4:一方その頃

「神野の奴、日和って逃げ出したんじゃねえの?学校休むとか分かりやすいわ」


 圭太が急に学校を休むようになって二日が経過し、田淵はとてもいい気分になっていた。


「きっとそうだぜ。いい気味だ」

「最近調子乗ってたから、丁度いい釘になったかもね」

「陰キャは陰キャらしく日陰でナメクジみたいに暮らしとけっての!なあ、田淵」

「ああ、その通りだ」


 仲間たちが田淵の言葉に同調して、口々にそう言った。


(やっぱりアイツは嘘をついてたんだ!じゃなきゃ逃げる訳がねえ!)


 田淵の中では、圭太は諸々のでたらめがバレる事を恐れて逃げ出したという事になっていた。むしろそれ以外に考えられなかった。


(陰キャが欲を出して動くからそうなるんだ。ざまあみろ!)


 ひとしきり圭太の事を笑うと、田淵は満足して息を付いた。


(…まあ、今はアイツの事はどうでもいい。問題は、大会の事だ…)


 すぐに思考を切り替える。田淵にとって圭太はもはや眼中になかった。一番の問題は、出場することになってしまった大会の事についてだ。


 地方の大会とは言え、そこそこの大企業が催す一大イベント。ネットでは配信も行われるらしく、大勢の人間に見られることになるだろう。


 そんなところで醜態を晒せばどうなるか、田淵は理解していた。


 レベル3の田淵にとっては、あまりにも無謀すぎる行いだ。


 しかし、今の田淵には薬がある。


(使えばレベル6になれる。それだけあれば、最低限の成績は残せるはずだ…!良い感じに戦って程々の所で退場すれば、それだけで俺はこの状態を維持できるし、『大会で好成績を残した』っていう実績も手に入れることができる。簡単なことじゃねえか…)


 田淵はそう考える。それが田淵にとっての狙いだった。


「他には隠してるみたいだけど、田淵って狐面なんだよな?だったら優勝は当たり前だよな!」

「あれだけ動けるんだから、優勝できなかったとしても上位には入るでしょ!私らの学校からそんな奴が出るとか、マジで自慢になるよね!」

「俺達皆期待してるし、田淵、頑張れよ!」

「…あ、ああ…」


 だが、そんな田淵に容赦なく期待が降りかかった。


 仲間たちだけではない。


 例えば、トイレに行くとき。例えば、自販機にジュースを買いに行くとき。


『狐面だよね?応援してるから、優勝取ってくれよな!』

『頑張れよ、3年生は皆お前を応援してるからよ!』

『先生たちも応援してるからな!』


 と、道行く人たちから期待を向けられる。


 それだけだったらまだよかった。


『狐面ってお前なんだって!?俺の親が、命を助けられたみたいでさ…ありがとう…!本当に

ありがとう…!』

『俺、お前に助けられたんだ。感謝させてくれ。そうだ、飯をおごってやるよ!いくらでも好きなものをおごってやる!』

『私の妹が小学校にいて、狐面がいなかったら死んでたかもしれなかったんです!あの、本当に感謝してます!ありがとうございました…!』


 そんな感謝の声が、一番田淵を悩ませた。


 何も知らない、関係のない人間を騙すのは田淵にとって容易い事だ。


 しかし、ここまで大きな感謝の念を抱いている人間を騙すというのは、後が怖いのではないか、と田淵を怯ませた。もしバレたらどうなるんだろう、と想像せずにはいられないのだ。


 そして、同時に期待が膨れ上がれば上がるほど、同じ恐怖が田淵を襲った。期待を裏切ってしまう事が恐ろしい。


 今自分がどれほど高い場所にいるのか分からないのに、その足場があまりにも不安定な事実だけが自分の目にはっきり映る。


 もう期待しないでくれ!感謝とか知るか!煩わしいんだよ!田淵はそう思わずにはいられなかった。


 それからは、田淵は期待を裏切らないよう細心の注意を払うようになった。学校では常に態度をそれっぽく取り繕ったし、自分が狐面っぽく見えるように設定を練って頭に叩き込んだ。


