映像化して、違和感がないか調べる。それと、タイプミスなど凡ミスがないかどうかも。その手間が省けるのは本当に羨ましい。

「へぇー、いいなぁ。」神谷に聞こえるか聞こえないかギリギリのボリュームで言った。

 それからは、神谷の部屋でずっと小説を書いていた。

「あ、そういえばさ、この前遥斗から教えてもらったんだけど、この家、地下室があるらしい。俺は行ったことないし、どこにあるかすら教えてもらってないんだけど、遥斗は普段漫画を描く時は、八割地下室を使ってるって。でも、遥斗の部屋ですらあんなに散らかってたら、地下室とか相当ヤバいんだろうな。想像するだけでゾクゾクするわ。見つけても絶対入るなって言われてるんだけど」

 神谷は意外と綺麗好きだ。いつ入っても神谷の部屋だけは埃ひとつない。潔癖症ではないらしいのだが。

「今、親も遥斗もいないし、地下室どこにあるか探しに行こうぜ」

「お前、相変わらずだな。その好奇心。ダメって言われてることやりたくなる性格。小さい頃から変わらんな」言っても無駄だということは分かっているが、言い続けたらなにか変わるかもしれないからずっと言っている。

 しかし、神谷はやろうと思ったらすぐ実行する。この癖は良くも悪くもある。どちらかといえば良い方に軍配が上がるのだろうが。

「とりあえず、天沢の部屋手分けして探すか」分かった、とは言ったものの、天沢の部屋はリビングと同じくらい広い。

 それに、部屋が散らかりすぎている。ゴミを避けながら、タンスの裏や、ベットの横など、二人で色々なところを探したが、それっぽい手がかりはなかった。

 そろそろ神谷も諦める頃合いかと、僕もただ立っているだけで神谷の邪魔もせず、手伝いもせずに続けて、十五分。

「なぁ、この鍵、うちのでも、タンスのでもないぞ」大声で神谷が、僕に向かって言ってきた。そこら辺の部屋に比べたら多少広いのだが、所詮、室内だ。

 外に響いていてもおかしくないほど声が反響していた。

「これ、地下室の鍵なんじゃない?これ使って、鍵全部合わせて見れば、地下室がどこかわかるんと思う」

 まだ朝七時十五分、僕は一睡もしていない。出来れば寝かせてもらいたかったが、僕も、その天沢専用の地下室を見てみたかった。これも単純な好奇心なのだが。

 まずは階段を降り、リビングを回る。流石一軒家なだけある。リビングがアパートに比べて二倍は広い。

「ただいまー」

「え?神谷のお父さん?」

「うん、おかえりー。今日休みだったっけ?」神谷はリビングがぐちゃぐちゃになっているのに気づかず、ずっと家中を探し回っている。同じところを何回も探している姿は、なかなかにシュールで面白かった。

「いや、昨日会社の部下と飲んでてね。俺があまりに酔っ払ってたらしくて、そいつの家に泊めてもらってたんだよ。今日は休みだし、佐野くんも連れてどっか行くか?」

「いえ、大丈夫です。今日寝てないので、もう少ししたら帰ります」ここで僕が口を開かないと、神谷に先に話されたら、僕の了承を得ずに行かなきゃいけなくなる。

「いやいや、昼飯くらい食べていきな。昨日も一日中小説を書いていたんだろ?じゃなかったら寝れないことなんてないだろ」

「はい、ありがとうございます」ここまで言われて断るのは、流石に神谷のお父さんに申し訳ない。

「まだ七時一五分か。まぁ、卓也の部屋でゆっくりしとき」

「はい、ありがとうございます」

 さっき言った言葉を繰り返し使い、僕はその場を後にした。

「あのさ、父さん、この家って地下室あるんだよね?」歩いていた足が止まり、神谷の質問に僕は、驚愕した。

「……おう。ってかそれ誰に聞いた?」言葉が詰まっていたのが、遠くから聞いてもわかる。少し怒りの声も入っているように聞こえた。

「遥斗だけど」多分、神谷は怒られるのを承知の上で聞いたのだろう。

「あいつ、本当に口軽いな」その一言には、以前神谷が自分の父へぶつけた、怒りのトーンが込められていた。

 神谷の声とすごく類似していた。さすが親子だ。

「まぁ、いいや。少しだけ教えたるけど、俺がかれこれ教えたって遥斗には絶対言うなよ。この家はな、確か、遥斗が生まれて半年くらいに建てた家なんだよ。そん時はまだ今の奥さんに不倫してること教えてなかったんだよ。しかも、遥斗と卓也が同じ小学校だったら、いろいろまずい事になるだろ?家は近かったけど、別々の小学校、中学校にしたんだよ。あんときは忙しかったなぁ」疲れてるわけじゃないのだろうが、やけに疲れてるように見えた。

