この度娘が結婚する事になりました。女手一つ、なんとか親としての務めを果たし終えたと思っていたら騎士上がりの年下侯爵様に見初められました。

毒島かすみ

第一章娘の結婚

第1話

「すまないエミリア。僕は君では無いところに真実の愛を見つけてしまったんだ」


 夫ジョンは私の目をじっと見つめながらそう告げた。


 「すまない」と言う割にはジョンのその顔に悪びれた様子は窺えない。むしろ堂々と落ち着いた感じで、無駄に精悍なその顔が無性に腹立たしく感じる。


 そしてまさか、平民のジョンの口から『真実の愛』などという、まるでお貴族様が口にしそうな言葉が出た事に、よくぞまぁ、と思わず感心してしまった。


「で? その『真実の愛』とやらの相手が?」


 私は目を細め、ジョンの隣りへと視線を移す。


「やだ、もう先輩! 顔が恐い、恐い!そんなんだからジョンに愛想つかされるんですよ? 笑って笑って? スマイルスマイル!」


 そう言いながら口の両端をニッと上げる女――


 最近の流行りの服を着こなし、肩に掛かるくらいの赤髪にぱっちりとした赤い瞳の美貌を持つ女。


 そう。この女がジョンの言う『真実の愛』の相手、メアリーだ。そして、私の勤め先の後輩でもある。


「メアリー、あなた、今のこの状況分かってる?」


「え? この状況? だから、ジョンがエミリア先輩よりあたしの事を愛してしまったから、あたしと結婚したいジョンがエミリア先輩に離婚して?ってお願いしてる状況ですよね? あれ? エミリア先輩こそ、この状況理解出来てますか?」


 ジョン同様、メアリーからも悪びれた様子は窺えない。

 困ったように小首を傾げ、わざとらしい疑問の表情の上に、人を小馬鹿にした笑みが重なっている。


「……あなたね……。人の夫と不倫しておきながらその態度は無いんじゃないかしら?」


「え?でも……。エミリア先輩って確か、もうすぐ30歳になるんですよね?」


「それがどうしたっていうの?」


「あたしは、23歳で〜す」


 少女のような愛くるしい笑顔に片目を瞑り、自らの年齢を告げるメアリー。彼女にあって私に無い、『若さ』を私へ見せつけるように。

 私は眉を顰め、苛立ちを込めた低い声を響かせた。


「あなた、一体何が言いたいの?」


 するとメアリーは、あっ、といった表情で私を指差した。


「あ!また恐い顔!やだ〜。 ねぇ、ジョン。 エミリア先輩がまた恐い顔であたしを睨む〜。ジョンからもエミリア先輩に何か言ってやって?」


 メアリーはわざとらしく弱々しい声でジョンの腕にしがみつくが、その顔には勝ち誇ったかの様な薄ら笑いを浮かべ、見下すような目で私を見つめていた。


 ジョンは私の方へ睨むような鋭い視線を向けてきた。


「僕と離婚するのが嫌なのは分かるが、いくらメアリーに詰め寄ろうとそれは無駄な努力だよ。僕はメアリーの事を愛している。君には悪いが、今後僕の愛が君に向く事はあり得ない。原因は君が僕から愛されようとする為の努力を怠ったからさ。君はずっと僕からの愛が自分の方を向いていると思って高を括ってきた。そんな君の怠慢が招いた結果がこれさ。そのツケが今になって回ってきたんだよ。……エミリア。君はこの、若くて美しいメアリーに勝てる要素など何一つ存在しないんだよ。そんなメアリーへ対してそんな強い態度で凄むようなやり方しかできない君はもはや悪女と言う他ない」


 そう言ってメアリーの肩を抱くジョン。私を見るメアリーがこれみよがしにニヤリと笑みを深めた。


 要するに、ジョンは女としての磨きを怠った私に愛想を尽かしたという事らしいが、私とて今やジョンに対する愛情は微塵も待っていない。今さら愛されたいなんて思わないし、もちろん離婚を拒むつもりもない。


 それに何?私が悪女ですって?

 聞いて呆れる。言いたい放題とはまさにこの事ね。




 結婚する前のジョンは毎日のように私に愛を囁いていた。

 先に言い寄って来たのはジョンの方からで、まさに私の事を愛して止まないといった様子だった。

 しかし結婚してからというもの、ジョンが私に取る態度は一変した。


 家事や育児は結婚当初から手伝ってくれる事は一切無く、全て私に任せっきり。

 たまに私が、少しは家の事を手伝ってくれないかとお願いをしても「家事育児は女である君の仕事であって、男の僕がやる事ではない」の一点張り。

 更には「僕は君達家族を養う為に毎日必死に働いているんだ。これ以上僕に働けと?鬼のような女だな君は」とまで言われる始末。

 ジョンの収入だけではと、私だって仕事に出ている身なのにそれだった。

 そんな状況下で自身の女磨き? 一体誰の為に?