 冒険者部は恐ろしかったが、それ以上に恐ろしいのは期待を裏切る事だ。二律背反に押しつぶされそうになりながらも、田淵は病的なまでに今の立場に執着し、それをこなし続けた。


 更に、新学期が始まってからは碌に行っていなかったダンジョンにも、週5回通うようになった。仲間も連れずにソロで潜り、剣の修業と称して初心者ダンジョンの一階層をウロウロした。


 ダンジョンに潜る度に、1時間ほどモンスターとの戦闘を繰り広げた。今まで体験したことのないペースでのダンジョン探索に、田淵は心身ともに疲弊していった。


 決して無理はしなかった。怪我なんてしたらそれこそ期待を裏切ることになりかねないからだ。ポーションを買う金もない。報奨金は既に遊びで消えていた。


 そんな日々を過ごすようになり2週間が経過したある休日の事だった。


「悪い、田淵。俺このパーティー抜けるわ」

「…あ?何、抜けるのお前」


 田淵はとあるファミレスに久しぶりにパーティーメンバーで集まっていた。ダンジョンに行くための作戦会議の場として設けた時間だったが、実際はだらだら過ごすだけの時間だ。日によってはこの時間が長すぎてダンジョンに行くのを辞めることもある。


 今日もまただらだらと過ごしていた田淵に、不意に仲間の男がそう言ったのだ。


 実をいうと、田淵は疲れ切っていた。それにイライラしてもいた。ここ最近、何をしても疲れが取れないのだ。


 そんな中での男の発言に、田淵は不機嫌を隠そうともせず尋ねた。


「はあ…理由は?」

「他にやりたいことが出来たんだ。ほら、この間の災害の時、色々手伝っただろ?その時の働きぶりを、救命冒険者っつう特殊な活動してる冒険者グループに見られてたみたいで、スカウトされた。ちょっと、そっちでやってみたいと思ってな」

「えっ、マジ?スカウトされるとか凄いじゃん」

「うわー、良いなぁ。うちら一切声かけられなかったんですけど」

「お前らが指示待ち人間だったからだろ。俺は出来る事探しまくって動きまくったんだから当然だぜ?」

「その言い方、ムカつくー!」


 女二人は怒りつつも、顔を見れば笑顔だ。


 田淵は呑気な二人にとても嫌気がさした。


「で?お前が抜けるのは分かったけど…俺らはどうすりゃいいんだよ。タンクのお前がいなくなったらパーティーとして崩壊するじゃねえか。そこはどう考えてんだよ」

「え?いや、それは…全く考えてなかったけど…別に今すぐ抜けさせろって言ってるわけじゃねえからよ。代わりの奴が見つかるまで…」

「面倒くせえ…どうせやめるんだったら、最初から誘わなきゃよかったわ」


 田淵の言葉に、空気が凍った。


「…! んだよ、その言い方!そりゃリーダーのお前には悪いとは思ってるけど、少しは応援してくれても良くね?俺ら中学ん頃からの友達だろ!?それが前に行こうとしてる友達に言う事かよ!」