「そんで、俺は担当してくれた建築会社に庭を使って地下室を作ってくれって頼んだんだ。だいぶ金はかかったな。土地ごと買ったもんだから、五千万くらいしたかな。あんまり、はっきり覚えてないよ。そして、卓也が五歳になるまでは、向こうの家と、こことで行き来してたんだよ。遥斗が中学に入った時に、漫画家になりたいって、俺に言ってきたんだよ。あれは今では絶対見れない、輝いてた目だったよ。

 それで、俺が今まで仕事部屋として使ってた場所を遥斗にあげたんだよ。それまで、遥斗が自分の夢を話したことはなかったから、俺は泣いたな。」どんどん話の路線が変わっているのが気になるが、彼が複雑な自分の家族の話を涙を堪えながら語っていた。

 僕は気づくと、神谷の隣で椅子に座りながら長々と話を聞いていた。神谷は、自分の家族のことを聞ける良いチャンスだと思い、父の話を真剣に聞いていた。

 その後も、地下室とは遠くかけ離れていたが、彼の生い立ち、二人の奥さんとの出会い、神谷の名前の由来、なぜ不倫したのか、なぜ神谷を手放したのかを自分から洗いざらい話した。

 彼の話し方は、まるで赤子を寝かしつけるような優しい声で、その時の状況が、脳内で再生できるような話し方だった。

 そして、僕の目には、一粒の大きな滴があった。久しぶりに泣いた。なんなら、他人の話で泣くなど、たぶん初めてだろう。

「おーい、ご飯食べ行くよ」神谷の声で目が覚めた。

「え?」どうやら、神谷のお父さんが話している途中に眠っていたらしい。あまりに落ち着く声だから仕方がない。

「で、神谷はどこに地下室があるか聞いたの?」僕らは神谷の部屋に戻って、神谷は着替えながら、お父さんが話した内容をまとめて話した。

「いや、教えてはもらえなかったよ。庭の真下に地下室があるとだけ。入口とか入り方とかはまったく聞いてないね。父さん、言いたくないことをさりげなく回避するのうまいからな。しかも、俺が気になる話ばかりだったから、止められなくて。まぁ、いいだろ。佐野興味なさそうだったし」

「そんなわけじゃないけど、眠かっただけだし」

「卓也ー、そろそろ準備できたか?もう行くぞ」下から声が聞こえてきた。

「よし、じゃあ行くか」神谷は着替え終わって、小さめのバックを肩に下げながら言った。

 「うん」僕と神谷、神谷のお父さんで、車庫に停められているアルファードに乗った。

 僕が後部座席で、神谷が助手席。

「何か食いたいものあるか?」家を出てから五分くらい経った後、神谷のお父さんが僕らに聞いた。

 ここら辺は何もない。

 最低限暮らしていける、学校、スーパーはあるが、最寄りの駅までは二キロ、コンビニまでは三キロ、本当に何もない。どこをみても、畑か山、汚いドブ川。

 そして、近くのファミリーレストランだったり、ここと比べて、だいぶ栄えているところまでは、八キロ。急いでも二十分はかかる。

 神谷の前の家族とはよくご飯を食べに行かせてくれてたのだが、今の家族誰かとご飯を食べに行くのは初めてだ。しかも、今日初めて神谷のお父さんと言葉を交わした。

 神谷も以前言っていたが、本当に他人にも優しい人だった。人柄がよく、周りからの信頼関係も深い。良い大学を出て、IT企業に就職し、仕事を覚えるのも早く、一気に上り詰め、今はその企業の代表取締役らしい。

 こんな人が何で神谷を捨ててしまったのだろうか。

 それに比べてうちのお父さんは、高卒で、十年働き続けている会社でもいまだに下っ端。仕事を教えるのは得意なのだが、仕事をできるかと言われたらそうではない。共働きとは言えど、お母さんはスーパーのパート。そこまで給料は入ってこないが、何度かお母さん給料がお父さんの給料を越したことがある。

 お父さんだって、仕事をサボっているわけではない。ただ周りより少し鈍いだけ。どうすれば仕事効率が上がるか、どうすれば上まで賭け上がれるのか、どうすれば給料が上がるのか、普通校卒業ながらも、毎晩悩んでいた。

