第13話
雨が降った。
晴れを許さぬ雫たちが暗雲立ち籠める中空から地上を覆う。
それは──アゲリアが居なくなってから三日のことだった。
海が蒸発するための熱はどこからとか、重力を無視するのに雨は下に落ちるのかとか、そんなことはもうどうでもよかった。
今はただ、出口の見つからない暗い感情に身を任せるのが苦痛で仕方がなかった。
二日目の時点で彼の足取りは全く掴めなかった。
広大なスラム街を走り回り探した。だけど見つからなかった。
だから先日会った輩のところに行き着いた。
するとあっさりと彼の姿を目にすることができた。
「ねえ、何してんの、君?」
そこには店で働いているアゲリアの変わり果てた姿があった。
やけに小綺麗にして髪の毛も手入れがされた、垢抜けた青年の姿が。
遠くから眺めれば以前の彼とは同一視できなかった。
「ねえ、本当に何してんの……?」
自分でも声が震えていることがわかった。
失望じゃない。呆れでもない。
ただ、ただ意味が分からなかった。頭が受け入れてくれなかった。
「アゲリア、君はどこに行きたいの?」
気がつけば彼との距離はどんどん広くなっていた。
勝手に彼と近づいていると勘違いしていた。
「そっか……」
──やっぱり本当の仲間にはなれなかったんだね。
あのピアスに見合う人は自分で見つけなければならなかったんだ。
必然の出会いじゃ駄目だ。偶然でなければ。
もう、仲間探しで人は頼らないことにしよう。
そう思うと私の足は勝手に走り出していた。
「グノスィ…………?」
その後ろで彼が声をかけるのも無視して。
世界が暗くなると初めての雨が降ってきた。雲もなくても雨は降るのだ。
手に籠もる力が感情を堰き止める唯一のストッパーだった。
足が止まる。水溜りに映る自分の姿を見下ろす。
醜い顔だ。一番醜いのは私だった。
「はははは……あはははははははははははははははははははははは!!」
世界へ向けて笑い声を轟かせるように。
グノスィは声が枯れるまで叫び続ける。
そこからは溜め込まれた感情全てが飛び出し、雨が彼の服を汚していく。
初めての感覚に彼は夜の街を駆けていく。
住民は外から響く叫声に怯え。
グノスィは精一杯声を出し、喉に詰まった水に咳き込み、足先はセダイラの家に向かっていた。
「おい、ずぶ濡れじゃねえか!」
セダイラの声が聞こえる。
だからどうしたというのか。
安心と悲しみの相反する感情を見せないようにか、彼は部屋に入るなりセダイラに切り出した。
「セダイラ、世話になりました。これは今までのお駄賃です」
最大限の礼として彼はバフラから勝ち取った金の残りをテーブルに置き、ピアスの入った黒い箱を持ち出す。
「お、おいおい……どこ行くんだ? こんな雨も降ってる夜から──」
「とりあえず海を越えて人間の島へ行ってきます。身元も知れない私を置いてくれてありがとうございました」
早口に彼は感謝の言葉を述べて逃げ出すように飛び出した。
物語はまだ始まったにすぎない。だけれども、迷路のように入り組んだ世界に彼は少し、怒りという小さな火をその心に灯し始めていた。
♢♢♢
「グノスィ…………?」
見覚えのある後ろ姿が遠のくのを横目に見ていた。
借金の代わりにここでしばらく働けと言われ、止む無く青年はこの仕事に就いた。
風呂に毎日入れる、そんな日々が幸福に思われ、肌の色のくすみがないことに喜ぶ。
それがここ数日のアゲリアの様子だった。
だが────。
だが────。
「何してんだ、俺は……?」
「それはこっちのセリフだっ! キビキビ動け!」
サボっていると見られ、頭を叩かれるアゲリア。
皿洗いに徹しながら彼は今すべきことを考える。
あいつの手伝いをするんじゃなかったのか。
命令を受ける筋合いはないが、少なくとも俺は一度負けた。
そしてあの男にも負けた。これで二回だ。
パリン
皿洗いをすれば強くなれるのか?
違う。
金を手に入れられれば強くなれるのか?
違う。
パリンパリン
今やんなきゃいけねえのはこんなことじゃねえのに。俺は何をしている。
負けたまま終わりなんて嫌だ。次は勝つと決めたんだ。
時間を無駄にしてあいつに追いつけるはずがない!
パリンパリン
「いい加減にしろおおお!」
「うおおおおお!」
皿を連続で割り続けるアゲリアに怒りが頂点に達する店員。
それに対してスポンジを握りしめながら殴りつけ、店を飛び出すアゲリア。
しかしそこにグノスィの姿は既になく、強い風とともに雨が吹き付ける。
アゲリアは走り、走り、走る。グノスィとは反対の方向へ。
今は追いつけないなら反対側から追いつけばいいという彼なりのふざけた理論だった。
……つまりそれが意味するところは。
「何しに来た?」
「俺を……強くしてくれ」
「ここがどこだか理解していないのか?」
それは二人で来た入口ではなく。
「ガルーダ様の寝室の真上だぞ!?」
巨木の頂上。すなわち針の先端である。
「お前が顔を出さねえからだろ」
「何のつもりだ……? 恩を仇で返すとはこのことか?」
赤髪がゆらゆらと彼のオーラで持ち上がる。先刻の店員が生易しいほどの感情の猛りであった。
「俺は強くなんなきゃならねえ。それこそあんたよりもな」
「認めようと思ったがやはり貴様は劣等種だな。いや、劣等種以下だ」
「そうだ! 俺は弱い……っ! だからここにもう一度帰ってきたんだ!」
話の通じぬ相手と理解したようでルフは歩を進める。
「ならば何度でも砕こう。貴様のその虫けらのような自信ごとな」
「やれるもんならやってみろ、俺はもう……泥を舐めるのはうんざりだ」
「……ふっ……!」
霧の中で衝突する二人。そしてその下でひたすら騒音を聞き流すガルーダ。
展開の行方は神でさえも予知できないものとなるかもしれない──。
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