ゑそらごと散文集

十余一

2023年

3月

マッチョのタンクトップ

 どうしてマッチョはあんなにも防御力の低そうなタンクトップを着るのだろうと疑問に思ってしまったことがある。

 タンクトップにもいくつか種類があって、その中でも一番露出が多いものをストリンガーと言うらしい。普通のタンクトップよりも布面積がだいぶ少なく、その上かなりゆとりがあるから上半身の筋肉が丸見えだ。見え隠れどころじゃない。見え見え隠れ見えくらいの割合で見えている。大胸筋とか広背筋とかそういうレベルじゃない。前鋸筋ぜんきょきんまで露わになってしまっている。

 正しいフォームでトレーニング出来ているか確認したい、パンプアップした筋肉を見てトレーニングの効果を実感したいなど、実用的な理由もあるのだと思う。けれども、それにしたって、あんまりにも防御力が低そうだ。初見のときは思わず「着てる意味ある?」と思ってしまった。上裸とほぼ変わりない姿に正直ギョッとした。

 しかし、それは初心を忘れているからに他ならないのではないか、と自省した。古代中国の漢詩にこのようなものがある。私が筋トレを始めるきっかけになった詩だ。


 對肉當歌 人生幾何 譬如朝露 去日苦多

 慨當以慷 憂思難忘 何以解憂 唯有肉養


 読み方と和訳はだいたい以下の通り。


 肉にたいしてまさに歌ふべし (筋肉を前にしたら大いに歌うべきだ)

 人生 幾何いくばくぞ (人生がどれほどのものだと言うのか)

 たとへば朝露の如し (例えるならば朝露のように儚いものだ)

 去る日ははなはだ多し (過ぎ去ってゆく日々はあまりにも多い)


 がいしてまさもっこうすべきも (憤慨することで気を晴らそうとしても)

 幽思ゆうし 忘れ難し (憂鬱な気持ちを忘れることはできない)

 何をもってか憂ひを解かむ (どうしたらこの憂いを解くことができるだろうか)

 だ肉養有るのみ (ただ筋トレあるのみだ)


 本来はこの四倍ほどある詩なのだが、今回の引用はここまでにしておく。

 さて、これは人生の儚さと筋肉の素晴らしさを詠んだものだ。千八百年も昔の詩人がこのような作品を残しているのだから、筋肉を鍛えたいという気持ちは人類の遺伝子に刻まれたものであると言っても過言ではないのかもしれない。

 筋肉を前にしたら大いに歌い、称えるべきだ。ギョッとしている場合ではない。筋肉賛歌は生命いのちの賛歌。筋肉の素晴らしさは、生命の素晴らしさ。マッチョにとっては筋肉が何よりの服であり鎧、そして生命である。鍛え上げられた鋼の肉体に拍手を送り、また自身も鍛錬すべきなのである。まあ、でもね。そもそもの話、人様の服装にとやかく言うのはナンセンスだったね。



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