 しかし、最終的にその努力は報われず、過労死してしまった。

 でも、お父さんは僕が知っている人の中で一番優しく、いつも子のことを思ってくれていたと思う。

 他の大人とは違って、どんな夢でも子の願うことを否定せず、陰ながらも応援してあげる

 どれだけ辛くても笑顔を絶やさず、いくらパワハラを受けようが、それを子に見せないお父さんが大好きだった。

 なぜ残されるべき人材が先に取られてしまうのだろうか。

 もう少しでも、親孝行したかったな。だって、この世に全てが完璧な人なんて存在しないのだから

「いや、ここら辺何もないし、別にどこでも良いけど。俺はね」

「別に、僕もどこでもいいです」

「んー、それが一番困るんだよなぁ」笑いながら、困った顔を見せ、僕らに言った。

 結局家から一番近いファミレスまで行った。

「ありがとうございます。ご馳走様でした」神谷の家に着き、僕は自転車のハンドルに手をかけ、鍵を開けた後に神谷のお父さんに言った。

 その後の冬休みも、二日に一回は山に登って小説を書き、一日泊まる。神谷が来たら、その日に帰る。この繰り返しだった。

 やはり、ここに来たらなぜか自分の人生を振り返ってしまう。そしてこう思う。頑なに整った生き方より、感情に流されありのままで生きた方が、自分がここに生きている感じがする。

 僕は泣いた。

 何か泣くきっかけがあったわけじゃない。ただぼーっと、座って小説を書いている。

 世間から見て、こんな高校生がいてどう思うのか、自分の息子がこんなんだったらどう接するのか。そんなことはどうだっていい。

 たとえ、誰にな何を言われようが、思われようが、関係ない。

 ありのままで生きて、本当の感情を表に出せば、とりあえずは生きていける。

 年は明け、二〇二二年元旦、家のチャイムが鳴った。

「はーい」インターホンのスクリーンを見る。そこには、神谷と天沢がいた。

「あけましておめでとう」打ち合わせしていたと思うくらい二人同時に言われた。

「おめでとう」ここで初めて、新年の挨拶を家族にするのを忘れてたことを思い出した。

「天沢は打ち合わせかなんかしなくていいのかよ」

「三日前くらいに終わったからもう大丈夫だよ。撮影も順調に進んでるらしいし」

 なんか、同じ家に住んでる神谷と天沢のことを苗字で読むのはおかしいか。今後は名前で呼ぼう。

「ほら、入っていいよ。こんな寒い中、ずっと外にいられたらこっちも困るし」それまでドアを開けながら、玄関に立っていた遥斗と卓也を家に入れ、自分の部屋に連れていった。

「ずっと思ってたんだけど、卓也は苗字変わらないの?」ずっと疑問に思っていた。正式的に遥斗の家に住むようになってから。

「複雑過ぎて俺もよくわからないんだけど、なんか市役所とか行っていろんな書類を書かなきゃいけなかったらしいから、めんどくさいって言って、ずっと神谷のままだよ。五歳までは、天沢卓也だったんだけどね」親権がどっちに行くだのなんだので、忙しかったらしい。そもそも、卓也のお父さんの仕事も忙しいタイミングで、上手く休みの調整もできずにいた。

「まぁ、俺らやることないし帰るか」そう卓也は口に出し、まだ家に入って三十分も経たずに、二人は帰る準備をしていた。

 別に、うちに来たからって、やることなんかない。卓也はするかもしれないが、僕と遥斗はゲームなんかしないし、遥斗に関しては、他の漫画なんか見ない。そもそもそんなのうちにない。

 遥斗は、流行りの漫画はタイトルだけ聞いて、興味が湧かなかったら、記憶から抹消する。

「うん、気をつけてね」そう言って窓から二人を見送り、僕は部屋で小説を書いた。

 そうか、もう一年経ったのか。毎年こうだ。気づいたら一年が終わっている。

 外に出て、ポストを覗く。ダイヤルを回して開ける。中には十枚ほどのハガキがある。宛名には母の名前だけ。送り主は晩御飯中に母との話の種、愚痴で出てくる人の名前ばかり。

 それらを取って家に入り、リビングのテーブルの上に置いた。

 その後自分の部屋に向かい、小説の続きを書く。これが、毎年の元旦ルーティーン。

 母以外はみんな死んだし、墓に行くだけ。線香に火をつけ、手を合わせて、目を瞑る。特に何も思わないまま、十五秒ほどが過ぎる。

 盆とか、年末年始に母の故郷へ帰った時は、毎回墓参りする。

 誰も住んでいない、ただの廃墟と化した家を見に行く。今年で取り壊されるらしいが。

 翌日の朝「昴ー、十時には家を出るから、準備しといてね」

 姉はすでに準備が終わり、スマホ片手に母と話していた。

 一月二日、祖母が死んでから五年が経とうとしていた。最後まで、僕らの事を思い出せないまま死んだな。姉がまだ小学校に入ってすぐまでは、認知症ではなかったのだが、僕が小学校に入ってから認知症が発症した。

 病院にも通った。介護施設にも入れた。ほとんどの場合、思い出しては忘れを繰り返すのだが、祖母の場合は、かなり状態が悪く、何度自分の娘の話や孫の話をしても、思い出すことはできず、祖母からしたら、誰か知らない人に、誰の話をされているかもわからないまま、死んだ。

