どうぶつ屋敷のマイコ

スギモトトオル

本文

「べっくしょーーんっ!!」

 ずるっ、どどーーん!

 大きなくしゃみといっしょに目を覚ました勢いで、マイコは布団からずり落ちて床に転げた。

「あいててて……」

 床にごつん、とうった頭をさすりながら、目を白黒させるマイコ。お寿司のエビがシャリから落っこちたみたいに、足だけを上に残して、床にひっくり返っている。

 枕元では、コーギーのマルが舌を出して、寝ぼけまなこのマイコを見下ろしていた。マイコが自分の顔に手を触れてみると、べとべとして生ぐさい。マルが、マイコを起こそうとして顔を舐めていたのだ。

「……なんだか、生ぬるい池でおぼれる夢をみたような気がするけど、あんたのせいなのね」

 のそのそ起き上がりながら、恨めしそうにマルを睨む。マルは、そしらぬ顔でいる。ため息をつきながら、マイコは一緒にずり落ちた布団に向けて手をかざした。ぽう、と赤い光が現れて、布団にマイコが魔法を掛けると、それを寝床の上に持ち上げて戻す。

 きぃ。リビングのドアが開く。騒ぎを聞きつけたのか、家族たちがぞくぞくと部屋に集まって来た。

 三毛猫のミャコに、黒猫のクロ、チャボのつがいのレオとケイ、ジャンガリアンのプイまでいる。

 ぞろぞろとマイコの周りに集まって、挨拶のようにつつきまわす。

「もう、くすぐったいってば。あ、アキもおはよう」

 皆の後から、秋田犬のアキがのそのそと現れて、マイコの袖をぐいぐいと引っ張った。

「え、なに?ちょっと、引っ張らないでって」

 おばあちゃん犬のアキだけど、9歳のマイコの力ではかなわない。引っ張られるがままに、家の外までついていくと、表通りに女の子がひとりで歩いているのが見えた。

 女の子は辺りをきょろきょろ見回しながら、トートバッグを大事そうに抱えている。

「あ〜、迷い込んだかな」

 マイコはアキに伸ばされた袖を直しながら、その様子を見て唸る。

 お尻を突かれて振り返ると、皆がじっとマイコを見ていた。

「分かってるって。見捨てたりしないよ」

 そう言うと、マイコは手を振りながら門を開いて表に出た。

「お〜い、そこのきみ、迷子でしょう?」

 声に驚いて女の子が振り返る。マイコと同い年くらいで、きれいな黒髪に赤いリボンを着けて不安げな表情を浮かべている。

「だれ、あなた?」

「わたし、マイコ。ここに住んでるの。きみ、普通の人間でしょ?」

「ふつう……?」

 戸惑った声で聞き返す女の子。やっぱりな、と思いながらマイコは説明した。

「ここは、魔法使いの町のはずれよ。普通は、魔法使いだけが入れるんだけど、たまたま入ってきちゃったのね」

「魔法使いの町?じゃあ、あなたも魔法を使うの?」

「あ~うん、いちおう、私も魔女よ。まだ見習いだけど」

 マイコはちょっと目をそらして答える。その目が、女の子の背負ったカバンにとまった。

「それ、バイオリン?」

 女の子は、抱えているトートバッグの他に、黒い楽器ケースを肩にかけていた。

「え、う、うん。お稽古に行くところだったの……」

 ははあ、とその答えを聞いたマイコは頷いた。きっと、この子はそのバイオリンのお稽古に行きたくなかったのだ。子供の気持ちは純粋だから、魔力と反応しやすい。迷い込んでしまったのも、そのせいだろう。