「うぜえな!その友達よりも自分の都合を優先させるってことだろうが!お前の方こそ薄情だろ、非常識なんだよ!」


 男は顔を真っ赤にした。そして財布を取り出して金をテーブルに叩きつけるように置いて、立ち上がる。


「そんな事一言も言ってねえだろ…ちっ、もういいよ。そこまで言うならここでお別れだ。じゃあな、田淵」

「勝手にしろ、人の迷惑も考えねえで、何が救命冒険者だ!」


 田淵の言葉に立ち止まる男だったが、すぐに愛想をつかしてその場から立ち去った。


 しばらく悪い空気が流れる。


「…はあ…今日はもうダンジョンどころじゃねえな…仲間を補充しねえと…」


 田淵は呟いた。


「お前らも、誰でもいいからスカウトしてくれねえ?俺も探すけど、すぐに見つかる訳でもないし…」


 二人にそう要請すると、片方の女が気まずそうに手を上げた。


「あー…ごめん。この流れで言いにくいんだけどさあ…うちも辞めるわ。正直冒険者やってるよりもバイトした方がいい気がするし」

「え?辞めるの?だったら私も辞めるわ~」

「じゃ、そういう事で!今までありがとうね、田淵!」

「ばいばーい」

「は?お、おい、お前ら!何考えてんだ、クソっ!」


 あっという間に行ってしまって、田淵は一人になった。


 女二人も、律儀にもお金だけ残している。田淵は金だけが残ったテーブルを呆然と見下ろして、そのまま顔を伏せた。


「…なんでこうなるんだ…?」


 大会まで残り数週間の出来事だった。


 更に、田淵にとって最悪な事は重なった。


「おい、知ってるか?神野の奴、冒険者休学制度使って休んでるんだってよ!」

「マジかよ!?」

「職員室の先生の机に、推薦状が置いてあるのを見たってやつがいるんだ!それに、体育の授業でもすげえ筋肉してたし、案外冒険者として成功してるかもしれねえ!」


 そんな噂が流れるようになったのだ。


 そして、当然のように関連付けられるのは、狐面についてだった。


「もしかして、神野が狐面だったりして…」

「でも、確かに狐面と髪型が似てるかも」

「確かに!でも、だとしたら凄い才能じゃない?たった一カ月であの強さって…」


 元々田淵が狐面ということに懐疑的な生徒も大勢いたため、すぐにそんな推測が広まる事になった。


「うわー、俺、新学期に入ってすぐの頃にすげえ嫌な態度取っちゃったかも…」

「私も、無視しちゃった…」


 と、これまでの自分の行いを悔いる生徒も出てきた。


 田淵はそんな声を聴く度に心をかきむしられるような気分にされた。


(あんな陰カスがあの狐面な訳ねえだろうが!狐面は俺が唯一尊敬する高校生冒険者のカリスマだぞ!ちょっと考えれば分かる事だろうが、頭に脳みそ詰まってんのか!?)


 燃えるような怒りを感じさせる田淵の周囲からは、自然と人が消えていった。


(クソクソクソ、落ち着け、俺!大会だ!大会で活躍すれば全部ひっくりかえせる!神野の奴が狐面な訳はないし、俺は薬さえあれば活躍できる!全部大丈夫なんだ!大丈夫のはずなんだ!)