 せめて、もう少し話してあげればよかった。そこだけ後悔してる。

 部屋に戻り、小さいバックに、小説とモバイルバッテリー、充電器、スマホ、財布、メモ帳とペンだけ入れて、先に車に乗った。

 九時四十五分に家を出発して、高速に乗り、途中でサービスエリアに寄り、二時半ごろには、宮崎に着いた。

 今年も変わらず、墓参り。もう飽きた。手を合わせたところで世話になった祖父は生き返らないし、母は泣き止まない。

 行ったところで無駄、ガソリン代はかかるし、高速代もかかる。ただでさえ貧乏なのに。

 葬式をするのにも金がかかった。たいして人も来ないくせに。毎回、僕ら合わせて十人くらいの葬式だった。

 そう言えば、明日初詣に神柱宮まで行くとか言ってたっけな。ここから車で三十分くらいの場所にある。

 墓参りが終わったら、近くのホテルに泊まり、朝九時ごろには家を出て、家族三人で、神柱宮まで行った。

 三が日最終日だったが、人はそんなにいなかった。僕は、一円玉一枚に五円玉三枚、十円玉五枚に百円玉三枚をお賽銭箱に入れ、二礼二拍手一礼をして、その場を立ち去り、財布の中から百円玉を取り出し、御神籤を引いた。

 結果は凶。なんなんだよ神って。元から神なんて信じていないが、宗教とかいう馬鹿みたいなやつを信じている奴らとは話にならない。中学一年の時の隣のクラスの担任が、宗教団体に入っていて、生徒を勧誘して退職させられてたな。

 ふと、そんな出来事を思い出した。

 だが、願事をみると、すこし時がかかるが叶う、と書かれており、どんだけかかるのかが知りたいと、心の底から思った。

 ここまではまだ良かったのだが、病気には、信神せよ。誰が神如きを信じるんだよ。

 これだから、初詣とか、墓参りとかはできるだけ行きたく無いんだよ。

 僕の財布からも小銭が消えるし、親の口座からも金が減る。母はスーパーのパートだ。時給制だからそこまで多く入ってくるわけでもない。

 生涯稼ぐ金額が大体二億と聞くが、実際のところはもう少し少ないと思う。

 宮崎は一泊二日で、長崎に帰ったあとは、小説を書くために、また一人で山に登った。冬休みもあと一週間だ。もう時間がない。

 冬休みが明けたら、課題テストはあるし、学校にも行かなくちゃいけなくなる。授業は面倒くさいし、学校だと、小説も書けない。

 メモだけ書いて、家に帰ってから書く。時々忘れることもあるのだが。

 残りの一週間は、以前と同様、山に登って一日中書いては寝てを繰り返し、二日に一回は家に帰る生活を繰り返していた。

 そして一月十日、こんな肌寒かったか、と毎日外に出ていたのにも関わらず、制服の薄さに嫌気がさした。

「皆さん、明けましておめでとうございます。夏休みと同じくらい休みがありましたけど、ゆっくり休めたでしょうか?」そう言えば、冬休みは課題があんまり出されてなかったな。

 急すぎて、元々あった課題に、各教科の問題集などが、何ページかが出されただけ。今回卓也は僕に頼ったりしてこなかった。全部答えを写しているだけだろうが。

 それにしても、最近卓也の機嫌がいい。何があったかは知らないが、卓也の周りに聞けるほど、僕のコミュ力は高くない。

 だって、中学は他と比べて、全校生徒が少ないのに、三年一緒に過ごして、一言も喋ったことがない人もいるくらい。

 正直、この高校に来なくても良かった。本来なら、もっと偏差値の高い高校に行きたかったのだが、人が多くて行けなかったり、中学で僕をいじめてたりした生徒が、その高校の別の学科に行ったりと、行きたくても行けない状況。

 こんな状況に追い詰められ、この高校に来た。多少口コミが悪く、偏差値も高いとは言えなかったが、僕が求める最低条件を達している高校はここだけだった。

 知っている人が来ず、県立高校、普通高校で、家からさほど遠くはない。まぁ、この高校に来て、初めて親友ができたことには感謝している。

 ここでは、いじめも無いし、教師が暴力を振るうこともない。中学の頃が酷かったから、ここがどんなに自由なところかを実感する。

 中学三年の担任には、反対されたが、結局、第一希望は変えずに一般入試を受けた。

 僕が中学に入ってからすぐ、明らかな陰キャラ感や弱そうな見た目のせいか、誰に憧れたのはか知らないが、ダサい髪型を整えながら、金を出せだの、脅されたり、出す金がなかったら、暴力、親の力、仲間がいるだとか、仲間がいない僕みたいなやつを標的に、いじめをしていた。

