第10話:僕には小説を出版するお金がない!
「先輩、お金があれば どうにでもできると思ったら大間違いです」
助手がいつもの無表情で自分の身体を抱きしめる様にして、冷たい視線で僕に言った。もっとも、彼女の半眼ジト目は通常運転で、口を開けば毒を吐くのもいつものことだったが……。
「それだと、すごく人聞きが悪いんだけど……」
いつもの空き教室での部活……と言っても担任の西村綾香先生にしか許可をもらっていないから非公式の同好会である「ラノベ研究会」で助手が言った。
「だって、先輩がお金の力で自由にしようとするから」
「それだと僕が助手に迫っていて、札束で頬を叩いて身体の関係を迫っているみたいじゃないか」
「私にしてみたら同じようなことです」
ここで一度、話を整理しよう。このままでは僕がどんどん悪者になって行くばかりだから。
***
僕は先日、生まれて初めてWEB投稿サイトに自分の作品を投稿してみた。姉嵜先輩のアドバイスの通りに、1話2000文字から3000文字くらいを目安に投稿してみている。
実際にやってみると、4000文字とか5000文字とかになることもあったのだけど、まあ問題ないだろう。
姉嵜先輩の話だと1分間に読める文字数は800文字くらいってことだから、5000文字でも5~6分くらいと思われる。
本来、特に字数の制限がある訳じゃないからストーリーのキリの良いところで区切って分割投稿して行ったのだ。
フォントがきれいなことと、編集の画面が使いやすいことから僕はカクヨムをメインの投稿サイトに選んだ。
結果は、初登場 日間ランキング1081位。これはとりあえず投稿したらこんなものっていう順位で、ほとんど読まれていないことを物語っていた。世の中は意外と厳しいものだった。
ただ、人間はズルい生き物だ。WEB小説というルールが分かったら、最適条件を探すようになる。
幸い過去に書いた小説はたくさんあった。集計時間の切り替え時間直後に投稿するとカウントされるまでの時間が最長になり、ポイントが増えやすくランキングは上がりやすい。
そうすれば、投稿された後、しばらくは「新着」のページに表示されるのだ。新着を読む需要があるらしく一定数の読者が付く。これを利用して、スタート時は1時間空けて3話から5話投稿したら有利、などが独自のノウハウとして分かった。
そして、毎日決まった時間に投稿するとアクセスが伸びていく。朝の6時と夕方に1日2回以上投稿するとさらに効果的。
僕は実験も含めてたくさんの作品をアップしていった。そして、44作アップした時点でヒット作が出たのだ。
日間のジャンルランキングが10位→5位→3位→2位→1位とアップして行った。そのうち、いつの間にか総合ランキングでも3位まで上っていた。
そうなると1日のアクセスが1万PVを超えてきた! 気付けば270万PV超えの作品に成長していたのだ。
しかし、残念ながら書籍化の話は来なかった。
待っていることができないこらえ性がない僕は一刻も早く書籍化したくなってきたのだ。
そして、僕は調べた。調べて調べて調べ上げた。何かいい方法はないか、と。そこで見つけたのが「自費出版」だ。
早速、僕は自費出版の出版社のサイトに僕のラノベの原稿を送った。そしたら、3日後にその出版社から電話がかかってきたのだ。
電話してきたのは感じのいい中年男性という感じ。出版社の人と言ったら厳しい人のイメージがあったので少し気が楽だった。
詳しく聞いた訳じゃないけど、出版の費用はかかるけど僕の本を本屋さんで買えるようにしてくれるらしい。
その話をしたら助手がこの態度だ。
いつも使っている教室中央の席について僕がノートパソコンに向かって執筆していたら、助手が僕の横に立って腕を組み、冷たい視線で僕を見下ろすように立った。
「先輩は、なんで出版したいんですか?」
なんか哲学的なことを訊いてきた。
「な、なぜって……たくさんの人に読んでもらいたいから?」
「もうWEB版で270万PVも行っているんだから、十分たくさんの人が読んでるじゃないですか」
「たしかに、そうだ。なんだろ。将来、僕はラノベを書いて食べていきたいんだ」
「じゃあ、公募に申し込んで賞をとってもいいじゃないですか」
「たしかにそうなんだけど、狭き門だし。それにラノベを書いているのだからいち早く書籍化したいっていうか……」
