不滅のアルテ

物部がたり

不滅のアルテ

 昔々あるところに一人の医者がいた。

 医者は医者であると同時に、ルネサンスの巨匠たちのように絵画や彫刻などの芸術にも精通していた。

 いつかはルネサンス芸術以上のものを創作したいという夢があった。

 だが、絵画にしろ彫刻にしろ最大多数の凡人より優れた作品を生み出しはするが、ルネサンス芸術とは天と地ほどの開きがあった。

 いったい何が違うのか。

 それは、オリジナリティだったろう。


 医者の作品には圧倒的にオリジナリティが足りなかった。

 ただ上手いだけのコピーだった。

 ルネサンス芸術のように時間と空間、文化を超越する芸術とはなにか。

 医者はある結論にたどり着く。

 時間と空間を越えても存在し続ける芸術――「それは人間だ」と。

 人間が存続を続ける限り、決して廃れることのない芸術作品になりえるものは、人間しかありえない。

 絵画、彫刻、音楽、文学、すべての芸術は人間を表現するためのジャンルでしかないのだ。


 芸術は人間により創造される。

 それがわかれば、後は人間をどのように芸術に昇華させられるかだった。

 人間は必ず老い、最期は朽ちる。

 そのとき医者の頭に閃きが走った。

「ミイラ……そうだ! ミイラだ! 古今東西を探しても、ミイラは宗教上の儀式であり芸術に押し上げた者はいない!」

 死に逝くオフィーリアのようなミイラは作れないか。

 もし作れるとすれば、どんな絵画、彫刻も超越する究極の芸術になるのではないか。

 医者はこれしかないと思った。


 幸いなことに医者は医者であり、医者の父は院長だったため病院内は多少の融通が通せる。

 死体を入手するのもそう難しいことではない。

 医者はその日からミイラに関する文献を調べた。

 エジプトで一般的だったミイラ製造方法は、遺体を洗浄し、腐敗の早い脳や内臓などを切除する。

 その後、体から水分を抜くために塩漬けにする場合もあるそうだ。

 上記の過程を経て、植物から抽出した防腐効果のある油を皮膚に塗り込み、乾燥を防ぐため包帯を巻き、外界から隔離する。

 だが、この制作方法だと死体は傷み、仕上がりは美しくない。

 遺体を傷つけることは最小限避けたかった。


 医者はミイラ製造方法の開発に心血を注いだ。

 ミイラにする遺体は腐敗していない新鮮なものに限られる。

 特に、若い女性か男性が好ましいが、若い人間の遺体は入手が困難だった。

 来る日も来る日も遺体と向き合い、遺体に様々な薬品を投与し、腐敗を防ぐ加工を試し、どうすればミイラを作れるか研究に何年も費やした。

 何百体という遺体を実験体にしたことで、遺体の腐敗を防ぐ薬剤と加工方法を開発した。

 ホルマリンと亜鉛塩、サリチル酸とグリセリンの混合したものを人体に注入する。


 グリセリンによってミイラ化を促し、サリチル酸はカビの防止効果があると思われる。

 だが、そこまでわかっていても、決定的な何かが足りなかった。

「いったい何が足りないというのだ……」

 最後の決定的なが足りないが、足りない何かがわからなかった。

 最後の一ピースを探し求めているとき、医者にとって最大のピンチが訪れた。

 医者がミイラ研究を行っている部屋に患者が迷い込んでしまったのだ。


「どうしてこんなところに……」

 若い女性だった。

「探検していたら迷い込んでしまって」 

 女性は研究室中に並べられたミイラの失敗作を、不思議そうに眺めていた。

「先生。あれは何ですか」

 医者の頭に過ったのは、警察に捕まるという恐怖などではなく、このままでは芸術を完成させられないという危機感だった。

 このまま女性を逃がしてしまったら、厄介なことになるだろう。


 そのとき、医者の脳裏で足りなかった最後の一ピースが、カチッとはまる音を聴いた。

 最後の一ピースとは、最高の素材だった。

 どちらにしろ、見られてしまったからには女性を逃がすわけにはいかなかった。

 長年続けてきたミイラ研究の影響か医者の倫理道徳は狂っていた。


 医者はミイラ開腹用のナイフを後ろ手に握りしめて、女性との距離を詰めた。

「これはミイラですよ」

「ミイラ? ミイラって、あのミイラですか」

「そうです。あのミイラです。私は世界で最も美しい不滅のミイラを作る研究をしているんです」

「不滅のミイラ?」

「ええ、時間・空間・価値観を超越した普遍的な価値を持つものは人間そのものです。その人間を不滅のミイラにするのです。彫刻などより美しいと思いませんか」

「でも、昔ならともかく、今の時代ミイラを作って良いのでしょうか」


「もちろん、犯罪ですよ」

「法に触れてまで、先生は不滅のミイラを完成させたい、ということですか」

「その通り」

 女性との距離、三メートル。

「その不滅のミイラは完成しましたか」

「残念ながら最後の一ピースが足りないのです」

「足りないとは何がですか」

「最も美しい芸術には、最も美しい素材が必要です」

 その最も美しい素材は目の前にあった。

 女性との距離、二メートル。


 あと一歩踏み出せば射程内というとき、女性はいった。

「私をミイラにしてください」

 医者は足を止めた。

「何を……」

 ミイラにするつもりでいたが、女性の方から「ミイラにしてください」といって来るのは予想外だった。

「私は長くは生きられません。長く生きられないのなら、崇高な芸術の一部になりたいのです。芸術として私は不滅になりたいのです。それとも私では不足でしょうか」

 女性は自負しても嫌味にならぬくらい、若く美しかった。

 いうまでもなく医者の倫理道徳は狂っていた。

「任せなさい。私が君を不滅にしてあげます」


  *             *


「と、いう経緯でこのミイラは誕生したと伝わっています」

 千年後の博物館に世界で最も美しいと評される『不滅のミイラ』は展示されていた。

「ガイドさん!」

「はい、れい君、何でしょう」

「生きている人をミイラにしたんですよね」

「そうです」

「その医者はどうなったんですか?」

「その後、医者は捕まって罰を受けました」


「なら、そんな経緯で作られた作品を展示していいんですか?」

「そうですね……作者と作品は別物と考えたのか。このミイラとなった女性の希望なのか。それとも、このミイラが余りに美しかったため、処分するのがためらわれたのか。詳しいことはわかりませんが、一つ言えるのは、このミイラは千年経っても愛される、世界で最も美しい『不滅のアルテ』だということです」

 現在もミイラは世界中の人から愛されていた――。

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