 でも、こんな僕に対しても、他の人と変わらないような接し方を小学校から続けてくれた、卓也が僕の唯一の救いだった。

 卓也は、起点を聞かせて、相談に乗ろうか、とか、俺が言っとくよ、とか、言ってくれたのだが、余計なお世話だった。

 相談して欲しかったわけでも無いし、あいつらと接していた神谷にやめてくれと言って欲しいとお願いしたわけでも無い。ただ、僕の中では、神谷が神に見えた。

「えー、それでは課題を出してもらって、そのあとはテストなので、休み時間までに、番号順に席を入れ替えといてください」そう担任は言って、学習委員に課題を集めてくれと頼み、クラスメイトは課題を学習委員のもとへ出しに行った。

「おい、俺さー、この英語のスピーチやってきてなかったんだけど」笑いながら神谷が僕に行ってきたが、いや、笑うところじゃ無いから、と思い、教卓の引き出しを指さした。

「なんで書けばいいかな?英語の課題だし、全部英語で書けばいいかな?」最近というか、高校に入ってから、笑わなくなった僕をどうにかして笑わそうとする、卓也の顔を見て、明日までに持ってきます、とでも書いておけばいいんじゃ無い、と棒読みで言った。

「まぁ、とりあえず課題テスト終わったら職員室行くから着いてきてくれん?」

「別いいけど」卓也だけではなく、ほとんどの高校生がこうなのだろうが、どこかに行く時とか、話に行く時に、誰かに着いてきて欲しがる。

 最近の高校生は全員寂しがりやなのだろうか。遥斗もこんなんだ。こいつらは将来一人暮らしできるのだろうか、と心配になる。

 課題テストが終わり、歩いてバス停に向かっている途中、卓也が突然「俺さー、死ぬまでにしたいことが山ほどあるんだけどさ、いつ死ぬかわからないから、明日からやっていこうと思うんだけど、手伝ってくれないかな?」最近卓也がA4のノートに箇条書きで意味不明なことを書いていたのを思い出した。

 あんな必死にノートを取るところを見たことがなかったもんだから、遂に、真面目に勉強し始めたのかと思ったが、まさかこんなことだとは思わなかった。

「内容によるけど、いいよ」僕と遥斗は言った。ほぼ同タイミングで。

 僕だって、死ぬまでにやりたいことくらい、山ほどある。中学の頃に一人でできる範囲のものはやっていたが、複数人いないとできないものも含まれていたので、当時友達がいなかった僕は、できないままで終わっていた。

「そんじゃ、まずやりやすいのは、この三代珍味を食べてみたいってやつならできそうかな」なんだか、意外とありきたりと言ってはなんだが、思ってたより、規模が小さかった。

「うん、そんくらいネットで買えるだろ。なんなら、ちょっと出たところのデパートとかにも売ってるだろうし」とりあえず、的確な答えを卓也に言い、バスに乗った。

 バスに乗って二十分、駅に着いて、バスを降り、駅に入り改札にSuicaを通して、ホームに入る、五分ほど待ったら、電車が来る。四十五分ほど電車に揺られ、電車を降り、ホームから出る。そこから家までは歩きで家まで帰る。学校が終わってから、いつもの手順で帰る。どこかに寄るわけでもなく、ただひたすら足を動かせ、卓也たちと話すだけ。

 もう百五十回ほどは繰り返しただろうか。土日祝は学校がないから、この道を通ることはない。

 この一カ月は、特に何も問題はなく、遥斗の映画は結構順調に進んでて、この調子なら、四月ごろには公開できるそうだ。

「じゃあこの、テストで学年で一位になるってのはできそうじゃないかな?」

「お、おう」まさか、急にこんな難易度が上がるとは思ってなかった。

「佐野は頭いいし、お前に教えて貰えば学年一位なんて余裕だろ」流石に僕を高く見過ぎだ。僕だってこの高校での順位は良くて五位以内、悪くてトップ十位にギリ入らない。

 僕が教えたとて、絶対越えられない壁がある。

 まぁ、僕も久々に真面目に勉強してみるか、と思った。

「そんじゃ、今週の土曜、卓也の家に行くから、そん時に勉強教えるわ。ちなみに、学年一位になりたいのは合計なのか、何かしら一教科をとるのかどっちなのか教えてくれよ」何かしら一つの教科で一位を取るのは簡単だ。百点を取るだけ。その教科だけ本気で勉強すれば学年一位くらい取れる。

 だが、合計は全てにおいて点数を取らないと、高順位は取れない。この答えによっては僕は諦めるしかない。

「えー、とりあえず苦手な英語だけでいってみるわ」ほっとした。これで合計とか言い出したら、諦めて一人でやってろ、としか言えなかっただろう。

 でも、僕の一番苦手な教科だった所は運がなかった。

「わかった。とりあえず学年末の範囲の単語だけ覚えとけ。どうせ、中学の範囲ですらも分からないんだろ?そこは土曜教えるから」まぁ、英語も他の教科と比べたら少し劣るだけで、順位自体はさほど変わらない。

