怪物
六花ヒカネ
Case.赤島瞬二
よっ! あんま見かけない顔だなぁ。もしかして新人? ……へえ、現場処理班に配属になるから研修、かあ。あー、突然話しかけてごめんな。
オレは
あ、コーヒーのむ? 砂糖とミルクは? ……オッケー! ちょっと待ってな!
ほい、お待たせ。……え? オレがなんでラボに入ったか?
いや、成り行きだよ。成り行き。ほんとはこっちの事情なんて少しも知らなかったよ。
どんなことがあったかって? 長くなるけどいいの?
あの日の事は今でもよく覚えてる。
なんたって朝から最悪だった。
夢見が悪かったんだろうな。汗だくで飛び起きて、目覚まし時計を見ればアラームの三時間前。
夢の内容は忘れたけど、多分、死ぬほど怖い夢だったと思う。もう一度眠る気にもならなくて、汗をシャワーで流してから、その日入れてたバイトまでの時間を、スマホをいじって潰した。
それからバイトの現場まで行くために、普段は通らない近道の路地裏に入って——それがいけなかった。
いたんだよ。角を曲がった先に。
あんなの、それまでの人生で初めて見たね。
硬そうな毛に覆われた、毛むくじゃらの人型。一番近いのは、写真とかでしか見たことないけどヒグマとかかな。あれよりも毛が長い、犬で言うと長毛種か? 体毛の隙間から見える目が爛々と光ってて、生温かそうな息をゆーっくり吐いては吸ってを繰り返している。そんなのがオレの前に現れた。
いやー死んだと思ったね。
だって明らかにやばい。
現代日本の、それも都会のど真ん中で、毛むくじゃらの化け物に出くわすなんて思いもしなかった。もちろん死にそうになることも。
このままじゃ絶対に死ぬ。
そう思って、一か八かその毛むくじゃらの横をすり抜けた。だってそのまま後ろに逃げても背中を見せることになる。そうしたらきっと、毛むくじゃらの爪で切り裂かれることになると思ったから。
それにバイト先にも近づいていたから、店に入っちまえばこっちのものだと思った。そう簡単にはいかなかったんだけどさ。
とにかく逃げた。
路地裏をジグザグに、捕まらないように走った。
途中何度かヒヤヒヤした場面もあったよ。
着てたパーカーのフードが、毛むくじゃらの爪でざくっとやられて裂けた。
あれは危なかった。もう少し深ければ首を切られてた。
それから何度目の角だったかな。
たしか角を右に曲がった後、その先が袋小路だったんだ。
さすがに目の前の壁をよじ登るっていうのは、走りまわった疲れと恐怖のせいでガクガクになった足じゃ、無理そうだった。
万事休すってこういう時に言うんだな、きっと。さすがに死を覚悟した。
後ろには壁、目の前には毛むくじゃら。
オレの人生もここで終わりか。
きっとあの毛むくじゃらの爪。あの黄ばんで、なにかがこびりついた爪でざっくりやられちまうんだろうと思った。
……そのとき? とくに怪我しなかったよ。なんでかって、そりゃ
そう、黄鷺先輩! 会ったことは……お、遠目から? ……そうそう、あの美人な人!
やばいと思った時、袋小路の壁の上から黄鷺先輩が飛び込んできたんだよ。
黒い鞘に黒い鍔、黒い柄の真っ黒い刀に、黒スーツの上下の真っ黒い姿。クールビューティって、黄鷺先輩のためにある言葉だと思うね。
飛び込んできた黄鷺先輩は、着地と同時に持ってた刀で、鞘のまま怪物を横からぶん殴った!
毛むくじゃらはいとも簡単に吹っ飛んで袋小路の壁に衝突して、ぐったりと倒れた。
その後は宇宙飛行士の服みたいなのを着た連中がやってきて、ぐったりと倒れ込んだ毛むくじゃらを、なにかでかい容器に詰めて持っていった。
……そうそう! その時は知らなかったけど、あれが現場処理班だったんだよな。やばい集団かと思ったよ。
え? 違う違う! 今は頼りになる縁の下の力持ちだって知ってるからな!
その間、黄鷺先輩はインカムでなにか連絡をとっていて、喋り終わったと思ったらオレに振り向いた。
「ご無事ですか。——申し訳ありませんが同行していただきます」
残念ながら平和には終わらないみたいでオレは黄鷺先輩に連れられて、でかい白い車に乗せられた。
途中で冷静になって、これって誘拐? 拉致? って思ったけど、移動する間黄鷺先輩が一応説明してくれた。
「本来であれば記憶を消去させていただくのですが……事情が変わりまして。我々の拠点に来ていただきます」
「あの、事情ってなんですか」
「
キョウトウ?
「私があなたに接触してからのようです。このことから我々はあなたが、新たな
モクシ?