 そして最近では毎晩何処かへ出掛けて行くようになったジョン。

 今思えばこの時にメアリーと密会していたのだろうと思う。


 そもそもジョンという男は女の価値を見目でしか見ない。

 仮に私が女磨きを頑張っていたとして、歳を重ねた私はどの道捨てられる運命だっただろう。


「可哀想なエミリア先輩。でも、仕方ないですよね。より若くて、より可愛い女に男が靡くのは極々自然の事ですから。特に、村一番の美女と謳われる私とエミリア先輩みたいなオバサンとでは比較対象にすらなりませんよ」


 『村一番の美女』――メアリーが自身をそう称した通り、確かに、メアリーはこの村で一番の美女として名が通っている。

 

 そんなメアリーと私が一緒に働くようになったのが今から5年前。当時私が25歳でメアリーが18歳だった時だ。


 私はメアリーの教育係として時には厳しく、時には優しく、私なりに愛を持って接していたつもりだった。しかし、上からものを言われる事を極端に嫌うメアリーにそれが伝わるはずもなく、日を追うごとに私へ対して、不遜な態度を極めていった。


 当時の私は自分で言うのもなんだが、男性受けが良い方で、既婚者だったにも関わらず、同じ職場の男性数人からアプローチを掛けられていた。

 正直、私はその状況を疎ましく思っていたのだが、その状況がプライドの高いメアリーの自尊心を刺激してしまう事となった。


 自身の容姿において絶対の自信を持つメアリーは、自分以外の存在に対し、男の視線が向くのがどうしても許せなかったらしく、私に好意を持つと睨んだ男性に対して根も葉もない私の悪い噂を吹き込んだ。

 その後はメアリー自慢の色仕掛けによって、その男性の私へ対する好意はメアリーへと逸れる事となり、そうした結果をわざわざメアリーが私へ報告しにやって来るまでが一連の流れだった。


 『あの人、てっきりエミリア先輩の事が好きだと思ってたんですけどね〜。実はあたしの事が好きだったみたいで〜。なんか、すみませんでした〜!でも仕方ないですよね!エミリア先輩も多少はモテるのでしょうが、さすがにあたしと比べられちゃあ、形無しですからね〜』


 その後、メアリーは自身の心象が悪くならないよう、その男性とは一応恋人同士として立ち回るが、最終的には適当な理由をつけてポイと、メアリーからその男性は捨てられる事となる。そんな事をメアリーは幾度となく繰り返している。

 でもまぁ、そもそも私はその時既に既婚者だったから、メアリーのそういった行動に対して特に何を思う事もなかった。


 でも、まさかメアリーのそんな魔の手が夫であるジョンにまで及ぶとは、さすがの私も驚かされた。

 いくら住む村が一緒とはいえ、元々ジョンとメアリーの交流は全く無かったはずだ。

 メアリーの私へ対するこの執着は一体なんなのか。私への勝ち気が凄すぎる。


 そして今回もメアリーはジョンの事など本気で愛してなどおらず、今はとにかく私の夫を奪い取った事での優越感に浸っているといったところだろう。

 

 そんなメアリーの色仕掛けにまんまと落ちたジョンが、今こうして私に離婚を突きつけてきた、というのがここまでのあらましだ。

 

 そして今、ジョンとメアリーと対面するこの場面で、私の隣から少女の声による怒号が響いた。

 

「――黙れ! クソブス!」


 私の隣りから一直線にメアリーを睨みつけるのは10歳になる娘アリアだ。


「な、このあたしにブスですって!?」


「あんたみたいな性悪女なんかより、お母さんの方が100倍可愛い!!」


「こんのッ、クソガキがぁ――」


 メアリーは赤目を見開き、怒りからまるで悪魔のような顔つきでアリアに向かって平手打ちの構えを取った。


「――ッ!?」


「やめなさい。 私の娘に指一本でも触れてみなさい? 殺すわよ?」


 私は振りかぶったメアリーの手を掴み、殺意を込めた目でメアリーを睨んだ。


「…………」


 私から出る本気の殺意に怯んだのか、メアリーはやや眉を下げ、表情を歪めた後、私から視線を逸らした。そして私はジョンの方を向いた。


「分かったわ。あなたからの離婚の申し出、喜んで受け入れるわ。その代わり、アリアが成人、もしくは結婚するまでの養育費はちゃんと支払ってもらいますから」


 私がそう言うと、ジョンはゆったりとした動作で顔の前で両手を組むと、その上に顎を乗せ、口を開いた。


「僕は平民だ。そんな金は無い」


 ――バカが。


 まるで貴族のような素振りからの、自分は平民だ発言。バカ過ぎて清々しくすらある。

 

 この2人には何を言っても無駄だと思った私は娘のアリアを連れて家を出たのだった。


―――――――――――――――――――――

作者より

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