 マイコは、女の子の腕をつかんだ。

「ねえ、もしよかったら、ちょっと聞かせてよ」

「え?ここで?」

「うん、ほら、私の家族も聞きたがってる」

 マイコが手で示すと、玄関のところに集まった動物たちが、マイコと女の子を眺めている。女の子を連れて行くと、囲むように集まって歓迎した。

「わあ、家族って、この子たち?」

「そうよ、私と暮らしているみんな」

「猫に、犬に、ニワトリもいるのね」

「ハムスターもいるわよ。ほらプイ、こっちおいで」

「きゃっ。あは、かわいい」

 皆が親しみを込めて、女の子に頬ずりしたり、尻尾を振ったりしている。女の子は、手の上にプイをのせて、促されるままに玄関から庭に入っていった。

「さあ、ここはあなた一人の演奏会よ。好きに弾いていいわ」

「なんか緊張しちゃうな。初めて会った子の前で演奏するなんて」

 女の子は恥ずかしそうに照れながら、バイオリンをカバンから取り出した。

「ねえ、始める前に名前を教えてよ」

「私?私は、カオリっていうの」

 カオリはそう言って笑顔になると、肩の上にバイオリンを乗せて、深呼吸をした。

「じゃあ、始めるね」


****


「行っちゃったね、カオリ」

 魔法の結界のふちに立って、マイコはとなりのアキの背中を撫でている。今は、マイコとアキの一人と一匹だけだ。

 カオリは、家の庭で一通りバイオリンの演奏をしたあと、もっと、とせがむマイコに首を横に振って、楽器を片付けてしまった。

「私、やっぱりもう行かなきゃ」

「どうして?お稽古、本当はいやなんでしょ?」

 マイコがそう言うと、カオリは複雑な表情を見せた。

「うん、あんまり上手に弾けなくて注意されてばかりで、ちょっと嫌だったの。でも、練習しなきゃ上手にはなれないもの」

 バイオリンケースを背負うと、きっぱりとした口調でそう言った。

「マイコちゃん、元の世界に戻れるところを知っている?私を連れて行って」

 本当はもっとカオリとお話がしたかったけど、マイコは引きとめるための言葉が出てこなかった。カオリは笑顔で手を振って、境界の向こうへと歩いて行ってしまった。

「どうして、カオリは嫌なのにお稽古に行ったんだろう」

 マイコは、唇を尖らせてつぶやく。アキは、となりでそんなマイコを見上げていたが、くるりと後ろに回ると、ぐい、とマイコのお尻を鼻先で押した。

「わっ、アキ!?ちょっと、何よ?」

 マイコは驚いて声を上げたが、構わずにぐいぐい押してくる。その先には、カオリが帰っていった人間の世界への境界があった。

「追っかけろってこと?」

 訊ねると、わん、とひとつ吠える。マイコは迷ったが、どこかで、自分でもそうしたいような気がしていた。

「行ってみるかァ」

 しぶしぶマイコが歩き出すと、アキも横について歩き出す。

 一人の女の子と一匹のおばあちゃん犬は、カオリの後を追うように、人間の世界への境界をくぐり抜けた。


****


 バイオリン教室は、アキがカオリの匂いを追ってすぐに見つけることが出来た。

 眼鏡をかけた四十過ぎの女の先生とカオリが、一対一でお稽古をしている。マイコはアキと向かいの木の上に登って、その光景を見ていた。

 カオリがバイオリンを弾くと、その度に先生にたくさん何かを言われる。カオリは真剣な表情で頷いて聴いて、もう一度弾くのだけど、それでもまた、先生はくどくどと注意をしているようだった。

(カオリ、かわいそう。あんなに上手なのに、あの先生いじわるだよ)

 木の上で聴きながら、マイコは腹をずっと立てていた。それでも、窓の向こうのカオリは何度も弾き直しては注意をされ続けている。

「ようし、先生の邪魔をしちゃえ」

 マイコはそうつぶやくと、教室の窓の隙間を睨んだ。何か言いたげに服の裾を引っ張るアキを引きはがして、ぽう、と手に赤い光をまとわせる。

「じゃあ、アキ、上手くあばれてお稽古をやめさせちゃえっ。そーれっ」

 アキの体に魔法をはたらかせると、マイコはその窓の隙間にめがけてアキを魔法で飛ばした。狙いは抜群、おばあちゃん犬は、やれやれ、という風に鼻を鳴らしながら、教室の中に飛び込んだ。

 突然乱入してきた犬に驚いて、バイオリンの先生は大きな叫び声をあげた。アキは教室の中を走り回り、譜面台を倒し、先生の足の間をすり抜け、お稽古をめちゃめちゃにひっかき回す。マイコは声を殺しながら、お腹を押さえて笑い転げた。

 カオリはびっくりしていたが、途中で犬がアキだということに気付いて、慌てて窓の外を見て、マイコに気が付いて目を丸くした。マイコはくちびるに指を当てて、ウィンクを返す。

 アキはひとしきりあばれ回ると、他のスタッフの大人が教室に入ってきた脇をすり抜けて、あっという間に逃げ出しててしまった。マイコは、教室の中がてんやわんやになっているすきに、こっそりと木を降りた。

