十四、さやかな

 改道光理が犯罪者になった瞬間、改道啓一郎は防壁外で開かれていた夜市で買い物をしていた。


 啓一郎の腕を占める紙袋たちの中身は、買い足した食材、自分と光理用の焼き菓子、酒とつまみ。ギラギラとした電灯が照らし出すのは、天幕や看板の雑多な組み合わせ、艶めく食材、油の虹色、金属のきらめき、鉄板から立ち上る白煙。高身長の啓一郎は、時おり身を屈めないと通れない場所に行き当たるものの、慣れた動きで避けかわしていく。歩みを進めていけばいくほど、食材や料理、香木や香水の匂いが、部屋義同然のシャツとガウチョパンツに包まれた肢体にまとわりつき、重なっていく。

 夜市は不定期開催。出店者の顔ぶれは毎回異なり、それに伴い屋台が作る道筋や、天幕の有無が作り出す高低差も変わる。目まぐるしくてやかましいが、一度抜け出すと魔法が解けてしまったような、途方もない寂寞せきばくの地へ迷い込んでしまったかのような心地に陥ってしまう。


 が、さやかな月光が演出する淋しさなど、帰る家がある啓一郎にはほとんど無縁。重満のいびきがうるさい点が唯一の不満なものの、外見が派手な自分に臆することなく懐いてくれた弟子への満足が容易に上回るので問題ない。弟子が寝ている間、焼き菓子を置いておくサプライズを仕込めるとあれば、淋しいどころか楽しい気持ちが止めどなく湧いてくる。


 啓一郎と重満、そして光理が暮らす家屋は、街外れに建つ真四角なコンクリート製。良く言えばモダンまたは秘密基地風、悪く言えば武骨で味気ない家だが、それは外観だけを見ての評価。内装は啓一郎のこだわりもあって、しっかりお洒落に――ヴィンテージなカフェをテーマにして――仕立て上げられている。光理も暮らすようになり、花の女子高生時代を経てからは、可愛げも大幅にプラスされていた。

 重満はともかく光理にバレないよう、こっそりと玄関を通過して、リビングテーブルに焼き菓子の紙袋をスタンバイ。小さなオレンジの照明に照らされる中、キッチンの各場所へ買い足し食品を仕舞って、夜市への買い出し任務は完了する――はずだった。


 家が見えてくると同時に、一階の明かりが点けられているのも見える。カーテンもブラインダーも降ろされているが、隙間からは光が漏れていた。

 どうせ重満が晩酌でもしているのだろうと、酒と煙草の匂いに出迎えられるのを覚悟して、帰ってきた啓一郎はドアを開ける。しかし、香る気配は何も無く、家の中はしんと静まり返っていた。いびきの音も聞こえてこない。


 ――嫌な予感がする。


 ただいま、と声を出すのもはばかられる沈黙に見張られながら、啓一郎は靴を脱ぎ、リビングへと歩いていく。果たして、照明が点けられたリビングでは、重満がソファに座っていた。見慣れただらしない酒飲みの姿勢ではなく、しっかりと座り込んで、しかし項垂れた姿勢で。


「……帰ってきたか、啓一郎」


 ゆっくりと上げられた顔は、年老いてもなお研ぎ澄まされた傭兵のもの。長年、彼の下で育ってきた啓一郎さえ気圧される。

 西部劇の決闘場面よろしく張り詰めた空気の最中、啓一郎はキッチンに紙袋を置いてから、重満の前にスツールを持ってきて腰かけた。何か深刻な事態が起こっている。否応なくそう察せられて、啓一郎の精神は素早く構えを取っていた。


「何かあったの」

「光理が研究所に乗り込んだ」


 早打ちのような質疑応答。風穴を空けられたのは啓一郎の方だったが、理解するまでに数秒を要した。その遅れを取り戻す時間も与えず、重満は言葉を連射し、蜂の巣状態を作り上げていく。