 田淵はその日、家に帰ると自室に引きこもった。そして、暗い部屋で笑みを浮かべた。


「ひひひひっ…いなくなっても迷惑しかかけねえクズが…!見てろよ、お前の人生滅茶苦茶にしてやる…!」


 携帯を操作して、田淵はとある掲示板を開いたのだった。




4:一方その頃




「…また盗撮か」

「絶対許せない…!絶対の絶対に追い詰めてやるんだから…!」

「確かに、これはちょっとやり過ぎだな」


 綾さんの家に集まった俺は、綾さんとそのお父さんと話し合っていた。


 スマフォには掲示板のサイトが開かれていた。


 そこには俺の写真がデカデカと載せてあった。


 恐らく前回の写真と同じタイミングで、別の角度から撮られたものだった。


 しかも、前回は後姿のものだったのに、今回は顔が映ってしまっている。また、角度の所為か、店の名前である『鈴野』の文字がばっちりと映っていた。


 更に、SNSにも拡散され始めている。理由は画像と同時に貼られた言葉だ。


『最近こいつが、狐面になりきって人を騙そうとしてるwwww 陰キャが調子乗んな』


 という言葉が、話題を呼んでいるらしい。狐面は現在高校生たちの間で伝説の存在として語られているらしく、目を引く言葉だったのだろう。


 掲示板でもSNSでも、罵詈雑言が飛んできている。面倒くさいことこの上ない。


 更に、店の被害もかなりデカい。


『普通冒険者ショップって写真禁止でしょ?店は何してるの?』

『ここ行ったことあるわ。こんな事になって可哀そうすぎる』


 など、既に店の評判にも影響が出始めているようだ。評判や信頼は売り上げに直接関わってくるため、被害額も大きくなりかねない。


「とりあえず弁護士に相談した。冒険者にまつわる開示請求には普通半年程度かかるらしいが、ここまで被害が大きくなると更に短くできるらしい。今弁護士経由でプロバイダと交渉中だ」

「なら、それを待つ他なさそうですね」

「神野君、本当にすまないね。君とはもっと別の形で知り合いたかったが」

「こちらこそです。でも、同じ敵を相手にする仲間って考えると、割と悪い関係ではないと思いますよ」

「そうかもしれない。はは、これからも綾の事をよろしく頼むよ」


 綾さんの父親にそう言われるが、それを聞いた綾さんが父親にジト目を向けた。


「お父さん、私恋愛とかするつもりないから、そういう事言うのやめてよね」

「えっ…いや、確かによろしく頼むと言ったけど、私もそういう意味で言ったわけでは…」


 綾さんは涙目になった。


「私、今だけは夢に突っ走りたいの。だから、無駄なことなんかしてる余裕はない…恋愛も、友情も、青春も、私にはいらない。でも、だからこそ夢の障害になる人は絶対に許さないし、夢の為に一緒に戦ってくれてる仲間に迷惑をかける人も許せない!ねえ、何とかできないかな、圭太君…!私、心底こんな事をする人が憎いよ…」


 …そうか。そうだよな。綾さんはそういう人だった。俺はその言葉を聞いて頭を巡らせる。


 写真には撮った人を特定できるような情報は無いように思える。時間帯もよく分からないし、俺自身が覚えていない。監視カメラには映っていたが、深く帽子をかぶっていたことと、マスクをしていた事もあり特定には至らなかった。その上何も買っていかなかったので、残された痕跡も無かった。


「…流石に証拠もないんじゃ厳しいと思う。ここは開示請求が通るまで待つしかないと思う」

「う~、なんか、もう、歯がゆすぎるよ!この借りは、絶対まとめて返してやるんだから…!」

「俺も同じ気持ちだ…周囲の人に迷惑かけなきゃいいけど…」


 という訳で、一旦その場はお開きになった。


 後日、開示請求はもうすぐ通るだろうという弁護士からの連絡が来た。


 綾さんのお店だけに限らず、武器防具店は冒険者以外は入場禁止となっている。つまり、この写真を盗撮した者も冒険者免許を持っている何者かであるというのは最初から判明していた。


 とはいえ最初は一枚だけだったし、本来なら半年以上はかかる開示請求の時間が、半年に削減されるだけで済んでいたのだが、今回は複数枚、それも顔や店名を出し、更に嘘まで使って明らかに見たものの悪感情を煽るような悪意のある投稿に切り替わった。


 このような事が出来る人間が冒険者として活動しているなど、あまりにも危険すぎる。


 その上、そもそも冒険者は信頼や評判が生死にかかわりやすい職業で、しかも現在の日本の経済を支える一大産業でもある。冒険者への悪質な嫌がらせに対する法整備は当たり前のように進んでいる。


 そういう考え方で、手続きの速度がさらに加速するすることになったらしい。


 請求される賠償金は、俺と鈴野店のものを合わせて数百万にも上る予定だ。盗撮犯にはそろそろ痛い目を見てもらおうじゃないか。


 …さて、という訳でこの件に関しては一旦結果が出るまで保留だ。


 それよりも、まずは目の前に迫っているイベントをどうにかこなさなきゃいけないな。


 『第6回近接術大会』が、ついに目前まで迫ってきていた。

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