二十四、朝凪

 謎の液状型異物が現れる少し前。籠城を続ける光理と研究員たちは五階管制室への退避を完了し、モニターを凝視していた。武装した裏社会組織の構成員たちが、蛍光イエローの外套を纏った少女に容易く狩られていく様を。

 四階管制室とさほど変わらず、壁掛けの大きなメインモニターと、列を成す複数台のデスクトップモニターには、六階から四階までの管制機能が統合し直されている。草加新の体も、再起動はされないまま運ばれ、四階同様にコンピューターと接続され直していた。必要なデータはバックアップを担うチップに集約され、機体外へ取り出されている。


 グリードの構成員が突入してくる危険を考慮し、光理の指示のもと五階へ移動してきた研究員たちは、非情ながらも危険の根源が刈り取られたことに胸を撫で下ろしていた。移動する際、レイモンドから武器を返還された光理もまた、相棒たちの出番が無くなったことに安堵している。煙幕を用いて優勢を保ったまま、数の劣勢を物ともせず場を制圧してみせたルゥナとギンの手腕が、今の光理にできるだろう戦闘より見事だったのは言うまでもない。


 五階の面々に感謝されているなどとは知らず、煙幕が引いたカメラ映像内では、ルゥナとギンが合流して立ち話をしていた。同画面に表示されている時刻は、午後五時の近くまでやって来ている。

 まだ外が明るいうちに脱出の見通しができて良かったと、光理が次の指示を出そうとした、その直後だった。急に画面内でルゥナが発砲し、けたたましい警報音が鳴り響いたのは。


「これは……異物脱走時の警報音です! そんな、六階に異物はいなかったのに」


 光理の補佐よろしく隣位置に収まっていたレイモンドが、初めて狼狽ろうばいの色を見せる。他の研究員たちも同じく、光理でさえ一瞬、胸裏の冷えを感じずにはいられなかった。けれどすぐさま抑え込み、音声通信が繋がっているディスプレイに向けて声を叩きつける。


「改道光理より軍部へ、施設内に異物の反応が検出されました。至急情報求む!」

『こちらでも反応が確認されました。現在解析中……解析完了。機器侵入型の異物です』


 だからか、と。千衣ではない軍部の人員からの返答に、光理は唇を噛んだ。

 機械に侵入する異物は光理も知っているが、あまり研究は進んでおらず、情報も少ない。仮に機器内部へ入っても、探すためには最近開発されたばかりのプログラムが必要になる。セキュリティ面を簡単に更新しただけの施設内機器には当然入っていないし、入れるにしても研究所の専門機関を通さなければならない。脅迫されて連れてこられたレイモンドたちが見落とすのも無理はない。

 光理の憂慮を証明するように、煽られた不安をさらに膨らませるように、ディスプレイ画面にもノイズが走り始めた。


「駄目です、もう侵食が!」

「機械だけじゃありません、室内にも!」


 後方からも悲鳴に近い声が上がり、研究員たちから滲み出した恐怖が空気を支配し始める。振り返って見れば、蒼黒い液体状の異物が音もなく、隙間から室内へ侵入し始めていた。


「っ、千衣さん、我々はひとまず上階へ向かいます」

『了解。啓一郎たちも施設に入ったわ、何とか合流して』


 暗転してしまったディスプレイではなく、通信が開いた際、同じく繋げておいた通信機に声を入れる。急を要していつもの砕けた声になっていたが、咎められなかった。位置情報も拾われようが問題は無いし、むしろ発信しておくべき。研究員たちの無事と脱出が最優先だ。


「皆さん落ち着いて。これから上階へ逃げます」


 異物は幸い、人間に襲い掛かる素振りは見せていない。音は無く、蒼黒く渦模様を光らせる姿は不気味だが、引き金に指を掛けた指を曲げるまでには至らなさそうだった。

 研究員たちも、むやみやたらと恐慌を掻き混ぜる必要はないと悟ったらしい。騒ぎ立てず、光理の一声で表情を切り替える。


「なるべく固まって。ドアは開きますか、開かないようなら私が開けます」

「自動機能は解除されてしまったようですが、ロックはかかっていません。手動でも開けられそうです!」


 確認した一人に続いて、研究員たちが総出でこじ開けにかかる。光理も手伝い、隙間でうごめく異物を跳ねのけ、管制室のドアが開いた。廊下は室内と似たような状態だが、じゅうぶん進める。


