好きじゃない人と婚約する王女の話

夢生明

第1話 彼のことは、好きじゃない



 あれは、10歳の時のことでした。


 私は信用していた人に騙されて、危うく拐かされそうになったことがあります。手足の自由と視覚を奪われ、口を塞がれ、箱のようなものに閉じ込められてしまったのです。

 口を塞がれているから、助けを呼ぶことも出来ない。手足を縛られているから、箱を突き破ることもできない。あの時ほど、自分の無力さを呪ったことはありません。

 迫りくる死の予感に抵抗することすら出来ない悔しさと、ヒリついた恐怖心をよく覚えています。


 そんな状況から「彼」は、私を救ってくれました。いつもの場所に私がいないことに異変を感じて、私が閉じ込められていた場所を探し当ててくれたのです。


『ロザリー様! ご無事ですか⁈』


 そう言った彼の顔を見た時、どれほど安心したでしょうか。どれほど私の心が救われたでしょうか。


 だから、あの時、私は彼に対して決めたことがあります。それは――。





☆☆☆




「ロザリー、そろそろ婚約者を決める時期だ。ここに候補者の資料があるから……」

「いやですわ」

「ロザリー」


 父上は呆れたようにため息をつくけれど、私はそっぽを向いて、反抗の意を示しました。



 私の名前は、ロザリー・ボヌール。我がローズ王国、国王の娘。


 金色のくせ毛と空色の瞳を持っていて、その美しさは王妃譲りだなんて言われています。


 王女である私へのお世辞も入っているのでしょうが、褒め言葉は有り難くいただくに限ります。気分が落ち込んでしまいますからね。


 成績はいい方、だと思います。少なくとも、王女として恥ずかしくないくらいには。自信を持って言い切れないのは、比較対象がいないから。

 国民は、私のことを“王国の薔薇ローヤル・ローズ”なんて呼んでいるようだけど、正直ピンときませんわ。


 けれど、もっとピンとこないことがあるんですの。


「父上。私に婚約は早いと思いますの」

「早いわけあるか。お前ももう15歳だ。王女にしては遅いくらい……」

「まだお嫁に行きたくないわ、パパ」

「そこでパパはズルい!!!」


 父上は頭を抱えて天を見上げました。

 小さい頃の呼び方と「お嫁に行く」という言葉が、父上の親心にクリティカルヒットしたようです。


 やはり、国王も人の子……いえ、人の親なのでしょう。


「いや、しかし。ロザリー」

「なんですの?」

「諸外国から、お前をぜひ嫁に欲しいと打診がきているんだ」

「いやですわ、外国との取引みたいな結婚なんて。父上がされればいいじゃないですか」

「……ロザリー。父上をお嫁に行かせてどうしたいんだ」


 父上は、大きなため息をついてしまいました。すると、後ろからクスクスと笑い声が聞こえてきました。


 私の護衛騎士、ノエルです。


「失敬。しかし、あまりにロザリー様が可愛らしくて」

「失礼な従者ね。母上似の私に可愛いなんて。美しい、でしょう?」

「はい。ロザリー様は美しいです」

「……」


 ノエルは、私より4歳上の19歳。

 垂れ目の優しい顔立ちで、どうやら世間では「イケメン」の部類に入るそうです。


 王家主催のお茶会に集まる子女達は、彼の容貌にいつも色めき立っています。今のように、さらりと褒め言葉を言えるところも好感度が高いようです。


 女の子にチヤホヤされているのが、なんとなくムカつくので、お茶会がある日は、彼の腕をつねることにしています。

 ちょっと強くつねり過ぎちゃう時もあるので、反省ですが。


 彼は元々、公爵家の子供として兄上の遊び相手に選ばれておりました。元々は、そのまま兄上の護衛騎士になる予定でしたが、今は私の護衛騎士として付いてくれています。

 私達は、最早、幼なじみのようなものです。

 だから、「彼がかっこいいか」なんて意識したことは、ほとんどありません。


 けれど、夕焼けを彷彿とさせるような赤い髪はさらさらで、くせ毛の私はいつも羨ましいと思っています。

 触らせてくれないかなと思うこともあります。

 本人には絶対に伝えませんが。


