第6話 ジャノメ姫(5)

 初老の男を握り潰した腕は全身を血で染めても尚、増殖していく。

 腕に腕が生え、重なり捻りあって腕となり、さらに腕が生まれる。

 腕は標的を探すように蠢き、そして横たわる火猪にほの五指の牙を向ける。

「や・・・めて」

 アケは、声を振り絞る。

 しかし、腕共はそんなアケの言葉に耳を傾けない。いや、話しを聞く耳など持っていない。ただ,貪欲なまでの殺戮欲を火猪に向けていた。

「助けて・・・」

 無数の腕と五指が火猪の腹を、胸を、顔を握りしめる。

「ツキ・・・」

 蛇の目から涙が溢れ、地面に落ちる。


 刹那。

 

 黄金の魔法陣がアケを中心に浮かび上がる。

 複雑で美しい紋様の魔法陣から黒い鎖が幾重も現れ、腕を縛り上げる。

 腕は、あまりの苦痛に五指を広げ、身が裂け、赤黒い血を吹き流す。

「腕が高い・・・」

 アケの前に低い声と共に現れたのは黄金の双眸を持つ長衣を纏った青年。

 青年・・・ツキは、腕の前に自分の手を翳す。

「控えよ」

 ツキは、翳した手をぎゅっと握る。

 黒い鎖が音を立てて腕を縛り上げる。

 腕は、パンっと弾けるような音を立てて全て肉塊と化す。

 地面が、川が赤く染まる。

 腕が無くなり、アケの身体が落下する。

 その身体をツキが一瞬の内に真下に移動し、受け止める。

 アケの顔を覗き込むと双眸を埋める闇は今だ波打ち、小さな無数の小さな手がミミズのように蠢いて出てこようとしている。

 ツキは、手に持っていた白い蛇を模した紐をアケの双眸に近づける。

 蛇のような紐は、その姿通り蛇のように身体をくねらせてアケの瞼にその身を突き刺すとがっちりと縫い上げていく。

 右目を縫い。左目を縫う。

 そして完全に縫い上がると辺りを覆っていた禍々しい気配が消える。

 ツキは、小さく安堵の息を漏らし、黒い布でアケの目を覆う。

 蛇の目が動いてツキの姿を捉える。

「主人・・・」

「馬鹿者!」

 ツキの怒りの声が響く。

 アケは、身体をビクッと震わせる。

「1人で出てはいけないって言っただろう!しかも何故、封印を解いた!」

「あの子を・・・」

 蛇の目が横たわる火猪ひのししを見る。

「助けないとと・・・思って・・」

「オモチ!」

 ツキの怒声に身を震わせながらオモチが駆け寄り、火猪の傷と容態を確認する。

「傷は大したことありません。しかし・・」

「助けられそうか?」

「毒が分かれば・・・」

「毒消しをあの者が持っていたはず・・・」

 あの者・・・。

 ツキは、辺りを見回す。

 凄惨な血と肉となった現場を。

 しかし・・・。

「分からんな」

 ツキは、嘆息する。

「そう・・・」

 アケは、力なく呟く。

 ツキは、黄金の目を揺らす。

「仕方あるまい」

 ツキは、アケを抱いたまま手を翳す。

 手の平の周りに黄金の魔法陣が現れる。

 魔法陣の中央から細く黒い鎖が現れ、伸びると火猪の傷口の中へと入り込んでいった。

 火猪の目が開き、雄叫びのような悲鳴が上がる。

「主人!」

 アケが叫ぶ。

 しかし、ツキはやめない。

 火猪の体毛の下で鎖が這うように蠢いているのが見える。

 ツキは、手の平をぎゅっと握る。

 火猪の身体が破裂するように大きく燃え上がる。

 アケの蛇の目が大きく開く。

 火は、一瞬で消える。

 そして・・・。

「子豚?」

 オモチが口をもしょもしょと動かし呟く。

 先程まで火猪がいた場所に横たわっていたのは大人の猫程の大きさの茶色の毛の子豚であった。

 子豚は、目をばっちりと開けて身体を起こし、周りを見る。

 その目、その牙は小さくなりこそすれ火猪そのものであった。

「こいつの中の火の精霊に喝を入れて毒を燃やさせた」

 鎖が引っ込み、魔法陣が消える。

「身体中の火の精霊が少なくなったので縮んだんだ。その内戻るだろう」

 そう言って小さく微笑む。

 アケの表情がぱっと華やぐ。

「ありがとう!ツキ!」

 アケは、ツキの首に手を回してぎゅっと抱きしめた。

「こら、説教はまだ終わって・・・」

 しかし、アケは聞いていない。

「ありがとう!ツキ!大好き!」

 ツキの頬がぽっと赤くなる。

 そして何も言えないままアケの綺麗な黒髪を優しく撫でる。

「帰るぞ」

「うんっ」

 ツキは、アケを抱きしめたまま森へと足を向ける。

 アケは、幸せそうにツキの肩に顔を埋めていた。

 オモチは、赤い目でじっと2人を見る。

「結局、イチャイチャ」

 火猪が小さく首を傾げて「キュッ」と鳴いた。

 朝日が優しく2人を照らした。

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