4月

今日から高校生。

そんな平凡な高校生活を送れると思っていた。


入学式の3日前、私は発作に襲われた。

運動なんてしていないのに、薬も飲んでいたのに。

1週間前の検診ではなんの問題もなく高校に通えるという診断がおりていたのに。


5年前、最後に発作をおこしたときを思い出した。あの苦しみを鮮明に思い出した。

息の吸い方を忘れ、呼吸をすることを忘れてしまった私の意識は闇に落ちた。

ただ、ピアノを弾いていただけなのに。


そのまま病院に運ばれた私は主治医の先生から病気の悪化を知らされることとなった。


高校に通うことは難しいということ。

病気が突然進行しだしたということ。

入院しなければならないということ。

残り1年の命だということ。


自然と涙は出なかった。

私は一度生きることを諦めた人間だった。だから、死ぬことに抵抗はなかった。


画面の向こう側にいるドレス姿の小さな水上彩陽みずかみいろはは達者にピアノを奏でている。

その体よりも何倍も大きなピアノを奏でている彩陽が心臓病を抱えているなんてこの映像からは感じ取れない。

この子は将来活躍するなんて周りからは騒がれていた。

私にそんな時間はないのに。もうこのときには私は先が長くないことを悟っていた。

何度も手術を繰り返してきたのに発作の回数も苦しさも軽減されない時点でわかっていた。

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「私、あと1年で死ぬのか…」


そんなつぶやきが一人しかいない病室にこだまする。


コンコン

「どうぞ〜」


ガラッ

「こんにちは。俺、一宮奏汰って言います。突然ごめんなさい。この部屋からラフマニノフ聴こえてきたから。」


そこに立っていたのは先生でもなく、看護師さんでもなく、部屋着を着て点滴を引っ張っている同い年ぐらいの男の子だった。


「あ、えっと、こんにちは…」

「突然で驚いたよね。俺、ずっとピアノやっててさ、ラフマのピアノ協奏曲大好きなんだよね。ほら病院でクラシック聴いてる人なんてめったにいないからさ!」


この人、病気なのかな…

そんなふうには見えないくらい元気な人だな。


「私も、ピアノやってて…水上彩陽です。」

「っ!よろしく!ねえ、またきてもいい?入院中、暇でさ。」

「もちろん。私も一人病室で寂しくて。」


こんなに病院通ってて初めて会った。とても病人にはみえない人だな。


入院生活は暇はしなくていいかもしれない。

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ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番

久々に聴いたな。聴いたら弾きたくなっちゃうよな。

水上彩陽ちゃん。あんなに素敵な音楽を奏でるのに病気を抱えていたなんて。

ずっと憧れの彩陽ちゃん。向こうは俺のことなんて覚えてないよな。

俺は彩陽ちゃんに憧れてピアノを始めたんだ。

コンクールで何度も話しかけた。でも向こうは人気者で色んな人に話しかけられていたからきっと俺の名前なんて見たことも聞いたこともないだろうな。

こんなところで会えるなんて思っても見なかった。

嬉しくてまた来てもいい?なんて言ってしまった。キモい男って思われてないだろうか。顔はニヤニヤしていなかっただろうか。また明日も病室に行こう。


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次の日

一宮奏汰くんはまた病室に来ていた。

話していてわかったこと、それは奏汰くんも私と同じ心臓病だってこと。

先天性の心疾患で良くなっていた病状が少し悪化して入院しているとのことだった。

そして、まさかの同い年。今年から高校生になるはずだったのに、このタイミングで悪化するなんてお互い運が悪いねなんて話もした。



「私ね、もう治らないんだって。私の心臓、もう持たないんだって。だから、最期に好きなことやりたいって思ったの。ピアノももっと楽しく弾きたいの。高校生みたいなこともしたい。だからもう少し体の調子が良くなったら退院して学校にも行きたいって勝手に思ってる。許してくれるかわからないけどね。」

「彩陽ちゃんはすごいね。俺が先生にそんなふうに言われちゃったら生きるの諦めちゃうかも。彩陽ちゃん、俺もその楽しいこと付き合わせて!俺も早く良くして退院するから!」


一緒にか…。私は先に死んでしまうのにこんなに仲良くしてもらっていいのか。悲しませてしまわないだろうか。


「やりたいこと、今のうちにリストに書き出しておこうよ!そしたら退院してすぐできるように!」


奏汰くんの言う通りリストに書き出してみた。


 やりたいことリスト

 ・ピアノを楽しく弾く

 ・連弾がしたい

 ・お友達とお買い物をする

 ・デートしたい

 

これ以外に思いつくことは特になかった。でも一番はやっぱりピアノを最期まで弾いていたい。一番はそればっかり。私の中にあるのはやっぱり音楽ばっかりだ。もっとたくさん色んな人と音楽したかったな。

死にたくない…

そう思ったら自然と涙が出てきた。涙が止まらなくなって、どうすればいいのかわからなかった。


「彩陽ちゃん…?ごめん、俺のせい?やりたいことリストなんてもう死ぬって決めつけたみたいだったよな。ほんとごめん。」

「違う、違うの。私、音楽が大好きだなって。人に聴いてもらうのも大好きだったのにこんなになってもう全然弾いてない。あんなに好きなのに弾けないのってすっごい辛くて、でも考えないようにしてた。…でももうできないって思ったら嫌で。もっとやりたいって思っちゃった。」


私、出会って2日の人にこんなに打ち明けられるほど明るい人だったかな。病気と病気がそうさせてるのかな。


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彩陽ちゃんを泣かせてしまった。

俺がやりたいことリストなんてことを提案してしまったから。

でもリストにこう書いてあった、連弾がしたい。

こんなん、俺が叶えるしかないだろ。

俺ももう長くないんだ。俺もやりたいことたくさんやらないとな。


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