終の純火

葉霜雁景

逃亡劇

一、夕涼み

 六時を過ぎても、太陽は空に居座っている。すべてをとろかしそうな黄色で染め上げられた世界に、昨日食べたインスタントの卵スープを連想したせいか、光理ひかりの意識は自分の腹に逸れた。

 だが、準備万端の得物と共に、すぐに下界の敵性生物へ向き直る。一瞬でもそんな油断ができる程度の、何てことのない標的へ。

 覗いたスコープには、巨大な蜥蜴とかげに似た生物の頭が収まっている。本来の役目を失って久しい窓枠と、後ろ膝をついたコンクリートが温かい。日陰になったばかりで、照り付けていた陽光の熱が逃げきれていないのだ。空気を掻き混ぜ、光理の前髪を揺らしていった微風もぬるい。夕涼みができるまでには程遠い。


 光理が構えているのは、対異物用、還元祓魔ふつま術応用小銃ライフル。姿こそ軍用小銃とほぼ変わらないが、中身は大きく異なる別物だ。

 装填される銃弾はなまりではなく、「異物」と呼ばれる奇怪な生命体を仕留めるため、還元祓魔術で生成された弾。五行あるいは四大元素が弾の形を取ったもの。銃身は祓魔術に耐えるべく、発生した負担を自動で削除または軽減キャッシュクリアできる。加えて、光理の小銃は遠隔操作によって銃弾生成まで可能な魔改造がなされている。


 引き金にかけた指を曲げれば、色褪いろあせない刺激的な小節が歌われる。相棒はいつも通り、光理の指揮に忠実だった。


 閃光と銃声は消音器のお陰で抑制されているが、銃身の反動は確かに体へ沈み込む。余韻に浸る時間もなく立ち上がり、標的の灰化と消滅を確認すると、光理は次の狙撃地点へ移動を開始した。

 地上数メートルから、見慣れた世界を一瞥する。建造物と呼ばれるものが軒並み廃墟と化したかつての都市部は、伸び放題になった植物たちが人間に代わって繁栄している。従来の野生生物はひっそり生き延びているらしいが、我が物顔で跋扈ばっこするのは奇怪で危険な生命体ばかり。

 ひび割れだらけのコンクリートや、剥き出しになって錆び付いた鉄骨を踏み締め、道なき道を迷いなく進んでいく。ゴーグル付きヘルメットにプロテクター、軍用作業着にミリタリーブーツといった重装備で包んだ体には熱も籠るが、光理の表情は事も無げ。後ろで括られた黒髪も、余裕を示すように跳ね踊っている。


『――改道かいどうさん。他の標的も解析終了しました。これから、適正術式銃弾の生成を開始します』

「ありがとう。よろしく、草加くさかくん」


 耳元の通信機から聞こえてきた男声に手短な礼を言って、小走りのかたわら、空いた片手で携帯端末を確認する。白ながら夕日に押し負けて暗い画面には、ライフルの残弾数と、その一つ一つに施された還元祓魔術の詳細。表示される情報は、五年間見続けてきたこともあって、どの字も一目見ればするする入ってきた。これから消費する弾丸は二つ、付与されている祓魔術は、東洋式のごん術と術。

 先ほどの蜥蜴に打ち込んだのは、西洋式の水術式を付与した弾丸だった。炎を体に内包し、吐き出して災害をもたらす火の蜥蜴サラマンダーは、波の乙女ウンディーネが鎮めてくれる。次の標的と狙撃の関係性は、植物をはさみや斧で剪定し、汚染される荒れ地を焼き払うといったところ。


『改道さん、もうすぐ次のポイントです。ターゲットは北側にて停止中。第一形態が不動型、体に何らかの刺激を受けると第二形態に変形し、土壌に広がる性質を持っています』

「うん、対応したことある奴だね。核となる部分を狙撃したのち、土壌に拡散した分は、改めて東洋式の火術で祓魔しておかないといけない」

『はい。その手順での祓魔が最適です。しかし警戒は怠らないように、お気をつけて』


 涼やかなナビゲートが告げてから間もなく、光理は目的地へ到着した。

 先ほどと様相がほとんど変わらない廃墟の日陰へ入り、標的を視認する。言われた通り北側、崩れたビルに根を張るようにして、樹木型の異物が枝を広げていた。形は普通の樹木と変わらないが、色合いは明らかに異常。幹や枝には黒い渦巻うずまき模様ものたくっていて禍々まがまがしい。