「軍用小銃一丁、拳銃一丁、対異物用手榴弾三つを持って、東丘総合研究所に単身で侵入したそうだ。新と接触したのち部屋を爆破して、駐車場に停まっていた軍用トラックを、積載していた銃器および機械ごと強奪。防壁の北東部分へ向かい、管制室を武力制圧した後、新にハッキングをさせ一時的に防壁の機能を停止。これに伴い第三都市北部で大規模な電子障害が発生する中、そのままトラックで都市圏外へ逃亡した」


 無表情の老兵が並べていく、ついさっき起こってしまった事。言葉を聞き終え、理解も済んだ啓一郎は、しかし呆然と呟くしかできなかった。「うそでしょ」と。


「……光理が、そんな……そんなこと、するわけない、でしょ」


 伊達の丸眼鏡に縁取られず、視線をさまよわせているオパールグレイの瞳と、老練な双眸の視線は合わさらない。重満は表情を変えることなく、淡々とトランシーバーを起動している。


「こちら炭田重満。渡貫中佐、啓一郎に説明した。アンタからも話すか?」

『……お願いします』


 張り詰めた戦友の声に、啓一郎の視点が定まる。差し出されたトランシーバーを受け取ったが、片手で軽々と持ち上げられるそれは、手のひらにずっしりと沈み込むようだった。


「こちら、改道啓一郎。どういうこと……何が起こっているの、千衣」

『先ほど、東丘総合研究所が襲撃を受け、襲撃犯が都市圏外へ逃亡。監視カメラの映像を解析したところ、襲撃犯は改道光理だと判明しました』


 よどみのない説明は無情な響きをしているが、その揺らぎの隙間から覗いた不安定を、啓一郎は聞き逃さなかった。故にこそ、千衣が説明したことは事実なのだと、分かってしまった。

 加えて、重満から説明を受けた時点で、光理の動機も思い当たっている。光理はかけがえのない友人を迎えに行き、その存在が失われることを阻止したかったのだと。


『……改道光理容疑者の逃亡を受けて、軍部は直轄傭兵部隊に捜索を要請しました。ですが、改道啓一郎と炭田重満は容疑者の身内であるため、断頭の首輪エグゼクション・チョーカーを装着し、私の管轄下で任務を遂行してもらいます』

「了解」


 苦しげな千衣の宣告に対して、啓一郎の返答は、処刑人が振るう刃のように事務的。重満と全く同じ音色でなされた了承に、通信機は一瞬、沈黙した。千衣は唇を噛んでいるのだろうと予想しながらも、啓一郎の表情に色は無かった。

 やり取りから数十分後。犯罪者の関係者となった二人の元へ、千衣が自らチョーカーを持ってやって来た。爆弾を装着された二人は追跡者となり、約一か月半にわたって、追跡劇を演じることとなる。


 ***


 旧第二都市圏跡地の範囲からも外れた、都市から見て北西方面の山麓付近。近くへ差し掛かろうとしていたところ、旧第二都市の都心へ接近する異物の反応が確認されたため派遣された二人の傭兵は、思いがけず追跡していた相手との接触を担わされることとなった。

 指定場所へ向かうべくハンドルを握る啓一郎の隣で、重満はじっと前を見据えている。横顔を盗み見ても、何を考えているか全く分からない。だが、任務に集中しているのだろうとは予想がつく。啓一郎とてそうなのだから。


 光理が新と逃亡してから、約一か月半が経過している。啓一郎と重満が二人の姿を捉えたのは、六月中旬と下旬の二回。二回目に関しては、にゃあにゃあ五月蠅うるさい賞金稼ぎとその相棒も突っ込んできて大乱闘になり、そのまま取り逃してしまっていた。

 それが今日、光理と新側から、軍部の渡貫千衣へ接触を申し出てきた。捜索願を出されていた、卯木淳長の身柄を引き渡したいと。しかも、淳長はただの一般人ではなく、異物と密接に関わっているという。

 何をどうしたらそんな巡り合わせになるのだ。思い返せば返すほど、啓一郎はハンドルに八つ当たりしそうになったが、代わりにアクセルを踏む。交通規制など無い廃墟群の景色は、開けた荒野と青空の風景へ変わっていた。


「……ッ」


 急ブレーキで、貸し出された軍用車がスリリングに停止。タイヤのきしむ声など無視して、啓一郎は荒野の先に見えた軍用トラックを凝視していた。多少、外観に変化はあるものの、光理と新が強奪したトラックに間違いない。