「よし。皆さん、引き続き落ち着いて行動を。まずは四階を目指して――」


 振り返った先に固まる研究員たちの体、その隙間に、異物とは違う動きを見せるものがあった。

 光理が対象を捉え、それが何なのか、どう対処すべきか理解するまでにかかったのは数秒。彼方に捉えたものより、手前に集う研究員たちを取る。


「――四階を目指して、避難しましょう。渡貫中佐、ルートの指示などはありますか」

『非常階段は既に異物が占拠しています。できるだけ広い道を選んでの避難を推奨します』

「了解。行きましょう」


 全員を見渡して頷き合ってから、光理を先頭にして、研究員たちの避難が始まった。

 走り抜ける一団に、異物は近寄るどころか慌てて道を譲るような素振りさえ見せたが、光理は射撃の構えを解かず道を切り開いていく。立ちはだかるドアやシャッターなどは、管制室の扉と同様にロックされていなかったが、手動で開けている暇はない。塞がれているのなら、還元祓魔術生成弾または手榴弾で劣化させた上に、勢いと数を乗せた衝突を重ねて踏破していく。


 咆哮と共に障害物を破る行為は、否応なく士気を上げていた。非武装かつ研究職の一般人であれども、勢いと同調、緊急事態の魔法にかかってしまえば暴力を纏う。ここに冷水をぶっ掛けられなければ、一気に駆け抜けられそうな予感さえしてくるが、そう上手くはいかない。


『――三階から四階への第一通路を閉鎖します。付近で作業中の方々は離れてください』


 聞き慣れたナビゲート音声によるアナウンスが、突如、避難経路を潰すと無情な宣告を下した。同時に、遠くからアラーム音が響き伝わってくる。


「構わないで、走って!」


 研究員たちが戸惑うより先に、振り返らず光理が叫ぶ。今度はおそらく、完全に道を閉ざされてしまうだろう。施錠はもちろん、還元祓魔術応用プログラムを走らせて、強行突破も叶わなくなる。だが、三階なら既にルゥナとギンがいる上に、後援が来るのも確実。こじ開けられる可能性は高い。

 果たして、一行は三階と四階を繋ぐ、緩やかな傾斜の付いた経路へ出た。先ほどの館内放送通りに下ろされたシャッターの不愛想な出迎えに、光理が残っていた手榴弾をお返しのチップよろしくぶつけるも、予想通りびくともしていない。


「こちら改道光理。三階から四階へ通じる通路に出ましたが、行く手をシャッターで塞がれました。三階フロア側からの爆破による経路確保を要請します」

『了解。先ほど、改道啓一郎から渡貫中佐に連絡が入り、貴方が呼び出した〈黒猫〉のルゥナ及び〈灰猫〉のギンとの協力体制が整ったと報告が上がりました。要請内容を伝えます』


 冷静な女性通信士の声に返事をしつつ、光理は手榴弾の爆散跡が残るシャッターを見た。この障壁一枚を隔てた先に、ルゥナもギンも、啓一郎も重満もいる。声は聞こえてこないが、いる。

 光理が使っている通信電波は、特殊性ゆえに他電波と共有できない。今いる場所も、通信先も同じなのに、啓一郎たちとは隔てられている。

 恋しいと思ったわけではない。身が強張ったわけでもない。いるのであれば、必ず会うという確信だけがある。――それは、五階管制室からの去り際に捉えた対象も同じこと。


「……改道さん」


 研究員の一人に呼ばれ、光理はシャッターから視線を外し、後方へ顔を向けた。

 蒼黒い液状型の異物が蠢く通路に、ぽつりとたたずむ人影が一つ。息を呑んだ研究員たちと、息を潜めた光理によって静けさが保たれたそこに、草加新が立っていた。地上では夕暮れが深まっていく中、朝凪のような新しさを纏って。初めからそこにいたとでも言うように。


 草加新に入っていた必要データは、チップとして既に持ち出されている。故に、機体を持ち出す必要は無かった。誰も新の機体を取りに行こうと言わなかった時点で光理も察していたし、緊急避難の重荷になることも分かっていた。新は機材に繋いだまま、ここに置いていくのが最適解だということも。異物が機械へ侵入するのなら、草加新だった空っぽの機体に入り込まない道理は無いことも。


「皆さんはシャッターからできるだけ離れて、姿勢を低くして待機してください」


 言いながら研究員たちを手で制し、光理は新と向き合う最前線へ、ゆっくりと進み出る。今の新は、研究員たちが指示を出さなければ動かない。けれど動いているのなら、動力源は目に見えている。

