第9話 歪ませるディメンション
まるで波のようだった。
駅前には、一度いなくなった猫や犬達が、また少しずつ増え始めている。黒いスーツの吹奏楽団が、踊りながら演奏をする。その顔は、みんな同じピエロの仮面をはめていた。演奏するためか、口元だけパックリと開いている。
と、ソプラノリコーダーによる独奏。あまりにチグハグだというのに、人々は、興味津々と言わんばかりにに集まってきた。
波が押し寄せるように、少しずつ犬や猫が増えていく。
「素晴らしいじゃないか、シリンジ」
楽団の一人が、トランペットを投げ放って言う。
「チマチマ、サンプル研究をするのがバカらしくなる」
「確かに。特化型サンプルを輩出することが全てじゃないってことだな。効率的にサンプルを増産する。これこそが、イノベーションと言っても良い」
実験室の研究者、シリンジ。彼もまた、仮面を投げ捨てて笑みを溢した。と、リコーダーの音色が止まる。
「……スポイト。も、もう無理だ、限界――」
「日原君」
実験室の研究者、スポイトが呟く。
「無理じゃない。君は、トレーに近づくことができた。ウソの告白までして、近づいたんだ。誇って良い、その点は評価しているんだよ? でも、自分で限界を決めるのは、感心しないな」
「あれは、ウソじゃない!」
「いやぁ、あれには笑わせてもらった。基本的に研究者の日々の行動はトップシークレットなんだ。まさか、高校生に扮してサンプル採集に勤しんでいるとは、流石は【被験者殺し】だよ。恐れいった」
スポイトの哄笑が渦巻くのが合図であるかのように、楽団は演奏を開始する。耳なじみのあるアニメのメドレーを演奏しつつ、踊って見せながら。そして足下には、愛らしい動物たちが、追随していくのだ。聴衆は興奮でどよめいた。
「水原さんをバカにするなっ!」
その声すらもかき消すかのように、演奏のボルテージは高まっていく。
「異なことを。君は私のサンプルだということを忘れているんじゃないか? それに、日原君、私は言ったよね? トレーをこの場所に連れておいでと。流石の【被験者殺し】も擁しているサンプルは支援型のみだ。一網打尽にするチャンスを無に帰した。【
そう言っている傍で、彼の口から鮮血が吹き出る。頬の皮膚がボロボロと、まるで砂のように落ちていく。
「おい、スポイト。流石に限界なんじゃないか」
「そうかもね。でも、彼の遺伝子情報は採取済みだ。これだけの人数を旧型コロナウイルスに感染させたら、旧型対応のワクチンを接種している被検体も多いだろう。ウイルスとワクチンの変異反応で、サンプル化するなんて、誰が思うだろうね? でも、間違いなく、強化体になり得るサンプルを採取できるはずだ」
「……だから、君はバカだって言うんだ」
「おい、シリンジ。君の口が悪いのはいつものことだが、ちょっと度が過ぎる。それは私にとっての侮辱だぞ?」
「いや、俺は何も――」
「客観視して、純然たる事実をもってバカだって言ってるんだ」
「は……?」
竹刀が舞う。
スポイトの腕を打つ。
普通は、打ち身になってお終い。でも、ボクがそれで終わらせてあげるワケがない。
真っ赤に血と一緒に、スポイトの右手首――その先が飛んでいった。
何が起きたのか分からない、そんな顔をして。
スポイトは、呆然としたまま、失った手首を――迸る鮮血を見やる。
「な、なんで、私の手が、私の手が、どうして……痛いっ、痛い、痛いっ!」
のたうち回るスポイトを尻目に、ボクは竹刀を構える。
「本当にバカだね。どう解釈したら【
呼び寄せる者。
きっと、ハーメルの笛吹きから連想したに違いない。データが少な過ぎるから、推論でしか言えないが、
「どう考えても。世界線を越えて召喚する者――遺伝子研究特化型サンプル【
■■■
「めんしょん?」