「あなたには叫刀を使い怪物を倒していただかなくてはなりません」
なにかやばいことに巻き込まれたなって思ったよ。怪物? キョウトウ? モクシ? わからないことだらけで、今までの日常には戻れないと思った。
連れてこられたのは今オレたちがいるまさにここ。ラボの東京支部だったんだ。
そこで東京支部に所属する黙士の一人で、オレの今の上司にあたる
……そうそう、久我さん。会ったこと無いかな? ちょ〜っとこわい人。あ、オレがこわいって言ってたって久我さんには言わないでくれよ? 頼むぜ。
久我さんは当時からやっぱり威圧感があってさ。学校の厳しい先生みたいだなって思った。
「君が新しい黙士か。名前は」
「赤島瞬二……ですけど」
「叫刀がうるさくてかなわない。さっさと黙らせてくれ。……黄鷺、案内してやれ」
そっから黄鷺先輩に連れられてエレベーターに乗って、ある部屋に案内されてさ。
通されたのは叫刀の保管室。今見ると近未来の建物みたいでワクワクするけど、当時は緑がかった照明とかが不気味に見えてちょっぴり怖かった。
そしてその部屋に入った途端、オレは思わず耳を塞いだ。
だってめちゃくちゃうるさかった。
人の声みたいな、なにかの楽器みたいな、ともかくぎゃあぎゃあギャアギャアととんでもない絶叫で満たされてた。
「——」
黄鷺先輩がオレになにか言ったみたいだったけど、音がうるさすぎて全然聞こえなかった。
オレが聞こえてないって分かると、身振り手振りでオレに前を見るように促した。
前を見ると、機械じみたテーブルの上に刀がポンと置いてあったんだ。
実物の日本刀なんて、その時初めて見た。一般的にイメージされる日本刀と、ほとんど変わらない見た目をしてた。けど、わかるかな、刀の柄、鍔、鞘にかけて、銀色の小さい機械で覆われてたんだ。
ぽかんとしてると、黄鷺先輩がオレの方を向いて、口をパクパク動かしてた。
「——」
じいっと見て、多分「握って」と言ってるんだと思った。刀の方指差してたし。
恐る恐る、本当に恐る恐る、刀に手を伸ばした。絶叫はまだ続いてた。あんなの、人間の肺活量じゃ無理だと思う。
そして、オレがその柄を握った途端、さっきまでうるさかった声がピタリと止んだんだ。
「やはり、ですね」
黄鷺先輩が呟いたのが、声の止んだ部屋にやけに大きく響いたのを覚えてる。
「それは叫刀・
いつの間にか、久我さんがオレと黄鷺先輩の後ろにいた。
「シャクシャクぅ?」
オレは思わず聞いちゃったよ。シャクシャク。シャクシャクだぜ?
その時は久我さんからスイカ食べる擬音みたいな言葉が出てくるとは思わなかったし。なんかちょっとおかしくて、笑いそうになったけど、久我さんが怖かったからなんとか堪えた。
「叫びが止まったなら君は黙士で間違いないだろう。——怪物が出た。仕事をしてもらう」
そんな急に現場に向かわされたのか、って?
あー……オレも詳しいことは知らないんだけどさ。どうも叫刀が叫ぶと、怪物が寄ってくる……らしいんだ。それが本当なのか偶然なのかは分からないんだけどな。
毛むくじゃらに襲われて、助けられたと思ったら連行されて、うるさい部屋で刀掴んで、そのまま初仕事にレッツゴー。
目まぐるし過ぎるよな。オレも研修とか欲しかった。
連れてこられた時の車にもう一度乗せられて、あれよあれよと言う間に初仕事の現場に向かわされたんだ。
黄鷺先輩から、
「叫刀は誰でも扱えるものではありません。まず選ばれなければなりませんから。しかし、あなたは黙士として選ばれたのですから大丈夫でしょう」
って、励まされたけど。オレパンピーだったんだけど。
連れてこられたのは郊外の森みたいなところで、人気はまったく無かった。
そこで車から灼赫と一緒に降ろされて、黄鷺先輩の案内で森のひらけた場所まで移動したんだ。
そこには案の定、怪物がいてさ。怪物もバリエーション豊かなんだな。
そいつは毛むくじゃらよりは細身で、爬虫類みたいな見た目しててさ。後は……頭から角が生えてて、下半身はあれなんなんだろうな。一番近いのは……羽毛みたいなのもあったからニワトリの足?
ともかく爬虫類もどきはゆっくりとこっちに顔を向けて、低く唸り始めたんだ。姿勢もどんどん低くなって、まさに臨戦態勢って感じ。怖かった。
「あの、なんかあいつ怒ってないすか」
「今からこちらが狩るのですから威嚇されるのは当然でしょうね」
「つまりあいつもあの時の毛むくじゃらみたいに爪でガッとやる可能性があるってことすか」
「あるでしょうね」
「そっ……その場合オレはどうすれば」
「叫刀を持った状態であれば身体能力が向上しているはずです。避けて下さい」
「避けろってそんな急に言われても!」
「頑張って」
「いや頑張ってって!」
その怪物は黄鷺先輩には目もくれず、オレめがけて襲ってきた!
焦った焦った!
