[1-10]最悪の窮地、マゼンダピンクの救援


[マジか。恒夜コウヤ、次いつつながるかわかんねーから通話は切るな]


 はい、と短く返し、急いで立ち上がる。

 ハイエナの生息地域では眠っている人間が襲われることもあるらしい。全身の疲労感と火照りはまだ続いていたけど、休んでいる場合じゃない。


 CWFけいふぁんには探索というコンテンツがあって、特定のエリアで「探索する」を選ぶと、アイテムを発見できたり、モンスターとのエンカウントが生じたりした。

 プレイキャラは主に探索で経験値を得てレベルを上げるのだけど、その際に表示されるのは結果のみ。どんなモンスターが棲息せいそくしていてどういう戦い方をすればいいか、弱点は何か、などの情報は皆無ってことだ。


 見た目と動きは、動物系動画でよく見るブチハイエナ。かれらは群れで協力して狩りをおこなう猛獣だ。賢く警戒心も強い性質だから、すぐに襲って来ず僕の様子をうかがっているんだろう。

 おびえた様子を見せれば途端に襲われそうだ。現実世界の平時ならまだしも、生き物どころか草木までも絶えてそうなこの世界、肉食の動物なら飢えて獰猛どうもうになってるだろうから。


 走って逃げ切れるはずがない。相手は脚力と持久力がずば抜けた荒地の獣、すぐ追いつかれるに決まってる。

 登って避難できそうな樹木もないし、あったとしてもハイエナのほうが僕より上手に木登りしそうだ。

 先頭にいる一頭を睨みつけながら、指先で探ってスマートフォンの音量を最大にする。なるべくハイエナたちから視線を外さないようにし、カメラを起動してフラッシュをオートから手動へと。


「こっちに来るな!」


 レンズを向け精一杯の大声でかくし、画面を叩いた。存外大きく響いたシャッター音とフラッシュにハイエナたちは甲高い声をあげ、怯えたように後ずさる。やっぱりかれらはプレイキャラPCとの戦いを経験しているみたいだ。


恒夜コウヤ、その場所から南に十歩ほど行くと地下シェルターがあるぜ。奴らに捕まらないよう、そこに逃げ込め]

「はい!」


 フラッシュによる目眩ましが効いたのは、せいぜい前方の数頭だ。威嚇を続けるようにカメラを向けつつ、折れた柱を回り込んで太陽の方角へ向かう。大胆な性格の数頭が笑うような声を漏らしながら追ってくるのを、もう一度シャッターを切って牽制けんせいする。


[そこ、真下だ。おそらく取っ手が――]


 言われるままに足元をつま先で探ろうとしたその隙をハイエナたちは見逃さなかった。不意に足首を襲った強い痛みに思わず声が出て、バランスを崩した。いつのまにか忍び寄ってきた一頭が、僕の右足に食らいついている。


「痛っ! 離せっ」


 骨をも砕くあごの力に足を砕かれず済んだのは呪いの加護だろうけど、痛いものは痛い! かといって僕には振り解く膂力りょりょくもない。じたばたする暇もなく引きずり倒され、ウォゥ、ウォゥと低い声を不気味に響かせながらハイエナたちが群がってくる。

 まずい、と思ってとっに喉をかばうも、襲ってきた手脚を引きちぎられそうな激痛に何も考えられなくなった。食えない獲物だとあきらめて欲しいのに、絶え間ない攻撃に悲鳴が抑えられない。

 声に釣られたのか、群がる獣の影がさっきよりも増えている気が――!


 つながりっぱなしの向こう側からクォームが何か叫んでいたけど、聞き取ることなんてできなかった。喉に噛みつかれれば息が止まって声も出なくなる。呼吸ができず苦しくて、まだら模様のちらつく視界がかすんでいく。

 あ――これ、もう、だめかも。身体が死ななくても気がおかしくなる。全身痛すぎて指先の感覚もわからない。頼りのスマートフォンも、操作できなければどうにもならない。

 こんな苦行を耐え抜くなんて無理、いっそ意識を手放してしまいたい――……


「その子から離れろッ、うりゃあ!」


 不意に明朗な声が響き、ぎゃんという悲鳴が複数上がった。斑模様に覆われていた視界が開け、あざやかすぎる色が飛び込んでくる。

 大輪の薔薇ばらみたいに濃いピンク色の毛並みをした……動物?


 キュウキュウとかなしげな声を立ててハイエナたちが逃げまどい、散っていった。途端に恐怖と痛みがぶり返し、視界が一気にふやけて歪む。

 ふあぁあ、みたいな声が喉から漏れだして、地面に仰向けになったまま僕は声を上げて泣いた。誰かに助けられたのはわかったけど、確かめる勇気が出なくて。身体中が痛いし、かじられたところはベタベタで気持ち悪いし、悲しくて辛くって。


「あー、よしよし、もう大丈夫だからなっ。怖かったよな、でも何で怪我してないの? ま、いっか。ねーちゃもそんなだし、いろいろ事情はあるよな。ほら、泣くなら僕の胸を貸してやるよ」


 パーカーの袖で目を覆ったまま泣きわめいていたら、ぐいと抱き起こされて抱きしめられた。びっくりして正気が戻り、途端に恥ずかしくなる。僕は誰かの腕に収められたまま、大きな手のひらによしよしと頭を撫でられていた。

 声と体型からして男性だと思うんだけど、視界を覆う長そうな髪は派手な紅紫色マゼンダピンクでいい香りがする。


「……だれ」

「お、喋れるようになった? 僕は、ぎんろー。この辺で捜しものしてたんだけど、急に呼ばれた気がして」


 ひどい動揺が少しずつ引いていき、僕は恐る恐る顔を上げてみた。察したように、腕をほどかれる。

 色あざやかな長髪が真っ先に目に留まった。恐怖の余韻なのか喉が詰まって声が出ず、無言で見つめるしかできない失礼な僕だけど、彼は真紅の目を細めて優しく笑ってる。

 グレーのシャツを着崩して、ゆるく適当にネクタイを引っ掛けた、僕とあまり歳の変わらなさそうな、褐色かっしょく肌、先がとがった長い耳の。


「ダークエルフ」


 思わずにしても失礼すぎる僕の呟きに、ギンローと名乗った彼は気分を害したりしなかった。意外と大きくしっかりした手のひらに、もう一度ヨシヨシと撫でられる。


「へへ、半分当たり。半分は魔狼の混ざりものだけど、怖くないから大丈夫だいじょぶだよー。で、あんたはここでいったい何をしてたんよ?」


 ダークエルフと魔狼の混血という中々に物騒な出自を名乗りつつも、こちらの警戒心を吹き飛ばす人懐っこい笑顔を僕に向けて、彼はゆるく首を傾げる。


 この世界に来てはじめて出会った、だった。




 第一章 終

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