第58話 青猿(9)
蜥蜴の背中が曼珠沙華の花のように開き、そこから地獄から助けを求める亡者の如き白い腕が揺らめきながら伸びてカワセミとウグイスを襲う。
二人は、翼を大きくはためかせ、腕の攻撃を交わすもそのあまりにも早い動きに皮膚が裂かれ、羽毛が千切れ、身体中を赤く染める。
カワセミは、緑色の魔法陣を展開し、風の刃を生み出して百の腕に放つ。しかし、風の刃は微風のように腕をすり抜けるだけで切り傷1つ与えない。
ウグイスは、両手の翼を大きく羽ばたかせ、空に舞い上がり、水色の魔法陣を展開する。
大気の水分が結合し、形成し、100を超える
そのさらに上空を飛ぶカワセミが緑の魔法陣を展開する。風が舞い、水の
その下にいるのは無限の手で構成された白い蜥蜴・・。
「貫け!」
カワセミの声と共に風が
蜥蜴の背中から無数の手が伸びて一瞬の内に全ての
カワセミとウグイスの顔に驚愕が浮かぶ。
蜥蜴は、器用に
ウグイスは、水の魔法陣を消す。
無数の手が伸びて2人に襲い掛かる。
カワセミは、上空に舞い上がり、ウグイスは、翼を大きく羽ばたかせて身体を捻って旋回しながら、両の手に小さな水の魔法陣を展開し、水の双剣を作り出すとそれを持って身体を回転させながら切りつける。しかし、刃は欠片も通らず、逆に折れてしまう。
カワセミは、緑の魔法陣を展開し、突風の風を生み出して壁を作って猛攻を防ぐ。
「埒があかない!」
ウグイスが苛立ち叫ぶ。
「オモチ様の準備が終わるまでだ」
カワセミは、術を変化させ、風の塊を作り出し、風圧で手を弾き飛ばす。
地面ではオモチが巨大な魔法陣を展開し、大きな白い手を動かしながら術を組み立てている。
「でも、このままじゃアケが!」
蜥蜴の腹の下ではアケが吊り上げられるようにぶら下がっている。本来の目のある部分から手を吐き出し続け、痛みと苦しみに呻き、悶える。
ウグイスは、奥歯を噛み締める。
「俺たちに出来ることは少しでも
蜥蜴の執拗な攻撃を交わしながらカワセミは叫ぶ。
ウグイスは、悔しげに表情を歪ませ、黄緑の瞳に怒りを激らせる。
ウグイスは、両の翼を大きく広げ、手のひらを上に掲げる。その瞬間、巨大な水色の魔法陣が展開する。
ウグイスは、魔法陣に持てる魔力を全て引っこ抜かれるような感覚に襲われ、口から血が溢れる。
「ウグイス!」
カワセミが叫ぶ。
「うるさい!」
ウグイスは、怒鳴る。
百の手が魔法陣に気づき、襲い掛かろうと空を伸びる。
ウグイスの周りに無数の水滴が現れ、魔法陣の上に昇っていく。
「私なんかの術じゃ幾ら攻撃してもダメージなんて負わないんでしょ?」
襲いくる手の攻撃をカワセミが作り出した風の壁が弾いていく。
しかし、あくまで弾くだけ。
手は連打を繰り返し、風の壁を打ち、破壊していく。
黄緑色の魔法陣の上で水が集結し、結合していく。
ウグイスの身体が震え、黄緑色の羽毛が剥がれるように落ちていく。
苦悶に満ちた表情には笑みが浮かんでいた。
「カワセミ、もういいよ」
ウグイスの頭上には物質化した四角い水の塊が浮かんでいた。
「術はダメでも物理的な重さはどうかな?」
ウグイスは、口の端を釣り上げる。
カワセミは、術を解き、ウグイスから離れる。
「アケを潰したら許さないからね。しっかりと支えなさい」
水の魔法陣が塊の表面に張り付く。
その瞬間、支柱を失ったように水の塊が落下する。
風の壁を破壊しようとしていた百の手が迫り来る巨塊を防ごうと手を伸ばす。
地面が砕けるような轟音が空中を走る。
百の手が大理石の柱のように互いを重ね、捻りあって水の塊の落下を防ぐ。その姿は前衛的なオブジェのようだ。
