岡崎弘子と魔法のペン

@code256

第1話

 岡崎弘子は文房具が好きだった。変わった文房具を収集するのが趣味で、暇を見つけてはいろいろなお店を回ることをライフワークとしていた。今日も朝から木枯らしの横浜でいくつかお店を巡っては物色していたのだが、なぜだか今日は、どの店に行っても心ときめく出会いがなく、がっかりしながらあてもなく歩いていた。

 鬱々とした気持ちで歩いていると、やがて急な雨が降り出した。終日晴れの天気予報を疑いもなく信じていた弘子は、朝のテレビの気象予報士に恨み言をつぶやくと、ビニール傘を買うため、小走りで最寄りのコンビニへ向かった。

 そんなとき、彼女は偶然、路地裏に不思議な場所を見つけた。煤けた看板らしきものがかかった、ひびの入った古びた木製の扉がある。その扉はほんの少し開いていて、暖かい光が漏れ出している。

「なんだろう、あれは。お店なのかな?」

 なぜだか弘子は、その場所に強い引力のようなものを感じていた。吸い込まれるように近づいていき、次に気が付いた時には、もう中に入った後だった。

 ほのかに白檀の香る暖かい店内には、知らない言葉で書かれている古びた本や、何に使うのか想像もつかない不思議な形の金属の塊、定規がなくても直線が引けるペン、カラフルで不思議な香りのするインクなど、他では見たことのない奇妙な品物が所狭しと並べられていた。そのどれもが弘子の心を揺さぶるに足る品々だった。

 今日訪れた店でいい出会いがなかったのは、予報外れの雨に襲われたのは、すべてここに来るための布石だったのだ。弘子は興奮を抑えきれず、小さな店内をくまなく物色して回った。やがて彼女の目を引いたのは、一本の美しいペンだった。無色透明から若草色へ、そして複雑な流線形で蒲公英色へと変化していき、やがて再び透明のペン先に至るまで、そのすべてが、微細な気泡の一つもない、ひとつなぎのガラスでできている。とても凝った造形のガラスペンであった。

 弘子はうっとりと、まるで催眠術にかけられたようにペンを見つめ、手に取った。すると、どこからか突然目の前に、虹色の羽角の変わったミミズクが音もなく現れる。

「こんにちは。私はR.B.ブッコローと申します。ここにお客様がいらっしゃるのは本当に久しぶりだ。よろしければお名前をうかがっても?」

 突然しゃべるミミズクが現れたことに多少は面食らったが、しかしブッコローと名乗るミミズクは、ほのかな白檀の香る古くて暖かい不思議な雰囲気のお店に、とてもよく似合っていると思った。腹話術のようなものなのだろうか。きっとどこかに人間の店主がいて、操っているに違いない。弘子はそう思いながら、姿を見せない店主の芝居がかった趣に乗ったのだった。

「あっ、私は岡崎弘子といいます。あなたがこのお店を?」

「その通りです。あなたは、そのペンを買いたいのですか?」

「はい。もう一目で気に入ってしまいました。とても美しいペンですね」

「さすが、ここを見つけた方だけあって、お目が高い。こいつはほかのお店なんかじゃちょっと買えない品ですよ。しかもうちならTポイントも付いてお得です」

 ブッコローは大仰に羽を動かしながら、目玉をぎょろりと動かし言った。

「そうですね。さらにおまけとして、これをお付けしましょう」と、ブッコローは小脇に抱えていた緑色の本を弘子に差し出す。

「これを読めば、そのガラスペンの不思議な秘密を知ることができますよ」

「不思議な秘密?」弘子は思わず問い返す。

「ええ。このペンはどのような人が、どのようにして、何のために作ったのか、といったようなことが書かれているのです。なんなら子供に読み聞かせる話としてもおすすめです。早いうちからこういうお話に触れさせるのもいいと思います。今ではうちの娘もそのお話が大好きなのですよ」

 なるほど、よくわからないけれど、制作過程が物語風に書かれた特殊なパンフレットのようなものかしら。あまり聞いたことのない趣向だけれど。弘子はひとり納得して、うなずいた。

「ありがとうございます。今日はなんだかいいことがなくって。でもこのペンと出会えてよかった。本当にいい日になりました」

 古い木製のケースに入れられたペンと、おまけに付けてもらった緑色の本を受け取って、それらを大事そうに胸に抱くと、弘子は一礼し、奇妙な店を出た。

 雨はもうすっかり上がっていたが、いつの間にか夜も更け、あたりは真っ暗になっていた。顔を刺す冬の空気に、息が白く流れた。しかし、弘子の胸のうちは暖かく、全身が高揚感に包まれていた。ミミズク店主の奇妙な店と出会えたことに感謝しながら、弘子は足早に帰路についた。

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