終の純火
葉霜雁景
逃亡劇
一、夕涼み
六時を過ぎても、太陽は空に居座っている。すべてを
だが、準備万端の得物と共に、すぐに下界の敵性生物へ向き直る。一瞬でもそんな油断ができる程度の、何てことのない標的へ。
覗いたスコープには、巨大な
光理が構えているのは、対異物用、還元
装填される銃弾は
引き金にかけた指を曲げれば、
閃光と銃声は消音器のお陰で抑制されているが、銃身の反動は確かに体へ沈み込む。余韻に浸る時間もなく立ち上がり、標的の灰化と消滅を確認すると、光理は次の狙撃地点へ移動を開始した。
地上数メートルから、見慣れた世界を一瞥する。建造物と呼ばれるものが軒並み廃墟と化したかつての都市部は、伸び放題になった植物たちが人間に代わって繁栄している。従来の野生生物はひっそり生き延びているらしいが、我が物顔で
『――
「ありがとう。よろしく、
耳元の通信機から聞こえてきた男声に手短な礼を言って、小走りの
先ほどの蜥蜴に打ち込んだのは、西洋式の水術式を付与した弾丸だった。炎を体に内包し、吐き出して災害をもたらす
『改道さん、もうすぐ次のポイントです。ターゲットは北側にて停止中。第一形態が不動型、体に何らかの刺激を受けると第二形態に変形し、土壌に広がる性質を持っています』
「うん、対応したことある奴だね。核となる部分を狙撃したのち、土壌に拡散した分は、改めて東洋式の火術で祓魔しておかないといけない」
『はい。その手順での祓魔が最適です。しかし警戒は怠らないように、お気をつけて』
涼やかなナビゲートが告げてから間もなく、光理は目的地へ到着した。
先ほどと様相がほとんど変わらない廃墟の日陰へ入り、標的を視認する。言われた通り北側、崩れたビルに根を張るようにして、樹木型の異物が枝を広げていた。形は普通の樹木と変わらないが、色合いは明らかに異常。幹や枝には黒い
ライフルの銃身自動冷却、装弾への祓魔術付与および起動準備は完了済み。崩れた壁の安定した場所に銃身を置き、先ほどと同様に膝射の姿勢を取る。こちらは長く日陰だったのか、預けた体はひんやりと受け止められた。
今の標的は、準備ができれば即座に撃てる。流れるようにトリガーを引いて、東洋式金術が付与された銃弾を――命中。反動を受け止めつつ、ゴーグルを下げマスクを上げる。光理は姿勢を崩さず、第二形態が現れるまで観察に徹した。
禍々しい模様が、銃弾を命中させた場所、太い幹の中腹へ急速に渦を巻く。一点へ集まった渦模様は、しかし爆発的に異物全体へ伝わって膨らみ、乾いた音を立てて破裂した。
間もなく
東洋式火術を付与した次弾を、発射。クリーンヒットを告げる軽やかな着弾音が響き、また鮮やかな火炎が宙を踊り狂う。糸で釣られたかのように後方へ吹き飛んだ核は、見る見るうちに炭と化し、最後は灰となって風に散らされた。
『敵性異物の完全消滅を確認。お疲れさまでした、改道さん』
束の間の余韻を邪魔することなく、
「まだ地表の後始末が終わってないよ、草加くん」
『地表への飛散異物、地表からの発生異物は共に確認されていません。改道さんの現装備であれば、危険は〇%と言えるでしょう。改道さんによる地表の清浄化が完了すると同時に、おれも現着します』
「了解。よろしく」
ゴーグルは外したがマスクはしたまま、光理はライフルにスリングを装着して背負い込む。廃墟内に見つけた階段を降り、土煙が収まった屋外へ出ると、夕日の暖色と色濃い物陰のコントラストが芸術を成していた。
想像は想像、実感を伴ってはいない。光理はすぐさま頭を切り替え、腰のポーチから棒状の装置を取り出した。握る手からはみ出た両端のうち、片方からはアンテナを、もう片方からは折り畳まれていた三脚を引っ張り出す。とすんと地面へ置いてしまえば、装置による祓魔が開始される。