ウグイスの表情に絶望が走る。
腕の柱の表面から細い腕がイソギンチャクのように伸び、ウグイスに襲い掛かるとする。ウグイスは逃げようとするも魔力と体力を使い果たし、動くことが出来ない。
腕がウグイスに襲い掛かろうとした瞬間、風が巻き起こる。
ウグイスに襲い掛かろうとした腕が殴られたようにひしゃげ、潰れる。
ウグイスは、黄緑の目を開いて驚く。
水の塊の上でカワセミが巨大な風の魔法陣を展開する。
「妹の努力を無駄にするな!」
カワセミの水色の瞳が滾る。
緑の魔法陣の表面が大きく震える。
その瞬間、雷鳴のような轟音が響き渡り、水の塊が勢いよく落下する。
腕の柱が気味の悪い音を立てて潰れ、ひしゃげていく。
風の魔法陣がから放たれた圧縮された空気が水の塊を磁石がぶつかり合うように押し付けたのだ。
腕の柱が潰れ、水の塊が蜥蜴の背中にぶつかる。
その衝撃に大地がひび割れる。
蜥蜴の顔に苦悶が浮かぶ。
「カワセミ!」
ウグイスが声を荒げる。
その身体は、もう浮力を保つのがやっとだ。
「心配するな!俺らの攻撃ぐらいで巨人は倒せん!」
何とも情けない言葉だとカワセミは、自虐的に笑う。
しかし、事実だ。
自分たちの攻撃などで
しかし、それでいい。
自分達が巨人をどうこうする必要はない。
自分達に必要なのは時間稼ぎ。
そしてその行為は、十分に満たすことが出来た。
空気が冷える。
雨となって降り注いだウグイスの
「助かった・・・」
オモチは、両手を合わせる。
白い、複雑な紋様の書かれた巨大な魔法陣が陽光に当てられた新雪のように輝く。
「後は、僕がやる」
オモチの言葉にカワセミは、頷くとウグイスを抱き抱えてその場を飛び立つ。
風が止み、上からの圧が消えた蜥蜴は、再び百の手を伸ばし、水の塊を掴んで投げ飛ばそうとする。
しかし、水の塊を掴んだ瞬間、動かなくなる。
いや、違う。
動けなくなる。
蜥蜴の周りを小さな光の粒が舞う。
光の粒は、星屑のように光り、揺らめきながら川となり、蜥蜴の身体を輪となって周回する。
光の粒が蜥蜴の肌に触れる。
そこを中心に霜が凍てつき、広がっていく。一箇所だけではない。蜥蜴のありとあらゆる箇所に光の粒が触れ、その度に霜が走り、広がっていく。
「
カワセミは、目の前で起きている現象に身を震わせる。
その間も光の粒は、音もなく蜥蜴の身体に触れ、凍てつかせる。
蜥蜴は、百の手を振るって光の粒の川を消し去ろうとするがその手が逆に凍りつき、そのまま樹氷の枝のように固まる。
「幼体で良かった」
オモチは、赤い瞳で凍てつく蜥蜴を見る。
「成体になったら僕の手には負えなかった」
白色の魔法陣が波打つ。
その中心から現れたのは
白い毛に覆われた腕は、思い切り腕を伸ばすと地面に5本の指を突き立てる。その指を中心に地面が凍りついていく。
そして次に魔法陣からは現れたのは白い毛に覆われた黒い顔。
鼻と口はない。
ただ、のっぺりとした表面にランタンの灯りのような2つの眼がついているだけ。
しかし、その目があまりにも不気味で恐怖を煽る。
「
カワセミに支えられたウグイスが声を震わせ呟く。
ランタンのような目が凍てついていく蜥蜴を捉える。
オモチは、赤い目を激らせ、大きく柏手を打つ。
危険を感じ取っとのか、蜥蜴が身震いをして動こうとするが
線は、完全に開き、顔全体が巨大な顎と化す。
顎の中、顔の中央で白い炎が燃え上がっているのが見える。
「凍てつき燃やせ!」
白い炎が
