すったもんだで!⑤~アラサーカップルの一年記念日~
宇部 松清
第1話
「おい、これには何も入ってねぇんだろうな」
そう言って、手渡されたばかりのチョコを軽く振って見せる。
「さぁ、どうだか?」
いつものように気だるげに頬杖をついて、うんと含みをもたせた流し目を寄越す。あぁこれはいつもの『門別先生』のやつだ、と思う。全く、こういう表情や態度が生徒を勘違いさせるのだ。いいか、俺以外のやつにはあんまりやるなよ。
覚えやすいよな。何せバレンタインだ。
前の彼女との記念日は、誕生日でも何でもない、祝日でも、何かパンチの効いたゴロも作れない日だったから、うっかり忘れて大喧嘩になったものだ。だけど相手の方では、言われてみれば何やら数日前からソワソワしてた。俺が話題にも上げず平然としてるのもサプライズを用意しているからだと思っていたらしい。そりゃ平然ともする。だってまさかその日が付き合って一年だなんて思わなかったんだもんよ。
デートの約束もなく(だってド平日だったし)、それでも夜の電話は日課だったから、ルーティンのつもりで電話した。
しこたま怒られた。
怒られたし、泣かれた。
部屋からかけてると思わせて、実はもう玄関の前にいると思ったと。何だそれ。
友達の彼氏が如何にそういうものを大切にしているか、なんて全然知らねぇやつを引き合いに出されたりもした。
そこのカップルは、夜景のきれいなレストランで食事して、ナントカっつー流行りのブランドのアクセサリーを渡して、そんで、ちょっと奮発したいい部屋で過ごしたんだそうだ。もちろん全額彼氏が出した。
成る程、とは思ったが、それじゃお前は何してくれんの? と返したら、「信じらんない。私、女なんだけど!」とブチ切れられて通話は終了と来たもんだ。
いや、俺だってさ。そりゃ好きな女の前では色々カッコつけてきたよ。薄給ではあるけど、飯くらいは奢ったし、ホテル代も出した。見た目にもまぁまぁ気を遣ってきたし、そういう点でもかなりそいつのために金は使ってきたと思う。だから別に、そのレストランもアクセサリーもホテルも、全部俺が出したって良かった。ただ、忘れていたとはいえ二人の記念日なのに、何もかも俺に委ねて、ただ何もせず待っていたということに、その時は何だか腹が立ったのだ。
世間一般では、女の方があれこれ金がかかるっつーことで、その分、デートは男の方が頑張れ、みたいな風潮がある。
別にそこに異論はない。
俺が自宅で腹筋やら腕立てやら、金のかからない(プロテイン代くらいはかかるけど)自分磨きをしている間、彼女らは、やれ美容室だ化粧品だと金を美に変換しているのである。
しかも露出している部分、髪やら顔やら服、アクセサリー、靴、鞄あたりならまだわかるが、下着まで俺のものとは比べ物にならないくらいの金がかかっている。いや、あれだけレースだなんだってついてるから高いだろうとは思っていたが、その想像を遥かに超える額だったのだ。
以前、着たまましようとしてブラジャーをたくし上げた瞬間に、それまでのムードをすべてぶち壊す剣幕で怒鳴られたことがある。価格を知らされたのはその時だ。以来、どんなに理性が飛びそうな局面でも、それだけは丁寧に、壊れ物を扱うがごとくに脱がせて端に避けるようになった。気を利かせて畳もうとしたら、それもそれで余計なことをしないでと怒られたから、そっと置くだけだ。雰囲気もクソもねぇと思ったけど、値段を盾にされたら仕方ない。
それはともかくとして。
こんなこといまの時代、大っぴらに言えば問題になるのはわかってる。だけど俺の中ではやっぱり女というのは、男が守ってやらなきゃいけない存在だ。だから、こちらの弱いところは決して見せぬよう、強いところ、頼れるところ、そういうところだけを見せてきた。
ましてや俺は、まぁ見るからにデカい男で、頑丈だし、腕力もある。このビジュアルで弱いところなんぞを見せようものなら、ドン引かれておしまいだ。ギャップ萌えなんて言葉もあるらしいが、己の彼女がそれを萌えと捉えてくれるかは一か八かだと思ったし。
けど、この年になって思うのは、ずっと強いところばかりを見せ続けるのは疲れる、ということだ。気を遣いすぎることも、慣れないことをするのも。
「お前みたいなのは姉さん女房に引っ張ってもらうのが良いんだ」
何年か前の同窓会で、そんなことを愚痴ったら
「姉さん女房かぁ。でも俺、どっちかっつーと年下の方が良いんだよなぁ。なんつーの、こう、守ってあげたくなるような、みたいなさぁ」
「それが疲れたって話なんじゃなかったのかよ。第一な、お前なら大抵の女は守れるだろ。年下でも姉さんでも変わんねぇって」
「まぁそうなんだけど、そういうことじゃなくてさ」
「いや、マジでマジで。年上にハマったらもう抜け出せんて」
「それはお前の好みの話じゃないのか」
「それもあるけどな。普段しっかりしてる自立した女がな、ふとした時に見せる弱いところとか、あと、甘えてくるところなんかが最高なのよ」
「そんなの、ふとした時だけより、常にあった方が良いだろ」
その時はそう思ってた。そっちの方がわかりやすくて良い。守りやすくて良いと。
「わぁーかってねぇなぁ、
かなり酔いも回っているらしい旧友は、そう言ってガハハと笑い、「ビールこっちにも!」と注文を取りに来た店員に向かって叫んだ。
いまならわかる。
滝川、あの時は否定してすまん。
俺はわかってなかったな。うん、最高だわ。ただ、この場合、『姉さん女房』というよりかは『兄さん亭主』っつぅのかな。
何にせよ、普段クールで気だるげな年上彼氏がまぁ最高って話なのである。
これはあくまでも俺の主観になるが、同性同士というのは、とにかく気が楽だ。
カッコつける必要がない。気負う必要がない。まぁカッコつけたい気持ちがないわけではないが、向こうもそう思っているからたまには譲ってやらんと。
そんでまぁ、何に限ったことでもないが、やはり同性だから、大まかな『弱いところ』ってのが共通している。いやいや、その、何だ、ベッドの中での話じゃなくてだな。そっちもあるけど。なんて言うのかな、凹むポイントっつぅのかな、ここを指摘されて、ここを抉られたら落ち込む、みたいなのが何となくわかるのである。
だから、ボコボコにされた日は「今日はもうがっつりやられた」と素直に落ち込む姿を見せられるのだ。俺も、大祐さんも。
守る必要もない。この場合はアレな、物理的なやつ。そりゃあ精神面はいくらでも支えるつもりではいる。ただ、物理的な話をすれば、大祐さんは十分に強い。特に、竹刀なんか持たせた日にゃあ、誰も勝てねぇ。俺も勝てねぇ。
だからまぁ、対等っつぅかな。
それが、楽なのだ。
まぁ、あんたの方が年上だけどさ。この年になりゃあ一歳差なんて誤差みたいなもんよ。
入っているとも、入っていないとも、明確な返答を得られなかったそのチョコレートの箱を開け、一つ口に放り込む。
「まぁ、入ってようが入ってまいが、もう関係ねぇしな」
そう言って笑ってみせると、やはり涼しい顔で「ですね」と返された。
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