十五、岬
銃口を向けたまま、新は光理を引きずって運転席へ乗り込む。素早く光理を助手席へ移動させると、トラックのエンジンを入れていた。
もちろん、黙って見ている啓一郎と重満ではない。二人とも低い姿勢のまま、携えていた銃を構え、容赦なく西洋式風術生成弾を撃つ。だが、まるで効かないとばかりに、トラックはもうもうと土煙を上げて走り去っていった。
「ッ、こちら改道啓一郎。草加新がこちらへ発砲し威嚇。改道光理を気絶させて連れ去った。卯木淳長は無事よ」
『こちら渡貫千衣。草加新の発砲はこちらでも確認された。それと同時に研究所からの報告も上がってきました。研究所は、草加新の制御権を奪還。強制的に改道光理の身柄を確保し、第三都市へ帰還させると』
「最ッ悪! あいつら狙ってやがったわね」
怒りのままに吐き捨てた啓一郎だが、重満と共に前部座席へ乗り込み、シートベルトを嵌めるより先に車を発進させる。トラックとの距離はかなり開けられていたが、既に感知した反応は消えずモニターに表示されているため、今までと比べれば段違いに追いやすい。
しかし、トラックの後塵にも追いつけないまま、波紋を打つ赤丸の反応が消える。しばらく走行を続けたものの、やがて諦めざるを得なくなり、啓一郎は車道のど真ん中で停車した。どことも知れぬ廃墟群の車道は、あちこちが
「見失ったなァ。だが、新は第三都市に向かったんだろう、渡貫中佐」
背もたれに圧し掛かって天井を仰ぐ啓一郎に代わり、重満がトランシーバーに問いかける。繋ぎっぱなしだった無線からは、慌ただしいノイズが零れていた。
『こちらでも草加新の反応が途絶しましたが、第三都市へ帰還するのは間違いないでしょう。とは言え、道中で草加新に何らかの指示が下される可能性もある』
「その指示で、光理の身に何か起こる可能性もあるってこったな」
「ボケカスどもが。何かしたらドタマぶち抜いてやる」
「啓ちゃん口が最悪になってるよ。気持ちは分かるけどさァ」
顔を前へ戻し、地を這うような低音で呪詛を吐くがごとく言う啓一郎に、重満も決して軽くはない声で返す。体感だけで言うならクーラーも要らないほど冷え込んだ車内には、ギスギスした空気も満ち始めていたが、「あのぉ」と窺うように落とされた声が悪化を一時停止した。
傭兵二人が後部座席を振り返れば、運転席と助手席の隙間から、淳長が頭を低くしつつ覗いている。完全に置いていかれたせいで、何が起こっているのか全くもって分からないという顔は、見事に困り切っていた。お陰で、いつ不満が爆発するか分からないような空気が抜け、啓一郎の怒りも
「おっと、わりぃな、卯木さん。とりあえず手短に説明すっと、アンタを車に乗せた後、草加新が改道光理を気絶させ、こちらへ威嚇射撃を行った。俺たちは新を追ったが撒かれて、今は一旦休憩中ってところだな」
「あ、新くんが銃を撃った、んですか?」
咄嗟の呼び方だけで、人質とは名ばかりだったことが知れるものの、傭兵たちに驚きはない。予想はしていたし、いま追及すべきことでもない。
「それに、光理ちゃんを気絶? なん……あの二人、仲間割れするような感じじゃなかった、ですよ?」
「そんなこたァ俺らが一番知ってるよ。仲間割れじゃなくて、新の操作制御権が研究所に握られたから、光理が掻っ攫われたってワケ」
「……えっ、と。……あの、操作制御権、って、なんですか? 光理ちゃんと新くんが乗ってた、軍用トラックのこと、ですか?」
ますます強まった淳長の困惑は、重満と啓一郎にも余波をもたらした。傭兵たちが顔を見合わせ、再び淳長の顔を見ると、「えっ、え?」と忙しなく交互に茶色の視線が飛ぶ。
「こりゃ本気で知らねェな。あー、驚かないで聞いてくれよ? 草加新は人間じゃねェ。人工知能搭載、寝食によるエネルギー充填も可能なアンドロイドだ」
ぽかん、と。淳長は口を開けたまま固まった。アンドロイドのアを言おうとして、それ以降が出てこなくなったようにも見える。
異物掃討関係者として、アンドロイドが加わっている光景は珍しくない。還元祓魔術で形成した疑似回路、人工知能、高精度解析システムなどを搭載したアンドロイドは、しかし機械然とした雰囲気を決して消去しきれない。ロボットのような見た目のものもあれば、人間の外観とそっくり同じに作られているものもあるが、人間に完全に溶け込むものはいない。草加新と名付けられた個体以外は。
「改道光理は、銃や爆弾を所持して研究所へ押し入り、アンドロイドである草加新を強奪。そして軍用トラックも強奪して逃走。向かった先で防壁の管制室を武力制圧したのち、新に防壁機能のハッキングを許可し、第三都市北部へ大規模な電子障害をもたらした上で、都市圏外へ逃亡した」
先月には言葉を解凍する側だった啓一郎が、冷凍庫から手際よく言葉を取り出していく。だが、凍っていても、触れたところからぬるりと不快感が染み出してくる。
改道光理は、男の姿をした機械に勘違いを起こして、犯罪に走ったろくでもない女。