「それで、その書籍化にいくらくらいかかるんですか?」
「まだ、聞いてない」
「いくらかかるのかも分からないのに、それを買おうと思っているなんて。先輩はいつからそんな富豪になったんですか?」
「う……たしかに」
助手の言う通りだ。スーパーやコンビニでは値札を見て買うものを決める僕が、かかる費用も聞かずに書籍化の夢ばかり見ていた。
助手は浮かれた僕の目を覚まさせてくれたのかもしれない。
「助手! ありがとう! 目を覚まさせてくれて! 僕、まずは聞いてみるよ」
「うっ……。べべ、別に先輩のために言った訳じゃないですから」
なんか急に助手が出来の悪いツンデレみたいになった。僕以外の誰のために言ってくれているっていうんだ。
「……誰ですか?」
「ん?」
「もし、先輩が出版するとしたら誰が表紙絵や挿絵を書くんですか?」
「いや、まだ全然そんな状態じゃないから、全くそんなこと考えてない」
「それなら……ま、まあいいです」
よく分からないキレ方と、納得の仕方の助手だった。どんなことを考えているのか、今度一度腹を割って話してみる必要がありそうだ。
「九十九くん……」
教室の入り口のドアを開けて、姉嵜先輩が顔だけ覗き込んで僕の名前を呼んだ。
「姉嵜先輩、どうしたんですか?」
いつもならガラガラドシャーン、とドアを開けてズカズカと入って来るのに。
「九十九くんが、自費出版をすると聞いてやって来てみたんだが……」
先輩、その話をどこでどう聞いたのか聞かせてもらいましょうか。助手にだって今日初めて言ったのに。本気でこの部屋は盗聴されている気がしてきた。
「まだ自主出版するって決めた訳じゃありませんけど……」
僕がポツリと言うと先輩が近くの席に座って自費出版について教えてくれた。
***
姉嵜先輩が教室前方の黒板の前に立って「自費出版」についてレクチャーしてくれるみたいだ。僕と助手は適当な席について姉嵜先輩の話を聞くことにした。
「人は出版する目的ってものがあるんだ」
「目的……ですか」
僕のイメージでは出版と言えば、たくさん本が売れて印税がガッポガッポ入って来る……。それで、一生遊んで暮らせる……みたいな、そんなイメージだった。
「もちろん、なんとしても自分の小説や本を世に出したい人も自費出版するだろう。それ以外に、コンサルタントをしているような人はステータス重視で出版する」
「ステータス……」
「まあ、ハクが付くからな。出版は以前よりは身近になっているんだが、やっぱり特別感はある。本を書く様な人は頭が良いと思われる傾向があるから、自費を出してでも本を出す人はいる」
「なるほど……」
「大学の教授なんかもよく出版するな。大学の講義で使う教科書を自分の本にすれば一定数が売れる。学生は少々高くても買う必要が出てくるからその教授の収入になるんだ」
「大学教授ってすごい商売なんですね……」
完全に目から鱗だ。
「あと、プロの作家でも自費出版することがある」
「え? そうなんですか?」
「最近では本の売れる数が少なくなってきているから各出版社の発行枠が少ないところもあるんだ」
「発行枠って……?」
「各社、今月は何冊出版しましょう、って予定のことだ。予算は有限だ。本を出す量は決まっているってことだ」
「なるほど」
「その予算を作家本人が出すのだから、強引に出版枠を確保できてしまう。プロ作家が自費出版をする理由はそこだ」
「あー」
プロの作家さんでもそんなことがあるのか。僕が思っている以上に今の出版業界は厳しいみたいだな。
「あとは、自分の人生を本にして家族や親せきに配る……みたいなのもあるな」
「ああ、記念みたいな」
「そうだ。まさしくそう。この場合は、本屋に流通させる必要がないからISBN……本屋さん用の管理バーコードだと思ったらいいけど、それを付けないので50万円前後で作ってくれるとこもあるな」
「ちょ、ちょっと待ってください?」
「どうした?」
僕は慌てて先輩の話を遮ってしまった。
先輩がなにが分からないんだ、とでも言わんばかりに少し首を傾げた。この先輩も相当顔立ちが整っているからこうして首を傾げただけでも相当かわいいんだ。
そして、先輩の場合、首を傾げると長いポニーテールが揺れるから僕の心も揺れる。少し古いタイプのヒロインみたいな姿なんだけど、やっぱりポニーテールっていいな。
いや、今はそこに気を取られている場合じゃない!
