第二章 終焉をこえて、龍都をめざして

[2-1]地下シェルター、安堵のひととき


 あれだけ激しく噛みつかれたのに、僕の身体はもちろん服にも靴にも傷一つなかった。でも食いつかれた部位には生臭いえきがべったりついて、気持ち悪さに泣きたくなる。

 痛みもあるし、足も腰もガクガクして立てそうになかったけど、外で座り込んでいたらまた危険な目にいかねない。銀郎ぎんろうと名乗ったダークエルフの彼に肩を借りて、何とか地下シェルターへと避難する。

 隣に立つと拳一つ分以上は背が高い彼、話してみれば僕と同じ十六歳なんだって。これだから、異世界ってのは……。


 地下とかコンクリートという通常なら電波をしゃだんしそうな場所も、クォームとの通信には支障ないみたいだ。相変わらずノイズが混じって聞き取りづらいけど。

 シェルターの中はどんな仕掛けなのか明るくて、結構広い。床は硬いけどひんやりしていて気持ち良く、僕はタイルにすがりつくようにして横になっていた。銀郎君は今、奥のほうを探索してくれている。


[おーい、恒夜コウヤ、生きてるか?]

「死なないって、クォームさんが言ったんじゃん……。死ぬかと思ったけど、生きてます」

[ま、助けも来たし結果オーライだな」

「人ごとだと思って……」


 心配してくれたんだろうけど、明るく流されるのはちょっと不満だ。クォームは悪気ないんだろうけど、すごく痛かったし。

 ふてくされて床に縋ってぐすぐすしているうちに銀郎君が戻ってきたので、僕も頑張って起き上がることにした。だいぶ痛みは引いたし、生臭い唾液は乾き切っている。できることならシャワーを浴びて服を洗いたいけど、設備の有無以前に砂漠といえば水は貴重品。あきらめるしかなさそうだ。


 床に放りっぱなしだったスマートフォンを拾ってから、重い身体を腕で押し上げる。壁に背中を預けて何とか座り姿勢になると、銀郎君が正面へ来てくれた。

 ようやくまともに見た彼は褐色肌のダークエルフで、背は高いけど手脚はひょろりと細く確かに少年っぽさがある。見た感じ近接戦闘体型ではなさそうだし、魔法系かな?

 両手に何かげていたので目をらし、思わず二度見した。異世界らしく剣か杖――ではなく、右手に小型のバケツ、左手にはタオルのようなもの数枚。え、それ、どこから見つけてきたの。


[だから言ったろ、避難シェルターなんだよ]

「こーやん、水あったぜ! これで顔拭きなよ!」


 声だけでもドヤ顔なのがばればれなクォームの解説と、嬉しそうな銀郎君の声が一緒に飛んできて、しかもはじめて呼ばれるあだ名にとっのリアクションができなかった。

 僕がフリーズしている間に銀郎君は手慣れた様子でタオルを濡らし、すぐ前にきて屈んで覗き込んでくる。


「やってやろか?」

「ううん、自分で」

「はいどーぞ。ついでに髪も拭くといいよ、後ろ届かなかったら僕が拭いたげる」

「大丈夫だよ! それより、水、貴重なんじゃ」


 一応気遣いっぽいことを口にしつつも、もう一刻も耐えられなかった僕は、手渡された濡れタオルでぐいぐいと顔をこすった。ずっと暑かったので、これだけの涼感でもすごく気持ちいい。

 一旦パーカーを脱いでからシャツを第二ボタンまで外し、首も鎖骨ら辺まで丁寧に拭いておく。袖をまくって腕も拭こうとしたら、銀郎君が新しいタオルを渡してくれた。


「それがさ、ここ、水脈に通じてるんだよ。ただみ上げの装置が壊れてるかバグってて、使える水は少ないみたいだね。装置が直ればたぶん、シャワーも出るんだけど」

「えっ、シャワー?」

「そ。きっと、ここ元は研究所か病院だったんじゃないかな」


 すごく魅力的な話題だけど、使えないならあきらめるしかない。銀郎君はそこまで話してから、袖まくりしてある僕の手首をしげしげと見つめた。

 無言だけど、言いたいことはわかる。ハイエナの群れにあれだけみくちゃにされていながら、傷一つなく服すら破れてないって不自然だよね。

 僕としても自分の境遇をどこまで話していいかわからず、無意味だと思いつつもそばに置いたスマートフォンへ目をやってしまう。銀郎君は結局なにも聞かずに顔をあげて僕を見ると、にっと笑った。


「こーやん、僕、革紐とヘアピン、持ってるからあげよか?」

「ほんと!? 欲しい」


 正直、暑いしうなじに貼り付くしでいっそ切りたいくらいだけど、クォームが魔力は髪に宿るとか言ってたので、たぶん切ったら良くないんだと思う。

 褐色の肌に掛かる彼の紅紫色マゼンダピンクの髪も、癖がなくて結構長い。人懐っこくまっすぐ見つめてくるつり気味の目は綺麗な真紅。ダークエルフにしてはあざやかなこの色合いは魔狼の血筋によるものなんだろうか。


 銀郎君はウエストポーチをガサゴソして小物入れを出すと、革紐とヘアピン二本を取り出した。くしを添えて差し出されたのを受け取れば、なんだか胸がいっぱいになる。

 こんな生きにくい世界で、こんなわけのわからない相手を助けてくれたばかりか、親切にしてくれて。僕なんてろくに事情を話さないまま、わんわん泣きわめいていただけなのに。それを思ったらまた泣きそうになったので、急いでタオルを顔に当てて誤魔化した。

 心を落ち着けてから髪を拭き、湿っているうちに首の後ろで一つにまとめて、革紐できっちり縛る。目に掛かる前髪をピンで留めれば、首の周りも視界もずいぶんすっきりした気分になった。


「ありがとう、銀郎君。すごく助かった」

「どういたしまして。あーあと、飲み水もあったよ。こーやん、喉渇いてんじゃない?」


 屈託くったくない笑顔にかれた途端、猛烈な喉の渇きと不安が同時にぶり返した。ハイエナに襲われる前、未来の自分に丸投げしたねん事項に、いよいよ向き合うときが来てしまった。


「うん、すごく喉……渇いてる、けど」


 飲食は不要と言い渡された僕に水が飲めるんだろうか。飲まずに生きていけるとしても、この渇きを水分で癒せないとしたら――ちょっとどうしていいかわからない。救いを求めて、僕は現状まだ沈黙を続けるスマートフォンに再度、視線を向けていた。

 これ以上、銀郎君に何も話さずにいるのも心苦しい。クォームがと表現したのなら、少なくとも彼が邪悪な存在だったり危険な相手ということはないだろうから。


「クォームさん、僕、喉が渇いて……。水、飲んでもいいですか?」



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