 光理は銃口を持ち上げ、標準を新へ定めた。


「レイモンドさん。草加新の体は必要ですか」

「……異物に侵入されているのなら、貴重な資料になります。研究所としては鹵獲ろかくを希望したいところですが、改道さんに一任します」

「了解しました」


 スコープの十字に草加新の頭部を収めながら、自分から出た返答を遠い響きのように感じながら。光理の身体は使命を全うするために、不動の武器へと変化する。風のない今この場に、邪魔をするものは何一つない。

 止まっていた鳥がいたのなら、瞬く間に飛び去っていくような銃声が響いた。鳥の代わりを務めたのは、音に身じろぎした研究員たちと、銃弾を受けて後ろへよろめいた好青年モデルの機体だけ。


 だが、後者はすぐに動きを止める。弾丸が命中し、風穴の開いた頭部から異物が飛び出してきたかと思うと、液状の体を活用して塞いでしまった。すぐさま二発目が眼鏡ごと右目を貫通したが、それさえ瞬時に塞がれてしまう。

 ざわり。それまで大人しく周囲を這うだけだった異物が波打ち、光理の背後を取った。第二のシャッターが、光理と研究員たちを隔ててしまう。そちらへ銃口は向けられなかった。貫通した場合、研究員たちにまで被害が及ぶ。


 すぐさま前へ視線を戻し、光理は躊躇ちゅうちょなくトリガーを引く。周囲の異物に守られるわけでもなく、新の機体は弾丸が命中するごとに穴を開けられ、塞がれていった。

 これ以上は無駄になると察したことに加え、気分の悪さが蓋からはみ出してきたこともあり、光理は銃口を下げた。背後に広がった異物の障壁は解かれなかったが、傾いた眼鏡越しに、新の左目が光理を捉える。


「……カ、イド、う、ヒ、かリ……」


 新の記録と音声が、新ではないモノによってなぞられた。動揺せず、安易な反応もせず、じっと光理も見つめ返す。異物の体で塞がれた蒼黒い右目は、機能しているのかどうか分からない。


「モト、め、マ、す……、オネ、がい、シまス……。こうゲき、しナい、デ、クダ、さイ。……ウ、つ、ギ、あツ、な、ガ、を、かエし、テ、くダ、サい」


 卯木淳長を返してください。不自由な口調で発せられる言葉を理解するのに数秒を要したが、理解できれば点と点を繋ぐ線と化した。淳長の体内にいるのだろう異物、あるいは卯木淳長に擬態している異物が、この蒼黒い液状型たちの同類なのだろう。

 正体の予測を立てつつ、光理は要請内容にも考えを巡らせる。わざわざ記録をさらい音声を用い、「要請」という行為を持ちかけてくるあたり、攻撃の意志は無いらしい。返事をしても良さそうだった。


「……卯木淳長の所在は分からない。こちらから返すことはできない」

「イ、い、エ。ちカ、ク、いマ、す。すグ、チ、かく」


 啓一郎と重満に引き渡したのを最後に、光理は淳長を見ていない。しかし異物はすぐ近くにいると言う。光理もすぐに思い至った。淳長はおそらく、まだ二人の傭兵と行動を共にしている。単独行動が許されるわけはなく、後援を担う二人と一緒に施設内へ入ってきたのだと。


「わ、レ、ワれ、かツ、ドう、ゲン、かイ、ま、ヂカ。……せ、イた、い、キ、ノう、オお、はバ、てい、カ、ちゅウ。り、ユう、せ、つメ、い、フか。おネ、がい、しまス」


 活動限界間近、生体機能大幅低下中。ようは死にかけらしい。淳長の内部にいる同胞と再会するため、理由を話す程度のリソースも割きたくない、と。それならこんなまどろっこしい手段を使わず、直接会いに行けと言いたいところだが、異物側には異物側の事情があるのだろう。光理はそう納得してやることにした。


「そっちの事情は把握した。だが一つ答えろ。どうして私を閉じ込めた? 人質か?」

「……、……い、い、え」


 人質という言葉を検索でもしていたのか、リソースを割くべきか考えたのか、否定が出るまでに数秒かかる。言葉だけでなく、首を横に振るという動作までして見せたあたり、本当に違うことを示したいらしい意思が窺えた。

 だが、次いで紡がれた音声に、光理の警戒度合は再び引き上げられる。


「ア、なタ、ハ……こ、ノ、キた、イ、この、でー、タ、の、フっ、かツ、ヲ……お、ノぞ、ミ、で、ハ、あリ、マセ、ん、カ?」

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