 ライフルの銃身自動冷却、装弾への祓魔術付与および起動準備は完了済み。崩れた壁の安定した場所に銃身を置き、先ほどと同様に膝射の姿勢を取る。こちらは長く日陰だったのか、預けた体はひんやりと受け止められた。


 今の標的は、準備ができれば即座に撃てる。流れるようにトリガーを引いて、東洋式金術が付与された銃弾を――命中。反動を受け止めつつ、ゴーグルを下げマスクを上げる。光理は姿勢を崩さず、第二形態が現れるまで観察に徹した。

 禍々しい模様が、銃弾を命中させた場所、太い幹の中腹へ急速に渦を巻く。一点へ集まった渦模様は、しかし爆発的に異物全体へ伝わって膨らみ、乾いた音を立てて破裂した。土埃つちぼこり瘴気しょうきを含んだ爆風が、ヘルメットからはみ出した黒髪を攫っていく。下でくくられた黒は砂塵に塗れたが、気に留める必要もない。先月に比べれば、うるおいもつやも早くに失っている。


 間もなく砂塵さじんは晴れるが、光理は既に核を見つけていた。地面へ落下していく、大きな木片と見間違えそうな核を。あれが地表に刺さって、異物の苗床が完成してしまう前に、空中で消滅させなければならない。

 東洋式火術を付与した次弾を、発射。クリーンヒットを告げる軽やかな着弾音が響き、また鮮やかな火炎が宙を踊り狂う。糸で釣られたかのように後方へ吹き飛んだ核は、見る見るうちに炭と化し、最後は灰となって風に散らされた。


『敵性異物の完全消滅を確認。お疲れさまでした、改道さん』


 束の間の余韻を邪魔することなく、ねぎらいの声がするりと入ってくる。淡々として涼しい男声は、研ぎ澄まされていた光理の心身へ行き渡り、笑みを浮かべられるまで戻してくれる。


「まだ地表の後始末が終わってないよ、草加くん」

『地表への飛散異物、地表からの発生異物は共に確認されていません。改道さんの現装備であれば、危険は〇%と言えるでしょう。改道さんによる地表の清浄化が完了すると同時に、おれも現着します』

「了解。よろしく」


 ゴーグルは外したがマスクはしたまま、光理はライフルにスリングを装着して背負い込む。廃墟内に見つけた階段を降り、土煙が収まった屋外へ出ると、夕日の暖色と色濃い物陰のコントラストが芸術を成していた。

 黄昏たそがれ、と浮かんだ言葉は、世界の終わりと連想を引き出す。人類は何とか滅びず、なりふり構わずしぶとく生き残っているが、こんな状態はいつまで続くのだろう。夏が終わって秋が来たら、今度こそ終末がやってくるのではないだろうか。


 想像は想像、実感を伴ってはいない。光理はすぐさま頭を切り替え、腰のポーチから棒状の装置を取り出した。握る手からはみ出た両端のうち、片方からはアンテナを、もう片方からは折り畳まれていた三脚を引っ張り出す。とすんと地面へ置いてしまえば、装置による祓魔が開始される。

 正式名称「還元祓魔術式浄化装置」、通称「浄化装置」は、異物掃討を行った場所の浄化以外にも、その場の情報を記録する役目を持っている。情報は異物に対処する専門部署へ送られ、掃討に当たった人物の情報も送られるが、光理の装置はそう設定されていない。今現在、情報を送るのは後方支援者の情報媒体デバイスのみ。

 浄化するほどでもなかった汚染度に加え、情報伝達先も一件しかないため、装置もすぐに仕事を終える。光理が再びポーチへ仕舞う頃には、聞き慣れた走行音が聞こえて来ていた。そのまま光理が待っていれば、軍用の物々しい小型トラックが目の前に停車する。


「お待たせしました、改道さん」


 開けっ放しの窓から、黒縁の眼鏡をかけた青年が顔を出した。涼やかで優しい面立ちは、通信機越しだった声と同じ。透かすと赤紫の色味が混じる黒い髪に瞳は、今この場所からは少し浮いてしまうほど綺麗で、上品。