でも、あの時の毛むくじゃらよりは動きが遅いように見えたんだ。だから身をよじって躱すことができた。
そいつはそのまま転びそうになりながらもこっちを向いて、とりあえずオレはちょっと後ろに下がって距離をとった。
いつのまにやら近くの木の上に移動した黄鷺先輩が言った。
「身体能力の向上にはもちろん動体視力も含まれますから、避けることは難しくはないでしょう。叫刀で倒してください。それが私たちの仕事です」
とは言ってもなぁ。
その時のオレは素人も良いところだし、毛むくじゃらに襲われたばっかりで正直恐怖がまだあったし、どうしたもんかと思った。
手に持った刀って言ったって実はさあ。
「この刀抜けないんですけど! 倒すっつっても、こんな状態でどうすればいいんですか!?」
黄鷺先輩がまた叫ぶように言った。
「当然です。叫刀には通常ロックがかかっています。解除した状態でなければ抜けませんよ」
「じゃあどうしろって!?」
ロックがかかっていて武器として使えないんじゃ、いくら身体能力が上がっても決定打が与えられない。
「ロックを解除するよう申請してください」
「申請!? どうやるんすか!?」
「先ほど渡したインカムを使ってください」
「分りました分りました!」
……ちなみにこれ、全部怪物の攻撃避けながらだぜ。いやほんと、叫刀がなければ何度死んだかわかんねーよ。
そんなわけでオレは抜刀申請をしたんだ。形式も何も知らなかったから、支離滅裂だったなあ、初の抜刀申請。
「あのすいませんやばいんで! 刀を抜けるようにしてください! パパっと! このままだと死ぬんで! お願いしますほんっとに!」
何が何だかわからない状態だったよ。数時間前まではこっちの世界のことなんて、これっぽっちも知らなかったし。そんな状態のオレに倒してくださいとか、わりとスパルタだよな黄鷺先輩も!
で、インカムから久我さんの落ち着いた声が聞こえてきたんだ。
「承知した。赤島瞬二、叫刀・灼赫の抜刀を許可する」
そうしたら持っていた刀の鍔と鞘、そこに被さってた機械みたいなやつがカチッと音を立てた。抜刀許可の状態ってやつ。
そうすると今まで全く抜けなかった刀身が、引き抜けるようになったんだ。スムーズに抜刀はできなかったけど。何せ素人だったから、かっこよく居合! みたいなことはできなかった。
それでも、手間取りながら鞘から抜けたってわけだ。
とにかく攻撃しなきゃ始まらない。
テレビの時代劇で見たように、右上から左下に振り下ろしてみることにした。いわゆる袈裟斬りってやつ。うりゃあ! の掛け声と一緒に斬り掛かってみたけど……。
うん。この一撃を決めて初仕事をかっこよく終えた! ってなればよかったんだけどなぁ。初撃は大いに空振った。目測を誤ったんだ……。間合が届かなかったんだ……!
まぁ、反撃されるよな。なんとかそれを後ろに躱して、もう一回やってみたけどそれもスカ。オレ、剣道とかの経験もなかったし。チャンバラごっことかはちっちゃい頃にやったことがあったくらいで、喧嘩もしたことなかったし。
それなりに優等生な学生生活を送ってたから、荒事には慣れてなくてさぁ。高校の時にでも、剣道部に入ってりゃよかったな。
大いに空振りしまくったけど、何度目かで一太刀入れることができた。
そしたら、すごいな叫刀・灼赫。こいつ火ぃ吹くんだよ文字通り。いや、くっついてる機械が、じゃなくて、刀身から。刀身だけじゃなく、斬ったところからもブワッって発火してさぁ。さすがに燃やし尽くすまではいかなかったけど、怪物も相当痛かったと思うぜ。
それになるほどと思ったよ。たしかにこれはロックかけておくべきものだって。
叫刀を好き勝手振り回したらすごく危ないもんな。
怪物が燃えて弱ったところを、今度は頭を狙って振り下ろした。やっぱり切り口からごうごうと炎が吹き出して、そいつはどさっと倒れた。
これがオレの初仕事だった。
締まらないしかっこよくもない初仕事を終えて、オレはラボに所属することになったんだ。
最初は慣れないと思うぜ、怪物なんてそうそう見るもんじゃないし、見たとしても危ない目にも合うし。
そっちも、あの防護服があったって怖いだろ? 大変だろうけど頑張れよ。
危ない分給料はいっぱい出るし。オレも前のバイト辞めて今はこっち専念してるけど、なかなか収入いいんだぜ。だから、とりあえずなんかあった時はうまい店でうまいもの食べて気分転換してるよ。息抜きの手段を持っておくのは大事だぜ。
……ところでこれはちょっと素朴な疑問なんだけど、オレや黄鷺先輩が怪物を倒した後、防護服の人たちが色々撤収しに来てるけどさ。回収できると判断された怪物はそのまま研究所にまわされるらしいじゃん? 結局、それ以外ってどうしてるんだろうな。知ってる? 研修中だし新人だから知らない? そっかー、まぁそりゃそうだよな。
オレも最後まで撤収の仕事を見たことないからわからないけど。倒されて死んだ怪物は普通に火葬みたいな感じで燃やしてるのかな。まぁいっか。
……ん? ……そっか、これから研修か。頑張れよー! もし現場で会ったらよろしくなー!
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