正式名称「還元祓魔術式浄化装置」、通称「浄化装置」は、異物掃討を行った場所の浄化以外にも、その場の情報を記録する役目を持っている。情報は異物に対処する専門部署へ送られ、掃討に当たった人物の情報も送られるが、光理の装置はそう設定されていない。今現在、情報を送るのは後方支援者の
浄化するほどでもなかった汚染度に加え、情報伝達先も一件しかないため、装置もすぐに仕事を終える。光理が再びポーチへ仕舞う頃には、聞き慣れた走行音が聞こえて来ていた。そのまま光理が待っていれば、軍用の物々しい小型トラックが目の前に停車する。
「お待たせしました、改道さん」
開けっ放しの窓から、黒縁の眼鏡をかけた青年が顔を出した。涼やかで優しい面立ちは、通信機越しだった声と同じ。透かすと赤紫の色味が混じる黒い髪に瞳は、今この場所からは少し浮いてしまうほど綺麗で、上品。
「そんなに待ってないよ、草加くん。お疲れ」
「はい、お疲れさまです。助手席に乗りますか」
「ううん。荷台がいい。この子もこのまま持っておくよ」
運転を担う草加
背に回していた小銃を抱え直してから、光理は運転席と荷台を隔てる一枚壁に背を預ける。後ろ手でノックの合図を送ると、小刻みに震えていた荷台が、エンジンの唸りと武者震いで大波を打った。
動き出したトラックに揺られながら、ヘルメットを外す。着こんだ装備の下には絶えず冷風が送られていたものの、熱は確かに籠っていた。上半分が開け放たれた荷台の後ろ扉から、不規則な風も舞い込んでくるが、
『改道さん、水分補給はしましたか』
「ああ、忘れてた。ありがとう」
つけっぱなしだった通信機からの声に、光理はハッと我に返る。現れては後ろへ流れ過ぎていく廃墟群に目を吸い込まれ、ぼうっとしてしまっていた。携帯していた水筒を傾けて口を湿らせれば、頭の
緩慢ながらも暑さがほぐされていく中、光理は運転席と荷台を繋ぐ壁に
『――し逃走した改道光理容疑者は、現在も逃亡を続けています。改道容疑者は銃火器を複数所持しているため、容疑者と思わしき人物を見かけた際には近寄らず、通報をお願いいたします』
音声は、荷台に積まれた小型スピーカーからも聞こえてくる。これまた魔改造されたラジオが盗んできた電波に乗せられているのは、国営放送の注意喚起。
ノイズに塗れた女声のアナウンスがなぞった通り、改道光理は逃亡中の犯罪者だ。同輩の草加新と共に、先月の六月初頭から逃亡劇を続けている。
「今日は、追跡者とかは見当たらない?」
注意喚起ののち、
「周囲にそれらしき反応はありません。野営を予定している場所周辺にも、反応は変わらずありません」
暗号化など無意味とばかりに解析し、欲しい情報を当然として手に入れてしまう新は、味方でも恐ろしい。光理としては、そういえばと思い出せるいい機会だと捉えているが。
「大丈夫ですよ、改道さん」
前を向いたまま軽やかに紡ぐ言葉が、どこまでも優しくて。荒廃に夕日の差す世界にも、武骨な軍用トラックの運転席にも似合わない姿と声も綺麗で、すぐに忘れてしまう。
「そうだね、草加くん」
すべて、偽物であるが故の冷感を。
道路と呼べなくなったガタガタの道を、それでも丁寧に曲がって、トラックは夕焼けに背を向けた。いつの間にかニュースは終わり、整列した流行曲を送り出す番組が始まっている。
世界がこんな状態でも、新曲はリリースされていく。こんな状態だからこそ、希望を歌う新曲、絶望に寄り添う新曲、行き場のない怒りを代弁する新曲が売れる。あるいは、既にある楽曲が発掘されて、息を吹き返す。
けれど、歌い上げられる情緒はいずれも、光理をすり抜け通過していく。音に体を揺らせても、詩の響きに感応することはない。
周囲の警戒をしなくていいと、音の
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