全身を白い炎に包まれた蜥蜴は、絶叫の代わりに全身を構成していた無数の腕を解け、狂うように悶えた。
白い炎に焼けて蠢く様はまるで地獄に堕ちた亡者が焼けて苦しむ様に酷似し、空から見下ろすハーピーの双子に震えさせた。
無数の腕は、白い炎に焼かれているというのに燃えない。それどころか霜の上に覆い被さるように氷が走り、包まれ、凍てついていった。
そして全ての腕が凍りつき、珊瑚のオブジェのような姿になると白い炎は消え去る。
凍りついた腕にヒビが入り、亀裂となって全体に走っていく。
そして風に吹かれた土塊のように音なく崩れ去り、跡形もなくなった。
そして残されたのは茜色の着物を着た空を見上げるように首を上げた黒髪の娘・・アケであった。
アケは、身体をふらつかせ、そのまま凍りついた地面に倒れ込む。
「アケ!」
ウグイスは、叫ぶとカワセミを振り解き、翼を大きく羽ばたかせて急降下する。
庭の隅に隠れていたアズキも慌てて駆け寄る。
ウグイスは、地面に降り立つとアケに近寄り、凍てついた地面に倒れ込むアケを抱き起こす。
アケは、蛇の目を閉じ、力なくウグイスに身体を支えられる。いつも黒い布で包まれていた本来の目のある部分は分厚い白い霜で覆われていた。
「応急処置だ」
柏手を打つ音と共にオモチの声は聞こえる。高いがその声には力がない。
白い魔法陣が輝き、
そのランタンのような目がじっとアケとウグイスを見る。その目が何故か笑っているようなウグイスには見えた。
そして現れたのは・・。
ウグイスの表情が驚愕に固まる。
そこに立っていたのは見る影もなく、針金のように痩せ細った白兎、オモチの姿であった。
「体力と魔力を根こそぎ持ってかれた」
オモチは、その場に力なく膝をつく。
「いいダイエットになったよ」
その場に倒れ込みそうになるのを急降下してきたカワセミが慌てて支える。その身体は、非力なハーピーを持ってしても軽すぎた。
蛇の目が震え、目が開く。
「ウグイス・・・?」
アケが呟くとウグイスの表情が歓喜に輝く。
「アケ!」
ウグイスは、アケの身体をぎゅっと抱きしめた。
アケは、何が起きたか分からず呆然としながらもウグイスの体温の温かさを感じて表情を綻ばせる。
遠くから雷が落ちるような轟音が聞こえた。
4人と1匹は、同時に音の方を向く。
その音上げている主達が誰であるかは口にしなくても分かった。
「主人・・・」
アケは、身体を起こしてふらつきながらも立ち上がる。
「ダメだよ動いたら!」
ウグイスが慌てて止めに入る。
「そうです。その封印はあくまで塞いでいるだけ。ちょっとした衝撃で壊れてしまいます」
カワセミに支えられたオモチが息を切らしながら言う。
「壊れたらもう塞ぐことは出来ません。王が封印を取り戻すのを待ちましょう」
アケは、オモチの変わり果てた姿に驚くも理解する。そして自分の顔に張り付いた霜を触る。固いが頼りないのが分かる。これでは数時間も持たない。いや、下手したらすぐに壊れてしまうかもしれない。
しかし・・・
アケは、よろける身体を奮い起こす。
霜の欠片が粉となって落ちる。
「主人の・・・ツキの元に行く」
アケは、足を一歩前に進める。
「主人を・・・1人になんてさせない!」
アケの蛇の目が力強く震える、
その決意の表れにウグイスは、小さく息を吐いて笑う。
「仕方ないな」
そう言ってウグイスは、ボロボロに傷んだ翼を広げる。
「じゃあ、行こうか!」
ウグイスの言葉にアケは、大きく笑みを浮かべて頷いた。
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