「ノエルよ。お主からもロザリーに言ってくれないか。そろそろ、婚約者を決めなければマズイ。超マズイとな」


 国王である父も、真面目な彼のことを大層可愛がっていて、このように威厳のない姿を見せることもしばしばです。


 父の言葉を受けて、ノエルはこちらに視線を向けます。

 私はその真っ直ぐな瞳から逃げるように、下を向きました。


「ロザリー様」

「何かしら、ノエル」


 私の口から出た声色は、想像以上に低く硬い音でした。

 次にノエルから出る言葉を予想して、私はギュッと目を閉じます。


 しかし、彼の言葉は私の予想に反したものでした。


「ロザリー様が無理をなさる必要はないと思います」

「え?」

「ロザリー様が結婚したいと思う相手が出来るまで、待ってもよろしいのではないでしょうか」


 ノエルはにっこりと微笑みます。

 彼は私の味方なのだと、少しだけ嬉しくなりました。嬉しくなったついでに、私は軽口を叩きます。


「流石、ノエルだわ。今月の給料増やすわね」

「そうはさせぬぞ。国王はワシだ。給料を減らすなんて造作もない‥‥‥」

「権力をかざす人って最低だと思うの、パパ」

「だから、そこでパパはズルい」


 父上が再び、天を仰ぎました。


「ゴホン……まあ、そうだな。ノエルの言う通り、ロザリーが好きな相手と結ばれるのが一番いい」


 そこで、父上はニヤリと笑いました。嫌な予感がします。


「どうだ、ノエル。ロザリーと結婚する気はないか」


 やっぱり。おかしいと思ったのです。私の婚約話に部外者のノエルを同席させるなんて、最初からこの提案をするつもりだったのでしょう。


「え?」


 ノエルが困ってしまっています。私は父上を軽く睨みますが、どこ吹く風です。


「どうだ、ノエル」

「父上」

「今はノエルに聞いておるのだ。黙っておれ。……ノエルになら、我が国の王女を任せられると思うのだが」


 父上は……というか、母上や兄上もなのですが。

 私の家族は皆、私とノエルをくっつけさせようとしてきます。

 どうやら、私がノエルのことを好きだと勘違いしているようなのです。


 けれど、それは間違っていることです・・・・・・・・・・


「どうだい、ノエルの気持ちを聞かせて欲しい」

「身に余るお言葉、光栄で……」

「いいわ、ノエル」


 私はノエルの言葉を制しました。


「父上。何か勘違いしているようですが、私はノエルのことを好きではありません」


 私のその言葉を聞いた時、ノエルがこちらを見たのを感じましたが、無視しました。


「ノエルも迷惑しております。これ以上、この話はやめて下さいませ」

「……分かった。勝手に判断してすまなかった。ノエルも、嫌なことを聞いたかな」

「いえ、そのようなことは」


 しかしロザリー、と。父上は私に厳しい視線を向けました。


「婚約話を進めないといけないのは、本当だ。これは王族としての義務でもある」

「……」

「お前の気持ちも分かるが、もう幼い子供ではないのだ。よく考えておいてくれ」

「はい、陛下」


 この時、私は敢えて父上を陛下とお呼びしました。

 「命令でしたら、いくらでも受けます」という意地悪な気持ちで。少しばかりの意趣返しのつもりで。


 父上は一瞬悲しそうな表情を見せたものの、それ以上は何も言わずに、部屋から出て行きました。


 私の手元には婚約者候補の資料が残っています。


 部屋の外から父上の「嫁には行って欲しくない、いやしかし」という声が聞こえてきました。つくつぐ、締まらないお方です。



 父上が去って、部屋には私とノエルだけになりました。


「悪かったわ、ノエル。あなたは、何も気にしなくていいのよ」

「……お気遣い、ありがとうございます」


 ノエルはいつも通りの笑みを浮かべました。


 ノエルは優しいから、気にしてしまったら可哀想です。だから、よかったと思います。


 父上にああ言って、ノエルが安心出来たなら。






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