Case.防護服
ロッカーから白い防護服を取り出して、研修で習った通りの順番で身に着ける。
ロッカーの扉の内側に付いている鏡を見る。宇宙飛行士の宇宙服のような、あるいは潜水服のようなヘルメットが映っている。外側からは内部が見えないようになっているヘルメットは、個人という区分を殺すと同時に集団の中の一人だと表している。
着用した防護服に不備がないかを確認して、彼はロッカールームから出る。他の防護服と共に車庫へと移動し、車両に乗り込んだ。
研修を終えたばかりの彼は、今回が初めての現場になる。
仕事の内容は、怪物が倒された後の後始末だ。
悪路でガタゴトと揺れる車両内は誰も発言せず、静まりかえっている。少し居心地が悪い。緊張と車両の揺れで胃の辺りがなんとなく痛くなってきた。
車両の動きが止まる。現場だ。
しばらくして、車両のリヤドアが開いた。叫刀を扱う黙士の仕事が終わったのだろう。薬剤の入ったタンクと噴霧装置を背負い、車両から降りる。
若い男の黙士が専用車両の方に戻っていくのを横目に、防護服の彼らは仕事に取り掛かる。
「今回はあまり周囲は荒れていませんね」
防護服の一人が現場を見回した。
「その代わり、と言うのは不謹慎でしょうが……」
別の防護服が噴霧装置を起動させながらその場所に視線をやる。
「助からなかったみたいだな。……うっわ、バラバラじゃねえか」
消毒消毒、と呟きながら薬剤の散布を始めた。
「う、ぅえ——」
防護服の集団の中、一人が俯いている。
周囲の防護服より背丈の低い防護服が、えずいている防護服の背中のタンクをばしっと叩いた。
「あんた新人かい? しっかりしな。この程度で吐いてたら仕事にならないよ! とっとと慣れな。これより酷い現場はいくらでもあるんだから」
「は……はい……」
嘔吐しそうになっていた防護服はゆっくりと顔を上げ、深呼吸をする。
息を吐いて、吸って、吐いて、吸って。
少し落ち着いた防護服は、仕事の手順を脳内で反芻する。
——まず、現場の消毒。消毒が済んだところから怪物の遺骸や人間の遺体を運び出す。遺体の損傷が激しい場合は、分解剤を使用して骨だけの状態にする。
——今回は屋外だから、次は地面に染み込んだ怪物由来の汚染物の除去。肉片などがあれば分解剤を使用。
——最後に再度消毒する。
よし、手順は大丈夫。
「今回は損傷が激しいから分解剤……ですよね、取ってきます」
「おー」
車両に戻り、分解剤が入ったタンクと噴霧装置を取り出す。消毒剤のタンクより軽いそれを持って現場まで移動する。
「持ってきました」
「じゃあ噴霧よろしく」
「は、はい」
分解剤のタンクを地面に置き、噴霧装置を起動する。ノズルから分解剤が霧状になってバラバラの遺体に降り注ぐ。薬剤に触れた遺体の肉が溶け落ち、骨が表出する。少し吐き気を覚えながらも、すべての肉を溶かしきる。噴霧装置を停止した。
すぐ近くで待機していた別の防護服が残った骨を回収した。身元を特定できるものが無かったため、鑑定に回された後に遺族の元へ帰るだろう。
「怪物の方はどうしますか?」
「あっちは別で分解と除去やってっから……早めにここらを消毒しとくか」
「はい」
背中の消毒剤タンクに繋がった噴霧装置を起動させ、消毒剤の散布を開始する。消毒剤の散布はたしか一往復。教本の中身を思い出しつつ、周辺の消毒を一通り熟す。
ふと、何かを感じて振り返る。
「え、」
そこには人間の頭部らしきものが転がっていた。落ちくぼんだ眼窩から、ぎょろりとした眼球が覗いている。
目が、合う。
動けない。
片手に消毒剤のノズルを握ったまま、硬直する。ああ、どうしよう。
防護服のヘルメット部分は外側からは内部が見えないというのに、その視線はまっすぐにこちらの目を見ている。
その視線からどろりと黒く融け落ちた涙はこちらの眼球を目指してじわりじわりと——
「おい、しっかりしろよ新人」
「っ!」
一息に現実に引き戻される。どうやら噴霧装置のノズル部で軽く叩かれたようだ。
「あ、あの……今……」
「ん? ああ、アレか。人間じゃなくて怪物の一部だな」
その場に置きっぱなしになっていた分解剤のタンクを拾い、怪物由来らしき頭部にタンクの中身を撒く。人間の遺体と同様に、怪物の一部も溶け落ちた。
「たまーにあるんだよな、怪物の死体のせいで金縛りみたいになんの」
「そう、なんですか?」
「おう。初現場で災難だったな。今溶かしたとこ消毒したら撤収すんぞ」
「は、はい」
再び消毒剤を散布し、車両へと戻る。他の防護服もそれぞれの仕事を終えて戻って来ているようだった。
全員戻ったところで、車両のリヤドアが閉まる。車両は悪路を戻ってゆく。
あの時見た窪んだ眼窩からぎょろりとした目が頭を過り、首を振って思い出さないように努めた。
**
「え?」
ロッカールームから出てすぐのラウンジ。そこには猫が座っていた。
「え……あの、その姿って」
「ああ、驚かせたか
猫が人の形を取っている。ゆったりとしたシャツからニョキリと顔を出しているのは猫の顔で、手も指が人間のように五本あることを除けば猫のそれだ。
「こ……コーヒー……飲んでもいいんですか……?」
「大丈夫さ」
低く落ち着いた声でそう言って、人型の猫は紙コップに口をつける。が、髭がぷるぷると震えたと思えば紙コップをテーブルに置いた。
「……猫舌
猫は
恐る恐る、根岸に尋ねる。
「は、はい。……あの、根岸さんは、その、……怪物、なんですか……?」
対する根岸の返答は、あっさりしたものだった。
「そうだね、怪物だよ。一口に怪物と言っても、人間と共生できるのもいるってことさ」
まあ、定期的
「共生……」
「そう。僕らが現場で後始末するよう
僕みたいにね。紙コップをテーブルに置く。
「根岸さんはどうしてこの仕事に?」
「この仕事くらいしか就け
開いた手のひらには、肉球がついていた。
「私は物心ついた時からこの姿だったんだ。おそらく、
根岸は目を細める。
「……就職するときには困ったよ。働いてお金を稼が
そう言って根岸は笑った。笑った顔もやっぱり猫だったけれど。
「根岸さん以外にもそういうケースの人っているんですか?」
「僕が知ら
根岸は紙コップに残っていたコーヒーを飲み干した。
「それにしても、初現場で金縛りはきつかったでしょ。はいこれ」
「……これは?」
「お裾分けさ。良いことがあるといいね」
手のひらに載ったのは包み紙に包まれた飴玉だった。
後日知ったことだ。根岸が「東京支部の招き猫」と呼ばれていることを。
東京支部を出て、貰った飴を口に放り込む。どこか晴天のようなオレンジ味がした。
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