「いや、馬鹿にしすぎだろ。あながち間違ってはないけど」ちょっと笑いが混ざっている声で言った。

 そう言った後の土曜、僕は教える側だが、中学の教科書と高校のワークとファイルを持って、卓也に来てもらい、土日合わせて、六時間ほど英語を教えた。

 多分、地頭は良いのだろうが、ただただ真面目に勉強しなかったのと、先生の教え方が合わなかったからか、点数が上がらなかったのだ。

 何がどうなるからここはこうするの、と教えたら、ワークや問題集をすらすらと解いていった。でも、テストまでは後一カ月ある。

 絶対的な余裕はないのだが、今なら九十点は出せそうだ。

 学年末でダメだったら、次は二年の中間考査、それでダメだったら期末考査と、ミスしても次がある。

 卓也は絶対にこのテストで一位になりたいとは言ってなかった。卒業するまでに一位になれば、その実績は残る。

  そして、凡ミスがなければ、僕が簡易的に作ったテストでは必ず百点を取れるようになった。学年末考査一週間前、ここで、僕が卓也にアドバイスをする。

「いいか、今やってるやつみたいに、問題集をやってると思って、テストすれば、凡ミスとかしないから」

 本来なら、ここで卓也は地頭が良かったってところを本人に言っても良かったのだが、ここで知ってしまったら、こいつは確実に調子に乗る。

 調子に乗ったら凡ミスする。こんなにも僕も努力したのに、ここで変な行動したら、これだけのために使った時間が無駄になる。

 いよいよ学年末考査が始まった。

 英語は二日目、一日目の教科は、この一ヶ月間、全く勉強しなかった教科だ。

 点数を取れるわけがない。

 僕も一カ月英語しか勉強してないわけだ。問題を見ても、あまり答えがわからなかった。

 多分、卓也はほとんど何もかけないまま、一日が終了してしまった。

 そして二日目、一時間目の英語で卓也と僕の努力を発揮することになる。右斜め前にいる卓也をみると、シューペンを持つ右手がすらすらと動き続けていた。

 開始十五分、卓也はもう見直し作業に入っていた。僕はまだ解き終えてないのに、なんであんなすらすら書けるのかが不思議で仕方なかった。

 一週間後、英語のテストが返ってきた。

「はい、有田さん、天沢さん、井端さん……神谷さん、木下さん、来栖さん……佐野さん……」そして全員の名前が読み終わり、テストの解説に入った。

 横にいる、卓也に答案用紙を見せられ、右上に書かれてる点数を見た。驚いた。

 そこには数字で百と書かれていたのだ。その時、僕はまだ、自分の点数を見てなかったのだ。そして、恐る恐る、自分の点数を見る。

 九九点、なんか残念だった。後一点で学年一位だったのに。その点数を卓也に見せる。卓也は自分の答案ばかり見ていた。僕は、間違ってるところを探す。

 文章を書くところの単語にsをつけ忘れていたのだ。なんという凡ミス。まぁ、いい。卓也を学年一位にさせれたのだ。僕の目標はあくまで僕ではなく卓也だったのだから。

 授業の最後に英語担当の教師が一言。

「えー、神谷さんは放課後、職員室に来てください」

「え?俺?」と僕に向かって小声で、自分に指を指して言った。

 放課後、三十分ほど待って、何事もなかったような顔で、卓也が返ってきた。

「お前、遅すぎ。一体なんで呼び出されたんだよ」

「いやー、俺がカンニングしてたと思われててね。今回のテストはどうやら前より一段と難しくしてたらしく、九十五点越えてる人が学年全体で俺とお前しかいなくてさ、席も近いから、いつも五十点以下をとってる俺が難しいテストに限って高得点だったら、そりゃ疑ってしまったってよ。まぁ、やってないってのは完全に証明できたよ。自由に書くところで、俺とお前の回答が全く違ったってので、今回は何事もなく解放されたよ」

 これで僕も巻き添いになったら、と考えると本当に恐ろしい。何もなくてよかった。

「ところでだけど、佐野さー、バレンタインのチョコ何個もらった?」なんかちょっと煽ってるような口調で笑いながら言ってきた卓也に少しイラッときたが、そこは抑えて、僕は言う。

「なんだよそれ。人間が勝手につけた習慣ってのは本当につまらない。大体、バレンタインってのは、ある人が死ん」

「いや、分かってるけどよ?質問に答えてくれよ」僕が、せっかくバレンタインがどんな日なのかを、馬鹿な卓也に教えてあげようと思ったのに、それを途中で止めて自分の聞きたいことへ戻してきた。

