第52話 青様(3)
お昼ご飯を終えてアケは、厨に戻って洗い物を終えると梅をたくさん乗せた笊を持って外に出る。その後をアズキが短い足を動かして追いかけてくる。
澄んだ青空の下に出ると幾分か心が晴れる気がする。
アケは、ガーデンチェアに腰を下ろし、丸テーブルの上に笊を置く。
アズキは、アケの足に頬を擦りつけ、そのまま地面に伏せて寝てしまう。
薄く紅のさした鮮やかな黄緑色の梅たちが戯れ合うように笊の中で転がる。その姿はお腹いっぱいになって縁側でゴロゴロしているウグイスに似ていてアケは、小さく笑った。
アケは、笊の中に入れておいた串を右手に、梅を左手に持つと串の先で梅のヘタを取っていく。取れたヘタは、瓶ならばポンっと小気味の良い音を立てそうな勢いで飛んで草の中に落ちていく。梅を握っている手には品の良い香りが染み込んでいる。
アケは、黙々とヘタを取り続ける。
料理の仕込みをしている時は、どんな時でも、それこそ白蛇の国の屋敷で孤独に生活していた時ですら幾分かの安らぎを覚え、自然と鼻唄を歌っていたのに、今日は鼻唄のメロディも思い付かず、気持ちに昨日までのような重い雲が心を覆っていた。
全ての梅のヘタを取るとアケは、アズキが起きないようにゆっくりと立ち上がって厨に材料を取りに戻る。ナギが用意してくれたお酒と氷砂糖、そしてガラスの瓶を2つ両手に抱えて梅の待つテーブルに戻るとウグイスが座っていた。
ウグイスは、また勝手に作り置きの煎餅を見つけ出し、パリッと音を立てて食べながらアケに手を振った。
そんなウグイスの様子にアケは、肩を竦めて苦笑いする。
「そんなに食べたら太って飛べなくなるよ」
梅のようにパンパンッに太ったウグイスの姿を想像しながらアケは言う。
「ハーピー は、太らないの」
ウグイスは、煎餅を食べ終える。
「それに飛ぶのって物凄く体力使うのよ。だから栄養を蓄えないとダメなのよ」
そう言って懐に手を突っ込み、煎餅をもう1枚取り出す。
食べ物を仕舞うところじゃないんだけどなあとアケは思うも突っ込まなかった。今度、着物を作る時はウグイスのだけ食べ物の油対策をしないとと心に誓う。
「ところで何作ってるの?」
ウグイスが黄緑色の目で興味津々に梅や材料を覗き込む。
アケは、両手に抱えた荷物をテーブルの上に置く。
「梅酒と梅の
しかし、ウグイスの顔は暗くなる。
「お酒嫌い」
そう言って可愛い舌を出す。
「私も得意じゃないわよ。梅酒は主人やオモチ、アヤメ用ね」
「ふうん」
ウグイスは、細い指先で梅を弄る。
「アケって何だかんだでアヤメにもしっかりご飯用意するよね」
ウグイスに聞かれ、アケは、困ったように蛇の目を反らす。
「本人は、自分には食事はいらないって言うんだけど・・やっぱり一緒に住んでるならご飯は皆で食べたいじゃない。それに栄養としてはいらないみたいだけど食べるのは好きみたいだし・・食べてくれるのは嬉しいし」
アケは、恥ずかしそうに頬を染めて俯く。
勝手に恋敵認定をし、普段は嫉妬三昧なのにそれでも相手の喜ぶご飯を作る。非常にアケらしいとウグイスは思い煎餅を齧る。
「梅の
そう聞いた途端、ウグイスは、再び目を輝かせる。
「カワセミは、どっちが好きかな?」
「真面目だからお酒なんて飲んだことないよ。面白いから今度飲ませてみよう」
ウグイスは、実兄が酔っ払った姿を想像して喉を鳴らして笑う。
それから2人は、たわいもない雑談をして盛り上がる。大概は、2人でいることが多いから話題もお互いが知っていることが多い。畑を耕していたら見たことのない大きさのミミズが出たや、空を飛んでいたら渡り鳥の雛を見つけたや、分水嶺の近くで季節の花が咲き誇っているなど、それでも2人で話しているとそんな何気ないことがこの上なく楽しいエピソードとなった。