「そんなに待ってないよ、草加くん。お疲れ」

「はい、お疲れさまです。助手席に乗りますか」

「ううん。荷台がいい。この子もこのまま持っておくよ」


 運転を担う草加あらたに言うや否や、光理は荷台の後ろへ回り、軽やかに乗り上がった。光理の扱える銃火器や、新の扱う情報媒体が積まれごちゃごちゃしてはいるが、座れるスペースも確保されている……というか、作ってある。軍用トラックもまた、光理と新の好きなように魔改造されまくっていた。

 背に回していた小銃を抱え直してから、光理は運転席と荷台を隔てる一枚壁に背を預ける。後ろ手でノックの合図を送ると、小刻みに震えていた荷台が、エンジンの唸りと武者震いで大波を打った。

 動き出したトラックに揺られながら、ヘルメットを外す。着こんだ装備の下には絶えず冷風が送られていたものの、熱は確かに籠っていた。上半分が開け放たれた荷台の後ろ扉から、不規則な風も舞い込んでくるが、にじんだ汗を通しても温い。乾ききってもいるが、肌触りは機械的な冷風よりも幾分か優しい、気がする。


『改道さん、水分補給はしましたか』

「ああ、忘れてた。ありがとう」


 つけっぱなしだった通信機からの声に、光理はハッと我に返る。現れては後ろへ流れ過ぎていく廃墟群に目を吸い込まれ、ぼうっとしてしまっていた。携帯していた水筒を傾けて口を湿らせれば、頭の潤滑じゅんかつも戻ってくる。

 緩慢ながらも暑さがほぐされていく中、光理は運転席と荷台を繋ぐ壁にめられた覗き窓を開ける。同時に、まくられた白衣の袖と同化しそうなほど白い腕が、ラジオのスイッチを入れていた。手慣れた動きが、鮮明に視界へ残像を引く。くすんだ風景に、新品の白い絵の具で線を刷いたように。


『――し逃走した改道光理容疑者は、現在も逃亡を続けています。改道容疑者は銃火器を複数所持しているため、容疑者と思わしき人物を見かけた際には近寄らず、通報をお願いいたします』


 音声は、荷台に積まれた小型スピーカーからも聞こえてくる。これまた魔改造されたラジオが盗んできた電波に乗せられているのは、国営放送の注意喚起。

 ノイズに塗れた女声のアナウンスがなぞった通り、改道光理は逃亡中の犯罪者だ。同輩の草加新と共に、先月の六月初頭から逃亡劇を続けている。


「今日は、追跡者とかは見当たらない?」


 注意喚起ののち、長閑のどかなニュースが読まれ出すのを聞きながら、光理は新の横顔を覗き込んだ。ラジオを流すかたわら、新は別の無線を盗聴してもいる。例えば、賞金目当てに光理と新を追っている、同業者たちの無線だとか。


「周囲にそれらしき反応はありません。野営を予定している場所周辺にも、反応は変わらずありません」


 暗号化など無意味とばかりに解析し、欲しい情報を当然として手に入れてしまう新は、味方でも恐ろしい。光理としては、そういえばと思い出せるいい機会だと捉えているが。


「大丈夫ですよ、改道さん」


 前を向いたまま軽やかに紡ぐ言葉が、どこまでも優しくて。荒廃に夕日の差す世界にも、武骨な軍用トラックの運転席にも似合わない姿と声も綺麗で、すぐに忘れてしまう。


「そうだね、草加くん」


 すべて、偽物であるが故の冷感を。


 道路と呼べなくなったガタガタの道を、それでも丁寧に曲がって、トラックは夕焼けに背を向けた。いつの間にかニュースは終わり、整列した流行曲を送り出す番組が始まっている。

 世界がこんな状態でも、新曲はリリースされていく。こんな状態だからこそ、希望を歌う新曲、絶望に寄り添う新曲、行き場のない怒りを代弁する新曲が売れる。あるいは、既にある楽曲が発掘されて、息を吹き返す。


 けれど、歌い上げられる情緒はいずれも、光理をすり抜け通過していく。音に体を揺らせても、詩の響きに感応することはない。


 周囲の警戒をしなくていいと、音のとばりが下ろされた中。光理は新と同じく前方の景色を眺める。目に涼しいよいの先駆け青が、空にも地上の物陰にも染み出してきていた。

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