 二車両の間隔は、約百メートル。横向きに停車した軍用車に、軍用トラックが正面から向き合っており、トラックの荷台が見えない形となっている。ここまで近ければ光理と新の確保も視野に入るが、それよりも優先されるべき事項を無視することはできない。


「おお、いるねぇ。光理と卯木は荷台か。運転席には新だけだ」


 荒々しい運転に全く口を挟まなかった重満が、のんびり言いながら先に降りた。続いて啓一郎が降りるのと、新が降りたのは同時。最後にトラックの影から出てきた光理と、この場に不釣り合いな身綺麗さを保つ淳長が連れてこられ、全員が揃った。

 人質という名目ゆえにか、淳長には手錠がされていたものの、光理がすぐさま外している。話し合い、頷き合ったのち、淳長がこちらへ歩き出した。走るのではなく、落ち着いて歩いて。だんだんと見えてくる表情は緊張していたが、命の危機に晒された者の深刻さは帯びていない。


 異物の接近を示すアラームが鳴り響くこともなく、淳長自身に異変が起こる様子もなく、廃墟群にも荒野にも似合わない人影が移動する。年齢が近く親しみやすい二人から、一目で強烈な印象を残す二人へ。

 間もなく、啓一郎と重満の前へ到着した淳長だが、「うおっ」と声を抑えきれず伸び上がっていた。驚きの顔はすぐに笑顔へ変わったため、傭兵二人も笑みを返す。


「初めまして、第三都市直轄傭兵の改道啓一郎です。卯木淳長さんでお間違いないでしょうか」

「はい。第六都市民の卯木淳長です」

「要請を受けましたので、第六都市までの送還を交代します。ひとまず、真っ先に研究所へ送られることはなくなりましたが、色々と事情をお聴きすることになります。よろしいですか」

「はい、大丈夫です」


 啓一郎が確認しつつ、淳長を後部座席へ乗せる間、重満はじっと光理たちと睨み合いを続けていた。軍用車が動き出し、第六都市方面へ向かうまで、魔改造された軍用トラックが動き出すことはないだろう。

 後部座席のドアを閉じると、啓一郎は無線を入れた。どうせ新が盗聴しているが、今は身柄引き渡し完了を告げる旨を報告するだけだと知らせられて、ちょうどいい。


「こちら改道啓一郎。卯木淳長の身柄を確保しました。これから現在地を離れ、第六都市に向けて出発します」

『こちら渡貫千衣。了解しました。引き続き気をつけて』


 手短な通信を終えると、啓一郎もまた光理たちの方を見た。一刻も早く探し出したかった弟子は、まだ幼さが抜けきっていない顔を真剣に引き締めて、真っすぐこちらを見つめ返している。

 震えを許さないほど張り詰められ、結ばれた視線をほどくのは、啓一郎たちの役目と思われていたが――先に崩れ落ちた光理の方が、視線をプツンと切り落した。


「啓! 伏せろ!」


 続け様に響いた重満の声に、啓一郎の体は思考より早く動く。即座に長身を屈めた直後、前方から流れるような連射の銃声がとどろいた。

 銃弾が地面を打った形跡はない。威嚇射撃のようだが、誰がどこから? 光理と新は無事か? 胸の底に不安が広がるも、すぐさま冷静に凍らされ、頭が冴え冴えと情報収集を始めている。


「……新?」


 だが、映り込んだ軍用トラック手前の光景に、啓一郎の思考は根こそぎ奪われていった。


 最初から隠し持っていたとでも言うのだろうか。片手で軽々と軽機関銃サブマシンガンを掲げた新が、もう片方の手で光理のえりを掴み、立ち尽くしている。煙を棚引かせ、上を向いていた銃口が、ゆっくりとこちらへ向けられている。

 涼やかで柔和だった顔に、感情めいた色はない。黒縁眼鏡から覗く双眸にも、感情の模様は窺えない。ただ、人が変わったかのような新の行為は、一つだけ明確に物語っている。


 草加新は、改道光理を裏切り、第三守衛軍と敵対した。

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