3月

長保二年三月 とある高貴なお方の話

 濡れ羽色の御髪は美しく柔らかで、かんばせは白粉おしろいをはたく必要が無いほどに白く麗しい。空色の双眼は潤んで、見る者の庇護欲をかきたてる。その一挙一動に皆が注目し歓喜に湧き上がるのが常であった。


 そんな可愛らしいお方も今や立派に成長なされた。しかし、少しばかり茶目っ気が過ぎるご様子で、正直に言うと私は手を焼いていた。今日も好奇心を宿らせた黄金色の眼を満月のように丸め、あざみ色のお召し物を翻し御所を闊歩かっぽする。日当たりの良い場所を選んでお掛けになり、やがてコテンと寝転がる。こうなると誰の言う事にも耳をお貸しになられない。先日諫められたときなどは、おそれ多くも帝の懐へ逃げ込まれたという。諫言した翁丸殿は打ち据えられた末に流刑。なんと恐ろしい。


「そろそろお戻りになりませんか。お風邪を召されてしまいますよ」

 聞いているのかいないのか、尾だけをゆらゆらと揺らし命婦みょうぶ御許おもとは午睡を続ける。鶯の声だけが響く静かな宮中で私は途方に暮れていた。




命婦の御許:一条天皇の愛猫。

翁丸:犬。

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