アケは、話しながらも梅酒、梅の
ヘタを取った梅を2つの瓶に交互に入れる。
その間に挟むように氷砂糖を入れていく。
ウグイスは、氷砂糖に非常に興味を示して何度か盗み取ろうとするもアケの蛇の目の視野からは逃れられず、その度に怒られる。
梅の
「アケ。国が心配?」
ウグイスの言葉にアケの手が止まる。
その反応が答えだ。
「やっぱりね」
ウグイスは、パリンっと前歯で煎餅を割る。
アケは、蛇の目で上目遣いにウグイスを見る。
「なんで分かったの?」
「何となくね。友達だからかな?」
ウグイスは、口元に付いた破片を指先で弾く。
友達・・・。
何て胸を温かくしてくれる言葉なのだろう。
「でも、アケ。あの金髪坊やのことなら幾ら心配してもいいいとは思うけど、国のことまで心配しなくてもいいんじゃない?」
ウグイスの言葉にアケは、蛇の目を丸くする。
「冷たいようだけどあの国には、アケに心配される価値はないよ。アケが今までされた仕打ちを考えればね」
ウグイスの言葉にアケは、蛇の目を伏せる。
アケの脳裏に蘇るは家族にも使用人にも誰にも愛されなかった孤独な日々。
唯一、自分を慕ってくれたのは金髪の少年。彼のことは今だって、これからだって大切に思える。
しかし、国は?
アケを冷遇し、無関心を徹底し、腫れ物に触れるように忌避してきたあの国は・・。
「嫌い・・」
アケは、ぼそりと言う。
「白蛇の国なんて大嫌い。いい思い出もないし、戻りたいなんて少しも思えない」
アケの唇が、肩が、蛇の目が小さく震える。
「あの国に戻るくらいなら死んだ方がマシ・・」
「アケ・・」
ウグイスは、煎餅をテーブルに置くと、すっと椅子を動かしてアケの隣に移動するとその震える肩にそっと手を置いた。
「でも、白蛇の国と青猿の国が戦争するって聞いた時、お腹が冷たくなったの。恐怖が身体中を走ったの」
アケは、震える手を合わせてぎゅっと握りしめる。
「国が無くなるかもしれない、お父様、お母様、お兄様達が殺されるかもしれない。何の罪もない、見たこともない人達が殺されるかもしれないと思ったら怖くて怖くて仕方ないの・・」
アケは、ウグイスを見る。
ウグイスは、何も言わずにアケの肩を摩る。
黄緑色の羽毛が風に揺れるように動く。
「私・・・変だよね。嫌いなのに白蛇の国に無くなって欲しくないの。お父様、お母様達に死んで欲しくないの。どんなに嫌われても、憎まれても生きていてほしいって思うの」
アケの蛇の目からうっすらと涙が溢れる。
ウグイスは、そっと両手を伸ばしてアケの頭を自分の胸に沈めて抱きしめる。
「変じゃないよ。アケは・・とても優しくていい子だよ」
その瞬間、アケは、嗚咽し泣き出した。
ウグイスは、優しく抱きしめてアケの背中を摩った。
アズキが目を覚まして顔を上げる。しかし、ウグイスがアケを優しく抱擁してるのを見て安心して眠りについた。
一頻り泣くとアケは、ようやく落ち着いてウグイスの胸から顔を上げる。
「落ち着いた?」
ウグイスが訊くとアケは恥ずかしそうに頬を赤らめて頷く。
「うん・・・なんかいつもごめんね・・」
アケは、モジモジと両手の指を絡める。
「でも・・・凄いすっきりした」
「そりゃ良良」
ウグイスは、笑う。
アケもつられて笑った。
そして忘れてた、と言って仕込み途中であった梅と氷砂糖の詰まった瓶に酒を注ごうと蓋を開けようとする、と。
「いたっ」
アケは、小さな悲鳴を上げる。
「どうしたの?」
ウグイスが驚いて目を大きく開く。
瓶の蓋を握ったアケの手からうっすらと赤い血が垂れる。
「瓶の蓋で切っちゃったみたい」