 ウザイ。

 別にいいだろ。何個もらったって、もらったのならもらったことに変わりない。事実は変わらない。五十歩百歩みたいなものだ。

「うん、姉に鳥取から送られてきたよ。結構高そうなやつ」

 嘘をつくコツとして、一部本当のことを言うってのがある。今回は全部本当のことだが、嘘をつくときに、事実を少し入れるとばれにくいらしい。

 それはそうにせよ、姉からもらったのは本当なのだが、ただのチロルチョコと、板チョコが何個か。

 もらったんだからいいだろ。

「へー、それだけ?」これまた煽ったような口調で言ってきた。

「もういいわ。お前そういうところ直したほうがいいよ」怒ってるわけなんかじゃない。ただこいつの面倒くさいところを本人に言ったまでだ。

 何も悪くはない。だって、改善して欲しいところを指摘しただけなのだから。

「なになに?怒っちゃった?」マジで面倒くさくなり、多分どこかの何かが切れた。

「うるせぇよ。こんなくだらないことでキレたくはないけどさ、お前マジで面倒臭いよ。お前、遥斗と一緒に暮らしてからなんかおかしいぞ」久々だった。こんな大声出したのは。

 ただただ、こんなことにキレてしまった自分を殺したくなった。

「いや、ごめん」

 同じタイミングで僕らは言った。

 放課後の階段の踊り場だ。人はもう通らない。

「とりあえず帰るか。遥斗も待ってるし」少しでも雰囲気を変えようと、起点をきかした卓也が言った。

 僕は、うん、と一言だけ言って、生徒玄関へ向かった。

 僕は中学から治らない、この性格をどう治せば良いかを考えていた時、なぜこんな卓也が言いなさそうなことを言ってきたのかを、自分なりに考えてみた。

 そして結論づいた答えが、これまた遥斗の仕掛けたトラップなのではないかと思うようになった。

 というか、確信した。そして、靴箱から靴を出す時、卓也に聞いた。

「また、遥斗になんか言われただろ?」卓也に対してキレてるわけじゃない。遥斗への怒りが込められた声で言った。

「おー、さすがじゃん」そう言って、遥斗が待つバス停まで向かった。

「なんでこんな遅くなった?」スマホをいじりながら、少し呆れた声で遥斗が言った。

「いやー、この前言ってた俺のやりたい事でさー、俺がカンニングしてたんじゃないかって疑われてた」

「あーね、ならいいや」なんとか納得してくれたみたいだ。

 しかし、まだ卓也のやりたいことはまだまだ序の口だった。

「えーと、次は、じゃあ、この総理大臣になる!ってやつで」

 いやいや、流石に無理あるだろ、そう言おうとした時、先に口が開いたのは僕ではなく、遥斗だった。

「おっけー、できる事なら協力するよ」なんでこいつはいつも乗り気なんだ。今回のは、たいして協力しなかったくせに。

「いや、お前馬鹿がすぎるだろ。そもそも、今の憲法だと、満二十五歳からなんだよ?後九年はかかるんだぞ?今の聞いてやりたいとでも思うか?」

「いや、これは今後のやつだから」僕の気迫に負けたのか、少し弱気になった。

 こいつは無理あることしか言わない。だから、本来ならこんなやつなんかと関わりたくなかったのだ。

 翌日の朝「総理大臣無理そうだっから、このノーベル賞受賞とギネスにするわ」

「いやいや、さほど変わらんだろ。未成年でも取れるようになったところで、それを考える脳があるなら別だけど」

「言い過ぎだろ」笑いながら言う卓也の顔は少し引き攣っているように見えた。

「そういえば、最近遥斗と話してないよな。俺は、家でも話してないし」卓也は不思議そうに、言った。

「うん、僕にはなんか機嫌が悪く見えるんだよね。僕らから話さないとあいつからはあんまり話さないからね」最近、遥斗の調子が悪い気がする。授業中寝ることが多くなったり、僕らに話しかけなくなってきている気がする。

「そうか、今日昼休みにでも話しかけてやるか」なぜそうポジティブに考えられるのかが僕にとっては不思議に思えた。

 彼の調子が治ったとしても、漫画が描きやすい環境になるのか?まぁ、話しかけてみなければ、何もわからないままだ。

 その日の帰り、駅から家までは、自転車を押しながら歩いて話しながら帰った。

「お前、最近なんか調子悪くないか?体の調子でも良くないのか?」雰囲気の悪かったのを、良くしようと、卓也が質問をした。

「いや、そんなんじゃなくてさ、映画監督との話が合わなくて、少し喧嘩っぽくなったんだよ」そんなことか。

 でも、話が合わなくなったら、映画公開が、延長してしまう、ということらしい。

「それなら、自分の作品だから、自分の考えを最後まで突き通したいとでも言っておけばいいんじゃない?」そう僕は言った。

 だって、自分の作品にどうこう言う人なんか知ったものか。一意見として、面白かったか、面白くなかったかなどを言うのならわかるが、ここをこうして欲しいだとか、ここを無くして欲しいだとかを、読者に言われる筋合いはない。