たった一人の男どころか、感情がただのシステムでしかない機械のためだけに、大勢の人を危険に晒すほど狂った女。
気にしないよう努めても、目や耳が拾ってしまう過剰な誹謗中傷の数々。詳細を知らない相手かつ犯罪者のレッテルを貼られた相手であれば、正義を振りかざして自由に遊び壊していいとばかりに寄ってたかる人間はいる。汚く醜いものに対し、ヒステリックになりがちな人間が多い都市圏内であれば、なおさら。
だが、淳長はそんな素振りも見せず、ただただ顔を青ざめさせている。こちらも人間かどうか分からない相手ではあるが、神経を逆なでするような反応はしていないため、啓一郎の怒りに油が注がれるようなこともない。
「ま、でも。説明はこれくらいで良いでしょう。まずは、あなたを第六都市の守衛軍に送り届けないと。安心して、軍に話はついてる」
「あ、そっか。オレ帰るんだった」
急に
「でもこのままじゃ帰れない、とか言うなよ? あんたには何の力もねェし、むしろお荷物だ。これ以上、軍だの研究所だのに関わるのも良くはねェ。光理と新のことはこっちに任せて、大人しく第六都市へ帰ってくれ……と言いたいところなんだが。アンタには多分、もう少し付き合って貰うことになるだろうよ」
「……え?」
『はい。申し訳ないのですが、炭田さんの言う通り、すぐに帰還させることはできません』
沈黙を保っていた通信機から、千衣の声が割り込んできた。声色を聞いた瞬間、また何か事態が急転したらしいと、淳長でさえ察せられる。
『研究所から、改道光理の身柄と、卯木淳長の身柄を交換するよう要請が入りました。交渉の結果、取引場所は第三研究所に決定。ただちに卯木淳長を第三都市へ連れて来てください』
「ま、そうくるよなァ。ってわけだ、卯木さん。もうしばらくお付き合い願うぜ」
「あ……新くんが光理ちゃんを攫ったのって、そういう」
ようやく理解したと言わんばかりの淳長だが、「分かりました」と了承を示すことも忘れない。通信機から千衣の礼が聞こえてくるのを傍らに、啓一郎が車両のエンジンをかけた。
『ですが、まずは現地点から東へ三キロほど先にある
「了解。では、これから向かいます。ナビをよろしく」
車を発進させたのち、啓一郎はいつも通りの運転で、指定された岬へ向かう。その間は無言というわけでもなく、啓一郎と重満が何かと質問し、淳長が答える形式で会話が続けられた。
「新と光理は高校時代からの付き合い、っていうのは知ってるかしら?」
「あ、はい。それは聞きました。二人とも、
「新にはあったの。人間を守護する目的を絶対的なものにするという名目で人間の集団に入り、データを収集したり思考の動きを模倣したりして、学習するために。草加新という名前は、そのためだけに付けられた名前よ」
その集団の中で高等学校が選ばれたのは、社会人に最も近い子どもたちが集い、ある程度の社会性が形成されているから。さらに、明鷹高校が選ばれた理由は、傭兵登録を済ませたばかりの光理がいたからだ。
「新に搭載された人工知能は、学習を完了したら摘出され、人工衛星に移植されて打ち上げられる予定だった。その人工衛星っていうのは、軌道上から異物を探り出して、前線にいる軍部や傭兵へリアルタイムで情報を提供したり、掃討ナビゲートをしたり……そういう運用方法を想定して設計されたの」
「へえ、人工衛星……でも、摘出、って、何だか不穏な感じの言葉ですけど」
「そりゃあ、人間で言うなら脳を摘出するのと同じだからな。加えて、必要以外のデータは削除されちまうから、草加新って疑似人格は死ぬことになる」
息を呑む気配が、啓一郎にも重満にも伝わる。ただの機械であったのなら、空気が重くなることもない。草加新という疑似人格の出来が良すぎたからこそ、傭兵たちも胸に
だが――光理は、胸に澱が溜まるだけでは済まなかった。
新がアンドロイドであることは、出会った当初に本人から聞かされている。奇妙ではあったが、有害な存在ではなく、むしろ後方支援として有能だった。仕事仲間であり、光理の友人として、啓一郎と重満も新を気に入っていた。そうやって、五年の間に積み上げてきたものが多く丁寧だったからこそ、既に決定事項として語られた終わりの衝撃が強すぎた。
異物探索や掃討に役立つ人工衛星、そのために収集されてきた今までのデータと、そのためだけに形成されていた人格及び一部記録の消去。新自身から穏やかに、にこやかに語られた計画が、どれほど光理を傷つけたのか。分かっているのは、光理本人だけ。
「あんまりにも急だったから、研究所内でもひと悶着あったんだろうなァ。ま、何にせよ、光理は新の人格を消されたくないから連れ去って、逃亡を開始したってわけよ」
重満が比較的からりと言って、空気の調子を少しばかり上げる。次の目的地に指定された岬へ到着するまでの間、軍用車両に乗り合わせた三人は、少しずつ砕けた雰囲気になっていった。
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