第2話 妖刀など有るわけがない

「お兄!朝だぞ!起きろー!」


 芦屋堂馬の朝は早い。はずなのだが今日は珍しく寝坊をした。時計を見ると6時30分。いつもより30分遅い。気の短い妹がこれほど待ったということは、気を使わせてしまったのだろう。情けない。




 昨夜の戦いの後を思い出す。


 急いで帰ったのでいつもの帰宅時間とそう変わらない時刻に家に着いたのだが、汗だくの上見たこともない刀を持った兄の姿に妹、芦屋稲は大層驚いた。当たり前である。


 


 「お、お兄どうしたの!?てゆうかその刀何!?」


 「正確には太刀だな。頂き物だ」


 「誰から!?」


 「知らね。名前を聞いてなかった」


 「いや怪しいでしょそれ!?何で貰っちゃったの!危なくないの!?」


 「大丈夫大丈夫。幻聴が聞こえた気がしたけど気のせいだったし」


 "気のせいじゃないし今もしゃべくってるけどな"




 気のせいである。妹は当然訝しみ、どこでどうして貰ったのかを尋ねたが、堂馬はのらりくらりとはぐらかす。


 しっかり者ではあるが少し素直すぎるきらいがある稲は見事に術中にはまり、結局そんなことより晩飯の準備だと言う兄の提案に乗ったのであった。




 寝ぼけまなこをこすり、洗面所に向かう。顔を洗った後部屋に戻り、布団を干しにいく。シャツと学ランにアイロンがけをして、ハンガーラックにかけておくと、いい匂いが漂ってくる。和風建築の芦屋家は気密性が高いとは言えない。


 ご飯の香りに気を引かれつつも、廊下と自室の掃除をする。基本的に掃除と力仕事全般は堂馬が、炊事と洗濯は稲が担当する。


 昔はほぼ全てを堂馬がやっていたが、炊事はやってもらってばかりでは悪いと稲が言い出して委譲することになった。洗濯は思春期的理由である。




 一通りはき掃除と雑巾がけを終えると、頭も体もはっきりしてくる。軽く柔軟体操をして、トレーニングを始めた。


 手始めに腕立てを100回。両手がくっついた状態で50回。ゆっくりと50回。これを一気にやる。腹筋、背筋、スクワットを100回ずつやった後、押し入れを開ける。


 芦屋家は貧乏ではないが豊かでもないため、トレーニング用品の類は少ない。入っていたのは鞘に納めた刀の形をした鉄の棒である。サンダルを履いて庭に出ると、これを振る。




 始めは軌道を確認するようにゆっくりと、次第に風を切る音が鳴るまで速く。足の親指で大地を掴み、その力を体幹を通して増幅させ、手首を返し敵を斬る瞬間に全運動量を切っ先三寸に乗せる。


 斬った後は自然に正眼の構えにもどる。大事なのは速度ではなく姿勢。姿勢が正しければ速度は自然とついてくる。圧倒的な腕力があれば姿勢を気にせずとも良いだろうが、それは人間の剣法ではない。




 200に届くかという所で稲から声がかかる。汗をタオルで乱雑に拭うと、家に入った。回数は気にしない。正しく振り続けられれば良い。




 ご飯とワカメの味噌汁、漬け物、焼き魚、豆腐。地味な和食であるが美味い。稲も3年間朝夕の食事を作ることで腕が上がっている。


 食べた後は2人で皿を洗い、稲は部活の朝練に向かう。




 「行ってきまーす。生ゴミ出しといてね」


 「おう。行ってらっしゃい」




しばらく一人になった堂馬は、部屋に入るとまた押し入れを開ける。ちょうどいい箱がなかったので、ダンボールを切り貼りした即席の容器にそれを置いていた。


 黒い。黒い太刀。拵えがことごとく黒塗りで、目釘まで真っ黒だ。ここまでしては重厚さよりむしろ奇をてらっている感じがする。


 正座して姿勢を正し一礼、刃を上にして右手で柄を上から握り、鞘の下に左手を置く。鯉口を切ると、音を立てないようにして一息に刀身を引き抜いた。




 冴え冴えとした蒼い鋼が現れる。息をのむほどの深い輝き。重ねは薄く、身幅は広い。


 切っ先はすらりと伸びた中切先で、緩やかな弧を描いている。板目の地肌に直丁子の刃文。沸出来の刃に金筋が働き、明るく冴えた鳥居反りの刀身が光を湛えていた。




 目利きとはとても言えない堂馬にしても、凄まじい業物であるのは一目で解る。殺人の器具でありながら清々しささえ感じる名刀である。


 恐らく鎌倉後期の作。日本刀の作刀技術が一つの頂点を極めたとされる時代のものであろう。涼やかな姿からは、昨夜の妖気を纏った怪しい影は欠片も見えない。やはり月が見せた幻であったのだろう。




 "おい、聞こえてるんだろー。昨日は俺が悪かったよ。あの娘っ子を切ろうとしたのを怒ってんのか?だけどありゃあいつが悪いんだぜ。この俺様をおまけみたく扱ってよ"




 何より目を惹かれるのはその鋼だ。例えるならば深山幽谷の朔の夜の水面のような。澄み渡りながら底知れぬ夜空の色である。


 


 "久しぶりに蔵から出たらさ、使い走りの雑兵働きだぜ?やる気無くすわホント。だからさ、ここは一発でかい事件起こしてやあやあ我こそは日の本一の妖刀なりと"




 目釘を抜いて皮脂が付かないように注意してなかごを見る。銘が刻まれていない。すり上げた様子もないので最初から無銘だったのだろう。


 ただ銘の代わりか、墨で大きく「無縁」と書かれてあった。これもかなり古い。百年は経っている。




 「無縁……。無縁か」


 "お!?俺様の来歴に興味をお持ちかい?そうかならば教えて進ぜよう。あれは鎌倉朝も斜陽の"




 柄に戻して鞘に納める。鑑定して貰うにも曰わくがありすぎる。手入れだけはするとして、道具も揃えなければ。


 お小遣いの残額を考えつつ。学校に向かう準備をする。鞄と腕時計を取って。


 そこで気がついた。時計が止まっている。帰ってすぐ置いたので点検していなかった。17時35分42秒。多分斬られて刃をはじいた時だ。


 当たった部分に触れる。障子戸のようにするりとずれた。ダイヤモンドカッターで切断した断面図のごとく、内部の電子部品がはっきり見て取れた。


 


 「お……、俺の4万5千の相棒よぉぉぉ」




 膝から崩れ落ちる。買うまでの思い出が脳裏を流れていった。肉体労働の日々。我が家の財布を握る妹の説得。人知れずの苦労があった。奇跡など望めぬ努力の毎日を乗り越え手に入れた。


 その時間が命を守ったのだ。ありがとう。さようなら。




 学校には遅刻した。

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