 僕らが必死に考えた、話を否定するほど頭が回れるのなら、少しはマシな話をぜひ考えてもらいたい。

「うん、とりあえずもう一回話してみるわ。そんじゃ、また月曜ね」そう言って、卓也とともに帰って行った。

 その後は、どんな話を卓也としていたのかは知らない。

 翌日、遥斗からLINEが来た。

天沢:もう、監督と話はついたから大丈夫だよ。今、めっちゃ調子いいから。

天沢:このままいけばもっと良い作品ができそうだよ。

佐野:なら良かった。

 そう送って、卓也と遥斗のLINEの名前を変えるのを忘れていたのに気付き、名前を変えた。

 土曜日の夜、いつもは二十二時には寝ているのだが、火が回っても寝られず、日曜日は寝ずに一日過ごした。

 そして、日曜日の夜、今夜こそは寝てやるぞと、ケータイでYouTubeを開き、睡眠用BGMを枕の下で流しながら寝た。

 意識が薄れていく。


 何もない、白い部屋にいる。しばらく歩いてみる。夢だということは分かっているが、出口があれば、目が覚めるかもしれないと思い、ただ歩き続けた。

 そして、百メートルほど先に全身黒い服を着た人物が立っている。それまで動き続けていた足が突然止まり、その人物が代わりにこちらに向かって歩いてくる。歩いてくる時に、顔を見る。

 三十メートルまで、近くなると顔が見えるようになり、よく見ると、名前は知らない、どこかでみたことのある人の顔にものすごいスピードで変わっていく。

 その顔は、電車やバスの中でよく見かける人の顔だ。動かない体を前へ動かそうとするが、どう頑張っても動かない。動けないのならと、喋りかけようとするが、口が開かない。

 そして、残り三メートルまで近くなったところで、名前も知っているし、いつも話している人の顔になる。

 天沢遥斗だった。

 そして、最後に遥斗の口角が上がり、目が覚める。

 時刻は六時、やはり夢だったと安心する。

 あの夢を見たのは、中学二年以来だった。

 トラウマになってから、しばらく見なくなったのだが、あの時最後に笑っていた人物は、当時名前すらも知らなかった、遥斗だったかもしれない。

 でも、もうあの頃とは違う。ちょっと不気味な夢を見たくらいで、トラウマになるはずがない。

 月曜日はいつも通り登校し、授業を受け、帰ってきた。いつもと変わらない日々だが、何を考えても、あの夢が頭から離れない。卓也と遥斗以外の人がみんな、あのスピードで見たことある顔に変わっているように見えた。

 幻覚ってやつなのか、本当に起ってることなのかはわからないが、とにかく、この現象がどうにも好きじゃない。

 一応、病院には行ったが、何もなく、金の無駄になっただけだった。ずっと、この夢と現象が続き、精神的にやられていた。

 もう、死になくなってしまった。卓也に相談しようと思っていたが、相談できるほど、自分に余裕がなかった。

 何もかも自分勝手に考えてしまう。これだから人間は嫌いだ。

 自分の都合の良いように、物事を考えてしまう。

 人間というのは惨めだ。

 僕がこんな風に生きているのも、惨めで、残酷で、最低な人生だ。

 こんな事思うのも、もうだめだ。数秒後に、死ぬのかと思わせるほどネガティブだな。

 こんなことを考えてしまうほど、初めてやんでしまっていた。 

 本当に参った。これからどうしようか。

 この現象をどうにか治そうと、色んな実験もしてみた。

 一日寝ずにいたり、誰にも会わずにいたりなど、もしかしたら治るかもしれないという可能性を信じてやってみたものの、何一つとして効果はなかった。

 しかし、三月二五日、終了式の日はどうしても学校に行かなきゃいけなく、久々にクラスの人に会った。

 ずっと保健室通いで、しばらく人の顔を見れないでいたが、そのおかげか、人の顔がちゃんと見えるようになった。

 久々に人の顔を見て、感動してしまった。涙は出なかったが、人の顔を見られて、話せる嬉しさに感動した。

 この一か月ほど、人の顔が見えなかったから、体型で誰かを判断して話していたから、一応、みんなに謝ってはおいた。

 僕がみんなからどう思われてるのかは知らないが、今後いじめられないことを祈るしかない。

 無事進学することもできたし、これからできることも増えていくと思う。

 人生まだまだこれからだ。新しい人生を歩んでいこう。




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