黒髪のミカ

ぐり吉たま吉

第1話


1979年、暮れ。


彼はパブレストランでコックとして、働いていた。


15時に店の鍵を開け、仕入れの食材を受け取り、今日の料理の仕込みをやる。


開店の1時間前には、ホールスタッフが出勤をしてくる。


スタッフが清掃、セッティングを終える前までに、皆のまかないを作っておく。


そのまかないを、仲間のコックとスタッフ全員で急いで食べ、開店をする。


開店したら、閉店まで休む暇なく、料理を作り続ける。


仕事を終え、店に鍵を掛け、彼は帰宅する為に愛車のバイクにまたがった。



彼の名はsamと言う。


どこから見ても日本人だが、幼少の頃、近所に暮していたアメリカ人の子供達に彼はそう呼ばれていて、彼も自己紹介をする時には、samと名乗っていた。


「今日も中華街のそば屋で食って帰るかな?」


samはだいたい、仕事を終えると、朝まで開いてる中華街のそば屋で飯を食い、中華街の裏道にある小さなバーの脇に立つ、デンマーク人の女のコを冷やかして帰宅するのが日課だった。


だが、その日に限って何かに引き寄せられる様に、曙町から若葉町へとバイクを走らせていた。


深夜にも関わらず、薄暗いピンクの灯りをともした場末のスナックの前に差し掛かる。


酔っ払いを避けるため、バイクをゆっくりと走らせる。


場末のスナックの脇に長い黒髪の女が座っていた。


青いシャドーに真っ赤な口紅。


素肌にジャケットを肩から羽織り、髪と同じ黒いタイトのスカートを穿いていた。


前を通り過ぎようと、走っていると、いきなりタイトなスカートをたくし上げ、白く細めの脚を広げ、samのバイクを停めさせた。


広げた脚の間の下着に目を奪われ、samは思わず女の前で停車する。


女は自分の座る横をポンポンと叩き、samに座る様に促す。


samは単車のスタンドを立て、女の横に座った。


赤い唇にタバコ咥え、samの方へ顔を向けた。


「火、ある?」


samは黙ってライターの火を灯し、タバコに近づける。


ライターの灯りで見える顔は、化粧がきついがsamと歳は離れているようには見えなかった。


「あのオートバイ、僕の?」


女はあごで単車を指し、samに訊ねた。


「俺は…僕じゃない…」


samは初めて口を開いた。


「そっか…そうだよね…俺は、どこまで行くの?帰るの?」


「俺はsamだ、みんな、そう呼ぶ」


「そっか…samね…samは帰るの?」


「あぁ…」


「帰れるんだね…あたしは帰れない…」


samは黙って聞いていた…。


女は何を思っていたのか、一筋涙を流すと、それを拭おうともせず、咥えていたタバコを足元で揉み消した。


「sam、あのバイクでどこかへ連れてって…」


「いいよ…乗りなよ…」


女は微かに微笑むと、samの口にキスをした。


タバコの匂いに混じり、ジャスミンティーの香りがした…。

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