アケは、顔を顰めて切れた指を見る。短い線が指先を走り、血が滴る。
「ちょっと包帯持ってくるね」
ウグイスは、慌てて立ち上がる。
「お願い・・」
2人がそんなやりとりをしていた時だ。
アズキは、ぱちりっと目を覚まし、アケの膝に飛び乗る。
突然のアズキの行動にアケもウグイスも驚く。
アズキは、アケの血に濡れた指先をじっと見ると身体を伸ばし、アケの手を自分の背中の上に乗せるような姿勢を取った。
「アズキ?」
その瞬間、アズキの身体が燃え上がり、背中に乗せられたアケの手ごと炎に包まれる。
「何やってんのー!」
ウグイスは、悲鳴を上げて水の魔法陣を展開する。
アケも突然の事に声を上げられなかった。
しかし、アズキの炎はすぐに収まる。
あれだけの炎が起きたのにどこにも燃え移らず、焦げた後もない。
それどころか・・・。
アケは、アズキの背中から手を離して血で汚れた自分の手を見る。
痛みがない。
アケは、懐から手拭いを取り出して血を拭う。
「傷がない」
アケの指には傷を負った痕跡すらなかった。
ウグイスも驚いてアケの手を取って覗き込む。
そしてアケの膝の上で寛ぐアズキを見る。
「癒しの炎だ」
ウグイスは、信じられないっと言わんばかりに目を丸くする。
「癒しの炎?」
アケは、首を傾げる。
「炎の精霊を使った最も難しい魔法だよ。精霊を熟知し、循環させる術を知らないと使うことが出来ない」
「そんな難しいことをアズキが?」
アケは、膝の上で再び寝息を立て始めたアズキを見る。その愛くるしい寝顔を見ているととてもそんな風には見えなかった。
「
ウグイスの言葉にアケは、その時の事を思い出して表情を歪める。
もう3ヶ月くらい前になるのだろうか?アケが邪教に襲われた時に今の何倍も大きかったアズキは、アケを守るために戦い、毒を受けて死にかけたのだ。それを救ってくれたのがツキだったのだが・・・。
「きっとそのせいで身体の中の炎の精霊の質が変わったのね」
ウグイスは、眠るアズキの頭を撫でる。
「それかアケを守るために手に入れたのかな?」
ウグイスの言葉にアケは、蛇の目を丸くする。そしてはにかむように笑うとアズキの背中をそっと撫でた。
「ありがとうアズキ」
アズキは、それに答えるように寝ぼけた声で小さく鳴いた。
それを見てアケとウグイスは、笑う。
土を踏み締める音がする。
「アケ」
そこに立っていたのはツキであった。
ウグイスは、慌てて頭を下げる。
「主人」
「ツキだ」
ツキは、反射的に言葉を返す。
「どうしたの?コーヒー無くなった?」
「それぐらい自分で淹れられる」
ツキは、少しむすっとして答える。
その仕草が可愛らしくアケは小さく笑う。
「すまないが何か食べれる物を用意してくれないか?」
ツキの言葉にアケは、蛇の目を瞬く。
「もうお腹空いたの?」
「俺にではない」
ツキは、面倒そうに黒い髪を掻く。
「これから来客が来るのでな。舌の肥えた奴だがアケの作った物なら文句はないだろう。頼む」
アケは、アズキを抱きしめ立ち上がる。
「どなたが来るの?また、昔の従者さん?」
アケの問いにツキは、首を横に振り、黄金の双眸に冷たく細める。
ツキは、左手をアケとウグイスに見せるように伸ばす。
その手のひらの上に新緑の葉が2枚乗っていた。
しかし、それは良く見ると葉ではない。
新緑の葉を羽として持った蝶であった。
「青猿だ」
その言葉にアケとウグイスに緊張が走る。
「今、オモチとカワセミを向かいにやらせている。すまないが頼んだぞ」
ツキの言葉にアケは、重々しく頷いた。
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