第25話 カワセミとウグイス(6)

 黄金の光が眩く。

 水の刃を星空のように煌めく黒い鎖が覆い、アケの白い手を縛る。

「このたわけが!」

 怒りの叱責が耳を打つ。

 怒りの、そして温かい叱責が。

 蛇の目が揺れる。

 冷徹に見下していた父と母の姿がぼやけ、視界に映るのは黒く、威厳と気品に溢れた狼の容貌。

「主人・・・」

 アケは、弱々しく震える声で呟く。

「ツキだ!」

 黒い狼は、叱責する。

 間違いなくツキだった。

 よく見るとそれはツキであってツキではない。

 ツキの形を模した鎖の塊であった。

 鎖が重なり、織り込みあって狼の形を成していた。

 大きさもアケの両の手の平に乗るくらいに小さい。

 胴体の部分からは2本の鎖が伸びており、1つはアケの手ごと水の刃を覆い、もう1つはアケの蛇の目の横に繋がっていた。

 蛇の目の横には小さい、しかし複雑な黄金の魔法陣が浮かんでいた。

 アケは、蛇の目の端で黄金の光を感じながら思い出す。「呪いだ」

 そう言ってそこにキスをされた事を。

(本当に呪いだったんだ・・・)

 ツキは、アケの手に結ばれた鎖をくいっと引っ張る。

 アケの手がツキの顔の前に来て、水のナイフの柄の顔と向かい合う形になる。

「風を起こせ」

 ツキの威厳ある声が水のナイフの柄に向けられた瞬間、突風が巻き起こる。

 風は、アケの髪を靡かせ、香木の葉を飛ばし、枝を振り回すように激しく揺らす。

 アケは、切り取った枝が飛ばないように片方の手で押さえる。

 むせ返るような臭いが消える。

 冷徹に見下していた父と母の姿が消える。

 その変わりに現れたのは岩の地面を埋め尽くす無数の蜘蠍の群れであった。

 腹の部分に般若のような白い模様を浮かべ血溜まりのような色をした蠍は、凶暴なまでの針をアケに向けている。

 アケは、思わず短い悲鳴を上げる。

「アケ!」

 声と共に視界が暗くなる。

 アケの頭上に緑色の羽を広げ、怒りの形相を浮かべたウグイスが浮遊していた。

 大きく広げられた緑の翼の先にある両の手の平に水色の魔法陣が展開し、無数の水滴が浮かぶ。水滴は形を歪ませて変化し、硬いやじりへと姿を変える。

 ウグイスが両の手をギュッと握る。

 鏃がまさに矢のように放たれ、アケを取り囲む蠍を穿つ。

 鏃の雨に晒された蠍たちは声を上げる間もなく身体に穴を開き、絶命していく。

 そして数度の瞬きの間に蠍は絶滅した。

 アケは、呆然とその光景を見ていた。

「アケ!」

 ウグイスは、空中落下するとそのままアケに抱きついた。

「ごめんね。助けにくるのが遅れて!」

「ウグイス・・・」

 アケは、ぼそりっと呟く。

 蛇の目が動き、周囲を見回す。

「お父様とお母様は?」

「幻だ」

 ツキを模した鎖が言う。

「この蠍達が香木の臭いに乗せて幻覚を見せる分泌液を流していたのだ。分泌液自体にも臭いがあるが香木の臭いだらかき消されていた。こうやって香木を臭いを隠れ蓑に獲物に幻覚を見せて狩っていたのだろう」

 ツキは、蠍の死骸を不愉快そうに足で突く。

「猫の額に住んで長いがこんな虫を見たのは初めてだ。まだまだ知らぬことが多いな」

 ツキは、口を開ける。自虐的に笑うように。

「王」

 カワセミが空から降りてきて、ツキの前に立つと膝を付いて頭を下げる。

「この度は、奥方様を救うのが遅れてしまい、申し訳ありません」

「本当だよ!」

 怒りの声を上げたのはウグイスだった。

 ウグイスは、今だ呆然とするアケを抱きしめながらカワセミを睨む。

「風で臭いを退けることが出来るなら最初からしてよ!そしたらアケが危ない思いをしなくてすんだのに!」

 先程の突風はカワセミの魔法で起きたものだった。

 水のナイフ越しにツキの命令を受けたカワセミが素早く風の魔法陣を展開し、突風を巻き起こしたのだ。

「◇△を責めるな」

 ツキが怒るウグイスを窘める。

「周りを見よ」

 カワセミの魔法で巻き起こった突風で葉は千切れ、枝は折れ、幹は折れた枝と石で見るも耐えない程に傷ついていた。

「◇△は、自分の魔法で誰かが傷つくのを恐れたのだ。俺もそれを知っていたから人間のアケにお願いしたのだが、失策だった。すまないアケ」

 ツキは、アケに頭を下げる。

「ううんっ来てくれて嬉しかったよ・・主人」

 アケは、弱々しく手を伸ばして、ツキを触る。

 鎖のツキの感触はとても硬かった。

「ツキだ」

 そう言ってアケの手に頬を擦り付ける。

「いえ、私の判断の遅さと・・・」

 カワセミは、強く拳を握りしめる。

「邪な私の考えのせいです」

 カワセミの言葉の意味が分からず、アケは小さく首を傾げる。

 ウグイスは、じっとカワセミを睨んだ。

 ツキの身体を構成する鎖が解けてくる。

「術を保つのが限界のようだ。すまないかアケを家まで頼む」

「はっ」

「はいっ」

 2人が頭を下げると鎖は、消えアケの額の魔法陣も消える。

「ウグイス・・・」

 アケが小さな声でウグイスを呼ぶ。

「なあに?どこか痛い?」

 心配そうにウグイスはアケの身体を見る。

 怪我はしてなさそうだ。

 アケは、ずっと握りしめていた香木を前に出す。

「はいっこれ。守ったよ」

 ウグイスとカワセミの目が同時に大きく見開く。

 カワセミは、動揺に震える。

 ウグイスは、緑色の目に涙を溜めてアケを抱きしめる。

「ありがとう・・・アケ」

 アケは、ウグイスの見かけからは想像も出来ない力に少し苦しく感じながらも小さく笑った。

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