「本屋さんに流通しない本とかあるんですか?」
「そりゃあ、たくさんあるだろう。紙を束ねて製本したら見た目には『本』だが、それでは本屋では売れない。しかるべきところに登録してISBNの番号を取る必要があるんだ」
「さっき言ってたバーコードですね?」
「まあ、そう言えば分かりやすいな。実際は本のサイズとか使われている紙の種類とかタイトルとか、色々な情報をすべて含めてなんだが、私達が見るのは本のウラ表紙のバーコードくらいだからな」
裏のバーコードにそんな秘密があったのか……。
「あと、そのバーコードを取らなくても製本したら50万円もかかるんですか?」
僕が本当に訊きたかったのはこれだ。そのISBNというのがないとしても50万円もって……。驚愕の値段だったのだ。
「まあ、部数にもよるけどね。マンガの同人誌なんかも製本してあるけど、ISBNを取ってる訳じゃないのがほとんどだ。あれを考えるとイメージがつきやすいだろうな」
「ああ……なんとなくイメージできました」
「それで、恐らく九十九くんが考えている様な自費出版はちょっと難しいと思う」
先輩が少し申し訳なさそうな表情で言った。
「それは僕の本の実力が低いってことですか?」
「いや、本の内容は関係ない。きみが無名の新人作家だからだ。つまり……きみに電話をして来た出版社で自費出版をしたとしても、きみの本は本屋には並ばないってことだ」
「え? どういうことですか?」
僕は先輩が誤解していると思った。出版社は僕の本を本屋さんで買えるようにしてくれるって言った。間違いなく言ったのだ。あれは嘘や間違いだったということだろうか。
「多くの場合の自費出版ってのは最初に1000冊程度しか刷らないんだ。私の知っている人がやったときは1130冊だと言っていた」
「……思ったよりすくないですね」
「全国に本屋が何店くらいあるか、九十九くんは知っているか?」
「……いえ、考えたこともありません」
「最近じゃ、本屋も多様化してきたから、どこまでを数えるかにもよるけど2022年の時点で全国に8600店から11,000店くらいあるらしい」
「ちょっと差がありますね」
「集計した会社によって本屋の定義が異なるから多少の数に差が出てくるみたいだ。ただ、ざっくり1万店と思ったらいい」
「あれ? さっきの1000部だと全然足りないですね」
「そうだ。自費出版の場合一部の提携している店舗に置くのとインターネットでの販売がほとんどなんだ。半年以内にその1000部が売れたら次を考える……そんな感じだ」
「え? じゃあ、自費出版って……嘘?」
「一部でも本屋に並ぶし、インターネットでは買える。近所の本屋さんでも取り寄せができるから嘘じゃない」
「……そうか。でも、近所の本屋には並ばないんですよね?」
「多くの場合そうだろうな。本屋としても仕入れてすぐに売れる本を売りたいから、最近だと雑誌が中心の店舗も多い。小さな店舗ほどその傾向が強いな」
「本屋さんも商売ですからね……。たしかに、そう考えると僕の本はその小さな本屋さんでは予約でも入らない限り仕入れないですね」
「そうなんだ。『本が売れない時代』なんて言われている理由の一つはそんなのがある」
近所の本屋に僕の本が並ばないと聞いて少しがっかりした。それでも、もっと詳しく聞いておきたかった。
「じゃあ、さっきの1130部ってのはなんでそんなに中途半端なんですか?」
「1000部は本屋に置く分、100部は作者への献本(?)、30部は営業が持って回ったり、販促……販売促進に使う分だ」
「めちゃくちゃ具体的ですね」
「
なるほど、十分事情を知らないと詐欺みたいな捉え方をする人もいるってことか。出版社の話を十分聞かなかった人もいるんだろうなぁ。僕もついさっきまで浮かれていたから、人のことは言えないけど。
「そんなトラブルを回避するため100冊の献本があるという噂もある。まあ、作者がお金出しているから本当に献本と言えるのか微妙だけど」
「ああ、なるほど」
お金を出したら、なにか目に見える物がないと「買った感」がないから、それを回避するためかな。