数十分前。行動に移す前に、みんなに情報共有をすることにした。
ひなたちゃんが首を傾げるのが、本当に可愛い。これは研究者として教え甲斐があるというもので――。
「メンションじゃなくてディメンション、その場所と別の場所を無理矢理、繋げる【能力】になるのかな? 野原のデータベースにも保存されていて、過去にも別のサンプルで記録があるね」
「せめて、野原先生と呼びなさいって」
あーやが、憮然とした表情で言う。フォローしてあげたいのは山々だが、このまま爽君に開設を任せていては、研究者としての沽券に関わる。
「離れた場所に猫と犬がいます」
私はノートに😻と🐶をサラサラと描く。
「「微妙に上手い」」
あーやも、爽君も、そういう感心はいらないから。
「さて、猫さんは犬さんと一緒にお散歩に行きたいそうです。どうしますか?」
「犬と同じように、猫は散歩をしないと思うけど? 飼い主のエチケットとして、放し飼いは賛同しかねるよ、姉さん」
おい、五歳児。そんな現実的なコメントは求めていないからね。
一方のひなたちゃんは悩みに悩んだ末、分からないままで半泣きだった。
「こうするんだよ」
クスッと笑んで、紙を折る。犬と猫が同じ位置に重なった。
「えー?! そんなのインチキ!」
ぶすーっと、ひなたちゃんが頬を膨らました。
「そうだね、インチキだね。でも、私たちの存在ってこういうことだから」
イレギュラーで、常識という枠では決して測れない。役立たずと思われていた因子が解析の結果、唯一無二の原石だったり。干渉実験で思いも寄らない結果を示すことががある。
でも重要なのは――。
「この折れた紙、どうしようか?」
綺麗についた折り目。
どんなにのばしても、変わることがない。
次元を歪ませて、何かをたぐり寄せた結果。当然、代償が必要になるのだ。
■■■
見れば、空間に忽然と存在する、無数の仄暗い穴。
みんな気付いていないけれど、その穴に飲まれたら、体は無事ではすまない。
スポイトの右手が、次元の穴に吸い込まれて――血飛沫が一滴、ボクの頬を染めた。
「トレー、トレー、トレー! トレー!」
狂ったように、スポイトが叫ぶ。その声に呼応するかのように、ピエロのマスクをつけた楽団達が立ち塞がった。
「トレー。お前は、もう少し、穏便に済ませられないのかよ?」
呆れたと、そんな感情を隠さずに遠藤さんが呟く。
「No.K。トレーはタイミングを見計らっていたんですよ。下手に接近したら、日原君の安全は保証できませんからね。今なら【
あのね、川藤さん。途中までは、流石って思ったのに。そういう言い方されると、恥ずかし過ぎて、言葉にならないから、ちょっと止めてくれない?!
「茜さんの大好きな人を傷つけた。私、ぜったいに許さないから!」
ひなたちゃんまで、参戦である。先方に申し訳ない気持ちでいっぱいだが、より多くのデータを取りたいという彼女の両親の思惑に、今は乗るしかない。彼女の両手から生まれる炎。何かのアトラクションと思ったのか、観衆は拍手喝采でひなたちゃんを歓迎した。
「姉さん、左40度方向。ビル、22階から射撃が来るよ」
スポイトの量産型サンプル――強化体がライフル銃を構えて、マンションの屋上から引き金が絞ろうとした、その瞬間だった。
空気を切り裂くような音がして――でも、爽君が何なく、その手で払って弾丸を打ち落とした。
不可視防御壁ファイアーウォール。
爽君の
間髪入れず、ひなたちゃんの炎が、先方を容赦なく飲み込んでいく。
「トレーっ!」
「日原君を返してもらうね」
ボクは、竹刀を構えて。そして、スローモーションで【スポイト】の四肢を凪いだのだった。
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