「びっくりしたわ。マイコちゃん、どうしてここに?」

 めちゃくちゃになったお稽古がそのままおしまいになると、教室から出てきたカオリは辺りを見回して、ベンチに座る女の子と犬を見つけて駆け寄った。

「へへ、だって、カオリがあのおばさん先生にいじめられてたからさ、ガマンできなかったんだ、私」

 マイコは得意げにそう言って、アキの頭を撫でる。ひと仕事終えたアキは、黙ってマイコの足元で眠ったように目を閉じていた。

 カオリは、マイコとアキを見比べて、まだ驚きが収まらない表情で胸を押さえる。

「じゃあ、あれがマイコちゃんの魔法なのね。あの木の上から、アキを飛ばしたの?」

「うん、あのくらいなら、私の魔力で簡単よ」

「マイコちゃんって、すごい魔女さんだったんだ」

 カオリが感心した声を上げると、マイコは顔を曇らせて、首を横に振った。

「ううん、私なんか全然だめなの。魔力は強いんだけど、使いこなせなくって。自分の家の物とかアキみたいに、小さいころからずっと一緒じゃないと、魔法を上手くかけられないんだ」

 それまでカオリに見せていたのとはうって変わった表情と声で、うつむいてマイコは話す。

「本当はね、私くらいの年だったら、もっとちゃんと魔力を使いこなせるの。だけど、私は学校でも一番へたで、来月の試験にもきっと合格できない」

「合格できないと、どうなるの?」

 急に暗くなってしまったマイコを心配するように、カオリがしゃがんで訊ねる。

「次のクラスに上がれないの。だから、ずっと卒業できないし、私、きっとずっと見習いのままなんだ」

「そうなの……」

 その話を聞くと、カオリも声を落とす。

 だけど、きっ、と顔を上げると、マイコの手を取って強く握った。

「カオリ……?」

「マイコちゃん、私のためにしてくれたいたずら、ありがとう。でもね、もうあんなことはしないでね」

「どうして?カオリ、怒られて嫌じゃないの?」

「ううん、怒られていたわけじゃないわ。私は、もっと上手になりたいから、先生に教えてもらっているの」

 カオリは言葉を切って、マイコの目をまっすぐ見つめる。

「マイコちゃん、私のバイオリン、すごく喜んでくれたよね。あの曲もね、最初は全然弾けなかったんだよ。先生に習って、一生懸命練習して、やっとマイコちゃんにほめてもらえるようになったの。私、マイコちゃんたちに聞いてもらって、それを思い出したの」

 マイコは、熱心に語るカオリを見返して、聞き入っていた。

「ねえ、マイコちゃんもあきらめないで。本当は、合格して次のクラスに行きたいんでしょう?私も、バイオリン頑張るわ。もっと上手になりたいの。マイコちゃんや、先生や、もっと多くの人に喜んで聴いてもらえるようなバイオリニストになるために、いっぱい練習する。いっぱい大変な思いもするけど、それでも、私、がんばる」

「カオリちゃん……」

「私、もう一度お稽古の続きをしてもらえないか、先生にお願いしに行ってくる!じゃあ、マイコちゃん、きっとまた、会いましょう!」

 そう言って、ひときわ強く手を握ると、立ち上がって、カオリは教室に向かっていった。入り口の前で笑って手を振ると、そのまま扉の中へと戻っていった。

 残されたマイコは、呆然と、その入り口を眺めている。

「もっと、頑張る……」

 カオリの手のぬくもりが残る手のひらを見つめて、つぶやく。いつの間にか起きていたアキが、その手を鼻先でつついて、わん、とひとつ鳴いた。

 マイコはぎゅっとその手を握ると、ベンチの背もたれにもたれかかった。

「はぁ~、大変なの、いやだなぁ」

 ため息交じりにぼやいて、足をけり上げると、そのままいきおいよく立ち上がる。

「でも、うん、しょうがないよね。カオリに、また会いましょう、って言われちゃったし。そのときに、私だけ何もしてないんじゃ、カッコ悪いもの!」

 元通りの、元気いっぱいな声と表情でマイコがそう言うと、足元でアキが、わん、と吠えた。

「さ、帰ろう、アキ。そうと決まれば、早く帰ってたくさん練習しなくっちゃ!」

 一人の少女と、それに付き添うおばあちゃん犬は、元気よく走って、街角に消えていった。きっと、またここで、笑顔で再会するために。


<了>

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