「さっきの1000部が売れたら次に1万部刷るっていう自費出版の出版社もあるな。その時の費用は出版社持ちらしい」
聞いてみないと分からないことが多い。僕はお金を出したら本が近所の本屋に並ぶと思っていた。
「あれ? じゃあ、大手の出版社でも条件は同じってことですか?」
それだけ本が売れないのならば、大手の出版社だって1000冊以下しか売れないことだってあるはずだ。
「それが、ラノベに関してはラノベ専門の出版社の強みというのがある」
「出版社の強み……ですか?」
「そう。実績と言ってもいい。いつもラノベを発行している訳だ。しかも、各社のコンテストで賞をとった作品だ。話題性も大きくて発行の最低部数は1万部からだ」
「ああ、そうかぁ……」
僕はなんとなく「餅は餅屋」って言葉が頭に浮かんだ。やっぱりラノベ専門の出版社は強いんだ……。
「それで、自費出版っていくらくらいかかるんですか?」
「まあ、ページ数によって変わるから、なんとも言えないけど、私の知ってる人は200万円くらいだったみたいだ」
「えーーーーーっ!」
思った金額より1ケタ上だった……。出版ってそんなにお金がかかるんだ。
「正確なことは、九十九くんの担当の編集の人から聞かないと分からないぞ?」
「……はい」
***
姉嵜先輩の話を聞いて、基本的な事だけではあるけれど、少しだけ自費出版について情報を入れた。そのあと、再び自費出版の出版社に電話をしてみたのだ。気になることはあれだ。
「先輩、どうだったんですか?」
電話の後、助手が興味津々で訊いた。
「九十九くん、どうだったんだい?」
姉嵜先輩も興味津々みたいだ。
「……250ページで1000部、250万円でした」
「「あー……」」
出版社さんから言われたのは、通販を中心に販売って言ってた。二人とも残念そうな顔をしている。僕の思ってる「出版」とはちょっと違うかな……。
どちらにしても250万円もの大金は逆立ちしても出ないかなぁ……。
「ま、まあ。頑張っていたらまたチャンスは来るから……」
そう言うと、姉嵜先輩は文芸部に戻って行ってしまった。
「……」
助手は僕をいつもの半眼ジト目で見ていた。
「結局、助手はなにがそんなに気に入らなかったんだい?」
「みんなが先輩のラノベを読んでしまったら……私だけの先輩じゃなくなるのが少し気に入らないだけです」
「え?」
それって、やっぱり、助手は僕のことを……?
「先輩のポンコツラノベを読む被害者は私だけで十分って言っただけです」
助手がまた向こうを向いて顔を見せてくれない時間が始まってしまったのだった。
□ 今日の報告
「まあ、自費出版ってそんなにするの」
僕が職員室に今日の報告をしに行くと、いつもの様に西村綾香先生が感想を言ってくれた。
「はい、出版できるって少し舞い上がってしまいましたが、そんなお金はありませんでした」
「まあ、大人なら人によっては250万円なら出せるでしょうからねぇ」
そうなのか。大人はすごいな。
「あと、いくら自費出版でも、箸にも棒にも掛からない作品はその出版社も出版しようって言わないでしょうから、必要な文章の形ができて来たって事でもあるのかもね」
「……」
そんな考え方は微塵もなかった。そうか、100点じゃないけど、0点じゃない。僕の文章は赤点回避くらいには行っているってことか。僕は密かにやる気を取り戻した。さすが、ラノベ研究会顧問。
「まあ、それなら……」
先生が僕の提出した書類を見ながら、なにかをつぶやいていたけど、僕には聞こえなかった。
□ 帰宅後
いつもの様に「AAA」と少しチャットをしてから寝ることにした。
―――
AAA:そのアネザキ先輩がいてよかったな
WATARU:まーね。どっちにしても、そんなカネないから自費出版はできなかったけど
AAA:僕らはまだ学生だしそんなに慌てなくてもいいんじゃない?
WATARU:そうかも
―――
そうだ。僕はなぜこんなに慌てているんだっけ。僕がラノベ作家になりたい理由……。たしかにあったはず。そんなことを考えながら僕はベッドに入って眠りに落ちて行った。
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