第024話・行き倒れの女商人
おはようございます、ナナシです。
朝目が覚めて結界小屋の外に出てみると、人が倒れていました。
わお、ばいおれんす。
「えーっと、もしもし? 大丈夫ですか?」
倒れている人は、一番外の結界と二番目の結界の間で倒れています。
うつぶせでお顔は見えません。
呼吸はしているようですが、意識はなさそうです。
そして一番外の結界の周りには、身体の大きな犬みたいな生き物が何匹かいます。
狼、ですかね?
前世でも実物を見たことがないのでよく分かりませんが、普通の犬よりはよほど凶暴そうな犬たちです。
ふーむ。察するに、この人は夜中の間にこの犬たちに追われてここに辿り着き、人間だけ通れる結界の内に入って難を逃れたのでしょう。
で、外の犬たちも、目の前の獲物に手が出せなくなって悔しいので、ここから出てくるのを待とうとしているって感じでしょうか。
ふーむ、ふむふむ。
なるほどなるほど。
……ここでひとつ、重要なことをお話するのですが。
僕、犬って嫌いなんですよね。
ほら、あいつらって人目を憚らずにヒトのことをペロペロ舐めてくるじゃないですか。
なのにちっとも怒られない。
僕が同じことをしたらお巡りさんにしょっぴかれるというのに。
理不尽だと思います。
優遇されてると思います。
だから嫌いなんですよ。
だから容赦しません。
「……えいっ」
僕は、結界の外でたむろしていた犬コロたちを全頭個別に結界で包み、空気を抜いて窒息させてやりました。
押し潰してやってもよかったんですが、あんまり汚すと後始末が面倒ですし、お嬢様にそんな汚いものをお見せすることになってもいけませんので。
呼吸ができずジタバタともがく犬コロたちが一匹ずつ動かなくなっていくのを見ながら、僕は今朝の朝ごはんのメニューを考えます。
やがて一匹残らず動かなくなったぐらいで、メニューが決まりました。
よし、今朝はちょっと頑張って柔らかいパンを焼きましょうか。
前世で春のパン祭りしてたときに食べてた食パンみたいに、ダブルで柔らかいやつとかロイヤルでふわふわのやつを。
ふふふ。実は、森を出る準備をしていた時にリンゴみたいな果実から酵母菌を作り出すことに成功していましてね。
アレのおかげでちょっと時間をかけて頑張れば、柔らかいパンを焼けるようになったのですよ!
さてさて。それならさっそく生地をこねてパン作りを始めましょうか。
発酵させるのにも時間はかかりますし。
と、そこまで考えたところで、倒れたままの人をそのままにしておくのも良くないことに思い至りました。
窒息させた犬コロたちを邪魔にならないように適当に積み上げて寄せると、僕はあらためて倒れている人を見ます。
「よいしょっと」
そして結界板を使って仰向けにすると、顔をのぞき込みます。
……おやおや、これはもしかして。
「たいへんです。この人、女の人です」
これは一大事と、僕は慌ててお嬢様を起こしにいきました。
これたぶん、僕がこの人に触ったらまたヤバいことになるやつな気がします。
具体的には、また土下座案件になる予感がします。
なのでお嬢様に事情を説明して、判断を仰ぎたいと思います。
僕も学習するので同じ轍は踏まないのですよ。
僕は賢いので。
ああ、それと。犬コロたちよ、恨むのなら現代日本社会を恨んでくださいね。
僕の住んでいた社会が、公衆の面前で初対面の女性の靴を脱がせてお足を舐めても大丈夫な価値観であれば、僕もここまで犬のことを嫌いにはならなかったと思いますので。
◇◇◇
「ああ、この度は危ないところを助けていただきまして、本当にありがとうございます……。しかもそれだけにとどまらず、このような美味しいご飯までご馳走になってしまって……」
お嬢様を起こして判断を仰いで朝ごはんを準備して倒れていた女の人を起こしてお互いに軽く自己紹介(倒れていた女の人は、ジェンニースカさんという名前のようです)をして。
女の人のお腹がぐうぅと鳴ったので朝ごはんを一緒に食べていたところ、このようなことを言われました。
お嬢様が、にっこりと微笑みながら答えます。
「いえいえ、困ったときは助け合うのが人の常でしょう。このように、自分の側に余裕があるのであれば、なおのことです」
「そうですよ。僕が張っていた結界のおかげでジェニ子さんが助かったのであれば、これほど喜ばしいことはないです」
ちなみにジェンニースカさん、ちょっと言いにくいのでジェニ子さんと呼ばせてもらっています。
本人曰く、友人知人や親類一同からはジェニカとかジェニ子とか呼ばれているようで、そっちのほうが自分としても呼ばれ慣れているので、ぜひそう呼んでほしいと言われました。
そういうことですので、僕はジェニ子さんと呼ばせていただきます。
お嬢様はジェニカさんと呼ぶことにしたようでした。
「ですが、このふかふかのパンなどは、まるでお貴族様が食べるものであるかのように柔らかく、ほっぺが落ちそうなほど甘いものです。これ一切れでいったいいくらの値が付くことやら……。それにこのスープも……。これほど大きなお肉が入っていて、しかもしっかり味のついたスープなど、いつ以来ぶりに飲んだことでしょうか」
おや、そうなのですか。
「はい、あまりの美味しさに舌がとろけそうですし、……この食事の価値を思うと、もったいなさで胃がこむら返りを起こしそうです」
「せっかく食べたものを吐かないでね?」
「そんなもったいないこと死んでもできませんよ! たとえ地面に吐いてしまったとしても砂ごとすすって飲み直します!」
いや、こぼしたらまた注ぎますので。
落ちたものを食べるのはノーセンキューです。
あ、パンもおかわりしますか?
まだまだたくさん焼いてますよ?
「……ううぅ、くださいぃ……」
ジェニ子さん、しくしく泣きながらパンを食べ、スープを飲んでいます。
「美味しいよぉ……、美味しいよぉ……」
なるほど。美味しさに感動して泣いているのですか。
それはなんとも、料理のしがいがありますね。
あ、それならこれはいかがですか?
「そのパン、このハチミツを塗っても美味しいですよ」
「は、ハチミツ……!? うわっ、しかもなんですかこれ、不純物が全く入ってなくてキラキラしてるじゃないですか……!!」
はい、もちろんです。
結界壁で透過指定して集めてますので、不純物はきちんと濾されていますよ。
「あら、良いわね。私の分にも塗ってくれない?」
「はい、もちろんですお嬢様!」
僕は、お嬢様のパンとジェニ子さんのパンにたっぷりとハチミツを塗ってあげました。
お嬢様は優雅にパンを口に運び、ジェニ子さんはあわあわとしています。
「ひえっ……、お、黄金……、黄金のパンになっちゃった……。これひとつで、いったいいくらの値が……」
おそるおそるとパンをかじったジェニ子さんは、数秒動きが止まった後、「美味し過ぎるよぉ……」とボロ泣きしながらパンを味わっていました。
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